第13話 騎士からの誘い
濡れ鼠になって冷えた身体を、湯船に浸かって温め、クラリーチェが用意してくれた服に着替えるのは、サラがラカージュに来てから、これで二度目だ。
我ながら何をやっているのかと思う。
だが、シュウが不意に見せた、くしゃりと笑った顔が、いつもの大人びた印象から一変し、あどけなくて可愛くて、鼓動も感情も乱れてしまったのだ。
それで、衝動のままに行動してしまったのだが、自分でも幼稚だったと今ならわかる。
(でも、こんなわたしに付き合ってくれたんだから、シュウもノリが良いなぁ)
サックスブルーのワンピースと紺色のレギンスに身を包み、ポニーテールにした栗色の髪を揺らしながら、シルバーのパンプスを履いた足で、屋敷の裏手へと小走りに向かう。
サラの髪型をセットしてくれたクラリーチェ曰く、シュウはもうサマーハウスの中で待っているのだという。
男の人の着替えは早いなと思いつつも、サマーハウスに近づいていくと、二人掛けのソファにゆったりと腰かけ、真っ白なマグカップを傾けているシュウの姿が、ガラス扉越しに見えてきた。
しかし、シュウが身に着けているワイシャツもスラックスもスニーカーも、先程と全く同じものだ。
衣服や靴だけではなく、濡れ羽色の髪もすっかり乾いているように見えるものの、こんな短時間で完璧に乾かすことなんて可能なのだろうか。
その上、サマーハウスの脇には先刻はなかったはずの、大きなケージが置かれていた。
その中には、狐と犬とうさぎをミックスさせたような――とにかく愛くるしいもこもことした生き物が数匹入っている。大きさは、小型犬くらいだろうか。
様々な疑問が湧き上がってきた上、可愛らしい生き物に心惹かれたが、とりあえずシュウに声をかけることを最優先にした。
「――シュウ、お待たせ!」
軽く息を弾ませながらサマーハウスの中に足を踏み入れれば、伏せ気味になっていた空色の眼差しがサラに注がれた。
「そんなに待ってないから、慌てることなかったのに」
「わたし、自分が待つのは全然気にしないけど、人を待たせるのは苦手なの」
「そうか。まぁ、とにかく落ち着いて座れ。リーチェが淹れるミルクティーはうまいぞ」
「――まぁ、恐悦至極に存じますわ」
突然後ろから聞こえてきたおっとりとした優雅な声に振り返れば、いつの間にサラに追いついていたのか、ティーセットを載せたトレイを持ったクラリーチェがにっこりと微笑んでいた。
視線を正面に戻すと、シュウが我が物顔で自分の隣の座面をぽんぽんと叩いたから、遠慮がちにそこに腰を下ろす。
すると、サラに続いてサマーハウスの中に入ってきたクラリーチェがトレイをテーブルの上に置き、手際よくミルクティーを淹れてくれた。
「はい、姫さま。アッサムのミルクティーでございます」
「……ありがとう、いただきます」
差し出された空色のマグカップを受け取るなり、ほんのりと甘い香りを漂わせる優しい色合いの液体に息を吹きかけてから、そっと口に含む。
「おいしい……」
最初から、サラが飲みやすい温度で淹れてくれたのだろう。ちょうどいい温かさのミルクティーが喉を滑り落ちていくと、身体がじんわりと温まってきた。
「お口に合ったようで、何よりでございます。それでは、これで一度失礼いたしますね」
クラリーチェは優雅な所作で頭を下げてから、サラたちの前を辞した。
「……そういえば、シュウ。プレゼント、ありがとう」
ゆっくりとミルクティーを飲み、中身が半分ほど減ったところで、マグカップを一旦テーブルの上に置きながら礼を告げる。
「どういたしまして。中身はもう見たか?」
「ううん、あとでゆっくり見させてもらうね。でも……わたしの誕生日はまだ先だし、特に理由のないプレゼントは……よくないと思う」
「は? なんで?」
「なんでって……わたしたち、恋人でも婚約者でもないでしょ。こういうことは、本当に好きな人のためだけにした方がいいよ」
風見家の家系図によると、三代目の当主を除き、シュウと名乗っていた当主は生涯独り身を貫いたらしい。
だから異母兄二人とは違い、サラの目の前にいるシュウにも許嫁はいないのかもしれないが、もしいたのだとしたら、心苦しい。
しかも、シュウが用意してくれたサラへのプレゼントは、一つや二つの話ではなかったのだ。
本当に、シュウにとってサラとはどういう存在なのだろう。
不思議そうに目を瞬かせていたシュウは、サラの返事を聞くと、納得したように頷いた。
「なら、何も問題はないな。理由も、ちゃんとあるし」
「……え?」
思いがけない返答に、呆気に取られつつもシュウを見つめ返す。
先程、マグカップを手放しておいてよかった。まだ手に持ったままだったら、うっかり取り落としていたかもしれない。
これでは、まるで――サラがシュウから遠回しの愛の告白を受けたも同然ではないか。
(え……でも、これ……わたしの解釈が間違ってたら、恥ずかしすぎるんですけど)
仮に思い切って踏み込んでみた結果、サラの見当違いだと判明した暁には、勢いのまま浮島から飛び降りてしまいそうだ。
ほんの数拍の間、サラの思考は勢いよく回転していった。その末に、サラは心に決めた。
(そういうことをはっきり言わない人の気持ちなんて、絶対に察してなんかあげない……!)
そう強く心に誓ったサラは素早く意識を切り替え、質問を繰り出す。
「問題ないってことは……ケントやレオとは違って、シュウには婚約者はいないの?」
「うん、いない。俺、結婚は禁じられてるから」
「……え?」
またしても意表を突かれ、忙しなく瞬きを繰り返す。
自分の意思で結婚をしないと決めたのではなく、そもそも選択肢を奪われているなんて、自由意志が尊重される環境で育ったサラにとっては、信じられない。
シュウの立場から察するに、結婚を禁ずることを言い渡してきたのは、殺め姫か庇護姫に違いない。
でも、どんな権限があって、人生を大きく左右する命令を出したのかと、義憤に駆られそうになる。
「そうだったんだ……」
どうしてか芽生えてきた、シュウに許嫁がいなくてよかったという安堵よりも、理不尽さへのやるせなさの方が勝り、それ以上の言葉は出てこなかった。
「……それで、理由って?」
これ以上、シュウの婚姻に纏わる話題には触れない方が良さそうだと判断し、即座に話題を変える。
シュウもテーブルの上にマグカップを置くと、膝の上に頬杖をつきながら口を開いた。
「……サラ、強引にここまで連れてこられたから、家はそのままにしてきただろ」
「え? う、うん……」
答えになっていない言葉に戸惑いつつも、その通りだったから頷く。
「だから一回地上に降りて、色々整理したいんじゃないかって思って、前からレイラに地上行きの許可の申請をしてたんだ。それで、やっと許可が下りたんだけど……『デートに誘う時は、その時に着るもの一式用意してからにしろ』って、レイラとリーチェに条件を出されてな」
「レイラもリーチェも、なに言ってるの……」
シュウはサラの境遇を気遣い、わざわざ手続きをしてくれただけだというのに、何がデートなのか。シュウもシュウで、そんな素直に二人の言葉に乗せられてどうするのか。
その上、あの箱の山の正体は服や靴、それからアクセサリーだったのかと思うと、気が遠くなりそうだ。
「だからサラ、今度俺と一日地上デートしてくれるか?」
頬杖をつくのをやめたシュウに、半眼になっていたサラの右手を掬い取られたかと思えば、唐突にそう乞われて大きく目を見開く。
「え……いや、あの……シュウが言ったのは、荷物の整理だけでしょ? それって、デートって言わないんじゃ……」
引っ越し作業と表現した方が、余程しっくりくる。
「別に、それしかしちゃいけないって言われてないからな。せっかくだから、久しぶりの地上を一日堪能してこよう」
シュウの言葉に耳を傾けていくにつれ、本当に地上に行けるのだという実感がじわじわと湧き上がってきた。
「で、でも……いいの? 月影一族は今、誰かに命を狙われてるんじゃ……」
だが、ぬか喜びになるのが怖くて、おそるおそる問いかければ、シュウが安心させるように柔らかく微笑みかけてくれた。
「その辺は、抜かりない。それに、油断するつもりはないが、犯行現場は全部、月影一族が所有する地上の私有地だったからな。一般人が多く出入りするエリアなら、狙われる確率は低いと思う」
シュウの温かな指先が、サラの手の甲をそっと撫でていく。
「でも、もしサラが今の状況で地上に行くのが怖いっていうなら、もちろん無理強いはしない。滅多に外部と接触しない、厳重なセキュリティが敷かれてるラカージュにいるのが、今のところ一番安全だからな。だから、自分の気持ちに従って決めてくれ」
「わたしは……」
シュウに握られた手を、おずおずと握り返す。
「……ここに来てから、シュウに散々鍛えられたおかげで、逃げることだけは自信がついた」
「サラ、元々足が速いしな」
「だから……万が一のことがあっても、自力で逃げることはできると思う。それに――」
サラを見つめる、空をそのまま閉じ込めたかのような双眸をひたと見据える。
「――シュウは、騎士でしょう? なら……あらゆる危険から、わたしを守り抜いて。そう約束できるなら……シュウとデートする」
傲慢な物言いになってしまったかもしれないと、内心冷や汗をかいたものの、サラを取り巻く状況を考えれば、このくらいの保証はして欲しいところだ。
「――拝命した」
サラから守れと命じられたシュウは、いつかの夜のように指先に優しいキスを落とした。
まだ姫と騎士という関係性に慣れていないせいか、それとも男の人にこういう態度を取られたことが今までなかったからか、どうしても心臓が早鐘を打つ。
ようやくシュウの唇からも左手からもサラの右手が解放されたところで、気を紛らわせるために声を出す。
「そ……それに、シュウにせっかくプレゼントをもらったんだから、有効活用しなきゃ勿体ないしね」
「そう言ってもらえると、厳選に厳選を重ねた甲斐があったな……ああ、そういえば、プレゼントといえば、こっちもあるんだ」
そう言葉を零したかと思えば、シュウはおもむろに立ち上がり、サラに向かって手を差し伸べてきた。
幼い頃、シュウと遊ぶ時には、よくこうやって手を差し伸べられたなと、懐かしさを噛み締める。
ありがたくシュウの手を借りて腰を上げれば、サマーハウスの外へと連れ出され、ふわふわもこもことした生き物が入れられているケージの前にやって来た。




