第95話 王太子殿下、自分の助言が何割採用されたかで信頼を測らない
誰かへ意見を伝えたあと。
その意見が、どのように扱われたのか気になることがあります。
参考になっただろうか。
役に立っただろうか。
伝えたことのうち、どこまで使ってもらえただろうか。
自分の考えと同じ結論になれば、信頼されたように感じます。反対に、違う結論になれば、必要とされなかったような寂しさが残ることもあるでしょう。
それは、決して不自然なことではありません。
特に、相手のために時間をかけて考えた時ほど、自分の言葉がどこへ届いたのか確かめたくなります。
けれど。
相談された側の意見は、渡した瞬間から相手のものです。
そのまま使うかもしれません。
一部分だけ取り入れるかもしれません。
別の意見と組み合わせるかもしれません。
聞いた結果、やはり最初の考えで進もうと決めるかもしれません。
どれも、相談を軽く扱ったことにはなりません。
人は、誰かの意見へ従うためだけに相談するのではなく、自分で選ぶために相談することもあるからです。
前日。
植物研究会は、王太子殿下へ正式に相談しました。
殿下は、自分なら測定方法を先に整えると答えました。
しかし、研究会が選んだのは、光の条件比較から始める案でした。
殿下の答えとは違います。
それでも殿下は、その結論を受け入れました。
相談されたからといって、最後の答えまで決めない。
自分の意見を材料として渡し、選択を本人たちへ返す。
かなり立派でした。
ところが。
翌朝になると。
殿下の中には、新しい疑問が生まれていました。
自分の助言は。
結局、どれほど採用されたのだろうか。
王太子殿下。
どうか、相談への貢献度を百分率で計算しないでください。
◇
翌朝の空は、昨日までの雨が嘘のように晴れていました。
東から差し込む朝日が校舎の窓を明るく照らし、濡れていた石畳もほとんど乾いています。木々の葉にはまだ小さな雫が残っていましたが、風が吹くたび、光を散らしながら地面へ落ちていました。
校舎裏へ向かうと、殿下はいつものベンチへ座っていました。
膝の上には小さな手帳があります。
昨日までの十枚の案ではありません。
それより薄く、持ち運びやすいものです。
けれど、殿下が朝から手帳へ何かを書き込んでいる時は、あまり安心できません。
「おはようございます、殿下」
「ああ。おはよう、マリア」
「今日は何を記録しているのですか?」
「昨日の相談についてだ」
「反省ですか?」
「確認だ」
殿下は手帳を閉じませんでした。
視線を落としたまま、いくつかの項目へ印を付けています。
「何を確認しているのですか?」
「私が伝えたことのうち、研究会が採用したもの」
私は殿下の隣へ座りました。
「割合を出しているのですか?」
「まだ」
「まだ?」
「項目を整理してからだ」
殿下は手帳を少しこちらへ向けました。
そこには、昨日の相談で殿下が伝えた内容が並んでいます。
王宮資料の写しを渡した。
測定方法を先に揃える案を示した。
光を比べる場合は温度差へ注意するよう伝えた。
測定方法を比べる場合は、今ある三鉢だけで十分か疑問を示した。
記録の項目を増やしすぎないよう注意した。
その横には、採用、保留、不採用らしい印が付けられていました。
「殿下」
「何だ」
「これは、なぜ必要なのですか?」
「私の意見が役に立ったか確認するためだ」
「研究会から、役に立たなかったと言われましたか?」
「言われていない」
「むしろ、また相談すると言われましたね」
「ああ」
「では、それで十分では?」
殿下はすぐには答えませんでした。
手帳の端を指で押さえ、少しだけ視線を遠くへ向けます。
「研究会は、光から始めると決めた」
「はい」
「私は、測定方法から始める方を選んだ」
「はい」
「結論は違った」
「はい」
「だから、どこまで私の話が残ったのか気になる」
「なぜでしょう」
「役に立てたのか知りたい」
殿下の声は、昨日のように嬉しさだけで弾んではいませんでした。
少し不安が混ざっています。
「もし、ほとんど使われていなかったら?」
「少し残念だ」
「それだけですか?」
殿下は黙りました。
朝の校舎裏には、鳥の声と、遠くを歩く生徒たちの足音が聞こえていました。授業前の時間はまだあり、急かすものはありません。
「私は」
しばらくして、殿下が静かに言いました。
「相談されたことを、信頼されたと思った」
「はい」
「また相談すると言われたことも」
「はい」
「でも、私の意見が使われていなければ、本当に信頼されたのか分からない」
私は手帳へ目を落としました。
「殿下は、信頼とは、自分の意見へ従ってもらうことだと思いますか?」
「違うと昨日学んだ」
「はい」
「だが、全く使われなければ?」
「相談した結果、別の考えを選ぶこともあります」
「それでも信頼?」
「はい」
殿下は納得しきれない顔をしました。
「かなり難しい」
「殿下」
「何だ」
「昨日、研究会は殿下へ何を求めましたか?」
「王宮資料」
「はい」
「二つの案の見落とし」
「はい」
「それぞれで気になる点を一つずつ」
「はい」
「最後の決定は求めなかった」
「その通りです」
「なら、私は求められたことには答えた」
「はい」
「それが採用された割合は、別の話?」
「かなり別です」
殿下は手帳を見つめました。
「では、私が役に立ったかどうかは、何で分かる?」
「研究会が決めることです」
「私は確認できない?」
「聞くことはできます」
殿下が顔を上げました。
「聞いてよい?」
「ただし、『私の助言は何割採用されましたか』とは聞かないでください」
「なぜ?」
「試験ではありません」
「役に立った部分を聞くのは?」
「聞き方によります」
「また場合による」
「かなり」
殿下は少し考え込みました。
「私は、昨日の相談がどうだったか聞きたい」
「はい」
「私の話が多すぎなかったか」
「はい」
「必要なことと、不要なことがあったか」
「それならよいと思います」
「採用率は?」
「出しません」
「かなり分かりやすいのに」
「分かりやすすぎるためです」
私は手帳を指さしました。
「数字へすると、殿下は次に採用率を上げようとします」
「……」
「前回は四割だった。次は六割を目指す。そのために、より正確な案を増やす」
「あり得る」
「かなり」
殿下は手帳を閉じました。
「今日は、割合を出さない」
「はい」
「研究会の様子は気になる」
「はい」
「見に行ってよい?」
「活動時間に、招かれていれば」
「招かれていない」
「では待ってください」
「かなり待つことが多い」
「最近の殿下には必要です」
◇
同じ頃、植物研究会では、光の条件比較を始めるための準備が進められていました。
研究会室の窓際には三鉢が並び、その前に細い紙片と定規、温度計、記録用紙が置かれています。
昨日決めた方針は、光の違いを比べながら、測定方法も最低限だけ揃えるというものでした。
殿下が気にしていた温度差も、記録することになっています。
ただし、朝、正午、夕方の三回ではありません。
研究会員たちが無理なく続けられるよう、朝と放課後の二回です。
「正午も測った方が正確なんだろうけど」
一人の会員が温度計を持ちながら言いました。
「授業があるから無理」
「昼休みに誰かが来る?」
「毎日はきつい」
「なら、週に一度だけ正午も測る?」
「それならできるかも」
四十秒の説明を担当した女生徒が、記録用紙へ項目を書き加えました。
「葉の長さは、どこからどこまで?」
「根元から先?」
「茎との境目が分かりにくい」
「印を付ける?」
「葉に直接?」
「傷むかもしれない」
「糸を巻くのは?」
「成長したら食い込む」
話し合いは、昨日とは違う形で続いていました。
方針は決まりました。
しかし、決めたからすぐに迷いがなくなるわけではありません。
実際に始めようとすれば、新しい疑問がいくつも出てきます。
それでも、研究会員たちは焦っていませんでした。
「殿下にまた聞く?」
一人が言いました。
部屋の空気が少しだけ変わります。
「まだ早くない?」
「でも王宮ではどう測ってるか知ってそう」
「知ってるだろうけど」
「聞いたら、全部整えてくれそう」
「かなり」
小さな笑いが起こりました。
ご令嬢は机の上の記録用紙を見ながら、しばらく考えました。
「まず、自分たちで試しましょう」
「殿下に聞かない?」
「聞かないのではありません」
ご令嬢は、葉の根元を指で示しました。
「今は、どの方法が使いにくいのかも分かっていません。最初から正しい方法を教えていただくより、私たちで一度測ってみたいです」
「失敗してから?」
「失敗するかもしれません」
「時間がもったいなくない?」
「少しは」
ご令嬢は柔らかく笑いました。
「でも、自分たちで使いにくさを知ってから相談した方が、何を聞きたいのか分かると思います」
四十秒担当の女生徒が頷きました。
「昨日も、殿下へ相談する前に二つまで絞ったから話しやすかった」
「うん」
「何も決まってない時に相談してたら、殿下が全部考えてたかも」
「十枚どころじゃなかった」
「百二十七個」
また笑いが広がりました。
「では、今日は試す」
「はい」
「結果がずれても?」
「記録します」
「変な数字が出ても?」
「消さない」
「発表会で学んだね」
研究会員たちは、最初の測定を始めました。
同じ葉を二人で測ります。
一人は根元から先端まで十一・二センチ。
もう一人は十一・七センチ。
「かなり違う」
「五ミリ」
「どこから測った?」
「ここ」
「私はこっち」
「やっぱり境目が違う」
「写真を撮って印を付ける?」
「それなら葉を傷めない」
「よさそう」
最初から揃った答えは出ませんでした。
けれど、その違いが、次に何を考えるべきかを教えていました。
◇
午前の授業が終わる頃には、殿下の手帳から採用率の項目は消えていました。
正確には、線で消されています。
完全に読めなくしたわけではありません。
殿下は、失敗した考えも後から見直せるよう残す方です。
「殿下」
廊下を歩きながら、ハインツが手帳へ視線を向けました。
「何を消したのですか?」
「昨日の相談への貢献度」
「数値化しようとしたのですか?」
「ああ」
「何割でした?」
「計算していない」
「かなり偉いですね」
「マリアに止められた」
「止められる前に気づいてほしかったところですが」
「それは次の課題だ」
殿下は手帳を閉じました。
廊下の反対側では、生徒たちが植物研究会について話しています。
「今日から光の記録始めたって」
「もう?」
「葉の測り方でずれたらしい」
「殿下に聞けばいいのに」
「自分たちで一回試すんだって」
その会話を聞き、殿下の足が僅かに遅くなりました。
「測り方でずれた?」
「聞こえましたね」
「困っている」
「かもしれません」
「私は、王宮で使う基準を知っている」
「はい」
「伝えられる」
「はい」
「行ってよい?」
「相談されていません」
殿下は研究会棟の方向を見ました。
「だが、困っている」
「研究会員たちは、自分たちで一度試すと話していたそうです」
「なぜ知っている?」
「先ほどの生徒がそう言っていました」
「ああ」
「殿下」
「何だ」
「その失敗も、研究の一部かもしれません」
「正しい方法を知っているのに?」
「正しい方法が、研究会の環境で使いやすいとは限りません」
「王宮では使っている」
「王宮には道具も人員もあります」
「ああ」
「研究会に合う方法は、研究会員が試しながら決める必要があります」
殿下は少し不満そうでした。
「私は役に立てるのに」
「はい」
「でも、今は求められていない」
「はい」
「かなり寂しい」
「正直ですね」
「昨日、相談されたから」
「今日は相談されていません」
殿下は長く息を吐きました。
「相談は、一度始まったら続くものではない?」
「必要な時ごとです」
「毎日の顧問ではない?」
「役職を作らないよう言われましたね」
「ああ」
殿下は研究会棟から視線を戻しました。
「では、行かない」
「かなりよいです」
「ただ、会えたら」
「普通に挨拶してください」
「測定方法については?」
「聞かれたら答えてください」
◇
昼休み。
殿下は中庭のベンチで昼食を取っていました。
近くには生徒会役員が数人います。
以前なら、王太子と同じ場所で昼食を取ることへ緊張した生徒も多かったでしょう。今でも礼儀は保たれていますが、殿下が恋愛相談で何度も注意されていることが知られてからは、少し距離が近くなっていました。
「殿下」
書記の女生徒が、果物を一切れ口へ運んだあとに言いました。
「研究会へ助言されたそうですね」
「ああ」
「採用されましたか?」
殿下の手が止まりました。
ハインツが横から書記を見ます。
「今朝、それを数値化しようとしていました」
「本当ですか?」
「ああ」
「何割?」
「計算していない」
周囲に笑いが起こりました。
「でも、気になりますよね」
別の生徒が言いました。
「自分が話したこと、使ってもらえたか」
「ああ」
「私も、友人に勉強の方法を教えたあと、ちゃんとやったか聞きたくなります」
「聞く?」
「聞きます」
「嫌がられない?」
「時々」
「かなり参考にならない」
また笑いが広がりました。
「でも殿下」
書記の女生徒が続けました。
「助言って、全部使ってもらうためにするものですか?」
「今朝、同じことを考えた」
「私は、使えそうなところだけ使います」
「使わなかったところは?」
「その人が悪いわけではなくて、自分には合わなかっただけです」
「相手へ言う?」
「聞かれたら」
「何割使ったかも?」
「出しません」
「皆、出さない」
「普通は出しません」
殿下は少し考えました。
「もし、一つも使われなかったら?」
「相談して、考えが整理できただけでも意味はあると思います」
「そういうものか?」
「話しているうちに、自分が何をしたいか分かることもあります」
ハインツが頷きました。
「生徒会でも同じです。殿下の案が採用されなくても、比較したことで別の案の理由が明確になることがあります」
「私の案は、選ばれなくても役に立つ?」
「場合によりますが」
「また場合による」
「ただ、採用された量だけでは測れません」
殿下は食事へ視線を落としました。
「私は、形に残る方が安心する」
「採用された項目が多い方が?」
「ああ」
「信頼が見える?」
「ああ」
書記の女生徒は少し考えました。
「でも、殿下へ相談しても、必ず従わなくてよいと思えることも信頼ではありませんか?」
殿下が顔を上げました。
「どういう意味?」
「殿下へ話したら、殿下の答えどおりにしなければならないと思うなら、私は相談しづらいです」
「ああ」
「違う答えを選んでも怒られない。次も普通に話せる。そう分かっている方が、相談しやすいと思います」
周囲の生徒たちも頷きました。
「殿下へ相談して、殿下と違う方を選ぶのはかなり勇気がいります」
「王太子だから?」
「はい」
「でも植物研究会は選んだ」
「はい」
「そして、また相談すると言った」
「はい」
殿下はしばらく黙りました。
「なら」
やがて、ゆっくり口を開きます。
「私の意見が何割採用されたかより」
「はい」
「違う答えを選んだあとも、次に話せると思ってもらえたことの方が大切?」
「かなり」
殿下は少しだけ表情を緩めました。
「受け取る」
◇
午後の植物研究会では、午前中に出た測定のずれを確かめていました。
同じ葉を、今度は三人で測ります。
根元の位置を写真へ記し、定規の置き方も揃えました。
「十一・四」
「十一・四」
「十一・五」
「かなり近い」
「一ミリは誤差?」
「どうする?」
「毎回三人で測るのは無理」
「二回測って平均?」
「同じ人が二回?」
「人を変えた方がいい?」
新しい疑問が出ます。
「王宮ではどうしてるんだろう」
一人が呟きました。
ご令嬢は少し考えました。
「次に相談してもよいと思います」
「今日?」
「まだ」
「なぜ?」
「私たちが試した方法と、困った点を整理してからです」
「殿下、すぐ答えてくれそう」
「だからこそです」
ご令嬢は記録用紙へ視線を落としました。
「ただ『測り方を教えてください』と聞けば、殿下は一番正確な方法を教えてくださると思います」
「うん」
「でも、私たちが毎日続けられる方法とは限りません」
「人も道具も違うから?」
「はい。私たちは、正確さだけでなく、続けられることも大切にしたいです」
四十秒担当の女生徒が頷きました。
「なら、聞く時は、王宮の方法と、簡単にするならどこまで減らせるか?」
「よいと思います」
「今日の記録も見せる?」
「はい」
「失敗した数字も?」
「残しましょう」
研究会員たちは、午前中の記録を消しませんでした。
最初に五ミリずれたこと。
根元の位置が人によって違ったこと。
写真へ印を付けると差が小さくなったこと。
そのすべてが、次に相談するための材料です。
「殿下、今日来ないね」
一人の会員が窓の外を見ながら言いました。
「呼んでいませんから」
ご令嬢が答えます。
「気にしてると思う?」
「かなり」
「助けに来たい?」
「かなり」
「来なかった」
「はい」
ご令嬢は窓の外へ視線を向けました。
中庭を歩く生徒たちの中に、殿下の姿はありません。
「待ってくださっているのだと思います」
その声には、以前のような警戒はありませんでした。
殿下が来ないことを、関心がなくなったとは思わない。
自分たちの時間を守るために、あえて来ないのだと分かっています。
それもまた、研究会員たちが殿下へ相談しやすくなった理由の一つでした。
◇
放課後。
殿下は生徒会室から校舎裏へ向かう途中、研究会棟の近くを通りました。
偶然ではありません。
校舎裏へ向かうには、別の道もあります。
ただし、殿下は研究会室へ入るつもりはありませんでした。
それでも、窓から灯りが見えれば、活動が続いていることが分かります。
廊下の角を曲がったところで、研究会室の扉が開きました。
ご令嬢が、一人で紙束を抱えて出てきます。
殿下は足を止めました。
「こんにちは」
殿下が声をかけると、ご令嬢も少し驚いたあと、笑いました。
「こんにちは、殿下」
「活動は終わった?」
「はい。これから記録を保管しに行きます」
「持つ?」
殿下は紙束へ手を伸ばしかけましたが、途中で止まりました。
「重い?」
「重くはありません」
「ああ」
「でも、一部お願いしてもよいですか?」
殿下の表情が明るくなりました。
「もちろん」
ご令嬢は紙束の半分を渡しました。
全部ではありません。
殿下も、残りまで取ろうとはしませんでした。
二人は並んで廊下を歩き始めます。
「今日、研究を始めました」
ご令嬢が言いました。
「ああ」
「ご存じでしたか?」
「少し噂を聞いた」
「測定がずれたことも?」
「ああ」
「来ようと思いました?」
殿下は正直に頷きました。
「かなり」
「でも、来ませんでしたね」
「呼ばれていなかった」
「はい」
「自分たちで試すと聞いた」
「はい」
「だから待った」
ご令嬢は紙を抱え直しました。
「ありがとうございます」
「困った?」
「少し」
「楽しくは?」
「かなり」
殿下は小さく笑いました。
「前と同じだ」
「はい。迷っても、失敗しても、今は楽しいです」
「ああ」
「明日か、その次の日に、また相談するかもしれません」
殿下の歩みが僅かに遅くなりました。
「何について?」
「測定方法です」
「王宮での方法なら」
殿下はすぐに答えかけました。
しかし、途中で言葉を止めます。
「……相談された時に聞く」
ご令嬢が笑いました。
「はい」
二人はしばらく歩きました。
窓から差し込む夕方の光が、廊下へ長い影を作っています。
「ご令嬢」
「はい」
「昨日の相談について、一つ聞いてよい?」
「何でしょう」
殿下は少し迷いました。
「私の話は」
そこで一度、言葉を切ります。
「役に立った?」
何割とは聞きませんでした。
どの項目が採用されたかも尋ねませんでした。
ご令嬢はすぐに答えず、少しだけ考えました。
「役に立ちました」
「どの部分が?」
殿下の声が少し早くなりました。
ご令嬢は殿下を見ます。
「聞きたいですか?」
「かなり」
「採用されたところを確認したい?」
殿下は黙りました。
ご令嬢の声に責める響きはありません。
ただ、殿下が何を求めているのか、確かめています。
「少し」
殿下は正直に答えました。
「自分の意見が、どれほど残ったか気になる」
「なぜですか?」
「役に立てたと分かるからだ」
「使われた量が多いほど?」
「ああ」
ご令嬢は少し考えたあと、静かに言いました。
「では、殿下のご意見で、そのまま採用したものは多くありません」
殿下の表情が僅かに固まりました。
「そうか」
「残念ですか?」
「少し」
「はい」
「でも、聞く」
ご令嬢は頷きました。
「王宮の資料は、とても参考になりました」
「ああ」
「温度差へ注意することも、記録へ入れました。ただ、毎日三回は難しいので、朝と放課後だけにしました」
「ああ」
「測定方法を先に整える案は選びませんでした。でも、最低限の方法を揃えてから始めるという考えは使いました」
「ああ」
「三鉢だけで十分かという疑問は、今すぐ鉢を増やすのではなく、最初の結果を見てから考えることにしました」
殿下は黙って聞いていました。
「そのまま使ったものは少ないです」
「はい」
「でも、殿下へ相談したことで、私たちが何を大切にしたいかが分かりました」
「何を?」
「正確さだけではなく、続けられることです」
殿下が少し目を見開きました。
「私は、その話をしていない」
「はい」
「なら、私の意見ではない?」
「殿下の意見と比べたことで分かりました」
廊下の先から、生徒たちの声が聞こえてきます。
ご令嬢は少しだけ歩みを緩めました。
「殿下の方法は、正確だと思います」
「はい」
「王宮では、後から記録を比べるために必要です」
「ああ」
「でも私たちは、少ない人数で毎日続けます。だから、どこまでなら続けられるかを考えました」
「それも、私の話が役に立った?」
「はい」
「採用していないのに?」
「はい」
殿下はしばらく何も言いませんでした。
「難しい」
「かなり」
「使われなくても、比べるために役立つ」
「はい」
「私の答えと違う理由を、自分たちで見つけた」
「はい」
「それは信頼?」
ご令嬢は少し笑いました。
「私は、信頼していない方へ、自分たちの迷いを見せません」
殿下の表情が止まりました。
「本当に?」
「はい」
「かなり?」
「かなり」
殿下は抱えている紙へ視線を落としました。
「なら、割合は関係ない?」
「私は、出したことがありません」
「皆、出さない」
「普通は出しません」
二人は再び歩き始めました。
保管室の前へ着くと、ご令嬢が扉を開けます。
「紙、ありがとうございます」
「ああ」
殿下は受け取った分を手渡しました。
「また相談してよいですか?」
「もちろん」
「その時、殿下の意見を全部使わないかもしれません」
「ああ」
「一つもそのまま使わないかもしれません」
殿下は一瞬だけ迷いました。
それから、ゆっくり頷きます。
「それでも聞く?」
「はい」
「なぜ?」
「殿下の考えを知りたいからです」
ご令嬢は紙束を棚へ置きました。
「従うためではなく、考えるために」
殿下はしばらく言葉を失っていました。
「かなり嬉しい」
「分かりました」
「顔に出ている?」
「かなり」
◇
夕方の校舎裏には、穏やかな風が吹いていました。
朝には強かった陽射しも柔らかくなり、木々の影がベンチの周囲へ長く伸びています。運動場から聞こえる声も少しずつ減り、学園は一日の終わりへ向かっていました。
殿下はベンチへ座り、朝の手帳を開きました。
採用、保留、不採用と書いた印の上へ、一本の線を引きます。
「消すのですか?」
隣へ座ったマリアが尋ねると、殿下は頷きました。
「ああ」
「なぜです?」
「意味がなかった」
「全く?」
「私が安心するためには意味があった」
「はい」
「だが、相談が役に立ったか測るには足りない」
「はい」
殿下は手帳の空いた欄へ、新しく一文を書きました。
『同じ答えを選ばなくても、考える材料にはなれる』
「ご令嬢と話したのですね」
「ああ」
「何と?」
「そのまま採用したものは多くないと言われた」
「残念でしたか?」
「少し」
「はい」
「でも、私の意見と比べて、自分たちが何を大切にするか分かったと言われた」
「はい」
「私は、答えを渡さなくても役に立てた」
「はい」
「使われなくても?」
「はい」
殿下は手帳を閉じました。
「私は、信頼を目に見える形で確かめたかった」
「採用された量で?」
「ああ」
「なぜでしょう」
「不安だからだ」
殿下は少しだけ俯きました。
「ご令嬢が私を頼ってくれたことが嬉しい」
「はい」
「でも、その嬉しさが続くか分からない」
「はい」
「だから、私の意見が残れば、関係も残る気がした」
マリアは急かさず、殿下の言葉を待ちました。
「だが」
殿下は続けます。
「意見が残らなくても、また相談すると言われた」
「はい」
「私の答えを全部使わなくても、考えを知りたいと」
「はい」
「それは、何を信頼されている?」
「殿下の正解ではなく、殿下と話せることではありませんか」
殿下は静かに顔を上げました。
「話せること?」
「違う答えを選んでも、殿下が怒らないこと」
「はい」
「使わなかった理由を話しても、責められないこと」
「はい」
「必要な時には資料を探してくださること」
「はい」
「そして、必要でない時には待ってくださることです」
夕方の風が、手帳の表紙を僅かに揺らしました。
「私は」
殿下がゆっくり言いました。
「採用される人ではなく」
「はい」
「話せる人になればよい?」
「かなりよいと思います」
「それは、役に立っている?」
「かなり」
「全部?」
「全部です」
殿下は小さく笑いました。
「受け取る」
しばらくして。
殿下はもう一度手帳を開きました。
「何を書きますか?」
「次に相談された時の注意」
「一つだけにしてください」
「三つある」
「殿下」
「一、採用率を聞かない。二、使わなかった理由を責めない。三、次の相談を急かさない」
マリアは少し考えました。
「それなら、三つでもよいでしょう」
「かなり?」
「かなり」
殿下は満足そうに書き込みました。
「では、明日は相談される?」
「三つ目を今すぐ破らないでください」
◇
誰かへ助言したあと。
その助言が使われれば、嬉しく感じます。
自分の考えが認められた。
役に立てた。
信頼された。
そう思えるからです。
けれど。
助言がそのまま使われなかったからといって、相談に意味がなかったとは限りません。
聞いたことで、自分の考えがはっきりしたかもしれません。
比べたことで、大切にしたいものへ気づいたかもしれません。
違う意見を知ったからこそ、自分の選択へ納得できたのかもしれません。
植物研究会は、殿下の答えをそのまま選びませんでした。
殿下なら、測定方法から始める。
研究会は、光の比較から始める。
結論は違いました。
それでも。
王宮資料を使いました。
温度差への注意を記録へ加えました。
測定方法を最低限だけ揃えました。
そして殿下の考えと比べながら、自分たちは正確さだけでなく、毎日続けられる方法を大切にしたいと気づきました。
そのまま採用されたものが、どれだけあるか。
それだけでは、相談の意味を測れません。
何より。
研究会員たちは、殿下と違う答えを選んだあとも。
また相談したいと言いました。
意見へ従うためではなく。
考えるために話したいと伝えました。
王太子殿下。
信頼とは、自分の言葉が何割使われたかではありません。
違う結論を選んでも、また話せると思ってもらえることも、大切な信頼です。
ですから殿下。
研究会の記録用紙へ、「王太子助言採用欄」を追加しないでください。
その欄は必要ありません。
採用、部分採用、不採用の三段階で印を付けてもらうことも禁止です。
研究会員が、研究より殿下への報告へ時間を使うことになります。
それから。
相談後の満足度を五段階で回答する用紙を配布しないでください。
恋愛相談でも、研究相談でも、利用者アンケートは不要です。
最後に。
ご令嬢が「また相談します」と言ったからといって。
毎日、手帳へ「相談なし」と記録しないでください。
相談されなかった日は。
信頼が下がった日ではありません。
ただ、今日は自分たちで進められた日です。
本当にお願いします。




