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『王太子殿下、その恋は口から出す前に止めてください 〜好きな令嬢に嫌いと言ってしまう残念王子の恋愛相談役になりました〜』  作者: 伊佐波瑞樹


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第94話 王太子殿下、相談されたからといって最後の答えまで決めない


 誰かから相談されると、嬉しくなることがあります。


 頼ってもらえた。


 自分の考えを聞きたいと思ってもらえた。


 困った時に思い出してもらえた。


 それは、人との距離が少し近づいたように感じられる出来事です。


 特に、好きな方から相談されれば。


 嬉しさは、かなり大きくなります。


 だからこそ。


 役に立ちたい。


 できるだけよい答えを返したい。


 相手が悩まなくて済むようにしたい。


 そう思うのは自然なことです。


 けれど、相談とは。


 必ずしも、答えを決めてほしいという意味ではありません。


 考えを聞きたいだけかもしれません。


 見落としていることがないか確かめたいだけかもしれません。


 自分たちの決め方でよいか、一度外から見てほしいだけかもしれません。


 それなのに。


 相談された側が、最終的な答えまで引き受けてしまえば。


 相談した人は、自分で選ぶために話したはずなのに。


 最後には、他人の答えを受け取ることになります。


 王太子殿下は。


 前日、植物研究会が困ってもいないうちから、十枚の解決案を作りました。


 幸い、その十枚は使われませんでした。


 研究会員たちは意見の違いを楽しみながら、自分たちで次の方針を話し合っていたからです。


 殿下は待ちました。


 かなり待ちました。


 そして、その翌日。


 ついに。


 植物研究会から、正式に相談されました。


 殿下。


 よかったですね。


 ただし。


 相談されたことと、全権を与えられたことは違います。


 どうか、研究会の次期方針を王太子決裁事項へ変更しないでください。


          ◇


 朝の校舎裏には、昨夜の雨が残っていました。


 石畳の隙間には細い水の筋ができ、木々の葉から時折雫が落ちています。空にはまだ灰色の雲が広がっていましたが、その向こうから淡い光が差し始め、濡れた地面を柔らかく照らしていました。


 マリアがいつものベンチへ近づくと、殿下は立っていました。


 座っていません。


 落ち着きなく歩き回っているわけでもありません。


 ただ、背筋を伸ばし、ベンチの前で待っています。


 その手には、一通の封筒がありました。


「おはようございます、殿下」


「ああ。おはよう、マリア」


「今日は立っているのですね」


「ああ」


「何かありましたか?」


 殿下は封筒を少し持ち上げました。


「相談された」


 声は平静でした。


 表情も、王太子らしく整えられています。


 しかし、目がかなり嬉しそうでした。


「植物研究会からですか?」


「ああ」


「ご令嬢から?」


「研究会名義だ」


「少し残念ですか?」


「少し」


「正直ですね」


「だが、筆跡はご令嬢だ」


「かなり嬉しいのですね」


「かなり」


 殿下は封筒から便箋を取り出しました。


 丁寧な文面です。


 植物研究会で次の研究方針について話し合ったこと。


 候補を二つの進め方まで絞ったこと。


 王宮資料の中に、過去の類似観察がないか確認したいこと。


 そして、今日の放課後、短時間だけ意見を聞かせてほしいこと。


 最後には、研究会員全員の名前が記されていました。


「かなりよい相談ですね」


 マリアが言うと、殿下は頷きました。


「ああ」


「もう返事は?」


「受けると伝えた」


「それだけですか?」


「それだけだ」


「案は?」


「まだ作っていない」


 マリアは少し驚きました。


「本当に?」


「十枚は鞄の中にある」


「作っていますね」


「前に作ったものだ」


「持ってきたのですか?」


「念のため」


 殿下は少しだけ視線を逸らしました。


「今日は出さない」


「まだ相談内容を最後まで聞いていませんからね」


「ああ」


「では、何を聞かれると思いますか?」


「王宮資料にある栽培記録について」


「はい」


「二つの進め方の利点と問題点」


「はい」


「どちらがよいか」


 マリアは最後の言葉で少し首を傾げました。


「どちらがよいか、ですか?」


「違う?」


「手紙には、意見を聞きたいとあります」


「ああ」


「選んでほしいとは書いていません」


 殿下は便箋を見直しました。


 上から下まで、ゆっくりと目を動かします。


「確かに」


「殿下」


「何だ」


「相談されたことが嬉しいですか?」


「かなり」


「役に立ちたいですか?」


「ああ」


「ご令嬢たちが迷わない答えを渡したいですか?」


「渡したい」


「それが、今日の課題です」


 殿下は少し眉を寄せました。


「答えを渡してはいけない?」


「場合によります」


「また場合による」


「恋愛も人間関係も、かなり場合によります」


「難しい」


「研究会が何を求めているのか、最初に聞いてください」


「どちらを選ぶべきかではなく?」


「まず、何について意見が必要なのかです」


 殿下は考え込みました。


「王宮資料の有無なら答えられる」


「はい」


「過去の記録との違いも話せる」


「はい」


「だが、次に何を調べたいかは研究会が決める」


「はい」


「相談されても?」


「はい」


「かなり任せられた気がするが」


「信頼されたことと、決定を譲られたことは違います」


 朝の雫が、葉先から地面へ落ちました。


 小さな音でしたが、殿下はそれを聞くようにしばらく黙っています。


「私は」


 やがて静かに口を開きました。


「相談されると、最後まで助けたくなる」


「はい」


「途中で返すと、役に立っていない気がする」


「はい」


「だが、自分で選ぶ人へ選択を返すのも、役に立つ?」


「かなり」


 殿下は便箋を丁寧に折り、封筒へ戻しました。


「今日は、最初に聞く」


「何をですか?」


「私へ、何を求めているのか」


「はい」


「そして、求められていない答えは決めない」


「かなりよいです」


「褒める?」


「全部です」


「受け取る」


          ◇


 植物研究会では、朝から最後の確認が行われていました。


 机の中央には、二枚の紙が並んでいます。


 一枚目には、『測定方法を先に整えながら、光と風を簡易記録する』と書かれていました。


 二枚目には、『光の条件比較を先に始め、その過程で測定方法を改良する』とあります。


 昨日まで三つに分かれていた意見は、話し合いの結果、二つの進め方へまとまっていました。


「殿下、本当に来てくださるって」


 四十秒の説明を担当した女生徒が、返事の紙を見ながら言いました。


「かなり早い返事だった」


「渡してからどれくらい?」


「十分くらい」


「待ってたのかな」


 研究会員たちが笑いました。


 ご令嬢は、二枚の紙を見比べながら、少し困ったような笑みを浮かべました。


「待っていたと思います」


「かなり?」


「かなりでしょうね」


「昨日、困ったら相談するって言ったから」


「はい」


「殿下、嬉しいだろうな」


「はい」


 ご令嬢は否定しませんでした。


 殿下が相談されることを望んでいたと、本人から聞いています。


 頼られたい気持ちと、本当に助けたい気持ちが混ざっていたことも。


 それを隠さずに認めた殿下へ、以前より少し近いものを感じていました。


 完璧だからではありません。


 間違えないからでもありません。


 自分の中にある、あまり格好よくない気持ちまで認め、相手へ押しつけないようにしようとしている。


 その姿を見たからです。


「相談する内容、もう一度確認しよう」


 代表の女生徒が言いました。


「まず、王宮資料に似た記録があるか」


「はい」


「次に、二つの方法で見落としている点がないか」


「はい」


「最後に、殿下ならどちらへ興味を持つか」


 ご令嬢が少し顔を上げました。


「最後は必要でしょうか」


「意見として聞きたい」


「殿下が選んだ方へ、皆が引っ張られませんか?」


 部屋が少し静かになりました。


 研究会員たちは二枚の紙を見ました。


 王太子の意見です。


 ただの一意見として聞くつもりでも、殿下がこちらの方がよいと言えば、それが正解のように聞こえる可能性があります。


「確かに」


「殿下、理由まできちんと言うだろうし」


「かなり説得力ある」


「王宮資料もあるし」


「私たちが決めた感じが薄くなるかも」


 四十秒担当の女生徒が、ご令嬢を見ました。


「でも、殿下の考えは聞きたくない?」


「聞きたいです」


「なら、聞き方を変える?」


「どちらがよいかではなく」


 ご令嬢は少し考えました。


「それぞれの方法で、殿下が気になる点を一つずつ聞くのはどうでしょう」


「良いところと悪いところ?」


「はい。ただし、結論は求めません」


「それなら、私たちが比べられる」


「殿下が決めるんじゃなくて」


「材料を増やしてもらう」


 研究会員たちは頷きました。


「それでいこう」


「最初に、決定は研究会で行うと伝える?」


「必要かな」


「殿下なら分かってると思うけど」


 部屋の中で、何人かが顔を見合わせました。


「十枚用意した殿下だよ」


「伝えよう」


「かなり丁寧に」


 笑いが起こりました。


 ご令嬢も小さく笑いながら、相談内容を紙へ書き加えました。


          ◇


 午前の授業が終わる頃には、植物研究会が殿下へ相談するという話が、すでに周囲へ広がっていました。


「殿下、ついに呼ばれたらしい」


「かなり嬉しそうだった」


「次の研究、殿下が決めるの?」


「いや、意見を聞くだけだって」


「でも殿下が選んだら、それになるんじゃない?」


「研究会、ちゃんと断れるかな」


 廊下のあちこちで、小さな会話が交わされています。


 発表会を通じ、植物研究会が自分たちの研究を自分たちで決めてきたことは、多くの生徒に知られるようになりました。


 同時に、殿下がその力を尊重しようとしていることも。


 だからこそ、今回の相談に注目する者は多くいました。


 王太子が意見を述べる。


 それを、一つの意見として扱えるのか。


 研究会は自分たちの選択を残せるのか。


 殿下は、自分の考えが採用されなくても受け入れられるのか。


「殿下」


 教室を出たところで、一人の男子生徒が声をかけました。


「何だ」


「植物研究会の方針を決めるそうですね」


「決めない」


 殿下は即座に答えました。


 周囲にいた生徒たちが少し驚きます。


「でも、相談を受けたと聞きました」


「ああ」


「なら、どちらがよいか答えるのでは?」


「何を求められているか、まだ聞いていない」


「殿下がよい方を選んだ方が早いのでは?」


 殿下は少し黙りました。


 以前なら、早く決まることをよいことだと考えたかもしれません。


 皆が迷う時間を減らし、より確実な方へ導くことが支援だと思ったでしょう。


「早く決まることと」


 殿下はゆっくり答えました。


「研究会が自分たちで決めることは、同じではない」


 生徒たちは静かに殿下を見ました。


「私は、資料について答えられる」


「ああ」


「見落としている点があれば伝えられる」


「ああ」


「でも、何を一番知りたいかは、研究会員が決める」


「殿下の意見と違っても?」


「ああ」


「少し残念では?」


「かなり」


 周囲から笑いが起こりました。


「でも、受け入れる?」


「受け入れる」


「殿下、かなり変わりましたね」


「褒める?」


「かなり」


「受け取る」


          ◇


 昼休み。


 殿下は生徒会室で、植物研究会から渡された相談文をもう一度読んでいました。


 机の端には、昨日作った十枚の紙があります。


 封筒からは出しました。


 ただし、まだ開いていません。


 ハインツが向かい側へ座り、その紙束を見ました。


「持ってきたのですね」


「ああ」


「使いますか?」


「内容が合えば」


「かなり使いたそうですね」


「せっかく作った」


「それは殿下の事情です」


 殿下は紙束へ手を伸ばしかけ、止めました。


「ハインツ」


「はい」


「相談された時、答えを決めたくなることはある?」


「あります」


「本当に?」


「生徒会でもよくあります。担当者から意見を求められた時、こちらで決めた方が早いと思うことはあります」


「どうする?」


「相手が何を求めているか確認します」


「マリアと同じだ」


「当然です」


「例えば?」


「情報が欲しいのか、判断基準が欲しいのか、決定そのものを委ねたいのか」


 殿下は真剣に聞いています。


「決定を委ねたいと言われたら?」


「その決定を私が引き受ける立場か確認します」


「立場?」


「頼まれたからといって、何でも決めてよいわけではありません」


「ああ」


「植物研究会の研究方針を決める権限は、殿下にはありません」


「王太子でも?」


「王太子だからこそ、ありません」


 ハインツの声は穏やかでした。


「殿下が決めれば、研究会員たちは従うかもしれません」


「ああ」


「反対しづらい者もいるでしょう」


「ああ」


「だからこそ、殿下が一歩下がる必要があります」


 殿下はしばらく黙りました。


「私は、相談されたことが嬉しい」


「はい」


「だから、期待へ応えたい」


「はい」


「よい答えを渡せば、もっと信頼される気がする」


「はい」


「だが、全部決めたら?」


「次から相談されなくなる可能性もあります」


 殿下の表情が固まりました。


「なぜ?」


「相談するたびに答えを持っていかれるなら、自分で決めたい人は話さなくなります」


「かなり困る」


「かなり」


 殿下は十枚の紙を見つめました。


「今日は、これを机の上へ置かない」


「賢明です」


「鞄には入れる」


「そこは譲らないのですね」


「使わないかもしれないが」


「はい」


「持っていると安心する」


「殿下が落ち着くためのものなら、見せないでください」


「ああ」


          ◇


 放課後。


 植物研究会室には、いつもより多くの椅子が並べられていました。


 ただし、殿下のための特別な席はありません。


 研究会員たちが普段使っている椅子の一つが、机の端へ加えられています。


 窓の外では、昼過ぎから雲が薄くなり始めていました。傾いた陽射しが研究会室へ差し込み、三鉢の葉へ淡い光を落としています。


 廊下には、数人の生徒が足を止めていました。


 中へ入ることはできませんが、殿下が研究会へ相談を受けに来ると聞き、何となく様子を気にしているのでしょう。


「見学会ではありません」


 担当教員が扉の外へ声をかけると、生徒たちは笑いながら少し離れました。


 それでも、完全には去りません。


 少し先の窓際や階段付近で、友人と話しながら残っています。


 やがて、廊下の奥から殿下が現れました。


 隣にはハインツとマリアがいます。


 殿下は研究会室の前で立ち止まり、扉を開けたご令嬢へ軽く頭を下げました。


「呼んでくれてありがとう」


「来てくださり、ありがとうございます」


「かなり嬉しい」


 ご令嬢の頬が少し緩みました。


「それは、聞かなくても分かりました」


「顔に出ている?」


「かなり」


 研究会員たちから笑いが起こります。


 殿下は用意された椅子へ座りました。


 机の上には、二枚の大きな紙と、数冊の記録帳があります。


「始める前に」


 ご令嬢が言いました。


「今日、殿下へお願いしたいことを確認させてください」


「ああ」


 殿下は背筋を伸ばしました。


「一つ目は、王宮資料に似た観察記録があるかどうかです」


「ああ」


「二つ目は、私たちが考えた二つの進め方について、見落としている点がないか伺いたいです」


「ああ」


「三つ目は、それぞれについて殿下が気になる点を一つずつ教えていただくことです」


 殿下は頷きました。


「どちらがよいかは?」


「今日は、決めていただきません」


 室内が少し静かになりました。


 廊下の外にいる生徒たちも、聞き耳を立てているようです。


「最終的な方針は、私たちで決めたいと思っています」


 ご令嬢は、殿下の目を見て続けました。


「殿下の考えを軽く扱いたいわけではありません」


「ああ」


「むしろ、とても参考になると思っています」


「ああ」


「だからこそ、殿下の答えをそのまま結論にするのではなく、私たちが考えるための材料として受け取りたいです」


 殿下はすぐには返事をしませんでした。


 ご令嬢だけではなく、研究会員全員を見渡します。


 誰も不安そうに視線を逸らしてはいません。


 自分たちで決めたい。


 その上で、殿下の考えも聞きたい。


 両方を求めています。


「分かった」


 殿下は静かに答えました。


「私は、資料と見落としについて話す」


「はい」


「それぞれで気になる点を一つずつ話す」


「はい」


「最後の決定はしない」


「お願いします」


「かなり決めたいが」


 研究会員たちから笑いが起こりました。


「正直ですね」


「かなり」


「でも、我慢してくださる?」


「ああ」


「ありがとうございます」


 相談が始まりました。


 最初に、研究会員たちは二つの案を説明しました。


 一つ目は、測定方法の統一を先に進める案です。


 葉の長さ、色、水分量、茎の角度。観察する者による差を減らしながら、光と風についても簡単な記録だけを残す。


 二つ目は、光の条件比較を先に始める案です。


 明るさの異なる場所へ鉢を置き、葉の広がり方を比べる。その中で、必要な測定方法を少しずつ改善する。


 殿下は途中で口を挟みませんでした。


 気になる点を書き留めていますが、質問は説明が終わるまで待ちます。


 ご令嬢が最後まで説明し、代表が「以上です」と言ったあと、殿下は一度、机の上の紙を見ました。


「まず、似た王宮記録について話してよい?」


「お願いします」


「完全に同じものはない」


 研究会員たちの表情が少し変わりました。


「ないのですか?」


「ああ。ただし、明るさの違う温室で同種の植物を育てた記録はある」


「使えそう?」


「一部は」


 殿下は鞄から、一冊の薄い写しを取り出しました。


 十枚の案ではありません。


 王宮資料から、関係する部分だけを写したものです。


「これは渡してよい?」


 殿下が確認します。


 ご令嬢は少し驚いたあと、頷きました。


「はい。資料としてお借りしたいです」


「分かった」


 殿下は写しを机の中央へ置きました。


「ただ、条件がかなり違う」


「どこがですか?」


「王宮の記録は温室そのものを分けている。温度と湿度も別々に調整されている」


「ああ」


「だから、光だけの違いとは言い切れない」


「その記録でも?」


「書いた者も、最後にそう残している」


 研究会員たちは身を乗り出し、資料を見ました。


「結果は出ているけど」


「原因は一つに決められない」


「私たちの発表と似てる」


「途中記録だね」


 ご令嬢は資料の末尾を読み、少し笑いました。


「分からないことを、分からないまま残してあるのですね」


「ああ」


「少し安心します」


「なぜ?」


「王宮の研究記録なら、全て答えが出ているように思っていました」


 殿下は静かに首を振りました。


「分からないまま終わった記録は多い」


「殿下は、それを残念に思いますか?」


「以前は」


 殿下は少し考えました。


「今は、次に考える者のために残したのだと思う」


 研究会員たちは頷きました。


 続いて、二つの案の見落としについて話し合います。


 測定方法を先に整える場合、方法を決めること自体が目的になり、何を知りたいのかが薄れる可能性があること。


 光の比較を先に行う場合、測定方法が安定していないため、結果を比べにくくなる可能性があること。


 殿下は断定せず、「この点はどう考えているか」と問いかけました。


 研究会員たちは、そのたびに自分たちで話し合います。


「測定方法を完璧にするまで待つ必要はないと思う」


「でも、最低限は揃えたい」


「最低限ってどこ?」


「葉の長さと枚数?」


「色は?」


「色は判断が分かれる」


「なら、色の見本を作る?」


 会話が広がります。


 殿下はその中心へ入りません。


 答えが出ない時だけ、王宮資料にある方法や、別の研究で使われた記録方法を紹介します。


 しばらくして、代表が殿下へ向き直りました。


「最後に、それぞれの案で気になる点を一つずつお願いします」


「ああ」


 殿下は、手元の紙を見ました。


 書かれていることは多いはずです。


 けれど、頼まれたのは一つずつです。


「測定方法を先に整える案では」


 殿下はゆっくり言葉を選びました。


「方法を決めるために、今ある三鉢だけで十分かが気になる」


「数が少ない?」


「同じ方法が、違う状態の鉢にも使えるか分からない」


「ああ」


「ただし、鉢を増やすべきだと決めているわけではない」


 研究会員たちが笑いました。


「今、かなり増やしたそうでした」


「かなり」


「我慢してください」


「ああ」


「光を先に比べる案では?」


「置く場所による温度差を、どこまで許すかが気になる」


「温度も測る?」


「必要かもしれない。だが、それを増やすと記録が重くなる」


「全部測りたくなる」


「殿下なら全部測る」


「かなり」


 また笑いが起こりました。


 殿下も少し笑いました。


「私が気になるのは、その二点だ」


「どちらがよいと思いますか?」


 一人の会員が、思わず尋ねました。


 室内が静かになります。


 殿下の手が僅かに動きました。


 答えはあります。


 おそらく、すでに殿下の中では、どちらを選ぶべきか整理されています。


「私は」


 殿下は一度、ご令嬢を見ました。


 ご令嬢は殿下を止めません。


 ただ、最初に伝えたことを思い出してほしいというように、静かに見返しています。


「どちらも成立すると思う」


 殿下は答えました。


「殿下なら、どちらを選びますか?」


 質問した会員が続けます。


 殿下は少し困ったように息を吐きました。


「私なら、測定方法から始める」


 その瞬間、研究会員たちの視線が殿下へ集まりました。


「理由は?」


「王宮では、あとから記録を比べることが多い。方法が揃っていないと、過去の記録が使いにくい」


「ああ」


「ただし」


 殿下は声を少し強めました。


「これは王宮で記録を残す者としての好みだ」


 研究会員たちは黙って聞きます。


「研究会が今、一番知りたいことが光なら、光から始める理由は十分にある」


「殿下の好みと、私たちの答えは違ってよい?」


「違ってよい」


「本当に?」


「ああ」


「少し残念ですか?」


「かなり」


 笑いが広がりました。


「でも、決めるのは皆だ」


 殿下は机の上の二枚の紙を見ました。


「私は、どちらを選ばれても、必要な資料があれば探す」


「選んだあとに?」


「ああ。選ぶ前に増やしすぎると、また百二十七個になる」


「かなり反省されていますね」


「かなり」


          ◇


 殿下の意見を聞いたあと、研究会員たちは殿下たちへ少し待ってもらい、自分たちだけで短い話し合いを始めました。


 殿下は室内に残っていますが、口を挟みません。


 ご令嬢たちは机の反対側へ集まり、声を落として話します。


「殿下は測定方法」


「でも理由は王宮記録のためだった」


「私たちは、まず何を知りたい?」


「光」


「私は風だけど、今回は簡易記録で残せるならいい」


「測定方法は最低限だけ決める?」


「葉の長さと枚数」


「色は見本だけ作る?」


「温度も一日二回なら測れる」


「増えすぎない?」


「一度試して、無理なら減らす」


 殿下は、その会話を聞かないようにするのが難しそうでした。


 椅子へ真っ直ぐ座り、正面の鉢を見ています。


「殿下」


 隣に座るマリアが小声で言いました。


「聞こえていますか?」


「かなり」


「意見を言いたいですか?」


「かなり」


「我慢してください」


「ああ」


「今は何を考えています?」


「温度は朝と夕方ではなく、正午も」


「殿下」


「口には出していない」


「偉いです」


「褒める?」


「少しです」


 やがて、研究会員たちが席へ戻りました。


 ご令嬢が、殿下の正面へ座ります。


「決まりました」


 殿下の表情が引き締まりました。


「聞いてよい?」


「はい」


「私たちは、光の条件比較から始めます」


 殿下が一度、瞬きをしました。


 自分なら測定方法から始めると答えたばかりです。


 室内の全員が、殿下の反応を見ています。


「そうか」


 殿下は静かに頷きました。


「理由を聞いても?」


「私たちが今、一番知りたいのが光だからです」


 ご令嬢が答えます。


「測定方法は、殿下のご指摘どおり最低限を先に揃えます。ただ、完璧に整えるまで光の比較を待つのではなく、試しながら直します」


「風は?」


「簡単な観察記録だけ残します。大きな違いが出たら、次の候補にします」


「ああ」


 殿下は二枚の紙を見ました。


 自分の選んだ案とは違います。


 けれど、殿下が示した懸念は取り入れられています。


「よいと思う」


 殿下が言いました。


「殿下の答えと違いますが」


「ああ」


「本当に、よいと思いますか?」


 ご令嬢の問いには、少しだけ慎重な響きがありました。


 殿下が気を遣っているだけではないか、確かめたいのでしょう。


「私が測定方法を選ぶのは」


 殿下はゆっくり答えました。


「後から多くの記録を比べる立場だからだ」


「はい」


「皆は、今ここで何を知りたいかを選んだ」


「はい」


「立場が違うなら、答えが違うのは自然だ」


 ご令嬢の表情が柔らかくなりました。


「残念ではありませんか?」


「私の案が選ばれなかったことは、少し」


「少し?」


「かなりではない」


「本当に?」


「少しだけだ」


 室内に笑いが起こりました。


「だが、私へ相談したあとも、自分たちで決めたことは嬉しい」


「なぜですか?」


「相談が、従うためではなかったと分かるからだ」


 研究会員たちは静かになりました。


「私が何か言えば、その通りにするのではなく」


 殿下は続けます。


「必要な部分だけ使って、違うところは違うと決めた」


「はい」


「それなら、次も相談してもらえる?」


 ご令嬢は少し笑いました。


「殿下が、今日のように最後の答えを持っていかなければ」


「ああ」


「また相談します」


 殿下は数秒、完全に止まりました。


「殿下?」


「かなり嬉しい」


「分かりました」


「顔に出ている?」


「かなり」


          ◇


 相談が終わったあと、殿下は頼まれた資料の写しだけを机へ残しました。


 十枚の案は、最後まで鞄から出しませんでした。


「本当に使わなかったのですね」


 研究会室を出た廊下で、ハインツが言いました。


「ああ」


「残念ですか?」


「少し」


「処分しますか?」


「しない」


「なぜです?」


「自分が何を考えすぎたか分かる」


 ハインツは少し驚いたように殿下を見ました。


「記録として残すのですか?」


「ああ。ただし、研究会へは渡さない」


「かなりよい判断です」


「受け取る」


 廊下の先では、先ほどまで様子を気にしていた生徒たちが、研究会員へ結果を尋ねていました。


「どっちになった?」


「光から」


「殿下が決めたの?」


「違うよ。殿下は測定方法の方だった」


「え?」


「でも、研究会で光に決めた」


「殿下、怒らなかった?」


「むしろ嬉しそうだった」


 驚きの声が広がります。


 王太子へ相談し、王太子とは違う結論を選ぶ。


 それは、多くの生徒にとって簡単なことではありません。


 けれど、植物研究会はそれをしました。


 そして殿下も、それを受け入れました。


 その光景は、研究方針の決定以上に、周囲へ何かを伝えていました。


          ◇


 放課後の校舎裏。


 空はすっかり晴れ、雨上がりの澄んだ光が木々の間へ差し込んでいました。葉に残った雫は夕日を受け、細かな金色の粒のように輝いています。


 殿下はベンチへ座り、鞄から十枚の紙を取り出しました。


 マリアが隣から覗き込みます。


「使わなかったそうですね」


「ああ」


「どのような気持ちですか?」


「少し残念だ」


「はい」


「かなり役に立つと思っていた」


「はい」


「でも、出さなくてよかった」


「なぜですか?」


 殿下は紙を一枚ずつ見ました。


 そこには、研究会員たちが話し合う前に、殿下が想像した問題と答えが並んでいます。


「皆が実際に迷っていたことと、少し違った」


「はい」


「私は、三つの意見をどう一つにするか考えていた」


「はい」


「皆は、一つを捨てるのではなく、順番と記録の残し方を考えた」


「はい」


「私の案より、研究会らしい」


「そう思えますか?」


「ああ」


 殿下は紙を揃えました。


「私は相談されると、答えを渡すのが役目だと思っていた」


「はい」


「だが、今日は材料を渡した」


「はい」


「研究会は、自分たちで答えを作った」


「はい」


「私の答えと違った」


「はい」


「それでも、次も相談すると言われた」


 殿下の声が少しだけ明るくなりました。


「かなり嬉しい」


「相談とは、相手を自分の答えへ従わせることではありません」


「ああ」


「違う結論を選べる関係だからこそ、また意見を聞きたいと思えることもあります」


「ああ」


「殿下は今日、正解を渡したのではなく、考える相手になれました」


 殿下はしばらく黙っていました。


 夕方の風が紙の端を揺らします。


「それは」


 やがて殿下が静かに尋ねました。


「かなりよい?」


「かなり」


「全部?」


「全部です」


「受け取る」


 殿下は笑いました。


「ただ」


「何でしょう」


「ご令嬢に、また相談すると言われた」


「はい」


「次の相談に備えて」


「殿下」


「まだ何も言っていない」


「紙を増やすつもりですね」


「可能性だけ整理する」


「今日の話を忘れましたか?」


「忘れていない」


「では?」


「相談されてから考える」


 殿下は、十枚の紙を鞄へ戻しました。


「かなり我慢する」


          ◇


 相談された時。


 自分の答えを求められていると思うことがあります。


 相手が迷っているなら、迷わなくて済むように。


 困っているなら、すぐ進めるように。


 よりよい方を選んで渡そうとします。


 けれど、相談は。


 決定を譲ることではありません。


 自分では見えないものを、一緒に見てほしい。


 足りない材料があれば教えてほしい。


 考えを言葉にする間、聞いていてほしい。


 そういう相談もあります。


 植物研究会は、殿下へ相談しました。


 王宮資料について。


 二つの案の見落としについて。


 そして、それぞれで気になる点について。


 殿下は、自分なら測定方法から始めると答えました。


 研究会は、光の比較から始めると決めました。


 答えは違いました。


 それでも、相談は失敗ではありません。


 殿下の意見から、測定方法を最低限揃える必要に気づきました。


 王宮の記録から、結果が出ても原因を一つへ決められない場合があると学びました。


 そして最後は、自分たちが今一番知りたいことを選びました。


 殿下も、その決定を受け入れました。


 自分の意見が採用されることより。


 相談した人が、自分で答えを作ることを大切にしたのです。


 王太子殿下。


 相談に乗るとは、相手の悩みを受け取って所有することではありません。


 答えを一緒に考えたあと、最後の選択を本人へ返すことも必要です。


 ですから殿下。


 植物研究会から一度相談されたからといって、「王太子殿下・植物研究会特別顧問」という役職を新設しないでください。


 研究会は、その役職を申請していません。


 顧問席を研究会室へ常設することも禁止です。


 椅子が一つ増えれば、机が足りない問題が本当に発生します。


 それから。


 殿下と違う案を選んだ研究会員全員へ、「自立した判断を称える表彰状」を渡す必要もありません。


 普通に決めただけです。


 最後に。


 ご令嬢から「また相談します」と言われたからといって。


 明日から毎朝、相談受付時間を空けるのはやめてください。


 相談は。


 殿下が待ち構えている時間に発生するものではありません。


 本当にお願いします。

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