第91話 王太子殿下、失敗した本人より先に失敗の意味を決めない
発表が終わったあと。
最初に口へ出るのは、たいてい結果についての言葉です。
成功した。
失敗した。
よくできた。
思ったより悪かった。
時間内に終わった。
途中で止まった。
質問へ答えられた。
図を間違えた。
一つの発表には、たくさんの出来事があります。
けれど、誰かの記憶に強く残るのは、他の人から見れば小さな一瞬かもしれません。
六秒間、言葉が止まったこと。
指す図を一度間違えたこと。
答えられない質問があったこと。
拍手が思ったより大きかったこと。
客席へ視線を向けたとき、知っている顔が見えたこと。
終わったあと、誰かから水を渡されたこと。
同じ発表をしていても、それぞれが持ち帰るものは違います。
だから、本来なら。
その一瞬が失敗だったのか。
成長だったのか。
悔しさとして残っているのか。
もう笑えることなのか。
それは、本人が自分の言葉で決めるものです。
けれど、王太子殿下は、意味を決めることが得意でした。
六秒止まった。
しかし自分で続けた。
なら、あれは成功である。
図を間違えた。
しかし研究会員が助け合って直した。
なら、あれは連携を示すよい場面である。
質問へ答えられなかった。
しかし分からないと正直に言えた。
なら、あれは誠実さを示した。
どれも間違いではありません。
むしろ、かなりよい見方でしょう。
ただし、それを本人より先に言い切ってしまえば。
「失敗して悔しかった」
「本当は、止まったことが恥ずかしかった」
「うまくいったと言われても、まだ納得できない」
そんな気持ちを、口へ出せなくなることがあります。
王太子殿下。
本日は、植物研究会の反省会です。
殿下が待ちに待った、発表後の時間です。
質問は一つだけ。
感想も、求められた分だけ。
百二十一個の想定質問は持ってこない。
そして、誰かの失敗をよい経験だったとまとめる前に、まず本人がどう感じたのかを聞く。
今日の殿下には、かなり多くの課題があります。
◇
「マリア」
「はい」
「今日は反省会だ」
「おはようございます」
「おはよう」
「自然です」
「受け取る」
「まだ褒めています」
「全部」
反省会当日の朝。
校舎裏には、夜の冷気がまだ少し残っていました。
空はよく晴れています。枝の間から差し込む日差しが、古い木製ベンチの背へ細長い影を落とし、風が吹くたび、その影がゆっくり揺れていました。
殿下はかなり早く来ていました。
膝の上には、小さな紙が一枚だけあります。
分厚い紙束ではありません。
ただし、その紙には文字が細かく書き込まれているように見えました。
「殿下」
「何だ」
「質問は一つだけと聞いています」
「ああ」
「その紙は?」
「一つの質問を、最もよい形で聞くために考えた候補だ」
「何個ありますか?」
「二十三」
「一つではありません」
「最終的には一つにする」
「今、決めていないのですか?」
「かなり迷っている」
殿下は紙を広げました。
「研究を続けたいと思った瞬間はどこだったか。発表で最も伝えたかったことは何か。練習と本番で一番違ったことは何か。もう一度発表するなら何を変えるか。観察の中で最も自分の予想と違ったことは――」
「殿下」
「まだある」
「十分です」
「かなりよい質問が多い」
「はい」
「全部聞きたい」
「駄目です」
「三つなら?」
「一つです」
「反省会は長い」
「殿下だけの質問時間ではありません」
「分かっている」
殿下は紙を見つめました。
「最初に決めた質問は、研究を続けたいと思った瞬間だった」
「はい」
「でも、発表が終わってから、別のことも聞きたくなった」
「何です?」
「発表中に、助けてほしかった瞬間があったか」
私は少し驚きました。
「なぜ、その質問を?」
「四十秒を担当した女生徒が、止まった瞬間は助けてほしかったと言った」
「はい」
「でも、助けなくてよかったとも言った」
「はい」
「ご令嬢も、助けないでくれてありがとうと言った」
「はい」
「私は、何もしなかったことがよかったと思った」
「はい」
「でも、本当に全員がそう思っているかは分からない」
殿下は紙へ視線を落としました。
「図を間違えた生徒は、あのとき助けてほしかったかもしれない」
「はい」
「質問へ答えた者も、私に補足してほしかったかもしれない」
「はい」
「私は見守ることが正しかったと、かなり早く決めた」
「そうですね」
「だから聞きたい」
「よい質問だと思います」
「では、これにする?」
「殿下が一番聞きたいなら」
「一番かは分からない」
「まだ迷っていますね」
「ああ」
殿下は少し黙りました。
「それから、反省会で感想を求められたら、私はかなり褒めたい」
「はい」
「発表全体を」
「はい」
「個人ごとにも」
「多すぎないようにしてください」
「なぜ」
「反省会ですから、本人たちが自分で振り返る時間も必要です」
「でも、私は見ていた」
「はい」
「かなり細かく」
「それが少し心配なのです」
殿下の眉が動きました。
「私は、よかったところを伝えたい」
「伝えてもよいです」
「図を間違えた者が、自分で戻ったこと」
「はい」
「四十秒の女生徒が六秒止まっても続けたこと」
「はい」
「ご令嬢が分からないと答えたこと」
「はい」
「最後の質問に、全員が違う答えを出したこと」
「はい」
「全部よかった」
「はい」
「なら、全部言う」
「殿下」
「なぜ駄目なんだ」
「ご本人が、それをよかったと思っているとは限らないからです」
殿下は黙りました。
「例えば、図を間違えた方は、かなり悔しがっているかもしれません」
「でも、自分で直した」
「はい」
「なら、失敗ではない」
「それを殿下が決めるのですか?」
殿下の表情が止まりました。
「……違う?」
「殿下には、よい立て直しに見えた。それは感想として伝えられます」
「はい」
「でも、ご本人が『間違えたことが悔しい』と言ったときに、『あれは失敗ではない』と否定しないでください」
「なぜ。励ましたい」
「悔しかった気持ちまで消えてしまいます」
「成功の中に、悔しさがあってもよい?」
「はい」
「全体がよくても、本人には失敗?」
「はい」
「両方?」
「あります」
殿下は考え込みました。
「私は、失敗をよい意味へ変えたくなる」
「はい」
「そのほうが、相手が楽になると思う」
「楽になる方もいます」
「違う者も?」
「はい」
「失敗だったと認めてから、次を考えたい者もいる?」
「はい」
「かなり難しい」
「今日の課題ですね」
「また増えた」
「褒める?」
「まだ何もしていません」
「厳しい」
◇
午前の授業が終わるころには、研究発表会の話題が学園の至るところへ広がっていました。
発表から三日が経っています。
それでも、植物研究会の展示をもう一度見たいという生徒が研究会室を訪れたり、風の測定方法について案を持ってきたりする者がいました。
「細い布を葉の近くへ垂らせば?」
「風向きは分かるかも」
「でも強さは?」
「揺れ方を段階で記録する」
「人によって判断が変わらない?」
「そこも確認すればいい」
中央回廊の掲示板には、発表会後の意見用紙が張り出されています。
良かった発表。
興味を持った内容。
もっと聞きたかったこと。
各研究会へ向けた短い感想。
植物研究会の欄には、予想以上に多くの紙が貼られていました。
「葉が広がった理由を知りたい」
「途中研究でも発表してよいと知った」
「分からないことを隠さなかったのがよかった」
「測る人による差を調べるのが面白そう」
「発表者が止まったとき、客席が静かに待てたのが印象に残った」
殿下は一枚ずつ読んでいます。
「マリア」
「はい」
「かなり評価されている」
「はい」
「研究会へ全部持っていく?」
「掲示期間が終わってからです」
「写す?」
「殿下」
「自分たちへの感想を知ったほうがよい」
「研究会の方々も見に来ています」
「全員ではないかもしれない」
「そのために写さなくても」
殿下は少し残念そうでした。
「私は、全部届けたい」
「今は掲示板で公開されています」
「集めなくてよい?」
「はい」
「私は何でも集めたがる」
「はい」
「質問も、感想も」
「はい」
「厳しい」
近くで紙を読んでいた生徒が笑いました。
「殿下」
「何だ」
「反省会へ行かれるんですか」
「ああ」
「王太子殿下がいると、反省しにくくないですか?」
殿下の表情が少し固まりました。
「なぜ」
「殿下、かなり褒めそうだから」
「褒めるのは悪い?」
「悪くないですけど、殿下に『よかった』と言われたあとで、『自分はここが嫌だった』って言いにくいかも」
殿下は私を見ました。
「マリアと同じことを言った」
「はい」
「かなり分かりやすい問題?」
「殿下以外には」
周囲から笑いが漏れました。
「では、私は黙っている?」
「感想を求められたら話せばいいと思います」
「全部?」
「短めに」
「難しい」
「あと、自分たちの反省が終わる前に、殿下がまとめないほうがいいです」
「まとめる?」
「『つまり今回の発表は、失敗を恐れず挑戦したよい発表だった』みたいに」
殿下は少し目を逸らしました。
「考えていた」
「やっぱり」
生徒たちが笑いました。
「マリア」
「はい」
「私はかなり読まれている」
「はい」
「恥ずかしい」
「でも、教えてもらえてよかったですね」
「ああ」
殿下はもう一度意見用紙を見ました。
「私は、まとめない」
「はい」
「最後に王太子として講評もしない」
「頼まれなければ」
「反省会へ参加する一人として聞く」
「はい」
「かなり普通」
「かなり大切です」
「褒める?」
「できたら」
「厳しい」
◇
放課後。
植物研究会の部屋には、いつもより多くの椅子が並べられていました。
研究会員全員。
担当教員。
殿下。
マリア。
そして、記録のために生徒会からハインツ様が参加しています。
机は大きな四角になるよう配置され、中央には発表で使った三鉢の植物が置かれていました。
発表会の日より、葉が少し開いています。
「増えた?」
殿下が鉢を見て言いました。
「何がですか」
ご令嬢が聞きます。
「二つ目の鉢の葉」
「少し広がりました」
「記録した?」
「今朝、測りました」
「角度は?」
「殿下」
「反省会の前です」
「あとで聞く」
研究会員たちが笑いました。
緊張はあります。
王太子殿下が参加する反省会です。
どこまで率直に話してよいのか、迷っている者もいるでしょう。
それでも、発表会前の張り詰めた空気とは違いました。
すでに一つの大きな日を終えています。
失敗するかもしれない不安ではなく、終わったものをどう受け取るかという、別の難しさが部屋へ満ちていました。
「では、始めましょう」
研究会の代表が言いました。
「最初に確認しますが、今日は誰かを評価するためではなく、次の研究や発表に生かすための反省会です」
全員が頷きます。
「良かったことも、困ったことも、まだ整理できていないことも話してください」
代表は殿下へ視線を向けました。
「殿下にも、最後に感想と質問をお願いしています」
「最後?」
「はい」
殿下が少し驚きました。
「先ではなく?」
「まずは、研究会員から話したいです」
殿下は一度、私を見ました。
「マリア」
「はい」
「聞く」
「かなりよいです」
「受け取る」
◇
最初は、発表全体についての振り返りでした。
時間は九分五十六秒。
制限内。
声は後方まで届いた。
展示板の文字も、最後列から読めたという意見が多かった。
王宮資料の使い方も、研究会自身の調査との区別が伝わった。
一方で、鉢を舞台へ運ぶ際に入口が混雑した。
説明役の立つ位置が一度重なった。
温度表を指す場所を間違えた。
質疑応答で、誰が答えるか一瞬迷った場面があった。
研究会員たちは、一つずつ話していきます。
「入口の混雑は、私が先に鉢を入れすぎました」
「でも、展示板の人も少し早かった」
「合図がなかったから」
「次は舞台袖に一人、順番を見る人を置く?」
「人数が足りるかな」
「発表しない会員がいるなら頼める」
殿下は黙って聞いていました。
時々、何か言いたそうに口元が動きます。
しかし、話を奪いません。
「温度表の図を間違えたのは、私です」
二人目の説明役が言いました。
発表会当日、一度違う場所を指した生徒です。
「練習でも、同じような間違いが一度ありました」
「裏に番号をつけたよね」
「はい。でも、本番は自分の立つ位置が少しずれて、順番を見失いました」
「すぐ戻れた」
隣の会員が言いました。
「ご令嬢が小さく指してくれたので」
「私は、かなり焦りました」
説明役の生徒は、少し顔を伏せました。
「客席もざわついたし、殿下も見ていました」
殿下の姿勢が少し変わりました。
「でも、すぐ直せたからよかったよ」
別の会員が励ますように言いました。
生徒は、すぐには頷きませんでした。
「私は、よかったとはまだ思えません」
部屋が少し静かになりました。
「かなり悔しいです」
その声は大きくありません。
けれど、はっきりしていました。
「何度も練習したのに、本番で同じ間違いをしました」
「でも、発表全体は止まらなかった」
「はい。それは皆さんが助けてくださったからです」
「なら、失敗ではないんじゃない?」
別の会員が言います。
生徒は困ったように笑いました。
「失敗だったと思います」
殿下の口元が動きました。
私は横目で見ました。
殿下は言いません。
「発表全部が失敗だったわけではありません。でも、私はあの部分を失敗したと思っています」
「……うん」
「次は、立つ位置が変わっても分かるように、図の表側にも小さな印をつけたいです」
代表が記録へ書き込みました。
「では、図の順番を裏だけでなく、発表者側から見える位置にも表示する」
「はい」
「間違えたことは悔しい。でも、原因と次の方法は考えられた?」
「はい」
「それで残そう」
生徒は小さく頷きました。
殿下は長く息を吐きました。
「殿下」
私は小声で呼びました。
「何だ」
「何か言いたかったですか」
「あれは失敗ではないと言いたかった」
「はい」
「でも、本人は失敗だったと言った」
「はい」
「それでも次を考えている」
「はい」
「私が意味を変えなくても、進める?」
「はい」
「かなり我慢した」
「褒めます」
「受け取る」
◇
次は、四十秒の説明を担当した女生徒の番でした。
彼女は机の上へ、小さな紙を置いていました。
発表会当日に持っていたものです。
五つの言葉が書かれています。
「私は、六秒くらい止まりました」
「六秒だった?」
「殿下が数えていました」
部屋に笑いが起こりました。
殿下が少し気まずそうに視線を逸らします。
「かなり長かった」
「舞台では、もっと長く感じました」
「すまない」
「なぜ謝るんですか」
「数えていたから」
また笑いが広がりました。
女生徒も少し笑いましたが、すぐに紙へ視線を戻しました。
「止まったとき、頭の中が真っ白になりました」
部屋の空気が静かになります。
「練習で止まったときは、次の言葉が少し残っていたんです。でも、本番は何もなくなりました」
「怖かった?」
「かなり」
「客席は見えた?」
「最初は見えませんでした」
女生徒は少し考えました。
「でも、途中で顔を上げたら、殿下が見えました」
殿下の表情が僅かに変わります。
「私は何もしていなかった」
「はい」
「助けてほしかった?」
「その瞬間は、かなり」
「ああ」
「でも、殿下が動かなかったので」
女生徒は言葉を探しました。
「まだ、私が話す時間なんだと思いました」
殿下は黙りました。
「もし殿下が立ったり、何か口を動かしたりしたら、たぶん私は、もう自分では続けられないと思ったかもしれません」
「……」
「だから、助けてほしかったけど、助けなくてよかったです」
「両方?」
「はい」
殿下は少しだけ頷きました。
「私は、六秒止まったことを、今はどう思っている?」
殿下が聞きました。
代表が少し殿下を見ましたが、質問を止めませんでした。
「恥ずかしいです」
女生徒は正直に答えました。
「成功だとは思わない?」
「最後まで話せたことは、よかったです」
「ああ」
「でも、止まったことは恥ずかしいです」
「ああ」
「客席の皆さんが待ってくださったことは、嬉しかったです」
「ああ」
「もう一度同じことをしたいとは思いません」
女生徒は小さく笑いました。
「でも、次に止まっても、今回よりは怖くないかもしれません」
殿下はしばらく何も言いませんでした。
「私は、あの六秒を、あなたが自分で続けたよい時間だと思っていた」
「はい」
「でも、あなたには恥ずかしい時間でもある」
「はい」
「どちらも残してよい?」
「はい」
「私が、よい経験だったと決めなくても?」
「はい」
女生徒は少し笑いました。
「殿下には、そう見えたと聞けたのは嬉しいです」
「本当に?」
「はい。でも、私はまだ少し恥ずかしいです」
「ああ」
「それで大丈夫です」
殿下はゆっくり頷きました。
「分かった」
◇
ご令嬢の番が来ました。
彼女は発表原稿を前へ置きましたが、開きませんでした。
「私は、最初の挨拶が一番緊張しました」
「王宮資料の部分?」
「はい。殿下のお名前を出した瞬間、客席の視線が殿下へ動きました」
殿下の表情が少し硬くなりました。
「邪魔をした?」
「少しだけ」
殿下はかなり傷ついた顔をしました。
研究会員たちの間から、抑えた笑いが漏れます。
「でも、想定していたことです」
「ああ」
「殿下が立たず、前を見てくださったので、すぐに視線が戻りました」
「ああ」
「そこで、少し落ち着きました」
「私が何もしなかったから?」
「はい」
「かなり難しかった」
「分かっています」
ご令嬢は微笑みました。
「ただ、私は途中で図の順番を間違えました」
「ああ」
「かなり悔しかったです」
「でも、すぐ戻った」
殿下が言いました。
「はい」
「失敗ではない?」
口にしてから、殿下はすぐ止まりました。
ご令嬢が殿下を見ます。
「殿下には、どう見えましたか?」
「少し間違えた。でも、自分で戻った」
「はい」
「発表全体を崩す失敗には見えなかった」
「はい」
「でも、あなたが悔しいなら、失敗ではないとは言わない」
ご令嬢の表情が、少し柔らかくなりました。
「ありがとうございます」
「私は、よかったと思ったことを言ってよい?」
「はい」
「あなたが戻ったことは、かなりよかった」
「はい」
「でも、間違えたことが悔しい気持ちは消さない?」
「はい」
「難しい」
「かなり」
ご令嬢は少し笑いました。
「私は、図を間違えたことより」
「はい」
「最後の質問で、研究会員全員が違う答えをしたときのほうが、少し困りました」
「なぜ?」
「発表として、まとまっていないように見えるかと思ったからです」
殿下の表情が明るくなりました。
「私は、そこが一番よかった」
「本当ですか?」
「ああ」
「なぜ?」
「同じ研究をしていても、興味が違う」
「はい」
「それでも、同じ研究会で次を話し合う」
「はい」
「全員が同じ答えを言うより、かなり本当らしかった」
研究会員たちが顔を見合わせます。
「私は、まとまりがないと思われるのが怖かったです」
「私は、広がりがあると思った」
「同じ場面でも違いますね」
「ああ」
「聞けてよかったです」
ご令嬢は穏やかに笑いました。
「でも、次の発表では、最後に代表として一度まとめる言葉があってもよいと思います」
「直す?」
「はい。違いは残して、研究会としてどう進めるかを一言加えたいです」
代表が記録へ書き込みました。
「次回は、個人の興味を答えたあと、優先順位を研究会で決める予定だと伝える」
「はい」
殿下はその様子を見つめています。
「マリア」
「はい」
「私の感想が、直す材料になった」
「はい」
「でも、私が答えを決めたわけではない」
「はい」
「かなり嬉しい」
「受け取ってください」
「全部」
◇
反省会は、よかったことだけでは終わりませんでした。
質疑応答の役割が曖昧だった。
発表直前に原稿を確認しすぎて、かえって緊張した。
客席へ入った知人を見つけたことで、声が出にくくなった。
展示板の一部が照明を反射して見えづらかった。
王宮資料を使った箇所について、もう少し出典を明確に示すべきだった。
一つずつ、違う意見が出ます。
「私は、発表前に殿下を見つけて安心しました」
ある会員が言いました。
「私は逆でした」
別の会員が続けます。
「殿下を見たら、失敗できないと思いました」
殿下がかなり困った顔をしました。
「私は、どちらだった?」
ご令嬢へ聞きます。
「安心と緊張の両方です」
「また両方」
「はい」
「私はかなり複雑な影響を与える」
「王太子殿下ですから」
「普通の見学者にはなれない?」
「完全には」
「でも、普通に座ることはできた?」
「かなり」
「褒める?」
「かなり」
「受け取る」
担当教員が笑いながら記録へ目を落としました。
「殿下のご出席についても、今後、発表者へ事前に伝える必要があるかもしれませんね」
「私が来ることを?」
「はい。知らずに当日気づくより、心の準備ができます」
「来ないほうがよい者もいる?」
「可能性はあります」
殿下の表情が少し曇りました。
「その場合は、来ない?」
担当教員は慎重に答えました。
「発表会全体の見学者として参加されることと、特定の発表へ特別に関わられることは分けて考える必要があります」
「ああ」
「殿下が公的な立場で来られるなら、一人の発表者の不安だけで参加を取りやめることは難しいでしょう」
「ああ」
「ただし、事前に伝え、席の位置や視線の集まり方を調整することはできます」
「私が消えるのではなく、影響を共有する?」
「はい」
殿下は少し考えました。
「かなり王太子らしい」
「恋愛相談から始まっていますが」
ハインツ様が言うと、部屋に笑いが広がりました。
◇
全員の振り返りが終わるころには、窓の外の光が少し傾いていました。
三鉢の葉へ夕方の光が触れ、机の上へ淡い影を落としています。
「では、殿下」
代表が呼びました。
「何だ」
「感想をお願いします」
殿下の姿勢が少し正されました。
ここまで、かなり我慢していました。
言いたいことは多いはずです。
「短く?」
「殿下」
ご令嬢が少し笑いました。
「まずは、全体についてお願いします」
「ああ」
殿下は研究会員たちを見ました。
「私は、発表会で植物研究会の発表を見た」
全員が静かに聞いています。
「最初は、あなたたちが失敗しないように助けたいと思っていた」
何人かが笑いました。
「かなり?」
女生徒が聞きます。
「かなり」
「知っています」
「でも、発表中は何もしなかった」
「ああ」
「今日、皆の話を聞いて、何もしなかったことが全員にとって同じ意味ではなかったと分かった」
部屋が静かになります。
「助けなくてよかったと思った者もいる」
「ああ」
「助けてほしかった瞬間があった者もいる」
「ああ」
「私がいて安心した者も、緊張した者もいる」
「ああ」
殿下は少し言葉を選びました。
「私は、発表が終わったとき、かなりよい発表だったと思った」
研究会員たちの表情が少し緩みます。
「今もそう思っている」
「ああ」
「ただ、私がよいと思ったからといって、皆の悔しさや恥ずかしさがなくなるわけではない」
殿下の声は、普段より少しゆっくりでした。
「図を間違えたことを失敗だと思う者がいる」
「ああ」
「止まった六秒を恥ずかしいと思う者もいる」
「ああ」
「私は、それを成功だったと言い換えない」
説明役の生徒と、四十秒を担当した女生徒が殿下を見ました。
「でも、私から見てよかったところは伝えたい」
「ああ」
「間違えたあと、自分たちで戻った」
「ああ」
「止まったあと、自分の言葉で続けた」
「ああ」
「分からないことを、分からないと答えた」
「ああ」
「全員が違う興味を持っていることを隠さなかった」
「ああ」
「私は、そこがかなりよかった」
部屋の中に、しばらく静かな時間が流れました。
誰かが大きく拍手することはありません。
けれど、研究会員たちの表情が少しずつ柔らかくなっていきます。
「以上?」
ご令嬢が尋ねました。
殿下は少し迷いました。
「まだかなりある」
「どのくらい?」
「個人ごとに七項目」
「殿下」
部屋に笑いが起こりました。
「でも、今日はここまでにする」
「かなり成長しました」
「褒める?」
「かなり」
「受け取る。全部」
◇
「では、質問を一つお願いします」
代表が言いました。
殿下は懐へ手を入れかけました。
二十三個の候補を書いた紙があります。
しかし、出しませんでした。
「紙は見ない?」
ハインツ様が聞きます。
「ああ」
「決めたのですか?」
「ああ」
殿下は研究会全員を見ました。
「発表の中で、もう一度自分で選び直した瞬間はあった?」
研究会員たちは少し驚いた顔をしました。
ご令嬢が、静かに聞き返します。
「発表を続けるかどうか、という意味ですか?」
「それだけではない」
「はい」
「言葉を変える。助けを求める。分からないと答える。誰かへ役割を渡す」
「はい」
「決めていた通りではなく、その場で選び直した瞬間があったか聞きたい」
部屋の中に、考える沈黙が落ちました。
最初に答えたのは、図を間違えた生徒でした。
「私は、間違えたあとです」
「ああ」
「一瞬、最初から言い直そうと思いました」
「はい」
「でも、それだと時間が足りなくなると思って、間違えた場所だけ戻りました」
「その場で決めた?」
「はい」
四十秒を担当した女生徒も口を開きます。
「私は、止まったときです」
「ああ」
「次の人に代わってもらうことも考えました」
「はい」
「でも、紙に残っていた言葉が一つ見えて、もう一文だけ話してみようと思いました」
「その結果、最後まで?」
「はい。でも、最初から最後までやると決め直したわけではありません」
「ああ」
「一文だけ話すと決めて、話せたから、次も言いました」
殿下はかなり真剣に聞いています。
「一度に全部を選ばなかった?」
「はい」
「一文ずつ?」
「はい」
ご令嬢は少し考えてから答えました。
「私は、最初の挨拶のあとです」
「ああ」
「殿下のお名前を出した瞬間、客席の視線が動きました」
「はい」
「そのとき、予定より早く研究内容へ入ろうか迷いました」
「はい」
「でも、研究会で決めた文章を最後まで言いました」
「なぜ?」
「私たちが自分で発表を決めたことを、最初に伝えたかったからです」
殿下は少し笑いました。
「かなりよかった」
「ありがとうございます」
他の会員たちも、次々に話し始めました。
質問へ誰が答えるか迷ったとき、隣の会員へ任せた。
分からないことを、推測で埋めずに分からないと言った。
客席の反応が薄く見えたとき、説明を増やさず予定通り進めた。
発表後、すぐ成功だったと決めず、反省会まで気持ちを残した。
一つの質問から、発表中に起きていた多くの選択が見えてきました。
「殿下」
ご令嬢が言いました。
「よい質問でした」
「本当に?」
「はい」
「二十三個から選んだ」
「二十三個?」
研究会員たちの顔が一斉に殿下へ向きました。
「一つだけでは?」
「候補が二十三個あった」
「殿下」
「全部は聞いていない」
「かなり我慢されましたね」
「かなり」
部屋に笑いが広がりました。
「残りは?」
女生徒が聞きました。
「聞きたい」
「今日は?」
「聞かない」
「次の反省会?」
「ある?」
「研究を続ければ、また発表するかもしれません」
「なら、そのとき一つ」
「残り二十二個は?」
「減らない」
「増えそう」
「かなり」
さらに笑いが起こりました。
◇
反省会が終わったあと、担当教員とハインツ様は先に退室しました。
研究会員たちは机を戻し、記録を整理しています。
殿下も椅子を運ぼうとしました。
「殿下」
ご令嬢が呼び止めます。
「何だ」
「その椅子は私が運びます」
「手伝う」
「では、こちらの軽い椅子を一つだけお願いします」
「また一つ?」
「はい」
「全部持てる」
「知っています」
「でも一つ」
「はい」
殿下は少し残念そうに、一脚だけ持ちました。
その様子を見て、研究会員たちが笑います。
「発表会の鉢も一つでしたね」
「ああ」
「殿下、かなり一つずつになりましたね」
「以前は全部だった」
「知っています」
「今も全部持ちたい」
「顔に出ています」
部屋の空気は、発表前よりずっと柔らかくなっていました。
誰かの失敗を笑っているのではありません。
誰かが恥ずかしいと言ったことも、悔しいと言ったことも、無理に明るく変えません。
それでも、一緒に片づけられる程度には、その気持ちを部屋の中へ置いておけました。
◇
片づけが終わると、ご令嬢は窓際に立ちました。
外には、夕方の光が広がっています。
「殿下」
「何だ」
「今日は、反省会へ来てくださってありがとうございました」
「ああ」
「かなり話したかったでしょう」
「かなり」
「でも、最後まで待ってくださいました」
「ああ」
「途中で、何度も口が動いていました」
「見えていた?」
「かなり」
「恥ずかしい」
ご令嬢が少し笑いました。
「図を間違えた方が、失敗だったと言ったとき」
「ああ」
「殿下は、すぐに否定しませんでした」
「ああ」
「なぜですか?」
「マリアに言われた」
「それだけ?」
殿下は少し考えました。
「私は、あの場面をよい立て直しだと思っていた」
「はい」
「それを伝えれば、彼女は楽になると思った」
「はい」
「でも、悔しいと言った」
「はい」
「その悔しさは、私が消すものではないと思った」
ご令嬢は静かに聞いています。
「私がよかったと言うことと、彼女が失敗だったと言うことは、両方あってよい」
「はい」
「あなたの図の間違いも」
「はい」
「私は大きな失敗とは思わなかった」
「はい」
「でも、あなたは悔しい」
「はい」
「その悔しさを、私が成功へ変えない」
ご令嬢は少しだけ目を伏せました。
「かなり嬉しいです」
「なぜ?」
「以前の殿下なら、私が失敗したと言っても、成功だったと説得していたと思います」
「ああ」
「そして、失敗ではなかった理由を十個くらい並べていたと思います」
「二十個くらい」
「殿下」
「かなり考えられる」
二人の間に笑いが生まれました。
「でも今日は、私が悔しかったことを、そのまま聞いてくださいました」
「ああ」
「ありがとうございます」
「私は、何もしなかった?」
「今日は、聞いてくださいました」
「ああ」
「それがかなり助かりました」
殿下の表情が少し柔らかくなりました。
「受け取る」
◇
ご令嬢は机の上へ残っていた小さな紙を手に取りました。
発表中に使った進行表の一部です。
「殿下」
「何だ」
「今日の質問ですが」
「ああ」
「なぜ、『研究を続けたいと思った瞬間』ではなく、『選び直した瞬間』にしたのですか?」
殿下は窓の外へ少し視線を向けました。
「研究を続けたいと思った瞬間を聞けば、かなりよい話が聞けると思った」
「はい」
「でも、それだと、続けたいと思ったことが前提になる」
「……はい」
「反省会で、辞めたいと思った者がいたかもしれない」
「はい」
「もう研究を続けたくない者もいるかもしれない」
「はい」
「だから、続けることをよい答えにしたくなかった」
ご令嬢の瞳が、僅かに揺れました。
「かなり考えましたね」
「ああ」
「それで、選び直した瞬間を?」
「ああ。続ける、止める、任せる、戻る。どれでも答えられる」
「はい」
「私は、かなりよい質問をしたと思う」
「ご自分で言いますか?」
「褒める?」
ご令嬢は笑いました。
「かなり」
「受け取る。全部」
◇
研究会室を出るころには、廊下へ夕日の色が長く伸びていました。
他の教室からも、片づけをする音や、生徒たちの笑い声が聞こえます。
殿下とご令嬢は、研究会員たちより少し後ろを歩いていました。
「殿下」
「何だ」
「次の研究ですが」
殿下の表情が明るくなりました。
「決まった?」
「まだです」
「何を優先する?」
「それを、次の集まりで話し合います」
「私は?」
「研究会だけで決めます」
殿下の表情が少し止まりました。
「ああ」
「残念ですか?」
「かなり」
「でも?」
「待つ」
「はい」
「決まったあと、必要なら相談して」
「はい」
「質問は?」
「そのとき一つだけ」
「まだ一つ?」
「はい」
「厳しい」
ご令嬢が笑いました。
「それから、殿下」
「何だ」
「今日の反省会で、私は少し安心しました」
「なぜ?」
「発表が終わったあとも、殿下が成功だけを見ていないと分かったからです」
「ああ」
「失敗したところを見ても、嫌われない?」
殿下の歩みが止まりました。
ご令嬢も足を止めます。
少し先を歩いていた研究会員たちは、二人が止まったことへ気づかず、そのまま角を曲がっていきました。
「あなたは、失敗したら私に嫌われると思っていた?」
殿下の声は静かでした。
「少しだけ」
「なぜ」
「殿下は、かなりよく見ていますから」
「ああ」
「期待も大きいです」
「ああ」
「褒めてくださることも多いです」
「ああ」
「だから、よくできる私を見てくださっているのかと」
殿下はすぐには答えませんでした。
廊下の窓から入り込んだ風が、ご令嬢の髪を少し揺らします。
「私は、あなたが成功するから見たいのではないと言った」
「はい」
「でも、言葉だけでは足りなかった?」
「少し」
「今日、失敗したとあなたが言っても、私は聞いた」
「はい」
「嫌いになっていない」
「はい」
「かなり好き――」
「殿下」
私は少し離れた場所から呼びました。
殿下の口が止まりました。
ご令嬢の頬が赤くなっています。
「今のは危険です」
「本当のことだ」
「反省会の直後です」
「関係ある?」
「かなりあります」
ご令嬢は俯きましたが、少し笑っていました。
「殿下」
「何だ」
「最後まで言わなくても、分かりました」
「本当に?」
「はい」
「全部?」
「かなり」
殿下の表情が明るくなりました。
「受け取る」
「殿下が受け取るのですか?」
「かなり嬉しい」
◇
校舎の出口へ近づくと、外の空気が少し冷たくなりました。
研究会員たちは先に寮へ向かっています。
ご令嬢も、そのあとを追う予定でした。
「では、また明日」
ご令嬢が言いました。
「ああ」
殿下は自然に答えました。
次の予定を聞きません。
明日の朝に会う約束も求めません。
研究会の次回日程も確認しません。
ただ、その言葉を受け取ります。
「殿下」
ご令嬢が少し驚いたように呼びました。
「何だ」
「今日は、何も聞かないのですね」
「何を?」
「次にいつ会うか」
殿下は少し考えました。
「聞きたい」
「はい」
「かなり」
「はい」
「でも、また明日と言われた」
「はい」
「明日、会える?」
「学園ですから」
「それで十分?」
ご令嬢は少し笑いました。
「かなり」
「なら、受け取る」
「はい」
ご令嬢は小さく頭を下げ、夕方の道へ歩き出しました。
殿下は追いません。
その背中を見送りながら、少しだけ笑っています。
「マリア」
「はい」
「今日はかなりよくできた」
「はい」
「褒める?」
「かなり」
「全部?」
「全部」
「受け取る」
◇
誰かが失敗したと言ったとき。
「失敗ではない」と言いたくなることがあります。
最後までできた。
周りが助けてくれた。
大きな問題にはならなかった。
次へ生かせることが見つかった。
だから、あれは失敗ではない。
そう言えば、相手を励ませるように思えます。
けれど、失敗した本人は。
失敗だったと認めたうえで、悔しがりたいのかもしれません。
恥ずかしかったと話したいのかもしれません。
あの瞬間へ戻りたくないと言いたいのかもしれません。
それでも、次にどうするかを考えたいのかもしれません。
王太子殿下は、研究会員たちの失敗へ、すぐによい意味を与えようとしました。
図を間違えた。
でも、自分たちで戻ったから成功。
六秒止まった。
でも、自分で続けたから成長。
分からないと答えた。
でも、誠実だったからよい。
殿下から見れば、その通りです。
しかし、本人たちの中には。
間違えたことが悔しい。
止まったことが恥ずかしい。
答えられなかったことが心残り。
そんな気持ちも残っていました。
殿下は、それを消しませんでした。
「失敗ではない」と言い換えませんでした。
殿下には、よい立て直しに見えた。
本人には、悔しい失敗として残った。
どちらも同時に存在してよいのです。
励ますことは、相手の失敗を成功へ変えることではありません。
相手が失敗だったと語る時間を奪わず、それでも自分が見つけたよい部分を、感想として渡すことです。
決めるのではなく。
置く。
押しつけるのではなく。
差し出す。
受け取るかどうかは、相手へ任せる。
王太子殿下。
本日、殿下は誰かの失敗を救いませんでした。
その代わり、失敗だったと話せる場所を壊しませんでした。
それで十分です。
ですから殿下。
今後の反省会で、全員の失敗を「成長の種」「未来への階段」「成功前夜」と名づけ直した一覧表を配るのはおやめください。
本人が失敗と呼びたい日は、失敗でよいのです。
それから、失敗の意味を本人へ決めてもらうため、一件ごとに正式な選択書を作り、「成功」「成長」「失敗」「保留」の欄へ署名させる必要もありません。
反省会です。
王宮手続きではありません。
六秒止まった時間を記念して、研究会室へ六秒計を贈る案も却下です。
かなり嫌な記念品です。
最後に。
ご令嬢が失敗しても嫌いにならないと伝えるため、殿下ご自身の失敗を百件まとめた冊子を贈ろうとしないでください。
ご令嬢が読むのは、かなり大変です。
そして、おそらく百件では足りません。
本当にお願いします。




