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『王太子殿下、その恋は口から出す前に止めてください 〜好きな令嬢に嫌いと言ってしまう残念王子の恋愛相談役になりました〜』  作者: 伊佐波瑞樹


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第66話 王太子殿下、迷っている人へすぐ答えを渡さない



 困っている人を見つけた時。


 すぐに答えを教えてあげることは、優しさに見えます。


 こちらです。


 こう書けば大丈夫です。


 その言葉は、こう直せば伝わります。


 迷わなくてもよいのです。


 正解は、ここにあります。


 相手が立ち止まっている時間を短くし。


 不安そうな表情を、早く消してあげられる。


 教える側にも。


 助けられたという安心が残ります。


 けれど。


 相手が何に迷っているのかを知らないまま、答えを渡してしまえば。


 その人が本当に考えたかったものを、奪ってしまうことがあります。


 入口が分からないのか。


 書く内容が決まらないのか。


 誰かへ気持ちを伝えること自体が怖いのか。


 それとも。


 ただ、急がずに考える時間が欲しいだけなのか。


 同じように立ち止まって見えても。


 理由は、一人ずつ違います。


 だから。


 迷っている人を見つけたら。


 すぐに道を指さす前に。


 どこで止まったのかを見る。


 何が必要なのかを尋ねる。


 答えを求めていないなら。


 隣で、少しだけ待つ。


 春祭りまで、あと十一日。


 印刷された二百五十枚の体験紙が届いた朝。


 王国史礼法研究会は。


 自分たちが作った案内が、本当に初めて見る人へ届くのかを確かめるため。


 研究会外の生徒を招いた、最初の通し確認を行うことになりました。


     ◇


 開放学習室へ入る前から。


 紙の匂いがしました。


 新しく印刷された紙。


 乾いたインク。


 木箱。


 梱包に使われた薄い麻布。


 扉を開けると。


 机の上には、いくつもの紙束が積まれていました。


 会場用体験紙。


 百五十枚。


 持ち帰り用体験紙。


 百枚。


 申込用紙とは違う、少し柔らかな白い紙です。


 書きやすいように。


 でも、持ち帰る途中で折れにくいように。


 印刷工房と相談し、厚さも選びました。


 アルノルド殿下は。


 その紙束の前へ座っています。


 すでに一枚。


 手に取ったのでしょう。


 表。


 裏。


 光へ透かし。


 机へ置き。


 また持ち上げる。


 かなり念入りに見ています。


「ごきげんよう、殿下」


「ルイート嬢、ごきげんよう」


「何枚目ですか?」


 殿下の動きが止まりました。


「一枚目だ」


「本当に?」


「同じ一枚を見ている」


 それなら。


 枚数としては一枚です。


 回数は。


 かなり多そうですが。


 机の端には、今日の心得紙。


『届いた紙を全部確認しようとしない』


『一枚の印刷ずれで二百五十枚すべてを疑わない』


『初見の人が迷っても、すぐ説明しない』


『正解を教えすぎない』


『ナリアと同じ場所へ立つことを目的にしない』


『見学者がナリアへ相談しても嫉妬しない』


『紙が風で飛んでも池へ追いかけない』


 最後。


 池へ追いかける前に。


 普通に拾えばよいと思います。


「殿下」


「はい」


「今日、一番難しそうなのは三つ目ですね」


「初見の人が迷っても、すぐ説明しない」


「はい」


 殿下は。


 体験紙へ視線を戻しました。


「困っているなら、説明した方がよくないか」


「必要な場合は説明します」


「では」


「ただし、すぐに全部を教えません」


「なぜ?」


 殿下は。


 本気で分からない顔です。


 人が困っている。


 自分は分かっている。


 なら教える。


 王太子としても。


 殿下個人としても。


 自然な考えなのでしょう。


「今日来てくださる方は、本番の来場者役です」


「はい」


「私たちが横から説明しなければ使えない体験紙なら」


「本番でも困る」


「はい」


「でも、本番は受付がいる」


「受付の説明は三文です」


「はい」


「それ以上は、必要な時だけ」


 殿下は。


 自分で思い出しました。


「なら、まず三文だけでどこまで分かるか見る」


「その通りです」


「迷っている人へ、全部教えたら」


「どこが分かりにくいのか、分からなくなります」


「なるほど」


 殿下は。


 心得紙へ。


『迷いは、案内の不足を教えてくれる』


 と書き足しました。


 とても良いです。


「ただし」


 私は続けました。


「見学者の方を、試験するように見てはいけません」


「試験?」


「分からない方が悪い、という顔をしない」


「しない」


「迷う時間を数えすぎない」


「レオンが数える」


「記録として必要な範囲です」


「はい」


「殿下は」


 私は、心得紙の四つ目を指しました。


「答えを教えたい顔をしすぎないでください」


「顔まで?」


「非常に分かりやすいので」


 殿下は。


 少し不満そうでした。


 でも。


 否定しません。


「頑張る」


 最近。


 この言葉が増えました。


 完璧にできる。


 絶対に失敗しない。


 ではなく。


 頑張る。


 できなければ。


 戻る。


 とてもよい変化です。


     ◇


 レオン様は。


 印刷工房の納品記録と、数量確認表を持って入ってきました。


「おはようございます」


「ごきげんよう、レオン」


 レオン様は。


 紙束を見ます。


 会場用。


 持ち帰り用。


 梱包札。


「数量は、まだ確認していません」


「工房で確認したのでは?」


 殿下が尋ねます。


「工房では、梱包前に確認済みです」


「では、ここでは?」


「納品後の確認です」


 当然のように答えます。


「二百五十枚、全部数える?」


「束ごとに五十枚です」


「五束」


「はい」


「一枚ずつ?」


「最初と最後の束は数えます。中央三束は重量と厚さで確認し、不足が疑われる場合のみ数え直します」


 殿下が。


 少し感心したように言いました。


「全部を疑わない」


「はい」


 心得紙と同じです。


「確認は必要ですが」


 レオン様は続けました。


「すべてを最初から疑うのは、確認ではなく不安への対応です」


 殿下の表情が。


 少しだけ止まりました。


 正式許可書。


 封筒。


 書類。


 何度も確認してしまったこと。


「不安への対応」


 小さく繰り返します。


「はい」


「確認と違う?」


「目的が違います」


 レオン様は。


 紙束の紐を解きながら答えました。


「確認は、不備がないかを確かめるため」


「はい」


「不安への対応は、安心するまで繰り返すため」


「はい」


「後者は、終わりがありません」


 殿下は。


 長く紙束を見ました。


 そして。


 自分が見ていた一枚を。


 そっと束の上へ戻しました。


「一枚目は問題なかった」


「はい」


「なら、次の確認へ進む」


「はい」


 殿下は頷きました。


 目に見えるほど。


 紙から手を離しました。


 そこへ。


 エレナ様が入ってきました。


 今日は。


 菓子箱。


 小皿。


 茶器。


 材料表示札。


 さらに。


 小さな砂時計を三つ持っています。


「砂時計?」


 私が尋ねると。


「茶席用ですわ」


「時間を測る?」


「いいえ」


 エレナ様は。


 机へ三つ並べました。


「紅茶を蒸らす時間です」


「三つも?」


「茶葉の種類ごとに違いますの」


 王国産の春摘み茶。


 柑橘香を移した茶。


 蜂蜜に合う深めの茶。


 茶席では一種類だけの予定でしたが。


 本番前の試作で決めるのでしょう。


「今日の来場者役へ、紅茶も出すのですか?」


 殿下が尋ねます。


「本番と同じ流れを見ていただきます」


「蜂蜜菓子も?」


「もちろんですわ」


「本番と同じもの?」


 エレナ様は。


 少しだけ胸を張りました。


「小型の試作品です」


 やはり。


 すべて準備しています。


「試験だからと」


 レオン様が言いました。


「来場者役へ菓子を多く出さないでください」


「一人一つですわ」


「研究会員は?」


「終了後に一つ」


 完全に計算されています。


     ◇


 ナリア様は。


 今日も時間通りに来ました。


 腕には。


 受付用の三文案内。


 体験紙補助の手順。


 見学者へ渡す簡単な感想用紙。


 殿下は。


 立ち上がりました。


 昨日の朝のように。


 遠ざかりません。


 いつもの位置。


 でも。


 近づきすぎもしません。


「ナリア、ごきげんよう。今日も来てくれてありがとう」


「ごきげんよう、殿下。本日もよろしくお願いいたします」


 自然です。


 昨日の話をした後。


 一度遠ざかり。


 話し合い。


 今日。


 また挨拶ができています。


 ナリア様は。


 印刷された体験紙へ気づきました。


「届いたのですね」


「ああ」


 殿下が答えます。


「最後の一文も、大きくなっている」


 ナリア様が一枚を手に取りました。


 裏面。


『ご自身の言葉を、ご自身の速さでお持ち帰りください』


「読みやすいです」


「一枚目は問題なかった」


 殿下が言いました。


 ナリア様が。


 少し不思議そうな顔をします。


「一枚目?」


「同じ一枚を何度も確認した」


「殿下」


「もう戻した」


 ナリア様は。


 口元を押さえて笑いました。


「頑張りましたね」


「ありがとう」


 また。


 子供へ向けるような褒め方です。


 でも。


 殿下は受け取ります。


「今日は」


 ナリア様が、見学者用手順を広げました。


「研究会外の方へ、最初から最後まで通していただきます」


「ああ」


「殿下」


「はい」


「迷っていらしても、すぐには答えないでくださいね」


 今朝。


 私と同じことを言われました。


「分かっている」


「本当に?」


 一回。


「心得紙に書いた」


「では、大丈夫ですね」


 ナリア様は。


 殿下を信じました。


 殿下の表情が。


 少しだけ柔らかくなります。


「ありがとう」


 今日も。


 良い始まりです。


     ◇


 数量確認。


 会場用体験紙。


 最初の束。


 五十枚。


 最後の束。


 五十枚。


 中央三束。


 厚さ。


 重さ。


 問題なし。


 持ち帰り用。


 同じように確認。


 合計。


 二百五十枚。


「不足なし」


 レオン様が記録しました。


「印刷ずれは?」


 殿下が尋ねます。


「無作為に各束から三枚」


 十五枚。


 表。


 裏。


 文字。


 余白。


 裁断。


 一枚だけ。


 裏面の文字が、ほんの少し右へ寄っています。


 読めないほどではありません。


 殿下の目が。


 そこへ止まりました。


「ずれている」


「はい」


 レオン様が答えます。


「使用できない?」


「許容範囲です」


「でも」


「文字は欠けていません」


「はい」


「記入欄も問題なし」


「はい」


「十五枚中、一枚。工房の基準内です」


 殿下は。


 少し長く見ました。


 全部を疑いたくなる。


 心得。


『一枚の印刷ずれで二百五十枚すべてを疑わない』


 まさに。


 殿下は。


 紙を置きました。


「使用する」


「はい」


 ナリア様が。


 少しだけ笑います。


「少し右へ寄っていても」


「読める」


「はい」


「使える」


「はい」


 殿下は。


 自分にも言っているようでした。


 少しずれていても。


 完璧でなくても。


 使える。


 相手へ渡せる。


 すべてを捨てなくてよい。


     ◇


 今日の見学者役は。


 四名です。


 一人目。


 下級生の令嬢。


 告知文の前で、茶席へ申し込むか迷っていた方。


 抽選には選ばれませんでしたが。


 展示確認へ協力してくださることになりました。


 二人目。


 騎士科の男子生徒。


 文章を書くことが苦手だと、自分から伝えてくれています。


 三人目。


 図書委員の令嬢。


 普段から本や文章に慣れている方。


 四人目。


 春祭り準備へ参加している上級生の男子生徒。


 人混みが苦手で。


 本番は、会場へ入るか迷っているそうです。


 四人とも。


 性格も。


 得意なことも。


 求めているものも違います。


 研究会の説明を受けてから。


 東校舎一階の小講義室へ移動します。


 今日は。


 用務員の方が。


 実際の展示板を仮固定してくださいました。


 注釈はまだ清書前。


 代わりに。


 同じ文字量の仮紙。


 受付。


 体験席。


 立ち書き台。


 茶席。


 出口展示。


 配置は。


 本番とほぼ同じです。


 廊下には。


 授業間の休憩時間ではないため。


 見学者以外の生徒はいません。


 静か。


 窓から入る春の風。


 薄いカーテン。


 机の上の紙。


 空の茶器。


 蜂蜜菓子の甘い香り。


 本番前の部屋。


 まだ人の熱が入っていません。


「本日は」


 私が受付として説明します。


「春祭り当日と同じ流れで、会場をご覧いただきます。途中で分からないことがあっても、すぐにこちらから説明しない場合があります」


 見学者たちが。


 少し不安そうに顔を見合わせました。


 私は続けます。


「ご不快にさせるためではなく、案内だけでどこまで分かるかを確認するためです」


「質問しても?」


 図書委員の令嬢が尋ねました。


「もちろんです」


「困った時は?」


「お声をかけてください」


 騎士科の男子生徒が。


 少しだけ安心したように頷きました。


「感想用紙には」


 レオン様が説明します。


「分かりにくかった場所。入りづらかった場所。説明が足りなかった場所を、そのままお書きください」


「良かったところより?」


 下級生の令嬢が尋ねます。


「良かったところも」


 レオン様は答えます。


「ですが、本日は直すための確認です」


 殿下は。


 準備室役の場所で待機します。


 最初から会場へいません。


 王太子殿下がいることで。


 見学者の動きが変わらないようにするためです。


 少し残念そうです。


 自分も最初から見たいのでしょう。


 でも。


 役割を守ります。


「始めます」


 レオン様が言いました。


     ◇


 最初の見学者。


 下級生の令嬢。


 入口。


 仮の告知板。


『ここは、招待と感謝の言葉を考える展示です。王国史に残る実例を見ながら、ご自身の言葉を一文から作れます。書いた内容を見せる必要はありません』


 令嬢は。


 立ち止まりました。


 一文目。


 二文目。


 三文目。


 読んでいます。


 その後。


 受付へ進みます。


 私は。


 本番用の三文を伝えました。


「ようこそお越しくださいました。こちらは、招待と感謝の言葉を考える展示です。書いた内容は、研究会へ見せる必要はありません」


 令嬢は頷きました。


「はい」


「展示から、ご自由にご覧ください」


 入ります。


 最初の展示板。


 王家資料の仮配置。


 令嬢は。


 かなり近くまで寄りました。


 文字を読みます。


 一枚目。


 二枚目。


 三枚目。


 次に。


 礼法比較展示。


 正式文。


 中間文。


 親しい文。


 そこで。


 動きが止まりました。


 視線が。


 上。


 下。


 また上。


 何か迷っています。


 殿下は。


 準備室の開いた隙間から。


 見ています。


 答えを教えたい顔です。


 たぶん。


 どの文を選べばよいか迷っている。


 そう考えているのでしょう。


 殿下の口が。


 少し動きます。


 私は。


 殿下を見ません。


 助けません。


 心得。


 まず見る。


 令嬢は。


 やがて。


 比較展示の端にある小さな札へ顔を近づけました。


『どれが正解ということではありません。相手との関係に合う距離を考えるための比較です』


 読みます。


 そして。


 少しだけ息を吐きました。


 動き始めます。


 自分で。


 札を見つけました。


 体験席へ。


 座ります。


 体験紙。


 筆記具。


 令嬢は。


 最初の問いで止まりました。


『誰へ向けた言葉ですか』


 長い。


 かなり長い。


 殿下の顔が。


 また苦しくなります。


 教えたい。


 特定の一人でなくてもよい。


 家族でも。


 友人でも。


 未来の誰かでも。


 それは。


 体験紙の説明に書いてあります。


 でも。


 令嬢は。


 そこまで視線を動かしていません。


 ナリア様も。


 体験補助担当として。


 少し離れた位置にいます。


 近づきません。


 待ちます。


 令嬢が。


 自分から顔を上げました。


「あの」


「はい」


 ナリア様が答えます。


「相手が、一人に決まらない場合は?」


「一人に決める必要はありません」


「家族全員でも?」


「はい」


「まだ、誰へ渡すか分からなくても?」


「はい」


 ナリア様は。


 必要なことだけ答えました。


「その場合は、『いつも支えてくれる方へ』など、今思いつく範囲で書いていただけます」


「分かりました」


 令嬢は。


 また紙へ戻ります。


 殿下が。


 準備室の中で。


 少しだけ息を吐きました。


 自分が説明しなくても。


 必要な時に。


 必要な担当者が。


 短く答えました。


 令嬢は。


 しばらく書き。


 体験紙を小封筒へ入れました。


 茶席へ。


 着席。


 紅茶。


 蜂蜜菓子。


 エレナ様が案内します。


「最初に一口、召し上がってくださいませ」


 令嬢は。


 菓子を食べました。


 表情が。


 少し緩みます。


「美味しいです」


 エレナ様の目が。


 非常に明るくなりました。


 でも。


 長く説明しません。


「ありがとうございます」


 それだけ。


 立派です。


 ナリア様が。


 茶席の案内を始めます。


「体験紙の内容を、見せていただく必要はありません。展示で気になった言葉だけでも、お話しいただけます」


 令嬢は。


 少し考えました。


「私は」


 封筒へ手を置きます。


「家族へ、ありがとうを書きました」


「はい」


「でも」


 少し困った顔。


「全員へ同じ言葉でよいのか、分からなくて」


 ナリア様は。


 すぐ答えません。


「ご家族お一人ずつへ、違うことを伝えたいですか?」


「はい」


「では」


 令嬢の顔を見ます。


「同じ紙へ全員分を書かなくてもよいと思います」


「はい」


「今日は、最初に思い浮かんだ一人のことだけを考えても」


「はい」


「他の方への言葉は、持ち帰ってから別に考えても構いません」


 令嬢は。


 少しだけ安心したように笑いました。


「全部を今日書かなくていいのですね」


「はい」


「分かりました」


 茶席終了。


 出口展示。


『今日考えた言葉を、すぐに渡さなくても構いません。まず、ご自身で大切にお持ち帰りください』


 令嬢は。


 その文を。


 長く見ました。


 封筒を。


 胸元へ抱えます。


 そして。


 出口へ。


 一人目。


 終了。


     ◇


「どうだった?」


 殿下が。


 準備室から出るなり言いました。


 誰へ向けた言葉でしょう。


 私たち。


 ナリア様。


 令嬢。


 全部でしょう。


 レオン様が止めます。


「感想は、全員終了後です」


「はい」


 殿下は。


 すぐ引きました。


 令嬢も。


 まだ感想用紙を書いていません。


 途中で話しかければ。


 意見を変えてしまう可能性があります。


 殿下は。


 また準備室へ戻りました。


 少しだけ。


 肩が下がっています。


 でも。


 待ちます。


     ◇


 二人目。


 騎士科の男子生徒。


 入口説明。


 受付。


 展示。


 ここまでは早いです。


 王家資料を。


 ざっと見ます。


 礼法比較。


 少しだけ。


 体験席。


 座りません。


 立ち書き台へ。


 一枚取ります。


 最初の問い。


 すぐ書きます。


 二つ目。


 止まりました。


『どんな場面で伝えたいですか』


 男子生徒は。


 長く筆を持ったままです。


 紙を見ます。


 周囲を見ます。


 また紙。


 殿下が。


 準備室から見ています。


 今度は。


 かなり答えたそうです。


 場面。


 稽古後。


 食事。


 手紙。


 別れ際。


 いくつも例があります。


 でも。


 男子生徒は。


 質問しません。


 ナリア様も。


 近づきません。


 時間。


 長い。


 廊下の遠くで。


 誰かが歩く音。


 薄いカーテンが揺れます。


 紙の端が。


 少しだけ動きます。


 男子生徒は。


 やがて。


 空欄のまま。


 次の問いへ進みました。


 殿下の眉が。


 少し寄りました。


 書かなくてよいのか。


 抜かしてよいのか。


 心得。


 最後まで書けなくてもよい。


 全部使わなくてもよい。


 男子生徒は。


 組み立て要素の一つだけに印をつけました。


『してくれたこと』


 そして。


 一文。


 短く書きます。


 封筒へ。


 茶席。


 男子生徒は。


 蜂蜜菓子を一口で食べました。


 エレナ様が。


 何か言いたそうです。


 もう少し味わって。


 たぶん。


 でも。


 言いません。


 紅茶を飲み。


 ナリア様の案内。


「何か、気になったところはありますか?」


 男子生徒は。


 少し考え。


「場面のところ」


「はい」


「書けなかった」


「はい」


「それでも、いいのですか」


 ナリア様は頷きました。


「はい」


「書かないまま、次へ進みました」


「はい」


「間違いでは?」


「間違いではありません」


「でも」


「必要なかったのかもしれません」


 男子生徒が。


 顔を上げます。


「必要ない?」


「はい」


 ナリア様は。


 ゆっくり説明します。


「伝えたい内容が、すでに一文で決まっていたなら。場面を今決める必要はありません」


「渡す時に考える?」


「はい」


「渡さないかもしれない」


「それでも構いません」


 男子生徒は。


 少し長く黙りました。


「なら」


 封筒へ手を置きます。


「書けなかったのではなく」


「はい」


「今は決めなかった」


 ナリア様の表情が。


 柔らかくなりました。


「そう受け取ってよいと思います」


 男子生徒は。


 小さく頷きました。


 出口展示。


 少しだけ読む。


 出ます。


 二人目。


 終了。


 殿下は。


 今度は準備室から出ません。


 待てています。


     ◇


 三人目。


 図書委員の令嬢。


 文章に慣れています。


 入口。


 受付。


 展示。


 読むのが早い。


 でも。


 流しません。


 注釈。


 比較展示。


 細かい札。


 すべて読みます。


 体験席へ。


 座る。


 体験紙。


 上から下まで。


 迷いなく書きます。


 早い。


 殿下が。


 少し安心した顔です。


 この方は。


 問題なく使えた。


 そう思ったのでしょう。


 ですが。


 茶席。


 蜂蜜菓子。


 案内。


 ナリア様が尋ねます。


「気になった部分はありますか?」


 令嬢は。


 すぐ答えました。


「はい」


「どちらでしょう」


「例が少ないです」


 全員の空気が。


 少し変わりました。


「例?」


 ナリア様が聞き返します。


「組み立て要素はあります」


「はい」


「ですが」


 令嬢は。


 封筒を開けずに続けます。


「文章を書くことが苦手な方は、要素だけでは難しいと思います」


 騎士科の男子生徒。


 先ほど。


 一文は書けました。


 でも。


 確かに。


 もっと苦手な方もいます。


「完成文の例が必要ということですか?」


 ナリア様が尋ねました。


「はい」


「ただ」


 令嬢は。


 少し考えます。


「例文があると、それを写す方もいると思います」


 私たちが。


 ずっと考えてきた問題です。


 正解を置けば。


 自分の言葉を考えなくなるかもしれない。


「では」


 ナリア様が尋ねます。


「どのような形ならよいと思いますか?」


 令嬢は。


 少し驚きました。


 自分へ答えを求められたからでしょう。


「私が?」


「はい」


「すぐには」


「考えていただける範囲で」


 令嬢は。


 紅茶へ手を伸ばしました。


 一口。


 考えます。


「文章ではなく」


 やがて言いました。


「始め方だけ」


「始め方?」


「『ありがとう』から始めてもよい。『あの時』からでもよい。『一緒に』からでもよい」


「書き出しの言葉」


「はい」


 完成文ではありません。


 一歩目だけ。


「それなら」


 令嬢は続けます。


「自分の言葉を続けやすいかもしれません」


 ナリア様の目が。


 少し明るくなりました。


「とても良いと思います」


 殿下も。


 準備室の中で。


 明らかに反応しています。


 出てきたい。


 話したい。


 でも。


 まだ見学中です。


 待ちます。


「感想用紙にも」


 ナリア様が言いました。


「ぜひ、今の案を書いてください」


「はい」


 三人目。


 出口。


 終了。


 新しい案が。


 見学者から生まれました。


     ◇


 四人目。


 人混みが苦手な上級生の男子生徒。


 入口。


 まず。


 立ち止まりませんでした。


 扉の前。


 中を見ます。


 受付。


 展示板。


 体験席。


 茶席。


 奥。


 人は。


 研究会員だけ。


 見学者役の他の三人は。


 感想用紙を書くため、別室です。


 混んでいません。


 それでも。


 男子生徒は入らない。


 足元。


 扉の境目。


 私は。


 受付から声をかけるべきか迷いました。


 本番なら。


「どうぞ」


 と言うかもしれません。


 でも。


 今は。


 まず見る。


 男子生徒は。


 入口説明を読みます。


 その後。


 室内。


 また入口説明。


 何か。


 足りない。


 殿下も。


 準備室から見ています。


 今度は。


 すぐ答えたい顔ではありません。


 見ています。


 何に迷っているのか。


 男子生徒が。


 私へ小さく尋ねました。


「途中で、出てもよいですか」


 そこでした。


 入ったら。


 最後まで回らなければならない。


 受付を通ったら。


 体験紙を書くまで出にくい。


 そう感じていたのです。


「もちろんです」


 私は答えました。


「展示だけでも。入口から見るだけでも。いつでもお戻りいただけます」


「途中で?」


「はい」


「受付を通った後でも?」


「はい」


 男子生徒は。


 少しだけ息を吐きました。


「では」


 一歩。


 入ります。


 受付。


 三文。


 展示。


 一枚目だけ。


 かなり早く。


 出口方向を確認します。


 そこへ。


 今は。


 余韻展示があります。


 でも。


 出口の札が。


 入口からは見えにくい。


 展示板に隠れています。


 男子生徒は。


 もう一度。


 体験席。


 茶席。


 出口方向。


 視線が動きます。


 レオン様が。


 記録しています。


 男子生徒は。


 王家資料一枚目だけを見ます。


 二枚目へ進みません。


 立ち書き台へ。


 体験紙を取りません。


 小封筒だけを見ます。


 そして。


 出口へ。


 余韻展示を読まず。


 外へ出ました。


 短い。


 でも。


 参加です。


 殿下は。


 準備室から出ません。


 男子生徒が感想用紙へ移るまで。


 待ちました。


     ◇


 四人が。


 別室で感想用紙を書いている間。


 研究会員は。


 小講義室に残りました。


 殿下が。


 ようやく準備室から出ます。


 かなり言葉が溜まっています。


「言いたいことがある」


 正直です。


 レオン様が答えました。


「感想用紙の回収後に」


「はい」


 殿下は。


 我慢します。


 エレナ様が。


 菓子箱へ手を伸ばしました。


「今?」


 私が尋ねます。


「待つためですわ」


 なるほど。


 今日の蜂蜜菓子。


 小さな輪の形。


 中央が空いています。


「何の形?」


 殿下が尋ねます。


「余白ですわ」


「余白を食べる?」


「周りを食べます」


 確かに。


 中央は空です。


「全部を甘さで埋めない」


 エレナ様が言いました。


「待つ時間も残す味です」


 殿下は。


 輪の菓子を見ました。


「味がないところもある」


「はい」


「でも、菓子ではある」


「はい」


 私たちは。


 一つずつ食べました。


 外側。


 蜂蜜。


 少し香ばしい。


 中央。


 何もない。


 でも。


 その空間があることで。


 軽い。


「余白」


 ナリア様が言いました。


「はい」


「答えを全部置かない」


「はい」


 殿下も。


 ゆっくり頷きました。


「見学者が、自分で考える場所」


「その通りですわ」


 今日の菓子も。


 完全に研究会です。


     ◇


 感想用紙が戻りました。


 四枚。


 名前は。


 任意。


 今日は全員、書いています。


 まず。


 下級生の令嬢。


『入口の説明は分かりやすかったです。正式文・中間文・親しい文の違いで、どれを選べばよいか迷いました。「正解ではない」という札が小さく、見つけるまで不安でした。体験紙では、誰へ書くか一人に決めなければならないと思いました。質問したら安心しました。茶席で、全部を今日書かなくてよいと言われたことが嬉しかったです』


「札が小さい」


 殿下が言いました。


「はい」


 レオン様が記録します。


「比較展示の説明札を大きく」


「『一人に決めなくてもよい』は」


 ナリア様が体験紙を見ます。


「説明にありますが」


「問いのすぐ下へ移す?」


 私が提案します。


「はい」


 殿下も頷きました。


「最初に見える場所」


 次。


 騎士科の男子生徒。


『書けないところを空けてよいと、紙だけでは分かりませんでした。全部埋めるものだと思いました。茶席で「今は決めなかった」と言われて、少し楽になりました。立って書ける場所は使いやすかったです。椅子へ座るより、早く出られる感じがしました』


「全部埋めなくてよい」


 殿下が言いました。


「裏面には、最後まで書けなくてもよいとあります」


 私は答えました。


「でも」


 ナリア様が言います。


「表を使っている時、裏は見ません」


「各問いへ」


 殿下が提案します。


「『空欄でも構いません』を入れる?」


「全部へ入れると、文字が増えます」


 レオン様が答えました。


「題名の下に一文」


 エレナ様が言います。


『すべての欄を埋める必要はありません』


 短い。


 分かりやすい。


「採用候補」


 レオン様が記録しました。


 三枚目。


 図書委員の令嬢。


『文章に慣れている人には使いやすいです。ただ、組み立て要素だけで一文を作ることが難しい人もいると思います。完成文ではなく、「ありがとう」「あの時」「一緒に」などの書き出し例があると、自分の言葉を続けやすいと思います。展示の注釈は読みやすかったです。王家の文も正解ではないと示してある点が印象に残りました』


「書き出し例」


 殿下が。


 待っていたように言いました。


「入れたい」


「はい」


 ナリア様も答えます。


「ただし、数を増やしすぎない」


「三つ?」


 私が尋ねます。


「感謝と招待で分ける?」


 エレナ様が提案しました。


 感謝。


『ありがとう』

『あの時』

『してくださったことを』


 招待。


『よろしければ』

『ご都合が合えば』

『一緒に』


「例として」


 ナリア様が言いました。


「体験紙へ直接印刷するより、立て札に」


「なぜ?」


 殿下が尋ねます。


「必要な方だけ見られます」


「はい」


「紙へ常に書いてあると」


「全員が使う」


「はい」


「選べる形」


 殿下が言いました。


「見ても。見なくても」


「はい」


 小さな補助札。


 体験席と立ち書き台。


 両方から見える位置。


 採用候補です。


 最後。


 上級生の男子生徒。


 感想用紙は。


 他の三人より短いです。


『入口から出口が見えなかったので、入ったら最後まで回らなければならないと思いました。途中で出てよいと聞いて入れました。展示は一枚だけ見ました。紙は書きませんでした。茶席へも行きませんでした。それでも参加としてよいなら、当日も短く見たいと思います。入口に「途中で退出できます」とあると安心します』


 室内が。


 少し静かになりました。


「出口が見えない」


 殿下が言いました。


「茶席を見せないための展示板が」


 私は配置図を見ます。


「出口も隠していました」


「安心を守るための板が」


 ナリア様が言いました。


「別の方には、不安になった」


 どちらも。


 正しいです。


 茶席を廊下から見えないようにしたい。


 でも。


 出口は見える方がよい。


「出口札を高くする」


 レオン様が言いました。


「展示板の上から見える高さ」


「でも」


 エレナ様が少し心配そうです。


「会場の雰囲気が、案内板ばかりになりませんか?」


「入口説明へ」


 殿下が言いました。


「『途中で退出できます』を入れる」


「三文が四文になります」


 ナリア様が答えます。


 殿下の顔が。


 少しだけ固くなりました。


 三文。


 大切な基準。


 ですが。


 必要な一文なら。


「最初の二文を縮める」


 殿下が言いました。


 現在。


『ここは、招待と感謝の言葉を考える展示です。王国史に残る実例を見ながら、ご自身の言葉を一文から作れます。書いた内容を見せる必要はありません』


「二文目」


 殿下が続けます。


「王国史の実例と、体験を分けなくていい」


 ナリア様が書きます。


『ここは、王国史の実例を見ながら、招待と感謝の言葉を考える展示です。書いた内容を見せる必要はなく、途中で退出しても構いません』


 二文。


 短い。


「一文減った」


 エレナ様が言いました。


「余白ができましたわ」


 殿下が。


 少し笑いました。


「菓子と同じ」


「はい」


 入口説明。


 二文へ。


 さらに。


 出口札は。


 展示板の上から見える高さ。


 でも。


 大きすぎず。


 茶席の視線を邪魔しない位置。


「実際に置いて確かめます」


 レオン様が言いました。


     ◇


 感想用紙。


 四人。


 同じ会場。


 同じ体験紙。


 でも。


 迷った場所は違いました。


 一人は。


 誰へ書くか。


 一人は。


 空欄。


 一人は。


 書き出し。


 一人は。


 出口。


 殿下は。


 四枚を順番に見ました。


「僕は」


 小さく言いました。


「一人目が止まった時」


「はい」


 私が答えます。


「比較文のどれを選ぶか、教えたかった」


「はい」


「でも」


「はい」


「実際は、正解ではないという札が小さかった」


「はい」


「体験紙で止まった時も」


「はい」


「誰へ書けばよいか、例を言いたかった」


「はい」


「でも、その人は家族全員へ書きたかった」


「はい」


 殿下は。


 少し長く黙りました。


「僕が考えた困り方と」


「実際の迷いは違いました」


 ナリア様が答えました。


「はい」


「すぐ答えたら」


 殿下は言います。


「僕が考えた問題の答えを渡していた」


「はい」


「相手の迷いを聞かずに」


「はい」


 殿下の表情が。


 少しだけ痛みました。


 過去のことを。


 思い出しているのかもしれません。


 ナリア様が傷ついた時も。


 殿下は。


 ナリア様がどう感じているか聞かず。


 自分が考えた答えを。


 一方的に渡していた。


 大丈夫。


 本気ではない。


 君を嫌っているわけではない。


 そんな。


 自分側の説明を。


「殿下」


 ナリア様が呼びました。


「はい」


「今」


「はい」


「ご自分を責めていますか?」


 殿下は。


 少し驚きました。


 そして。


 正直に頷きます。


「少し」


「今日の見学で?」


「それと」


 少し迷います。


「以前のことも」


 ナリア様は。


 すぐ大丈夫とは言いませんでした。


「はい」


「僕は」


 殿下は。


 ゆっくり続けます。


「君が何に傷ついたか聞く前に」


「はい」


「僕は本当は嫌っていないと。そう説明すれば大丈夫だと思っていた」


「はい」


「僕の答えを渡していた」


「はい」


 ナリア様は。


 静かに受け取ります。


 殿下は。


 言い訳しません。


「今日」


「はい」


「待ってみて」


 感想用紙を見ました。


「迷い方は、見ただけでは分からないと思った」


「はい」


「だから」


 ナリア様へ視線を戻します。


「これからも、分かったつもりにならずに聞きたい」


 ナリア様は。


 長く殿下を見ました。


「はい」


 柔らかく頷きます。


「私も」


「はい」


「何に困っているのか、伝えられるようにします」


 殿下の目が。


 少し見開かれました。


「ナリアも?」


「はい」


「僕だけではなく?」


「殿下が尋ねてくださっても」


 ナリア様は。


 少しだけ苦い笑みを浮かべました。


「私が何も答えなければ、分かりませんもの」


 関係は。


 一人だけで直すものではありません。


 殿下が聞く。


 ナリア様が。


 話せる範囲で答える。


 答えられない日は。


 そう伝える。


「では」


 殿下が言いました。


「答えたくない時は」


「答えたくないと申し上げます」


「はい」


「考える時間が必要な時は」


「待ってほしいと」


「はい」


「分かった」


 殿下は。


 少しだけ安心したように息を吐きました。


 ナリア様も。


 ほんの少し笑いました。


     ◇


 午後。


 小講義室の配置を。


 感想に合わせて修正しました。


 比較展示の札。


 大きく。


 中央へ。


『どれが正解ということではありません。相手との関係に合う距離を考えるための比較です』


 体験紙。


 題名の下。


『すべての欄を埋める必要はありません』


 誰へ向けた言葉か。


 その問いのすぐ下。


『一人に決めなくても構いません』


 書き出し補助札。


 感謝。


『ありがとう』

『あの時』

『してくださったことを』


 招待。


『よろしければ』

『ご都合が合えば』

『一緒に』


 出口札。


 高く。


 入口からも見える。


 入口説明。


 二文。


『ここは、王国史の実例を見ながら、招待と感謝の言葉を考える展示です。書いた内容を見せる必要はなく、途中で退出しても構いません』


 配置。


 文字。


 高さ。


 一つずつ。


 実際に置きます。


「入口から」


 上級生役として。


 殿下が立ちました。


 室内。


 受付。


 展示。


 出口札。


 見えます。


「出口が分かる」


「はい」


 ナリア様が答えます。


「茶席は?」


 殿下が少し横へ動きます。


「直接は見えません」


「両方できた」


「はい」


 レオン様が記録しました。


「配置修正、確定候補」


「候補?」


 殿下が尋ねます。


「明日、もう一度別の者へ確認します」


 殿下が。


 少しだけ驚きました。


「また?」


「一人で十分ではありません」


「今日、四人」


「はい」


「明日は?」


「教師一名と、学園職員一名」


 見る立場が違います。


 生徒。


 教師。


 職員。


 同じ会場でも。


 気づくことが違う。


「完成は」


 殿下が言いました。


「遠い」


「春祭り当日まで、調整は続きます」


 レオン様が答えました。


 殿下は。


 以前なら。


 終わらないことへ。


 不安になったかもしれません。


 今は。


 少し笑いました。


「現時点の完成」


「はい」


 受け取れています。


     ◇


 見学者四人へ。


 最後に御礼を伝えました。


 小講義室。


 研究会員。


 四人。


 エレナ様が。


 試作蜂蜜菓子を。


 一人一つずつ、小さな紙袋へ入れます。


「参加への御礼ですわ」


 レオン様が。


 少しだけ目を細めました。


「申込ではありませんので、利益提供ではありません」


 エレナ様が先に言いました。


「はい」


 レオン様も認めました。


 下級生の令嬢は。


 紙袋を受け取りながら言いました。


「最初、間違えたらどうしようと思っていました」


「はい」


 ナリア様が答えます。


「でも」


「はい」


「迷ったところを言ってよいと分かって、少し安心しました」


「ありがとうございます」


 騎士科の男子生徒は。


 体験紙の封筒を見ました。


「これは、持ち帰ってよいのですか」


「もちろんです」


「空欄があります」


 殿下が。


 答えそうになりました。


 でも。


 ナリア様を見る。


 担当。


 ナリア様が答えます。


「そのままで構いません」


 男子生徒は。


 少しだけ笑いました。


「今は決めなかった」


「はい」


 先ほどの言葉。


 もう自分のものになっています。


 図書委員の令嬢は。


 書き出し補助札の仮案を見ました。


「使われるのですか?」


「はい」


 殿下が答えました。


「あなたの意見から」


 令嬢の目が。


 少し見開かれました。


「私の?」


「はい」


「完成文ではなく、始め方だけという案」


「はい」


「とても良かった」


 殿下の感謝。


 短い。


 具体的です。


 令嬢の表情が。


 柔らかくなりました。


「ありがとうございます」


 最後。


 人混みが苦手な上級生。


「当日」


 殿下が言いました。


「短く見るだけでも、参加です」


 上級生が頷きます。


「はい」


「入らなくても」


 殿下は。


 少しだけ迷い。


「入口から見て、やめても構いません」


「はい」


「今日、教えてくれてありがとう」


 上級生は。


 殿下を見ました。


「殿下が」


「はい」


「途中で出てもよいと言ってくださるとは、思いませんでした」


 殿下の表情が。


 少しだけ変わります。


「なぜ?」


「王太子殿下の展示ですから」


「はい」


「見始めたら、最後まで礼を尽くすべきかと」


 また。


 身分。


 殿下の存在。


 入りにくさ。


 本人が考えている以上に。


 周囲へ影響しています。


 殿下は。


 少しだけ苦い顔をしました。


 でも。


 受け取ります。


「王家資料はあるが」


「はい」


「僕のための展示ではない」


「はい」


「来た者が、自分の言葉を考えるための場所だ」


 上級生が。


 静かに頷きます。


「では、当日」


 少しだけ笑いました。


「入口から、考えます」


「はい」


 殿下も。


 笑いました。


「それでいい」


     ◇


 見学者たちが帰った後。


 学習室には。


 少しの疲れが残りました。


 四人。


 通し確認。


 感想。


 修正。


 配置。


 かなり長い一日です。


 エレナ様が。


 研究会員用の蜂蜜菓子を出しました。


 見学者へ渡したものと同じ。


 小さな輪。


 中央の余白。


「今日の分ですわ」


「余白」


 殿下が言いました。


「はい」


「答えを全部置かない」


「はい」


「でも」


 殿下は。


 菓子の輪を指で持ち上げ。


 中央からナリア様を見ました。


 ナリア様が。


 目を瞬かせます。


「殿下」


「はい」


「何をなさっているのですか?」


「余白の向こうを」


「見すぎです」


 ナリア様が。


 少し笑いました。


 殿下も。


 顔を赤くしながら菓子を下ろしました。


「失礼した」


 全員が笑います。


 今日。


 少し重い話もありました。


 過去を思い出す場面も。


 でも。


 こうして笑えます。


 エレナ様が。


 菓子を一口食べました。


「余白があっても」


「はい」


 私が答えます。


「向こうを覗きすぎてはいけませんわね」


「その通りです」


 殿下が。


 さらに赤くなりました。


 ナリア様も。


 頬を赤くしながら。


 でも。


 笑っています。


     ◇


 研究会の最後。


 レオン様が。


 今日の修正点を読み上げました。


「比較展示説明札を拡大」


「はい」


「体験紙へ、『すべての欄を埋める必要はない』を追加」


「はい」


「最初の問いへ、『一人に決めなくてもよい』を追加」


「はい」


「書き出し補助札を設置」


「はい」


「出口札を高く」


「はい」


「入口説明を二文へ修正」


「はい」


「途中退出可能であることを明記」


「はい」


「春祭り当日、入口担当は」


 レオン様が私を見ます。


「来場者が立ち止まっていても、すぐ入場を促さない」


「承知しました」


「質問された場合のみ、途中退出可能であることを補足」


「はい」


「体験補助担当は」


 ナリア様を見る。


「空欄があっても、先に指摘しない」


「はい」


「本人から尋ねられた場合のみ答える」


「はい」


「殿下は」


 殿下の姿勢が。


 少しだけ良くなりました。


「見学者が迷っても、説明役の範囲を越えて助言しない」


「はい」


「茶席参加者の体験紙内容を、後から聞かない」


「はい」


「ナリア様へも?」


 エレナ様が。


 少し楽しそうに尋ねました。


「聞かない」


 殿下は即答しました。


 心得。


 覚えています。


「たとえ」


 レオン様が続けます。


「殿下へ向けた招待文であっても」


 殿下の身体が。


 ほんの少し止まりました。


 でも。


「聞かない」


 もう一度答えました。


 ナリア様が。


 少しだけ笑いました。


「とてもよくできています」


 殿下の顔が。


 完全に赤くなりました。


「ありがとう」


 素直です。


     ◇


 研究会を出る前。


 ナリア様は。


 修正後の体験紙見本を。


 もう一度見ました。


『すべての欄を埋める必要はありません』


『一人に決めなくても構いません』


 新しく加わった言葉。


「殿下」


「はい」


「この一文」


 最初の方を指します。


「すべての欄を埋める必要はありません」


「はい」


「私たちにも、必要かもしれませんね」


 殿下が。


 少し不思議そうにします。


「研究会にも?」


「はい」


 ナリア様は。


 修正した体験紙を、そっと撫でました。


「今日一日だけでも」


「はい」


「四人とも、違うところで止まりました」


「はい」


「同じ答えではありませんでした」


「はい」


「全部を、一日で直すことはできません」


 殿下は静かに頷きます。


「だから」


 ナリア様は微笑みました。


「全部の欄を、一度で埋めようとしなくても良いのかもしれません」


 研究会も。


 今日できたこと。


 まだできていないこと。


 春祭り当日までに直すこと。


 終わったこと。


 これから考えること。


 全部あります。


「現時点の完成」


 殿下が、小さく言いました。


「はい」


「全部ではない」


「はい」


「でも」


 修正後の体験紙を見つめます。


「今日の僕たちなりの完成」


「その通りです」


 私は答えました。


「明日には、また変わるかもしれません」


「はい」


「ですが、今日ここまで進めたことは消えません」


 殿下は。


 少しだけ息を吐きました。


「前の僕なら」


「はい」


「全部直せないなら、完成じゃないと思っていた」


「はい」


「でも」


 体験紙を丁寧に重ねます。


「今日は違う」


「はい」


「四人のおかげで」


「はい」


「まだ足りない場所が分かった」


「それも成果です」


 レオン様が言いました。


「問題が見つからないことより」


「はい」


「問題が見つかる方が、今は価値があります」


 エレナ様も頷きます。


「本番で困るより、今日困っていただけて良かったですわ」


「言い方」


 殿下が苦笑しました。


「少し変だ」


「本当ですもの」


 エレナ様は肩をすくめます。


「今日だからこそ、安心して迷っていただけました」


 その言葉に。


 研究会員全員が静かに頷きました。


 迷いは失敗ではない。


 改善への入口。


 それを。


 今日一日で何度も学びました。


     ◇


 帰り支度を始める頃には。


 窓の外は夕暮れ色へ変わっていました。


 西日が。


 開放学習室の机を長く照らします。


 積み直された体験紙。


 修正案。


 感想用紙。


 書き込みだらけの配置図。


 どれも。


 朝より少しだけ厚みを増したように見えました。


「ルイート嬢」


 殿下が私を呼びました。


「はい」


「今日は」


 少し照れたように笑います。


「我慢できた」


「どの場面でしょう?」


「全部」


 本当に全部だったのでしょう。


「一人目」


「はい」


「二人目」


「はい」


「三人目」


「はい」


「四人目」


「はい」


「何度も説明したくなった」


「分かりました」


「でも」


 殿下は。


 少しだけ誇らしそうに笑いました。


「待てた」


「はい」


「待って良かった」


 私は頷きました。


「殿下」


「はい」


「今日、一番大きな収穫は何だと思いますか?」


 殿下は少し考えました。


「答えを教えなかったこと?」


「惜しいです」


「違う?」


「はい」


 私は笑いました。


「答えを教えなかったことではありません」


「では?」


「相手が、何に困っているのかを知れたことです」


 殿下は。


 ゆっくり目を見開きました。


「ああ……」


 納得したように息を漏らします。


「僕は」


「はい」


「答えを我慢したことばかり考えていた」


「はい」


「でも、本当に大事だったのは」


「相手の迷いを知ることです」


 殿下は。


 今日の四人を思い返しているのでしょう。


 誰へ書くか。


 空欄。


 書き出し。


 出口。


 どれ一つとして。


 殿下が最初に想像した迷いではありませんでした。


「聞かなければ」


「はい」


「分からない」


「その通りです」


 殿下は静かに笑いました。


「恋も同じだな」


 私は。


 少しだけ目を丸くしました。


「ナリアが」


 殿下は遠くを見るように言います。


「何に困っているか聞かずに」


「はい」


「僕は、自分が考えた答えばかり渡そうとしていた」


「はい」


「もう」


 一拍。


「それはやめたい」


 その言葉へ。


 私は何も付け足しませんでした。


 もう。


 殿下ご自身が気づいています。


 気づいたことは。


 誰かから言われるより。


 ずっと長く残るからです。


     ◇


 研究会を後にする時。


 廊下には夕日の赤が伸びていました。


 並んで歩く研究会員たち。


 レオン様は修正予定を確認し。


 エレナ様は明日の試作品を考え。


 ナリア様は体験紙を抱え。


 殿下は。


 その少し後ろを歩きます。


 急ぎません。


 追い越しません。


 今日。


 何度も待ったからでしょうか。


 歩く速さまで。


 少し穏やかになっていました。


 春祭りまで、あと十一日。


 展示は。


 まだ完成ではありません。


 案内も。


 配置も。


 これから変わります。


 けれど。


 王太子殿下は今日。


 人が迷っている姿を見ても。


 すぐに正解を渡さず。


 その人が。


 どこで立ち止まっているのかを見つめることを覚えました。


 誰かを助けたいと思う気持ちは。


 とても尊いものです。


 ですが。


 助けることと。


 考える機会を奪うことは。


 紙一枚ほどの差で入れ替わってしまいます。


 だから。


 今日のあなたは。


 何度も待ちました。


 何度も口を閉じました。


 何度も相手が話し始めるまで待ちました。


 その静かな時間こそが。


 相手の本当の迷いを教えてくれたのです。


 そして。


 その学びはきっと。


 春祭りだけでは終わりません。


 あなたが。


 大切な人の隣へ立つ、その日にも。


 きっと役に立つのでしょう。

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