第64話 王太子殿下、謝る前に傷ついた日を聞く
謝ることは、大切です。
自分の言葉で誰かを傷つけたと知ったなら。
間違いを認め。
申し訳なかったと伝え。
同じことを繰り返さないために、自分の行動を改める。
それは、決して避けてはいけないことです。
けれど。
謝罪する側が、早く楽になりたいあまり。
相手の話を途中で止めてしまうことがあります。
ごめんなさい。
僕が悪かった。
もう二度としない。
どうか許してほしい。
その言葉が間違っているわけではありません。
ただ。
傷ついた人が、まだ何を感じたのか話し終えていない時。
謝罪は、ときに大きな蓋になります。
謝られたのだから、もう怒ってはいけない。
反省しているのだから、これ以上責めてはいけない。
許すと言わなければ、こちらが冷たい人間になる。
そう思わせてしまうことがあるのです。
だから。
謝る前に聞く。
自分がどれほど苦しくなっても。
言い訳をしたくなっても。
自分を責めて、その場から逃げたくなっても。
まず。
傷ついた人が、何を見て。
何を聞き。
どう感じたのか。
最後まで話せる場所を残す。
王太子殿下にとって。
それは、好きだと告げることよりも。
重い未来を口から止めることよりも。
もしかすると、ずっと難しいことだったのかもしれません。
◇
茶席抽選の翌朝。
アルスード学園は、昨日までの落ち着かなさを少しだけ残していました。
廊下では。
選ばれた生徒が、小さな声で当日の時間を確かめ合い。
選ばれなかった生徒が、図書室へ体験紙を取りに行く約束をしています。
「第一回でしたわ」
「私は第三回」
「では茶席の前に、一緒に展示を見ましょう」
「私は外れましたけれど、図書室へ行きます」
「一緒に?」
「紙を取るところまでなら」
「書く時は別々?」
「もちろんです」
誰もが。
昨日の結果を、それぞれの形で持ち帰っています。
まだ残念そうな人もいます。
思っていたより平気だった人も。
選ばれたことを喜びながら、周囲へ気を遣いすぎている人も。
抽選は終わりました。
でも。
気持ちが同時に整理されるわけではありません。
私たちの研究会も。
次の準備へ進みながら。
昨日受け取った言葉を、まだ胸の中へ残していました。
その日の予定は。
展示板の固定具確認。
王家資料の写しの受け取り。
印刷用体験紙の最終校正。
そして。
殿下参加時の資料説明練習。
実務ばかりです。
ですが。
アルノルド殿下の心得紙には。
実務とは別の一文が、一番上に書かれていました。
『ナリアが過去の話を始めても、すぐ謝らない』
その下。
『話を最後まで聞く』
『言い訳をしない』
『あの時は仕方なかった、と言わない』
『自分を悪者にして話の中心を奪わない』
『許してほしいと求めない』
『泣いても池へ行かない』
『聞いた後も、すぐ全部を直そうとしない』
私は。
開放学習室の机へ置かれた心得紙を読み。
最後の一文まで目を通しました。
「殿下」
「はい」
「昨夜、かなり考えられましたね」
「分かるか」
「分かります」
殿下は。
いつもより少し早く来ていました。
ですが。
資料へ手をつけるでもなく。
心得紙の前で、長い時間座っていたようです。
「昨日」
殿下が言いました。
「ナリアが、以前傷ついたことを、いつか話してもよいかと聞いた」
「はい」
「僕は、聞かせてほしいと答えた」
「はい」
「でも」
指先が、少しだけ動きます。
「怖い」
正直な言葉でした。
「何がですか?」
「何を言われるか」
「はい」
「僕が覚えていない言葉もあるかもしれない」
「はい」
「僕にとっては、たった一言でも」
「ナリア様にとっては、長く残っているかもしれません」
「はい」
殿下は。
少し視線を落としました。
「僕は、聞いた瞬間に謝りたくなると思う」
「そうでしょうね」
「それは、駄目なのか」
「謝ること自体は、駄目ではありません」
「はい」
「ただ、ナリア様がまだ話している途中なら」
「待つ」
「はい」
「全部聞いてから」
「はい」
殿下は心得紙へ視線を戻しました。
「でも」
少し苦しそうに言います。
「傷つけた話を聞きながら、何も言わずにいるのは」
「苦しいと思います」
「僕が苦しいと言うのも、違う?」
「違うとは言いません」
私は。
少し考えてから答えました。
「ですが、その場で殿下の苦しさをナリア様へ支えていただくのは、避けた方がよいでしょう」
殿下が顔を上げました。
「僕が泣いたら?」
「泣くことまでは止められません」
「はい」
「でも、ナリア様が殿下を慰めなければならない空気にはしない」
「……難しい」
「非常に」
殿下は。
少し黙りました。
謝罪。
涙。
自己嫌悪。
どれも。
傷つけた側の反応として、自然なものです。
でも。
その反応が大きすぎれば。
話している側が。
やはり言わなければよかった。
殿下を苦しめてしまった。
そう思うかもしれません。
「では」
殿下は言いました。
「苦しくなったら、どうすればいい」
「呼吸してください」
「はい」
「足元を見てください」
「はい」
「心得紙を思い出す」
「はい」
「それでも難しければ」
私は机を指しました。
「『少しだけ待ってほしい』と、ナリア様へ伝えてください」
「話を止めてもいい?」
「殿下が逃げるためではなく、聞き続けるための短い時間なら」
「はい」
「黙って立ち去るより、ずっとよいです」
殿下は。
新しい一文を書きました。
『聞き続けるためなら、少し待ってもらう』
その字は。
いつもより慎重でした。
「今日、話すだろうか」
「分かりません」
「昨日、いつかと」
「はい」
「今日かもしれない」
「そうですね」
「もっと先かもしれない」
「はい」
殿下は。
少しだけ息を吐きました。
「僕から、いつ話すのか聞かない方がいい?」
「はい」
「急かすことになる」
「はい」
「分かった」
殿下は。
それ以上。
ナリア様がいつ話すのかを考えることを、少し止めました。
完全には止められないでしょう。
でも。
今日か。
明日か。
期限を求めません。
◇
レオン様が入ってきた時。
殿下は、ようやく王家資料の説明原稿へ目を通し始めていました。
「おはようございます」
「ごきげんよう、レオン」
レオン様は。
机の上の心得紙を、一瞬だけ見ました。
内容を読むほど近づきません。
でも。
殿下の表情から。
何か重要なことがあると察したのでしょう。
「本日の予定を確認します」
いつも通りに始めました。
その平常さが。
今はありがたく感じます。
「第一に、用務員と展示板の固定具確認」
「はい」
「第二に、王家資料の写し三点と注釈文の照合」
「はい」
「第三に、会場用体験紙百五十枚、持ち帰り用百枚の校正見本確認」
「はい」
「第四に、第一参加時間の資料説明練習」
殿下の指が。
少し止まりました。
第一参加時間。
同行役はナリア様。
「はい」
「ただし」
レオン様が続けます。
「本日は用務員と王家文書官が来るため、練習時間は短くなります」
「分かった」
殿下は。
残念そうにしませんでした。
役割として。
必要な時間だけ。
すぐに受け取れています。
エレナ様は。
固定具確認に必要な布と、またしても菓子箱を持って現れました。
「なぜ布を?」
私が尋ねると。
「金具が展示板の表から見えた時、覆うためですわ」
「花柄?」
「無地です」
意外です。
「資料が主役ですもの」
エレナ様も。
装飾を控えられるようになっています。
蜂蜜菓子は。
控えていませんが。
最後に。
ナリア様が入ってきました。
「ごきげんよう」
今日は。
礼法解説原稿と。
体験紙の校正見本。
そして。
小さなノートを持っています。
殿下は立ち上がりました。
「ナリア、ごきげんよう。今日も来てくれてありがとう」
「ごきげんよう、殿下。本日もよろしくお願いいたします」
挨拶は。
いつもと同じです。
ですが。
殿下は。
ナリア様の小さなノートへ、ほんの一瞬だけ視線を向けました。
もしかして。
過去のことを書いてきたのでは。
そう思ったのでしょう。
でも。
尋ねません。
「今日は校正見本?」
体験紙の方へ話を向けました。
「はい」
ナリア様も答えます。
「持ち帰り用の裏面を、印刷工房が組んでくださいました」
「見てもいい?」
「もちろんです」
二人は。
机へ紙を広げました。
表。
誰へ向けた言葉か。
どんな場面か。
何を伝えたいか。
組み立て。
最後の確認。
裏。
『これは、正しい文や立派な文を書くための紙ではありません。誰かへ伝えたいことを、一文から考えるための紙です。最後まで書けなくても、すぐに相手へ渡さなくても構いません。ご自身の言葉を、ご自身の速さでお持ち帰りください』
文字の大きさ。
余白。
行間。
「最後の一文」
殿下が言いました。
「少し小さく見える」
「私も、そう思いました」
ナリア様が答えます。
「大切な部分なので、他と同じ大きさに」
「はい」
「その代わり、上の説明を一行減らす?」
「『誰かへ伝えたいことを、一文から考えるための紙です』は残したいです」
「なら」
殿下は。
文字を指で追いました。
「最初の『これは』を削る」
「少しだけですけれど」
「一文字でも」
レオン様が横から言いました。
「印刷工房と調整します」
実務。
細かな修正。
いつもの研究会。
ナリア様の小さなノートは。
まだ閉じたままです。
◇
展示板の固定具確認は。
東校舎一階の小講義室で行われました。
用務員の男性が。
重い木製の展示板を、実際の位置へ立てます。
昨日まで使っていた見本より。
明らかに厚い。
高さも。
少し高い。
「この板を三枚」
用務員が言いました。
「壁から少し離すなら、脚へ固定具をつけます」
金属製の支え。
床へ穴は開けません。
板の脚と重りを。
細い金具でつなぎます。
「見た目は?」
エレナ様が、真剣な顔で尋ねました。
「下の方に少し出ます」
実際に取り付けます。
銀色の金具。
確かに。
よく見れば分かります。
「無地の布で覆う?」
エレナ様が提案しました。
レオン様が首を横に振ります。
「布が外れ、通路へ出る可能性があります」
「では、金具へ塗装は?」
「当日までに乾くか確認が必要です」
用務員が答えます。
「黒か、板と同じ茶色なら」
「資料より目立たない」
殿下が言いました。
「はい」
ナリア様は。
少し離れた位置から。
下級生の目線へ屈みます。
「この高さなら、本文も読めます」
「一番下は?」
殿下も。
隣へ屈みました。
二人の距離が。
また近くなります。
でも。
今日は。
昨日より自然です。
「一番下は、少し低すぎます」
ナリア様が答えました。
「では、本文は中央」
「はい」
「下部は、短い補足だけ」
殿下は。
資料配置へ戻れています。
固まりません。
見すぎません。
私も。
もう毎回感動するのはやめようと思うのですが。
どうしても。
池の殿下を思い出してしまいます。
殿下とナリア様が。
同じ板の前で。
普通に相談できています。
それだけで。
とても大きなことです。
廊下には。
今日も少しだけ生徒が集まりました。
「固定具の確認ですって」
「板が倒れないように?」
「そこまで準備するのね」
「殿下も一緒に見ていらっしゃる」
「ナリア様と、また同じ高さで」
「しっ」
「でも、本当に自然ですわ」
自然。
その声に。
殿下とナリア様の耳が。
少し赤くなりました。
でも。
二人は。
展示板の高さを測り続けました。
用務員が。
三枚の板を並べます。
一枚目。
王妃の園遊会記録。
二枚目。
三代前の国王による招待状。
三枚目。
王宮茶会後の返礼文。
まだ写しはありません。
仮の白紙だけ。
「白紙でも」
ナリア様が言いました。
「位置が高いと、かなり見上げますね」
「首が疲れる」
殿下が答えます。
「長く読んでもらうためには、少し低く」
「はい」
固定具と。
展示の高さ。
実際の重い板で。
最終位置が決まりました。
「安全上、問題ありません」
用務員が言いました。
「当日の朝、もう一度固定します」
「ありがとうございます」
全員で礼をしました。
作業が終わると。
エレナ様が。
待っていたように菓子箱を開けました。
「固定具確認終了用ですわ」
用務員の男性が。
少し驚きました。
「私も?」
「もちろんです」
エレナ様は。
小さな四角い蜂蜜菓子を差し出しました。
「働いてくださった方への御礼です」
用務員は。
恐縮しながら受け取ります。
「ありがとうございます」
今日の菓子は。
外側が少し固い四角。
中央に。
柔らかな蜂蜜餡。
「固定具を表していますの」
エレナ様が言いました。
用務員は。
たぶん意味が分かっていません。
でも。
「美味しいです」
笑いました。
それで十分です。
◇
王家資料の写しは。
昼前に届きました。
王宮から派遣された文書官。
白手袋。
硬い筒箱。
封印。
原本ではありません。
ですが。
王家の資料保管室で作成された正式な写しです。
紙質。
文字。
紋章の位置。
すべて。
当時の形をできる限り再現しています。
開放学習室の机。
白い布。
その上へ。
一点ずつ置かれました。
「おお……」
殿下が。
思わず声を漏らしました。
王太子である殿下でも。
こうした資料を間近に見る機会は多くありません。
一点目。
百年前の王妃が。
地方貴族を春の庭へ招いた際の記録。
二点目。
三代前の国王による、非公式な朝食会への招待状。
三点目。
王宮茶会後の返礼文。
すべて。
美しい文字。
形式。
でも。
書かれているのは。
ただの礼儀ではありません。
誰へ。
なぜ来てほしいのか。
何を受け取ったのか。
相手との関係を。
言葉で形にした記録です。
「こちらが、王妃の記録です」
文書官が言いました。
「左下の印は、当時の私印です」
殿下が。
身を乗り出しそうになりました。
ですが。
資料へ近づきすぎない。
白手袋。
距離。
すぐに戻ります。
「説明用注釈は?」
レオン様が尋ねました。
文書官が。
別の紙を出しました。
「王家確認済みです。ただし、政治的背景へ触れる部分は展示しないでください」
「はい」
「王妃が地方貴族の領地事情を聞いたことは説明可能です」
「はい」
「具体的な争いの内容は不可」
「承知しました」
殿下は。
資料を見ながら。
三文説明を考えているのでしょう。
口が少し動きます。
ナリア様が。
横から静かに言いました。
「まだ、説明しなくて大丈夫です」
殿下が。
少し恥ずかしそうにしました。
「考えていた」
「分かりました」
「長くなりそう?」
「今のお顔は、少し」
殿下は。
口を閉じました。
「三文」
「はい」
二人のやり取りに。
文書官が。
ほんの少し口元を緩めました。
王太子殿下が。
一人の令嬢から。
三文で、と止められている。
驚いたでしょう。
でも。
殿下は嫌がりません。
むしろ。
安心しているように見えます。
資料を一つずつ照合します。
文字。
注釈。
展示許可範囲。
誤りなし。
「受け取りを確認しました」
殿下が署名します。
王太子としての正式な署名。
でも。
その後。
研究会の受領記録へも。
同じように名前を書きました。
「王国史礼法研究会、資料三点受領」
レオン様が記録します。
「保管は?」
「春祭り当日まで、学園資料室の鍵付き棚」
文書官が答えます。
「使用時のみ、担当教師が出します」
「殿下が持ち帰ることは?」
「いたしません」
レオン様が即答しました。
殿下が少し不満そうな顔をします。
「聞いていない」
「念のためです」
全員が笑いました。
少しだけ。
空気が柔らかくなりました。
◇
文書官が去った後。
私たちは。
王家資料の説明原稿を、写しに合わせて調整しました。
第一資料。
王妃の園遊会記録。
殿下の三文。
「こちらは、百年前の王妃が地方貴族を春の庭へ招いた際の記録です。正式な会議ではなく茶会を選んだことで、相手が領地の事情を話しやすい場を整えました。招待文には、命令ではなく、相手の言葉を聞きたいという意図が示されています」
ナリア様の二文。
「招待する側が、自分の目的だけで相手を呼ぶのではなく、相手の話を聞く姿勢を先に伝えています。来てほしい理由を穏やかに示すことで、受け取る側が安心できる表現になっています」
五文。
自然です。
二点目。
国王の朝食会招待状。
殿下が説明し。
ナリア様が礼法を添える。
三点目。
返礼文。
感謝と。
お返しを求めすぎない表現。
ここまで。
問題ありません。
「一度、通します」
レオン様が言いました。
殿下とナリア様は。
並んで立ちました。
私たちは来場者役。
「ただいまより」
ナリア様が始めます。
「王家資料について、短いご説明をいたします。そのまま資料をご覧になりながらお聞きください」
殿下が続けます。
三文。
ナリア様。
二文。
次の資料。
また三文。
二文。
自然です。
ですが。
三点目。
返礼文。
殿下が。
少しだけ長くなりました。
「こちらは、王宮茶会の後に送られた返礼文です。茶会への感謝だけでなく、相手の話を聞けたことや、心配りを受け取ったことが具体的に記されています。さらに、次の招待を強く求めず――」
四文目へ入りました。
ナリア様が。
小さく。
「殿下」
呼びました。
声は柔らかい。
殿下が止まります。
「三文です」
「はい」
すぐ戻りました。
「失礼しました」
来場者役の私たちへ謝ります。
でも。
大げさではありません。
ナリア様が自然に補足します。
「感謝を伝えながら、次のお返しを求めすぎないことで、相手へ新しい負担をかけない返礼文になっています」
流れは崩れません。
練習終了。
「三点目で四文」
レオン様が記録しました。
「一文削除」
「はい」
殿下は素直です。
ナリア様へ向き直りました。
「止めてくれてありがとう」
「はい」
ナリア様も。
自然に答えました。
同行役として。
とても良いです。
◇
午前の作業が一段落した頃。
ナリア様は。
机の端に置いていた小さなノートを、ようやく手へ取りました。
私は。
その動きに気づきました。
殿下も。
気づいたでしょう。
でも。
誰も何も言いません。
ナリア様は。
ノートを開きませんでした。
ただ。
表紙へ指を置き。
少し考えています。
エレナ様とレオン様も。
何かを察したようでした。
「午後の印刷工房確認は」
レオン様が言いました。
「私とバートン嬢で行きます」
エレナ様が、レオン様を見ました。
一瞬だけ。
なぜ自分も。
という顔です。
ですが。
すぐ理解したのでしょう。
「承知しましたわ」
「ルイート嬢は?」
「私は」
私は少し考えました。
「展示板の注釈案を、別室で整理します」
殿下と。
ナリア様。
二人だけ。
完全な密室にはしません。
開放学習室。
扉は開いている。
廊下には教師もいます。
でも。
話せる空間を残す。
殿下が。
少し緊張したように私を見ました。
私は。
小さく頷きました。
心得。
覚えています。
逃げません。
でも。
私たちが横で聞く話でもありません。
エレナ様が。
今日は菓子を置いていきませんでした。
たぶん。
食べ物で空気を変える場面ではないと思ったのでしょう。
珍しい。
でも。
正しいです。
「では、後ほど」
私たちは。
それぞれ学習室を出ました。
扉は。
半分開いたまま。
中には。
殿下とナリア様。
二人。
◇
開放学習室には。
時計の音がありません。
でも。
窓の外から。
春祭り準備の音が聞こえます。
木を打つ音。
布を引く音。
遠くの楽器。
誰かの笑い声。
日常は。
いつも通り続いています。
その中で。
殿下は。
ナリア様の向かいへ座っていました。
小さなノート。
机の上。
「殿下」
ナリア様が言いました。
「はい」
「今」
少しだけ息を吸います。
「少しだけ、お話ししてもよろしいですか」
来ました。
殿下の身体が。
ほんの一瞬、固まりました。
でも。
逃げません。
「はい」
短く答えました。
「聞かせてほしい」
ナリア様は。
ノートを開きました。
文字が書かれています。
たぶん。
言葉を整理してきたのでしょう。
「全部ではありません」
「はい」
「今日は、一つだけ」
「はい」
殿下は。
手を膝の上へ置きました。
口を挟まないため。
自分を保つため。
「以前」
ナリア様が始めました。
「学園の廊下で、殿下とすれ違った時のことです」
殿下は。
すぐには思い出せませんでした。
表情に出ます。
でも。
「いつ?」
とは尋ねません。
ナリア様が続けます。
「私が、礼法授業の資料を抱えていました」
「はい」
「殿下へ礼をした後、紙を一枚落としました」
殿下の目が。
少し動きました。
記憶の奥。
何かが。
ぼんやり浮かんだのでしょうか。
「殿下が、拾ってくださいました」
「はい」
「私は、お礼を申し上げました」
「はい」
「その時」
ナリア様の指が。
ノートの端を、少し強く握りました。
「殿下は」
声が。
ほんの少し震えます。
「『君は本当に、僕の前でまで鈍いのだな』と」
殿下の顔から。
血の気が引きました。
覚えている。
たぶん。
言った。
言ったのでしょう。
好きな令嬢へ。
紙を拾って渡し。
本当は。
大丈夫か。
手伝おうか。
そう言いたかった。
でも。
出たのは。
『君は本当に、僕の前でまで鈍いのだな』
殿下の口が動きました。
「ご――」
謝罪。
出そうになりました。
でも。
止めました。
心得。
『すぐ謝らない』
殿下は。
両手を握りました。
「……はい」
それだけ。
ナリア様は。
少し驚いたように殿下を見ました。
すぐ謝られると思っていたのかもしれません。
でも。
話を続けます。
「周りには」
「はい」
「何人か、生徒がいました」
「はい」
「殿下のご友人も」
「はい」
「皆様」
少し言葉が詰まりました。
「笑われました」
殿下の表情が。
さらに苦しくなります。
でも。
まだ。
何も言いません。
「大きな笑いではありません」
ナリア様は続けました。
「少しだけです」
「はい」
「殿下も、たぶん」
殿下を見ます。
「私を笑わせようとされたわけではないと思います」
「……はい」
「でも」
ナリア様の声が。
少しずつ低くなりました。
「私は、恥ずかしかったです」
「はい」
「紙を落としただけで」
「はい」
「殿下の前にいると、そんなことまで見られるのだと思いました」
殿下は。
呼吸が浅くなっています。
でも。
まだ待ちます。
「その後」
ナリア様は。
ノートへ視線を落としました。
「廊下で殿下を見かけると」
「はい」
「何か落とさないように」
「はい」
「礼を間違えないように」
「はい」
「歩き方まで、おかしくならないように」
少しだけ笑おうとしました。
でも。
笑えませんでした。
「とても気をつけるようになりました」
殿下の目に。
涙が浮かび始めます。
ですが。
ナリア様は。
まだ話し終えていません。
「殿下の前では」
言葉を探します。
「普通に歩くことが、できなくなりました」
殿下の手が。
強く握られました。
歩幅。
昨日。
一緒に歩いた時。
普通で大丈夫です、と。
ナリア様は言いました。
あの言葉の裏に。
こんな記憶があった。
「私は」
ナリア様は続けました。
「殿下が怖かったというより」
少し考えます。
「殿下の前にいる自分が、怖かったのだと思います」
殿下の眉が。
わずかに寄りました。
「また何か失敗するかもしれない」
「はい」
「また、皆様に笑われるかもしれない」
「はい」
「殿下の前へ出ると、自分がとても鈍くて、恥ずかしい人間になるように感じました」
殿下の涙が。
一粒。
落ちました。
でも。
拭いません。
ナリア様へ慰めを求めません。
「今でも」
ナリア様は。
少し迷いながら言いました。
「殿下と廊下を歩く時」
「はい」
「最初の一歩だけ」
殿下を見ました。
「少し、足元を気にします」
殿下の目が。
大きく揺れました。
今も。
傷は。
完全に消えていません。
会場確認。
同行練習。
帰り道。
ナリア様は笑っていました。
普通に歩けると。
そう見えました。
でも。
最初の一歩だけ。
まだ。
殿下の前で失敗しないように。
足元を確認している。
殿下の口が。
何度も動きました。
謝りたい。
ごめん。
申し訳ない。
今すぐ言いたい。
でも。
ナリア様の話は。
まだ終わっていません。
「それでも」
ナリア様は言いました。
「最近は」
「はい」
「殿下が、私の歩幅を気にしてくださるので」
「はい」
「少しずつ」
声が。
ほんの少し柔らかくなりました。
「普通に歩いてもよいのだと思えるようになりました」
殿下の涙が。
また落ちました。
「昨日」
ナリア様は続けます。
「殿下が、歩幅を合わせすぎて、かえって不自然になっていらした時」
ほんの少し。
笑いました。
「はい」
殿下も。
泣きながら。
小さく答えました。
「少し、可笑しかったです」
「はい」
「でも」
ナリア様は。
ノートを閉じました。
「嬉しかったです」
そこで。
話が終わりました。
長い沈黙。
殿下は。
すぐ謝りませんでした。
終わったのか。
まだ続くのか。
確かめるように。
少し待ちます。
ナリア様も。
黙っています。
やがて。
「今日は」
ナリア様が言いました。
「ここまでです」
殿下が。
ゆっくり頷きました。
「はい」
そして。
すぐに謝罪しそうになり。
もう一度。
呼吸しました。
「少しだけ」
掠れた声。
「待ってもらってもいい?」
ナリア様は。
驚いたように目を瞬かせました。
でも。
頷きます。
「はい」
殿下は。
両手を膝の上へ置いたまま。
下を向きました。
逃げません。
立ちません。
池へも行きません。
ただ。
呼吸します。
一度。
二度。
三度。
涙が。
静かに落ちます。
ナリア様は。
何も言いません。
慰めません。
でも。
席を立ちませんでした。
待っています。
今まで。
殿下がナリア様の言葉を待ったように。
今度は。
ナリア様が殿下の呼吸を待っています。
しばらくして。
殿下が顔を上げました。
「聞かせてくれて、ありがとう」
最初に。
感謝を言いました。
謝罪ではありません。
話してくれたことを。
受け取ります。
ナリア様の目元が。
少し柔らかくなりました。
「はい」
殿下は。
次の言葉を。
慎重に選びます。
「紙を落としたことを」
声が震えます。
「君の鈍さのように言った」
「はい」
「周りが笑う場所で」
「はい」
「君が恥ずかしいと感じたことも」
「はい」
「僕の前で、普通に歩けなくなったことも」
「はい」
「今も、最初の一歩で足元を見ることも」
一つずつ。
ナリア様が話したことを。
自分の言葉で確認します。
言い訳をしません。
軽くしません。
「聞きました」
殿下は言いました。
ナリア様の目に。
少し涙が浮かびました。
「はい」
「そして」
殿下は。
ようやく。
謝罪へ進みます。
「申し訳なかった」
深く。
頭を下げました。
「僕は」
言いかけ。
止まります。
説明。
あの時は好きで。
本当は心配していて。
そんな言い訳を。
今はしません。
「君を、皆の前で恥ずかしい思いにさせた」
「はい」
「その後も、僕の前で自分を気にし続けるようにした」
「はい」
「本当に、申し訳なかった」
ナリア様は。
すぐに許すと言いませんでした。
大丈夫とも。
もう気にしていないとも。
長い沈黙。
殿下は。
頭を下げたまま。
許しを求めません。
「顔を」
ナリア様が言いました。
「上げてください」
殿下が。
ゆっくり顔を上げます。
「私は」
ナリア様は。
少し考えながら言いました。
「今のお話だけで、すべて気にならなくなったわけではありません」
「はい」
殿下は受け取ります。
「でも」
「はい」
「最後まで聞いていただけたことは」
目元の涙を。
一度だけ拭いました。
「嬉しかったです」
殿下の顔が。
また崩れそうになりました。
でも。
踏みとどまります。
「ありがとう」
短く。
それだけ。
ナリア様も。
「はい」
答えました。
「これから」
殿下が言いました。
「僕と歩く時」
少し言葉を探します。
「足元を見なくてよいと言いたい」
「はい」
「でも」
すぐに変えようとするのは違う。
心得。
思い出しました。
「今すぐ、そうならなくていい」
ナリア様が。
殿下を見ました。
「はい」
「僕が」
殿下は。
ゆっくり続けます。
「君が普通に歩いても、失敗しても、紙を落としても」
少し声が震えました。
「笑わないことを」
「はい」
「これから、見てもらうしかないと思う」
とても良い言葉でした。
大丈夫だと。
今すぐ信じてほしいとは言いません。
行動で。
時間をかけて。
見てもらう。
ナリア様は。
少し長く殿下を見ました。
「はい」
やがて。
柔らかく頷きました。
「見ています」
殿下の目に。
また涙が浮かびます。
でも。
今度は。
苦しさだけではありません。
「ありがとう」
今日。
何度目かの短い感謝。
でも。
すべて違う意味です。
◇
廊下の別室で。
私は。
注釈案を整理しながら。
時間を見ていました。
扉の向こうから。
声は聞こえません。
開放学習室の扉は半分開いていますが。
距離があります。
私たちは。
内容を知る必要はありません。
エレナ様とレオン様が。
印刷工房から戻ってきました。
「まだ?」
エレナ様が小さく尋ねます。
「はい」
「大丈夫でしょうか」
「分かりません」
私は正直に答えました。
「でも、二人とも出てきていません」
「はい」
「話を続けられているのだと思います」
レオン様は。
手にしていた印刷見本を机へ置きました。
「急かさない方がよい」
「はい」
エレナ様も。
菓子箱を開きません。
珍しいです。
しばらくして。
開放学習室の中で。
椅子が動く音がしました。
私たちは。
すぐに扉へ向かいません。
待ちます。
やがて。
殿下とナリア様が。
廊下へ出てきました。
殿下の目元は。
赤い。
ナリア様も。
少し泣いた跡があります。
ですが。
二人とも。
崩れてはいません。
同じ距離で。
並んで出てきました。
私は。
何も尋ねませんでした。
「印刷見本」
レオン様が。
いつも通り言いました。
「修正版が届きました」
殿下が。
一瞬だけ驚き。
その後。
少し安心したように頷きました。
「確認する」
日常へ戻る。
でも。
話が消えたわけではありません。
二人の中に。
残っています。
ナリア様も。
「見せてください」
席へ戻りました。
エレナ様は。
やはり。
まだ菓子箱を開きません。
今は。
甘さを入れるより。
静かな時間を残す方がよいと。
分かっているのでしょう。
◇
印刷見本の修正は。
わずかでした。
裏面の最後の一文。
『ご自身の言葉を、ご自身の速さでお持ち帰りください』
文字が。
一段大きくなっています。
全員で確認します。
「読みやすい」
殿下が言いました。
「はい」
ナリア様も。
少し掠れた声で答えました。
「この大きさで」
「採用」
レオン様が記録します。
会場用。
百五十枚。
持ち帰り用。
百枚。
印刷開始。
展示板固定具。
茶色へ塗装。
王家資料。
受領済み。
今日の予定は。
ほぼ終わりました。
でも。
研究会の空気は。
いつもより静かです。
誰も。
無理に明るくしません。
エレナ様が。
最後になって。
ようやく菓子箱を開きました。
「本日の分ですわ」
声は。
とても控えめです。
箱の中には。
小さな、何の飾りもない丸い蜂蜜菓子。
花も。
封筒も。
道も。
ありません。
「今日は、普通の形ですね」
私が言うと。
エレナ様は頷きました。
「はい」
「意味は?」
殿下が尋ねます。
「意味をつけない日があってもよいと思いましたの」
室内が。
少しだけ静かになります。
「ただ」
エレナ様は続けました。
「甘いものを食べて、息をついていただければ」
殿下が。
菓子を見ました。
ナリア様も。
一つずつ。
全員で食べます。
普通の形。
普通の蜂蜜。
でも。
今日の私たちには。
それがちょうどよかった。
「美味しい」
ナリア様が言いました。
「ありがとうございます」
エレナ様は。
いつものように微笑みました。
それだけ。
誰も。
何があったのか聞きません。
殿下が泣いた理由も。
ナリア様の目元が赤い理由も。
今は。
二人のものです。
◇
研究会が終わる頃。
殿下は。
今日の心得紙を手に取りました。
『ナリアが過去の話を始めても、すぐ謝らない』
『話を最後まで聞く』
『言い訳をしない』
『自分を悪者にして話の中心を奪わない』
『許してほしいと求めない』
『聞いた後も、すぐ全部を直そうとしない』
その一つ一つへ。
小さな印をつけました。
できた。
完全ではありません。
涙も出ました。
謝罪も。
かなり早くしたかった。
でも。
待てました。
最後まで。
「殿下」
ナリア様が声をかけました。
「はい」
「心得紙」
少しだけ笑います。
「全部、できましたか?」
殿下は。
正直に考えました。
「全部ではない」
「どこが?」
「自分を悪者にしたくなった」
「はい」
「君の前で泣いた」
「はい」
「すぐ全部を直したくなった」
「はい」
「でも」
少しだけ。
ナリア様を見ます。
「止めた」
ナリア様は。
穏やかに頷きました。
「はい」
「話を最後まで聞けた?」
「はい」
迷いのない答えでした。
殿下の目元が。
また少し潤みます。
でも。
今度は。
笑いました。
「よかった」
ナリア様も。
少しだけ笑いました。
「ありがとうございました」
殿下が。
目を見開きます。
「僕に?」
「はい」
「話を聞いたことへ?」
「はい」
ナリア様は。
ノートを胸元へ抱えました。
「言おうと決めても、怖かったので」
殿下の表情が。
また痛みます。
でも。
自分を責めません。
まず受け取ります。
「怖かったのに」
ゆっくり言いました。
「話してくれて、ありがとう」
「はい」
短い。
でも。
今日の二人には。
十分です。
◇
帰り道。
夕方の廊下は。
春祭り準備を終えた生徒たちで賑わっていました。
「固定具、明日塗装だそうです」
「資料の写しも届いたとか」
「本物ではないのよね?」
「正式な写しですって」
「見たいですわ」
「体験紙の印刷も始まるそうです」
「図書室分、なくならないかしら」
「補充されるでしょう」
準備は。
確実に進んでいます。
殿下とナリア様は。
いつものように。
少し前を歩いていました。
ですが。
今日。
殿下は。
歩き始める前に。
ナリア様の足元を見ませんでした。
歩幅を。
過剰に合わせようともしません。
自分の歩幅で。
ゆっくり。
一歩。
ナリア様も。
一瞬だけ足元を見ました。
殿下は。
何も言いません。
見なかったふりもしません。
ただ。
待ちます。
ナリア様が顔を上げ。
歩き始めるまで。
ほんの少しだけ。
速度を落としました。
二人の歩幅が。
自然に重なります。
「殿下」
ナリア様が言いました。
「はい」
「今」
少しだけ迷います。
「私が足元を見たことに、気づきましたか」
殿下は。
嘘をつきません。
「はい」
「何も言われませんでしたね」
「はい」
「なぜですか?」
殿下は。
少し考えました。
「言わない方がいいと思った」
「はい」
「大丈夫だとも」
「はい」
「もう見なくていいとも」
「はい」
「君が顔を上げるまで、待とうと思った」
ナリア様は。
しばらく黙りました。
夕方の風が。
廊下の窓から入ります。
春祭り用の細い花布が。
小さく揺れました。
「ありがとうございます」
ナリア様は言いました。
殿下も。
「はい」
今度は。
ありがとうへ、ありがとうを重ねません。
受け取るだけです。
少し歩いた後。
ナリア様が。
ほんの少しだけ笑いました。
「今日は」
「はい」
「一歩目だけでした」
殿下の表情が。
静かに変わります。
喜び。
でも。
大きくしません。
「分かった」
短く答えました。
「見ている」
ナリア様が。
殿下を見ます。
「はい」
以前。
ナリア様は。
殿下の前で。
何かを落とさないように。
笑われないように。
自分を監視していました。
今は。
殿下が。
ナリア様を監視するのではなく。
変わろうとする自分を。
見てもらおうとしています。
見てほしい。
でも。
すぐ信じてほしいとは言わない。
時間をかける。
それが。
今日の謝罪の続きです。
私は。
少し後ろから。
二人を見守りました。
エレナ様が隣へ来ます。
「マリア様」
「はい」
「今日は」
少し言葉を選びます。
「聞けたのでしょうか」
私は。
内容を知りません。
でも。
二人の歩き方を見れば。
少し分かります。
「はい」
答えました。
「たぶん」
「殿下、池へ行きませんでした」
「はい」
「ナリア様も、一緒に出てこられました」
「はい」
「よかったですわね」
「はい」
レオン様は。
少し前から。
いつものように言いました。
「明日は王家資料の展示注釈を清書します」
「分かっています」
私たちは。
小さく笑いました。
現実。
次の作業。
その積み重ねが。
二人を。
過去の傷の中だけへ閉じ込めません。
今日。
一つ話した。
明日。
また準備をする。
それでよいのです。
王太子殿下。
今日のあなたは。
ナリア様が過去に傷ついた日のことを、最後まで聞きました。
紙を一枚落としただけで。
皆の前で鈍いと言われ。
笑われ。
それから長い間。
あなたの前では、普通に歩くことさえ怖くなっていた。
その話を。
言い訳せず。
途中で謝罪を重ねず。
自分の涙で奪わず。
聞くことができました。
そして。
大丈夫だと。
もう気にしなくてよいと。
急いで上書きしませんでした。
今すぐ信じてほしいとも。
許してほしいとも求めませんでした。
これから。
紙を落としても笑わないこと。
失敗しても傷つけないこと。
普通に歩いてよい相手になること。
その姿を、時間をかけて見てもらうと伝えました。
謝罪とは。
一度の言葉で過去を消すことではありません。
傷ついた人の話を聞き。
自分がしたことを知り。
その後の日々で。
同じ傷を作らない行動を重ねることです。
どうか。
今日、話を聞けたことを。
ナリア様に許された証だとは思わないでくださいませ。
傷は。
まだ残っています。
最初の一歩で。
今も足元を見るほどに。
でも。
今日。
ナリア様は。
その傷を一つ。
あなたへ見せてくださいました。
それは。
許したからではなく。
あなたなら、話を最後まで聞けるかもしれないと。
少しだけ信じてくださったからです。
その信頼を。
大きな約束で返さず。
明日の一歩で返してください。
同じ道を。
急がず。
笑わず。
相手が顔を上げるまで待ちながら。
一緒に歩いていくことで。




