第60話 王太子殿下、隣に立つ役目を恋の褒美にしない
望んでいたことが、役目として与えられる時。
人は、少し困ります。
本当は嬉しい。
ずっと、そうなればよいと思っていた。
できることなら、その人の隣に立ちたい。
同じ場所を歩き。
同じものを見て。
自分の言葉へ、その人の言葉を重ねてもらいたい。
けれど。
それが正式な役目として決まった瞬間から、ただ喜んでいるだけではいられなくなります。
隣に立つことには、責任が生まれます。
自分が嬉しいからではなく。
その人が安心して役目を果たせるように。
周囲が困らないように。
その場の目的が失われないように。
与えられた距離を、私的な気持ちで狭めすぎないように。
喜びと責任。
その二つを、どちらも捨てずに持つ。
今のアルノルド殿下にとって、それは決して簡単なことではありませんでした。
東校舎一階の小講義室で、初めての会場確認を行った翌朝。
アルスード学園は、昨日までとは少し違う色に見えました。
春祭り用の飾りが増えたからでしょうか。
廊下の窓辺には細い花布が結ばれ、柱の間には小さな木札が並んでいます。
まだ正式な案内文が書かれていない札もありました。
白い木肌のまま、これから何かを記される時を待っています。
中庭では、下級生たちが花壇の周りを囲み、植え替える花の順番を相談していました。
「黄色はこちらです」
「でも、入口から見ると青が隠れてしまいます」
「では、少しずらしましょう」
「先生、これくらいでよろしいですか?」
遠くでは、騎士科の生徒たちが演武場の縄を張り直しています。
音楽研究会の練習室からは、同じ小節が何度も何度も聞こえてきました。
一度弾き。
止まり。
誰かが意見を言い。
また最初から。
春祭りへ向かう学園全体が、昨日の私たちと同じことをしています。
一度決めたものを。
実際の場所で確かめ。
直し。
誰かのために整えている。
私は、その様子を眺めながら開放学習室へ向かいました。
扉を開けると。
アルノルド殿下は、もう来ていました。
机の中央には、会場配置図。
昨日の実地確認で書き直した正式案。
その横には。
今日の役割分担表。
そして。
いつもの心得紙です。
私は挨拶をするより先に、心得紙の一番上へ視線が吸い寄せられました。
『同行役にナリアが決まっても喜びすぎない』
まだ決まっていません。
今日決める予定です。
ですが。
殿下の中では、かなり期待が膨らんでいるのでしょう。
その下。
『決まらなくても落ち込まない』
『役目を恋の褒美だと思わない』
『必要な時だけ話す』
『歩幅を合わせすぎない』
『近くにいるからと見すぎない』
『終わった後に特別な御礼をしようとしない』
『正式決定前に未来を想像しすぎない』
最後の一文。
もう遅い気がします。
「ごきげんよう、殿下」
「ルイート嬢、ごきげんよう」
殿下は、いつも通り答えました。
ですが。
声が少し硬い。
私は鞄を置き、向かいへ座りました。
「殿下」
「はい」
「かなり緊張されていますね」
「分かるか」
「分かります」
殿下は少し視線を落としました。
役割分担表。
まだ名前は入っていません。
受付。
展示案内。
体験紙補助。
茶席。
記録。
殿下参加時の同行役。
それぞれの時間帯。
その空欄が、殿下にはやけに大きく見えているのでしょう。
「昨日、ナリアは楽しかったと言ってくれた」
「はい」
「一緒に説明すると、資料が分かりやすくなるとも」
「はい」
「レオンも、同行役として適性が高いと言った」
「はい」
「なら」
殿下は、そこで口を閉じました。
「なら、ナリア様で決まりだと思いますか?」
「……思いたくなる」
正直です。
「ですが?」
「他の役割との兼ね合いを見る」
「はい」
「僕の気持ちで決めない」
「はい」
「必要な人が、必要な場所に立つ」
殿下は自分へ言い聞かせるように答えました。
私は頷きました。
「とてもよく分かっておられます」
「分かっているが」
殿下は役割分担表を見つめました。
「もし、ナリアが茶席から離れられないと言われたら」
「他の方が同行役になります」
「はい」
「もし、私が担当することになったら」
「ルイート嬢が案内する」
「はい」
「レオンなら」
「レオンが」
「エレナなら」
「移動前に蜂蜜菓子を食べさせられる」
「そこは避けたい」
殿下が少しだけ笑いました。
よかったです。
緊張が少し緩みました。
「誰が担当しても、研究会として必要な役目です」
「分かっている」
「ナリア様が担当なら?」
殿下の表情が、また少し硬くなります。
「嬉しい」
「はい」
「でも、嬉しいだけでは駄目だ」
「駄目ではありません」
殿下が顔を上げました。
「嬉しいと思うことまで、やめる必要はありません」
「よいのか」
「はい。大切なのは、その嬉しさを役目へ持ち込みすぎないことです」
「役目へ持ち込みすぎない」
「ナリア様が隣にいるから長く話す。必要のない場所まで一緒に行こうとする。終わった後に二人だけの特別な時間を求める。そういうことは避けるべきです」
殿下は真剣に頷きました。
「担当時間が終われば、ナリアは自分の持ち場へ戻る」
「はい」
「僕も準備室へ戻る」
「はい」
「同行役は、春祭り中ずっと隣にいる役ではない」
「非常に大切です」
殿下は、心得紙へ新しく書き足しました。
『同行役は半刻の役目。終われば離れる』
少し寂しい文です。
ですが、正しい。
ナリア様にはナリア様の担当があります。
殿下のためだけに春祭りへ参加するわけではありません。
「殿下」
「はい」
「寂しいですか?」
私は、あえて尋ねました。
殿下は少し黙りました。
「少し」
「正直でよろしいです」
「だが」
「はい」
「半刻でも、一緒に役目を果たせるなら嬉しい」
その言葉は、思っていたより穏やかでした。
以前の殿下なら。
半刻しかない。
もっと話したい。
もっと隣にいたい。
そう思ったでしょう。
今は。
半刻でも。
その時間を大切にしようとしています。
「その気持ちなら、大丈夫だと思います」
私が言うと、殿下は少しだけ安心したように頷きました。
◇
レオン様は、今日も時間通りに入ってきました。
手には、昨日の実地確認結果を反映した正式な配置図。
さらに。
当日の時間割表。
殿下が参加する二つの時間帯は、一般公開用ではないため赤い印だけで示されています。
その直後。
エレナ様も入ってきました。
今日は菓子箱に加え、薄い冊子を持っています。
「何ですか、それは」
私が尋ねると。
「茶席の運営手順ですわ」
冊子の表紙には、エレナ様の上品な文字。
『春祭り茶席 提供順序と確認事項』
中には。
茶器の準備。
紅茶の温度。
菓子を置く時間。
材料表示。
着席後の案内。
終了時の片付け。
かなり細かく書かれています。
「いつ作ったのですか?」
「昨夜ですわ」
「眠れましたか?」
「もちろんです」
エレナ様の目元に疲れはありません。
蜂蜜菓子に関わることでは、体力が無限になるのでしょうか。
レオン様が冊子を受け取り、確認します。
「茶席担当が交代しても、同じ運営ができます」
「そのためですわ」
「良いです」
珍しく、即座に高い評価です。
エレナ様が、とても嬉しそうに微笑みました。
「ありがとうございます」
殿下は、二人のやり取りを聞きながらも。
視線が何度も扉へ向かいます。
ナリア様を待っています。
見すぎ。
ではありますが。
まだ許容範囲でしょう。
私は咳払いせずに見守りました。
扉が叩かれます。
「ごきげんよう」
ナリア様が入ってきました。
腕には。
昨日、会場で使った仮札。
そして、資料説明用の三文原稿。
殿下は立ち上がりました。
「ナリア、ごきげんよう。今日も来てくれてありがとう」
「ごきげんよう、殿下。本日もよろしくお願いいたします」
ナリア様は席へ着く前に、役割分担表へ気づきました。
ほんの少しだけ。
足が止まりました。
同行役。
今日決まります。
ナリア様も、意識しているのでしょう。
殿下は。
何か言いかけました。
でも。
正式な話し合いの前に、個人的に期待を伝えてはいけません。
ナリア様へ圧をかける可能性があります。
殿下は口を閉じました。
「昨日の説明原稿を直したのか?」
別の話題へ移しました。
「はい。殿下のお話に続けやすいように、少しだけ」
「見せてもらっても?」
「もちろんです」
ナリア様が紙を差し出します。
二人は、役割の話を避けているわけではありません。
正式な場で決めるために、今は触れない。
その配慮ができています。
殿下は原稿を読みました。
「短い」
「はい。殿下の三文に、私が二文です」
「五文」
「長いでしょうか?」
「いや」
殿下は首を横に振りました。
「歴史の背景と、礼法の意味。両方で五文なら、分かりやすい」
「よかったです」
ナリア様の表情が柔らかくなりました。
殿下も。
「昨日、一緒に説明した時より、さらに短い」
「殿下が三文でまとめてくださるので、私も必要なことだけにできます」
「僕が短くすると、ナリアも話しやすい?」
「はい」
ナリア様は、少し考えてから続けました。
「殿下がすべて説明しきらず、私の言葉を置く場所を残してくださるので」
殿下が止まりました。
強い言葉です。
私の言葉を置く場所を残してくれる。
まさに。
この物語の中心にあるものです。
以前の殿下は。
言えないか。
言いすぎるか。
どちらかでした。
今は。
自分の言葉を置き。
相手の言葉の場所も残せます。
殿下は。
長い言葉を返しそうになりました。
ですが。
呼吸します。
「それなら、よかった」
短く答えました。
ナリア様は微笑みました。
「はい」
今日の役割分担が決まる前から。
二人が一緒に説明する意味は、もう十分に見えています。
◇
午前の研究会は。
役割を決める前に。
まず当日の全体運営を、一つずつ確認するところから始まりました。
春祭り当日。
研究会の会場は、開場前の準備を含めて一日運営です。
受付。
展示案内。
体験紙の補助。
茶席。
記録。
休憩。
殿下参加時の対応。
五人だけですべてを回すため。
同じ人が一日中同じ役をすることはできません。
交代が必要です。
「受付は、来場者へ最初の案内をする役です」
レオン様が言いました。
「企画の概要。内容を見せなくてよいこと。会場で直接相手へ渡せないこと。混雑時の整理札。茶席予約の確認」
「かなり多いですね」
ナリア様が言いました。
「はい」
「一度に全部を言うと、来場者が混乱しそうです」
私も頷きます。
「必要な方へ必要な説明を分けましょう」
受付では。
まず三文。
『招待と感謝の言葉を考える展示です。内容を研究会へ見せる必要はありません。会場で相手へ直接渡すことはできません』
茶席を希望する方には。
予約札。
混雑時には。
整理札。
追加説明は必要な時だけ。
「受付担当は、相手の様子を見て説明を分けられる人がよい」
殿下が言いました。
「ルイート嬢か、ナリア」
私は頷きました。
ナリア様も。
「はい」
「ただし」
レオン様が続けます。
「クラウゼン嬢は、礼法解説と茶席補助の中心です。受付へ長く置くと、他の担当が不足します」
殿下の表情が、わずかに動きました。
役割の兼ね合い。
ナリア様が忙しい。
同行役から外れる可能性。
ですが。
殿下は口を挟みません。
まず全体を聞きます。
茶席。
エレナ様は中心担当。
茶器、茶菓、提供順序。
ただし。
茶席の言葉相談は、ナリア様か私が入る必要があります。
レオン様は、時間記録と全体調整。
私は受付と王国史展示。
殿下は限定時間の王家資料説明。
ナリア様は礼法展示と体験紙。
「このままだと」
レオン様が時間割表へ線を引きました。
「殿下の第一参加時間は、クラウゼン嬢が体験紙担当。第二参加時間は、茶席補助です」
殿下の表情が、ほんの少し沈みました。
同行役に入れません。
ナリア様も、役割表を見つめました。
ですが。
これは全体を回すための配置です。
誰も、すぐには口を開きません。
沈黙。
殿下は。
何か言いそうでした。
体験紙担当を他の人へ。
茶席を短く。
そうすればナリア様が同行できる。
でも。
それでは、自分の希望から役割を動かすことになります。
心得。
『役目を恋の褒美だと思わない』
殿下は、黙りました。
それだけでも。
とても頑張っています。
ナリア様が。
時間割表を見ながら静かに言いました。
「第一参加時間の体験紙担当は、マリア様と交代できませんか?」
全員がナリア様を見ました。
私も。
「私と?」
「はい」
ナリア様は少し緊張しながら説明します。
「その時間、マリア様は王国史展示の担当です。殿下が資料説明をされる間は、展示案内が一時的に重なります」
「確かに」
私は表を見ます。
殿下が説明するなら。
王国史展示には殿下自身がいます。
私は一時的に体験紙へ移れます。
「でも」
ナリア様は続けました。
「私が同行役になると決まったわけではありません」
自分から言いました。
殿下が期待しすぎないように。
「役割上、その時間だけ移動可能になる、という案です」
レオン様が考えます。
「可能です」
殿下の顔が。
明るくなりかけました。
ですが。
まだです。
「第二参加時間は?」
殿下が尋ねました。
自分から、全体を確認します。
「その時間は、茶席補助が必要です」
レオン様が答えます。
「クラウゼン嬢は離れられません」
殿下は。
少しだけ寂しそうに頷きました。
「分かった」
「第二は、ルイート嬢か私が同行できます」
「はい」
半刻二回。
そのうち一回だけ。
ナリア様が同行できる可能性があります。
以前の殿下なら。
二回とも、と望んだでしょう。
今は。
一回でも。
必要な役割として受け取ろうとしています。
「第一参加時間について」
レオン様は、条件表を確認しました。
「クラウゼン嬢が同行役。ルイート嬢が体験紙へ移動。殿下の説明終了後、クラウゼン嬢は礼法展示へ戻る」
書き込みます。
「第二参加時間は、ルイート嬢が同行役。クラウゼン嬢は茶席補助」
全体が回ります。
誰か一人へ負担を寄せすぎません。
私は頷きました。
「問題ありません」
エレナ様も。
「茶席は、ナリア様がいてくださる方が安心ですわ」
ナリア様も、少し緊張しながら頷きました。
「承知しました」
レオン様が。
役割分担表へ正式に書きました。
『第一参加時間 同行役 ナリア・クラウゼン』
『第二参加時間 同行役 マリア・ルイート』
決まりました。
ついに。
殿下とナリア様が。
春祭り当日。
正式な役割として並びます。
半刻。
一度だけ。
殿下は。
役割表を見つめました。
長いです。
かなり長い。
心得。
喜びすぎない。
私は声をかけようか迷いました。
ですが。
殿下は、自分で顔を上げました。
「分かった」
まず。
全体へ向けて言いました。
「この役割で進めよう」
研究会の一員としての言葉です。
それから。
ナリア様へ向き直りました。
「ナリア」
「はい」
「第一参加時間の同行役を、よろしく頼む」
声は、少しだけ硬い。
緊張しています。
でも。
重くありません。
ナリア様も、頬を赤くしながら姿勢を正しました。
「承知いたしました」
そして。
少しだけ。
ほんの少しだけ柔らかく続けます。
「殿下が説明しやすいように、ご案内いたします」
殿下の目が、明らかに揺れました。
嬉しいのです。
でも。
恋の言葉へ飛びません。
「ありがとう」
短く答えました。
それだけ。
誰も拍手はしません。
役割分担ですから。
ですが。
エレナ様が扇の陰で、ものすごく嬉しそうにしています。
私は。
少しだけ笑いました。
レオン様は。
淡々と次の担当へ進みました。
「次に、休憩時間です」
現実へ戻ります。
非常に助かります。
◇
休憩時間の配分も、重要でした。
春祭りは一日。
ずっと会場へ立ち続けるわけにはいきません。
食事。
水分。
短い休息。
そして。
他の催しを見たい時間も、少しくらいは必要です。
「研究会員だからといって、自分たちの会場だけで一日を終える必要はありません」
レオン様が言いました。
珍しく、柔らかい配慮です。
「交代で一刻ずつ休憩を取ります」
「一刻」
エレナ様が言いました。
「菓子工房の確認にも行けますわ」
「休憩です」
「工房確認も必要です」
「別に時間を取ります」
相変わらずです。
殿下も、春祭り当日は王族としての短い公式挨拶があります。
研究会の参加時間以外にも予定があります。
ナリア様は。
昼前に一度。
午後に一度。
短い休憩。
私は時間割を見ながら思いました。
二人の休憩は、重なりません。
それでよいのでしょう。
春祭りだからといって。
恋人のように一緒に回る段階ではありません。
まだ。
二人は。
研究会の仲間です。
殿下も、時間割を見ています。
休憩が重ならないことに気づいたでしょう。
でも。
何も言いません。
立派です。
「殿下」
レオン様が言いました。
「研究会参加後、王族控室へ戻ります」
「ああ」
「第一参加時間終了後に、研究会会場へ残らないでください」
完全に見抜かれています。
殿下が少し気まずそうにしました。
「分かっている」
「同行役のクラウゼン嬢も、礼法展示へ戻ります」
「はい」
ナリア様が答えました。
「扉の前で長く感想を言い合わない」
レオン様が続けます。
殿下とナリア様。
二人とも赤くなりました。
私も。
少し笑いを堪えました。
「そこまで予定に入れるのですか?」
私が尋ねると。
「動線を止める可能性があります」
レオン様は真顔です。
たぶん。
半分は実務。
半分は殿下対策です。
「感想は、研究会終了後に」
殿下が自分で言いました。
「必要なら」
「必要なら?」
エレナ様が楽しそうに聞き返しました。
「研究会として」
「はいはい」
エレナ様の返事が、少し軽いです。
殿下はさらに赤くなりました。
ナリア様は俯いています。
ですが。
嫌そうではありません。
学習室には。
少しだけ温かい空気が流れました。
◇
昼休み。
役割分担が決まったことは。
なぜか。
食堂へ着く前から、少しだけ噂になっていました。
誰が聞いたのでしょう。
開放学習室の外には、誰もいなかったはずです。
おそらく。
会場担当表の提出に向かったレオン様が、教師へ説明しているところを誰かが聞いたのでしょう。
「殿下の同行役、ナリア様だそうですわ」
「一回だけですって」
「もう一回はマリア様」
「研究会の役割でしょう?」
「分かっていますけれど」
「昨日もお二人で説明されていましたものね」
「とても自然でした」
「殿下の歴史説明に、ナリア様が礼法を添えるのでしょう?」
「素敵ですわ」
食堂のあちらこちらから。
そんな声が聞こえます。
ナリア様は。
私たちの席へ来る途中。
何人もの令嬢から声をかけられていました。
「クラウゼン様、殿下のご案内役をされるのですか?」
「春祭り当日の?」
「王家資料のご説明、楽しみにしております」
「お二人のお話、ぜひ聞いてみたいですわ」
ナリア様は。
少し困りながらも。
一人ずつ丁寧に答えました。
「はい。第一回のご説明時のみ、担当いたします」
「緊張されますか?」
「とても」
正直です。
令嬢たちが少し笑いました。
悪意のない笑いです。
「でも、クラウゼン様なら大丈夫ですわ」
「殿下も安心なさるでしょう」
「お似合いの説明役ですもの」
最後の言葉に。
ナリア様の頬が、一気に赤くなりました。
「そ、その、研究会の役割ですので」
否定の言葉。
ですが。
殿下との並びそのものを嫌がる否定ではありません。
恋愛的な意味を急がないための言葉です。
令嬢たちも、それ以上はからかいませんでした。
「もちろんですわ」
「楽しみにしております」
「頑張ってくださいませ」
彼女たちは去っていきました。
ナリア様は、ようやく私たちの席へ座りました。
深く。
小さな息を吐きます。
「お疲れ様です」
私が言うと。
「ありがとうございます」
ナリア様は、まだ頬が赤いままです。
エレナ様は。
今日も小さな包みを出しました。
「正式役割決定用ですわ」
「もう用意されていたのですか?」
「候補が決まった時点で」
「もし別の方になったら?」
「役割分担決定用にする予定でした」
万能です。
蜂蜜菓子に無駄はありません。
今日の菓子は、二つの小さな花が並んだ形でした。
ナリア様が見た瞬間。
さらに赤くなりました。
「エレナ様」
「ただの春の花ですわ」
「二つ並んでいます」
「茶席と展示の協力を表しています」
苦しいです。
ですが。
ナリア様も、本気では怒りませんでした。
一つ手に取ります。
「……美味しいです」
「ありがとうございます」
私も食べました。
二つの花がつながった形ですが。
口に入れれば、一つの菓子です。
香りは、片側が少し強く。
反対側が香ばしい。
「二つの味ですね」
私が言うと。
「互いを邪魔せず、最後に一つの甘さになりますの」
完全に殿下とナリア様です。
「研究会の役割です」
ナリア様が小さく言いました。
「もちろんですわ」
エレナ様はにこにこしています。
ナリア様は。
蜂蜜菓子を見つめながら。
少しだけ笑いました。
「でも」
小さな声。
「昨日、一緒に説明した時は、本当に話しやすかったです」
「はい」
私は頷きました。
「殿下の説明が、短かったからでしょうか」
「それもあります」
「他には?」
ナリア様は。
すぐには答えませんでした。
食堂のざわめき。
誰かの笑い声。
食器が触れる音。
その中で。
ナリア様は、自分の中の言葉を探します。
「殿下が」
ゆっくり言いました。
「私が次に何を言うか、待ってくださったので」
「はい」
「説明の途中で、急かされる感じがありませんでした」
「はい」
「ですから」
ナリア様の目元が、少し柔らかくなりました。
「隣にいても、怖くありませんでした」
私は。
一瞬、何も言えませんでした。
隣にいても、怖くない。
今の殿下には。
とても大きな言葉です。
以前。
ナリア様は。
殿下の前で、何を言われるか分からず。
冷たい言葉を受けることへ怯えていました。
今は。
隣にいても。
自分の言葉を待ってもらえると知っています。
「ナリア様」
「はい」
「その言葉は」
私は、少しだけ迷いました。
「いつか必ず、殿下へ伝えて差し上げてください」
ナリア様の頬が、さらに赤くなります。
「そのままですか?」
「そのままが一番届くと思います」
「殿下、泣きませんか?」
「かなり危険です」
「池へ行きませんか?」
「先に出口を塞いでおきましょう」
ナリア様は、思わず笑いました。
エレナ様も。
私も。
小さく笑います。
でも。
笑いの奥に。
確かな温かさがありました。
ナリア様は。
最後に。
「……いつか」
そう言いました。
また。
その言葉です。
いつか。
でも。
以前より。
その「いつか」は、ずっと近くなっているように感じました。
◇
放課後の研究会では。
正式に決まった役割をもとに。
最初の通し練習を行うことになりました。
会場は、まだ開放学習室です。
机の位置を仮に変え。
入口。
展示。
体験。
茶席。
出口。
それぞれを再現します。
エレナ様が茶席。
私は受付。
レオン様が記録。
ナリア様が体験紙と礼法展示。
殿下は。
第一参加時間を想定し、準備室役の廊下から入ります。
そして。
ナリア様が迎えに行きます。
「では、開始します」
レオン様の声。
全員の表情が変わりました。
練習です。
まず。
私が受付。
「ようこそお越しくださいました。こちらは、招待と感謝の言葉を考える展示です。書いた内容は、研究会へ見せる必要はありません」
来場者役のエレナ様が頷きます。
「茶席を希望しますわ」
「こちらの札をお持ちください。開始時刻まで、展示と体験紙をご覧いただけます」
受付は問題ありません。
次。
ナリア様の礼法展示。
正式文。
中間文。
親しい文。
同じ感謝でも。
相手との関係で変わることを、短く説明します。
「どれが正しいということではありません」
ナリア様の声は落ち着いています。
「相手が受け取りやすい形を考えるための比較です」
自然です。
レオン様が記録します。
そして。
殿下の参加時間。
ナリア様が、廊下へ向かいます。
そこには。
殿下。
警護役として、今日は私が代役です。
「殿下」
「はい」
「現在、展示前に三名。二つ目の資料をご覧の方がいらっしゃいます」
「はい」
「王妃の園遊会記録からご説明をお願いいたします」
「分かった」
「ご説明は三文です」
「覚えている」
殿下が少し笑います。
ナリア様も。
「では、参りましょう」
二人が、並びます。
今朝より。
昨日より。
自然です。
殿下は。
歩幅を合わせすぎないように意識しているのでしょう。
少しぎこちない。
ナリア様が一歩。
殿下が半歩。
また一歩。
妙に揃わない。
私は後ろから見て。
少しだけ笑いそうになりました。
ナリア様も気づいたようです。
「殿下」
「はい」
「歩きづらいですか?」
殿下の顔が赤くなりました。
「合わせすぎないようにしている」
正直に言いました。
ナリア様が。
一瞬、目を丸くし。
その後。
くすりと笑いました。
「普通で大丈夫です」
「普通?」
「はい。殿下の歩幅で」
「だが、ナリアが」
「私も、無理なく合わせます」
殿下は、少し迷いました。
「分かった」
次の一歩。
今度は。
殿下が普通に歩き。
ナリア様が自然に少しだけ合わせます。
でも。
無理はありません。
二人の歩幅が。
ちょうどよいところで重なりました。
私は、その後ろを歩きながら思いました。
恋も。
きっと同じです。
合わせすぎると。
不自然になります。
自分の歩幅を消してしまえば。
いつか苦しくなります。
互いに。
少しだけ相手を見て。
無理のないところで合わせる。
それが。
一番長く歩けるのかもしれません。
小講義室役の場所へ入ります。
ナリア様が、来場者役のエレナ様へ案内しました。
「ただいまより、王家資料について短いご説明をいたします。そのまま展示をご覧になりながらお聞きください」
殿下が続けます。
「こちらは、百年前に王妃が地方貴族を春の庭へ招いた際の記録です。正式な会議ではなく茶会を選んだことで、領地の事情を穏やかに聞く場となりました。招待文には、相手の話を聞きたいという意図が示されています」
三文。
ナリア様。
「相手を呼びつけるのではなく、その方の言葉を聞きたいと伝えることで、招かれる側が安心できる表現になっています」
二文。
合計五文。
自然です。
エレナ様が来場者役として尋ねました。
「では、親しい友人を招く場合も、理由を書いた方がよいのでしょうか」
予定外の質問です。
ナリア様が答えます。
「必ずしも長く理由を書く必要はありません。ただ、『一緒に見られたら嬉しい』など、なぜその方と過ごしたいかを短く添えると、温かい招待になります」
殿下が。
少しだけ反応しました。
一緒に見られたら嬉しい。
春祭り。
誰かと。
危険です。
でも。
殿下は口を挟みません。
質問はナリア様へのものです。
説明が終わるまで待ちます。
エレナ様が頷きました。
「分かりやすいですわ」
ナリア様が礼をします。
「ありがとうございます」
殿下も。
それ以上は言いません。
準備室役の廊下へ戻ります。
そして。
決められた通り。
ナリア様はすぐに自分の持ち場へ戻る。
殿下は王族控室役へ。
ですが。
扉の前。
二人が、ほんの少しだけ止まりました。
レオン様の視線。
私の視線。
エレナ様の視線。
全員が見ています。
長く感想を言い合わない。
当日も同じです。
殿下は。
短く言いました。
「助かった」
ナリア様も。
「こちらこそ」
それだけ。
そして。
二人は別れました。
よくできました。
とてもよくできました。
「第一参加時間、終了」
レオン様が言いました。
現実へ戻ります。
殿下は席へ戻り。
ナリア様も、自分の位置へ。
練習は続きます。
◇
二回目の通しでは。
私が同行役。
ナリア様は茶席補助。
殿下は同じように資料説明。
問題はありません。
ですが。
茶席で。
ナリア様が来場者役の相談を受けている間。
殿下の視線が。
一度だけ。
奥の茶席へ向きました。
ほんの一度。
すぐ戻りました。
でも。
私は見ました。
殿下も、自分で気づきました。
説明後。
準備室役へ戻った時。
殿下は小さく言いました。
「見てしまった」
「一度だけです」
私は答えました。
「説明は止まりませんでした」
「だが」
「ナリア様が別の役割を果たしていることが気になったのですね」
「はい」
「それ自体は悪くありません」
「そうなのか」
「ただ、殿下の説明を聞いている来場者より、ナリア様を優先してはいけません」
「分かっている」
「一度気づいて戻れたので、今日は大丈夫です」
殿下は少し安心したように頷きました。
「当日は、もっと人がいる」
「はい」
「気をつける」
「それでよいと思います」
以前なら。
一度見てしまったことを。
大きな失敗だと思い。
自分を責めたでしょう。
今は。
気づいて戻る。
それでよいと受け取れます。
練習は。
完璧になるためではありません。
戻る方法を覚えるためでもあります。
◇
通し練習を終えると。
レオン様が記録を読み上げました。
「受付案内、問題なし」
「はい」
「礼法展示、説明時間三分。問題なし」
「はい」
「第一参加時間。準備室説明、移動、資料説明、退室。合計八分」
「短いですね」
ナリア様が言いました。
「予定は半刻です。質問対応を含めても余裕があります」
「殿下の説明も三文を守れました」
私が言うと。
殿下は少し誇らしそうです。
「覚えている」
「はい」
「同行役との移動」
レオン様が続けました。
殿下とナリア様。
二人とも少しだけ姿勢を固くします。
「一回目、歩幅が不自然」
殿下が顔を赤くしました。
「二回目は改善」
「はい」
ナリア様が小さく答えます。
「扉前の会話、二往復以内。問題なし」
「数えていたのですか?」
私が尋ねると。
「はい」
当然のように答えました。
「第二参加時間。殿下が茶席へ一度視線を向けた」
殿下の肩が、わずかに下がりました。
「ただし、説明中断なし。自己修正できています」
「はい」
少し戻りました。
「全体として」
レオン様は記録紙を閉じました。
「初回練習として問題ありません」
殿下が顔を上げました。
聞き返しそうです。
でも。
受け取ります。
「ありがとう」
一度で。
ナリア様も。
「ありがとうございます」
エレナ様が菓子箱を開きました。
「正式役割初練習終了用ですわ」
「今日、二回目では?」
私が尋ねると。
「昼は決定用。こちらは練習用です」
細かいです。
今日の菓子は。
小さな二本の道が、中央で一度交わる模様でした。
誰も。
もう何も言いませんでした。
ナリア様だけが。
少し赤くなっています。
「味は?」
殿下が尋ねます。
「最初は別々の香り。途中で重なり、最後はまた少し分かれます」
役割そのものです。
別々の持ち場。
一度だけ並び。
また離れる。
殿下は。
菓子を見つめました。
「終われば離れる」
「はい」
エレナ様が答えます。
「でも、一緒に役目を果たした味は残りますわ」
殿下が。
少しだけ目を細めました。
「それなら、いい」
短い言葉。
ナリア様も。
菓子を食べました。
「美味しいです」
そして。
少し間を置いて。
「離れた後も、香りが残ります」
殿下の動きが止まりました。
エレナ様も。
私も。
レオン様さえ。
一瞬だけナリア様を見ました。
ナリア様自身。
言ってから気づいたようです。
顔が真っ赤になります。
「い、いえ、菓子の感想です」
殿下は。
かなり危険でした。
瞳が潤み。
口が何度も動きます。
香りが残る。
僕も。
君と歩いた時間が。
危険な未来が、口から出そうです。
でも。
殿下は。
両手を膝の上へ置き。
呼吸しました。
そして。
「本当に、美味しい」
菓子へ戻りました。
よくできました。
非常に。
エレナ様が。
扇の陰で、ほとんど笑いを隠せていません。
私は机の下で、そっと彼女の袖を引きました。
これ以上は危険です。
ナリア様も、菓子を食べることへ集中しています。
学習室には。
甘い香りと。
少しだけ気まずく。
でも温かい沈黙が残りました。
◇
研究会が終わる頃。
当日の役割表は。
すべて埋まりました。
受付。
展示。
体験。
茶席。
記録。
休憩。
殿下の同行。
交代時間。
緊急時の代替。
一つずつ。
誰が。
いつ。
どこへ立つのか。
形になっています。
レオン様が、正式な担当表を壁へ貼りました。
春祭りまで。
あと二週間と少し。
準備は。
本当に本番へ向かっています。
殿下は。
役割表の中にある。
『第一参加時間 同行役 ナリア・クラウゼン』
その一文を。
何度も見そうになりました。
ですが。
一度だけ。
見て。
すぐに視線を戻します。
赤い正式許可の文字で学んだことを、使っています。
ナリア様も。
自分の名前を見ています。
そして。
少しだけ緊張した顔で言いました。
「責任がありますね」
殿下が答えます。
「ああ」
「殿下のご説明が、来場者へきちんと届くように」
「はい」
「私も、もっと練習します」
「僕も」
殿下は。
少し迷いながら。
「ナリアが隣だからと安心しすぎないようにする」
ナリア様が、目を瞬かせました。
とても正直です。
「安心されるのですか?」
殿下は。
言ってから。
かなり困りました。
隠すか。
誤魔化すか。
でも。
もう出ています。
「……する」
認めました。
「ナリアがいると、言葉を急がなくていいと思える」
ナリア様の表情が。
ゆっくり変わりました。
驚き。
照れ。
そして。
少しの嬉しさ。
殿下は続けません。
ナリア様が受け取る時間を待ちます。
「そう、ですか」
「はい」
「では」
ナリア様は。
少しだけ俯き。
それから顔を上げました。
「殿下が急がずお話しできるように、きちんと隣におります」
強いです。
あまりにも。
強い言葉です。
殿下の顔が。
完全に止まりました。
息も止まっているように見えます。
私は。
さすがに。
咳払いをするべきか迷いました。
でも。
殿下は。
自分で呼吸しました。
長く。
ゆっくり。
戻ります。
「ありがとう」
掠れた声。
でも。
言えました。
「ただ」
殿下は、心得を思い出すように続けます。
「役目が終わったら、ナリアは自分の持ち場へ戻る」
ナリア様は。
少し驚いた後。
柔らかく笑いました。
「はい」
「僕も控室へ戻る」
「はい」
「それでも」
殿下は。
少しだけ。
本当に少しだけ、気持ちを置きました。
「その時間は、よろしく頼む」
ナリア様も。
「はい」
頷きます。
「大切に務めます」
二人の間に。
長い沈黙。
甘い。
でも。
重くありません。
役目の責任と。
互いへの信頼。
その両方がある沈黙です。
私は。
今度こそ。
咳払いをしませんでした。
もう。
必要ありません。
◇
帰り道。
空は、薄い茜色でした。
春祭り用の硝子灯には。
まだ火が入っていません。
ですが。
風に揺れるたび。
夕陽を受けて、小さく光ります。
花壇の近くでは。
下級生たちが、明日の作業を確認していました。
「この列は、明日もう一度」
「入口側から見てください」
「背の低い方にも見える高さで」
「はい」
誰かのために。
位置を変え。
高さを変え。
説明を変える。
私たちと同じです。
殿下とナリア様は。
少し前を歩いています。
今日から。
正式な同行役と。
案内される側。
もちろん。
春祭り当日の半刻だけ。
でも。
二人の空気は。
昨日までと少し違いました。
近づいたというより。
役目を共有したことで。
互いを見る理由が一つ増えた。
そんな感じです。
「殿下」
ナリア様が言いました。
「はい」
「歩幅」
殿下が一瞬固くなりました。
「今も、不自然でしょうか」
「少しだけ」
ナリア様が笑います。
殿下も。
少し恥ずかしそうに笑いました。
「普通でよい、と言われた」
「はい」
「難しい」
「なぜですか?」
「ナリアが歩きづらくないか、気になる」
ナリア様は。
少しだけ自分の足元を見ました。
そして。
「では」
殿下を見ます。
「私が歩きづらい時は、お伝えします」
「はい」
「殿下は、普通に歩いてください」
「分かった」
「私も、無理なく合わせます」
昨日と同じ言葉。
でも。
今日は少し深く聞こえます。
殿下が普通に一歩を出します。
ナリア様も。
その隣へ。
完全に同じ歩幅ではありません。
殿下の方が少し広い。
ナリア様の方が少し小さい。
でも。
少しずつ。
互いに無理のない速さへ落ち着いていきます。
私は。
その後ろから見ていました。
エレナ様が隣へ来ます。
「マリア様」
「はい」
「決まりましたわね」
「はい」
「同行役」
「はい」
「殿下、喜びすぎませんでした」
「かなり頑張りました」
「ナリア様も、嬉しそうでした」
「はい」
私は認めました。
「とても」
エレナ様は。
前を歩く二人を見ながら。
「役目だから隣に立つ」
そう言いました。
「はい」
「でも」
「はい」
「役目で隣に立ってみたら、そこが思ったより安心できる場所だった」
私は。
その言葉を聞いて。
少しだけ胸が熱くなりました。
「そうなれば、素敵ですね」
「もう、少しなっているのでは?」
私は。
ナリア様の言葉を思い出しました。
隣にいても、怖くない。
そして。
先ほどの言葉。
殿下が急がず話せるように、きちんと隣におります。
「……そうかもしれません」
エレナ様は。
満足そうに微笑みました。
レオン様は。
少し前を歩きながら。
「明日は、展示板の固定具と印刷枚数を確認します」
現実です。
「分かっています」
私とエレナ様の声が重なりました。
殿下とナリア様も。
前で少し笑っています。
聞こえていたのでしょう。
中庭の池。
風が水面を揺らします。
夕陽の中。
二つの硝子飾りが映っています。
同じ形ではありません。
一つは少し大きく。
一つは小さい。
でも。
風に揺れる時。
同じ方向へ光が伸びていました。
王太子殿下。
今日のあなたは。
ナリア様が同行役に決まることを望みながらも、その役目を自分への恋の褒美にはしませんでした。
研究会全体が動くように。
ナリア様の持ち場が失われないように。
自分の希望だけで役割を動かさず。
二度ある参加時間のうち、一度だけ隣に立てる形を受け取りました。
そして。
ナリア様が隣にいると安心すると、正直に伝えることができました。
それは。
依存ではなく。
彼女があなたの言葉を待ってくれるという、積み重ねから生まれた信頼です。
どうか当日も。
ナリア様が隣にいることだけを喜ぶのではなく。
なぜ彼女がそこへ立っているのかを、忘れないでくださいませ。
あなたの説明へ、礼法の意味を添えるため。
来場者が安心して話を聞けるようにするため。
あなたが長く話しすぎた時、自然に戻すため。
そして。
あなたが急がず、自分の言葉を置けるようにするため。
恋だから隣に立つのではなく。
互いの役目を、一緒に果たせるから隣に立つ。
その時間を重ねた先で。
いつか役目がなくても。
互いが自然に隣を選べる日が来るのかもしれません。




