第26話 王太子殿下、普通の日に戸惑う
大きな事件が終わった後に訪れる普通の日ほど、扱いに困るものはありません。
嵐の中にいる時は、ただ目の前の雨風に耐えればいい。
誰を守るのか。
何を言うのか。
どこで踏みとどまるのか。
そうした選択が、否応なく次々と迫ってきます。
けれど嵐が過ぎると、急に足元が見えるのです。
では、今日は何をすればいいのか。
いつも通りとは、どう振る舞えばよいのか。
昨日まで張り詰めていた心を、どのくらい緩めてよいのか。
普通というものは、失ってから戻ってくると、案外難しい。
そしてアルノルド殿下にとって、その「普通」は、まだかなり難易度が高いものでした。
匿名文事件に、ひとまずの区切りがついた翌日。
アルスード学園の空気は、昨日までより少しだけ軽くなっていました。
もちろん、すべてが元通りになったわけではありません。
イレーヌ・バッセル男爵令嬢は登校停止。
セシリア・モートン子爵令嬢は、教師の保護のもと別室で授業を受けています。
ベアトリス・ダルモア侯爵令嬢は、指導活動から外され、しばらくは教師の監督下に置かれることになりました。
学園内では、まだその話題が囁かれています。
「ダルモア様、今日は登校されるのかしら」
「指導活動から外されたそうですわ」
「イレーヌ様はしばらくお休みでしょう?」
「セシリア様は大丈夫なのかしら」
「ナリア様は昨日、謝罪を受けられたそうですわね」
「殿下もお静かだったとか」
「最近の殿下、本当に変わられましたわ」
廊下の囁きは、まだ完全には消えません。
けれど、刺すような冷たさは少し薄れていました。
好奇心は残っています。
それでも、昨日の区切りがあったことで、多くの生徒は「これ以上軽々しく口にするのはよくない」と感じ始めているようでした。
教師側からも、匿名文の件について不用意な憶測や中傷を禁じる注意が改めて出ています。
そのおかげもあり、学園は少しずつ、表面上は日常へ戻ろうとしていました。
ただ。
戻ろうとしているのは、表面だけではありません。
私たち自身も、普通の日へ戻る練習をしなければならなかったのです。
「本日の研究会は、本当に通常議題で進めます」
朝の開放学習室で、レオン様が宣言しました。
机の上には、王国史と礼法の資料が並んでいます。
今日は事件の整理ではありません。
処分の確認でもありません。
誓約文の変遷と、地方式典における王家の責務。
つまり、本当に学術研究会です。
……本当に、という言葉を付けなければならない時点で、かなり奇妙ですが。
殿下は、心得紙を机の端に置いていました。
事件が終わっても、心得紙は健在です。
そこには昨日までの項目に加え、新しい一文が増えていました。
『普通の日ほど丁寧に』
私はそれを見て、少し微笑みました。
「殿下、良い心得ですね」
殿下は少し照れたように視線を落としました。
「昨日、考えた」
「何をですか?」
「事件がひとまず終わったからといって、急に以前のように振る舞うのは違うと思った」
「はい」
「だが、構えすぎてもナリアを疲れさせる」
「はい」
「だから、普通の日ほど丁寧に」
殿下は真剣でした。
実に真剣です。
普通の日にどう振る舞うかをここまで真剣に考える王太子殿下。
少し面白くもあり、少し胸が温かくもなりました。
エレナ様がにこやかに言いました。
「つまり今日は、ナリア様が研究会へいらしても、事件のことを蒸し返しすぎない、ということですわね」
「そうだ」
殿下は頷きました。
「心配はしている」
「はい」
「昨日のことも、まだ気になっている」
「はい」
「だが、ナリアが普通に研究会をしたいと言った」
「はい」
「なら、普通にする」
その言葉は簡単そうで、殿下にとってはかなり難しいはずです。
心配しているのに聞きすぎない。
話したいことがあっても、相手が望む日常を尊重する。
それは、事件中の「守る」より、ずっと繊細なことかもしれません。
レオン様が淡々と言いました。
「本日の殿下の目標は、ナリア様へ自然に挨拶し、研究会中は議題に集中し、必要以上に顔色を窺わないことです」
「顔色を窺わない」
殿下が少し難しい顔をしました。
「具合が悪そうなら気づく必要はある」
「はい。ですが、三呼吸に一回確認するのは多すぎます」
「そんなに見ていない」
殿下が反論しました。
レオン様は無言で記録紙を取り出しました。
「昨日の研究会中、殿下がナリア様の様子を確認した回数は」
「言わなくていい」
「二十六回です」
「レオン」
「短時間の研究会にしては多いです」
エレナ様が扇で口元を隠して笑っています。
私は咳払いをしました。
「殿下、今日は十回以下を目指しましょう」
「数えるのか」
「レオン様が」
「やめてほしい」
「では、ご自分で控えてください」
殿下は真剣に頷きました。
「分かった」
そして心得紙に書き足しました。
『見すぎない』
この紙、本当にいつか本になります。
その時の題名は、やはり『王太子殿下、恋の前に呼吸する』でしょうか。
心の中にしまっておきます。
午前の授業は穏やかに進みました。
少なくとも、表面上は。
ナリア様は礼法研究会の令嬢たちと一緒に授業を受けていました。
時折、周囲から視線を向けられることはあります。
けれど、以前のような痛ましいものを見るような目は少し減りました。
むしろ、尊敬の混じった視線が増えているように感じます。
昨日、ベアトリス様の謝罪を受けたナリア様は、許すかどうかはまだ分からないと言いながらも、言葉を受け取ると答えました。
その姿は、きっと多くの生徒の耳にも届いたのでしょう。
弱い令嬢。
可哀想な婚約者候補。
そういう見方は、少しずつ崩れています。
ナリア様は、自分の言葉で立つ方なのだと。
学園内の空気が、少しずつ変わっているのが分かりました。
昼休み。
食堂には、久しぶりに少し明るいざわめきが戻っていました。
事件の話題はまだあります。
けれど、試験の話、次の休暇の話、新しい菓子店の話なども混ざり始めています。
それが日常です。
人は、大きな出来事があっても、ずっとそのことだけを話し続けるわけではありません。
少しずつ他の話題へ戻っていく。
それは薄情なのではなく、たぶん生きていくために必要なことです。
私とエレナ様は、いつもの席で昼食を取っていました。
ナリア様は礼法研究会の席にいます。
殿下は王族用の席。
ベアトリス様は、今日は食堂に姿を見せませんでした。
別室で昼食を取っているのかもしれません。
その不在に少し視線が向くものの、昨日ほど騒がれはしませんでした。
エレナ様が白パンを小さくちぎりながら言いました。
「今日は少し落ち着いていますわね」
「はい」
「マリア様も、少し肩の力が抜けているようです」
「そうでしょうか」
「ええ。昨日までは常に戦場にいるようなお顔でしたもの」
「そんな顔をしていましたか」
「していました」
自覚はあまりありませんでした。
でも、確かに気を張っていたのでしょう。
机の警告文から始まり、掲示板の匿名文、セシリア様の涙、ベアトリス様との対話。
考えることが多すぎました。
今日になってようやく、少しだけ呼吸が深くなった気がします。
「マリア様」
エレナ様が、少し声を落としました。
「相談役としての次の役割、考えています?」
「次の役割?」
「ええ。匿名文事件は区切りがつきました。殿下とナリア様の関係も、以前よりかなり安定してきました」
「はい」
「では、マリア様はこれからどう関わるのかしら、と」
私は手を止めました。
考えていなかったわけではありません。
でも、考えないようにしていたのかもしれません。
殿下の恋愛相談役。
それが私の役目でした。
最初は、本当に不本意ながら。
池に落ちた殿下を助けてしまい、彼の残念すぎる恋心を知り、ナリア様へ冷たい態度を取らないよう咳払いで止め、謝罪を練習し、挨拶を教え、感謝を覚えさせ。
いつの間にか、研究会ができ、仲間が増え、事件まで起きました。
その事件が一区切りついた今、確かに考えるべきです。
私はこれからも、同じ距離で関わるべきなのか。
それとも、少しずつ引くべきなのか。
「……まだ分かりません」
私は正直に答えました。
「殿下はまだ危ういところがあります」
「ええ」
「でも、ナリア様と直接話せるようにもなってきました」
「はい」
「私が前に出すぎると、かえって二人の時間を邪魔するかもしれません」
エレナ様は頷きました。
「私もそう思いますわ」
「ただ、急に引くと殿下が不安定になりませんか」
「可能性は高いです」
即答でした。
やはりそうです。
殿下はかなり成長しました。
しかし、完全に一人で大丈夫かと言われると、まだ首を縦に振りにくい。
特に、ナリア様から少し強い言葉を受けた時。
あるいは、自分の気持ちが溢れそうになった時。
呼吸を忘れる可能性はまだ大いにあります。
「少しずつ、役割を変えるのがよいのかもしれませんね」
私は言いました。
「止める係から、見守る係へ」
「それがよろしいと思いますわ」
エレナ様は微笑みました。
「殿下もナリア様も、もうご自分で言葉を選び始めています。マリア様が毎回橋を架けなくても、少しずつお二人で渡れるようになっていますわ」
「そうですね」
胸の奥に、少し寂しさが落ちました。
自分でも驚きました。
面倒だと思っていたはずです。
王太子殿下の恋愛相談役など、誰が望んでやるものですか。
そう思っていたのに。
少しずつ手を離すことを考えると、寂しさがある。
人の心とは、本当に面倒です。
「マリア様」
エレナ様が楽しそうに私を見ました。
「寂しいのですか?」
「違います」
「早い否定ですわね」
「違います」
「では、少しだけ寂しい?」
「……少しだけです」
負けました。
エレナ様は嬉しそうに笑いました。
「それだけ大切になったということですわ」
「そうかもしれません」
私は食堂の向こうを見ました。
殿下がレオン様と何か話しています。
視線は資料に向いていますが、時々ナリア様の方を見ようとしては止めています。
見すぎない。
心得を守っているのでしょう。
その姿が、少し可笑しくて、少し愛おしい。
もちろん、恋愛的な意味ではありません。
世話の焼ける弟子を見るような気持ちです。
たぶん。
放課後。
開放学習室には、久しぶりに本当に穏やかな空気がありました。
窓から夕方の光が入り、机の上の資料に淡い影を落としています。
今日は見学者はいません。
殿下、レオン様、ナリア様、エレナ様、私。
いつもの五人です。
ナリア様は少し早めに来ました。
殿下は立ち上がります。
私は少しだけ身構えました。
昨日は区切りの日。
今日は普通の日。
普通の挨拶ができるかどうか。
殿下は息を吸いました。
吐きました。
「ナリア、ごきげんよう。今日も来てくれてありがとう」
自然です。
ナリア様も柔らかく礼をしました。
「ごきげんよう、殿下。こちらこそ、本日もよろしくお願いいたします」
良いです。
とても良いです。
殿下は「昨日の疲れは」「無理は」「眠れたか」と畳みかけませんでした。
よく耐えました。
ナリア様も、少し安心したように見えます。
研究会が始まりました。
今日の議題は、誓約文の読み上げにおける言葉の重さ。
事件とは完全には切り離せませんが、学術的な内容として進められます。
ナリア様が資料を読み上げました。
「誓約文において重要なのは、言葉の強さではなく、受け手がその言葉を信じられるかどうかです」
殿下が、静かに頷きました。
「強い言葉でも、信じられなければ意味がない」
「はい」
「弱い言葉でも、積み重なれば信じられることもある」
ナリア様が殿下を見ました。
少しだけ微笑みます。
「そう思います」
殿下の顔が赤くなりかけました。
私は咳払いの準備をしました。
けれど殿下は、自分で資料に目を戻しました。
耐えました。
本当に耐えました。
レオン様が小さく記録しています。
何を記録しているのかは聞かないでおきます。
エレナ様が楽しそうに蜂蜜菓子を机の端へ置きました。
「今日は普通の研究会ですから、普通に甘いものを」
「普通とは」
私が呟くと、エレナ様はにこりと笑いました。
「私たちの普通ですわ」
その言葉に、全員が少しだけ笑いました。
私たちの普通。
確かに、普通とは少し違うかもしれません。
王太子殿下の呼吸訓練つき。
蜂蜜菓子つき。
時々咳払いあり。
恋愛相談と王国法が混ざる学術研究会。
でも、それが私たちの普通になりつつあるのです。
研究会の途中、ナリア様が殿下へ質問しました。
「殿下は、式典で言葉を述べる際、緊張されますか?」
殿下は少し驚いた顔をしました。
「する」
「殿下も?」
「ああ。人前で話すこと自体は慣れている。だが、言葉の重さを考えると緊張する」
「そうなのですね」
「以前は、緊張しても表に出さないことだけを考えていた」
殿下は少しだけ苦笑しました。
「今は、言葉がどう届くかを考えるようになった。だから、前より緊張するかもしれない」
ナリア様は、静かに聞いていました。
「でも、それは良い緊張なのではないでしょうか」
「良い緊張?」
「はい。相手に届くことを考えているからこその緊張です」
殿下の瞳が揺れました。
ナリア様は続けます。
「私は、そういう言葉の方が信じられる気がします」
殿下は黙りました。
言葉が胸に届いたのでしょう。
以前なら、ここで重すぎる返しをしそうです。
君に信じてもらえるなら、僕はどんな緊張にも――など。
しかし、今日の殿下は違いました。
ちゃんと呼吸しました。
そして、短く言いました。
「ありがとう。覚えておく」
ナリア様は頷きました。
「はい」
私は心の中で拍手しました。
殿下、今のは百点です。
過不足ありません。
言葉を選んでいます。
研究会は、その後も穏やかに進みました。
もちろん、何度か危ない瞬間はありました。
ナリア様が資料を探して少し身を乗り出した時、殿下が反射的に手伝おうとして、レオン様に視線で止められました。
ナリア様が蜂蜜菓子を食べて「美味しいです」と笑った時、殿下が一瞬完全に停止しました。
エレナ様が「殿下、呼吸ですわ」と小声で言いました。
私が咳払いしたのは二回です。
いつもより少なめです。
これは大きな進歩と言ってよいでしょう。
研究会の終盤、レオン様がふと私を見ました。
「ルイート嬢」
「はい」
「今後の研究会の進行ですが、少し形式を整えませんか」
「形式?」
「はい。これまでは事件への対応や殿下の訓練が中心になることも多かった。しかし、今後は学術研究会として正式に活動を続けるなら、議題、記録、担当を分けた方がよいでしょう」
私は頷きました。
「確かにそうですね」
エレナ様が楽しそうに言いました。
「では、殿下は呼吸担当ですか?」
「違う」
殿下が即答しました。
ナリア様がくすりと笑います。
「では、殿下は王国法と王家式典の担当では?」
「それなら分かる」
レオン様が頷きました。
「殿下は王家側の視点。ナリア様は礼法。ルイート嬢は王国史。バートン嬢は記録補助と資料整理。私は全体進行と法的確認」
「完璧ですわね」
エレナ様が頷きました。
「ただ、私だけ少し地味ではありません?」
「バートン嬢は場の空気調整も担っています」
レオン様が真面目に言いました。
エレナ様は満足そうに微笑みました。
「それならよろしいですわ」
私は少し考えました。
形式を整える。
それは、研究会が次の段階へ進むということです。
相談役の隠れ蓑ではなく、本当の学術研究会へ。
殿下とナリア様が自然に話せる場所として。
そして、私たちが互いに支え合える場所として。
「良いと思います」
私が言うと、殿下も頷きました。
「僕も賛成だ」
ナリア様も微笑みました。
「私も、参加できるなら嬉しいです」
殿下の顔が一瞬で明るくなりました。
危険。
しかし、彼は耐えました。
「助かる」
短い。
よくできました。
ナリア様は少しだけ頬を赤くしました。
「はい」
その短いやり取りが、とても自然でした。
研究会が終わった後、私は少しだけ残って資料を片付けていました。
エレナ様は教師へ資料返却に向かい、レオン様は殿下と今後の予定確認をしています。
ナリア様は窓際で、夕方の中庭を見ていました。
少しして、殿下が彼女の近くへ歩み寄りました。
私は片付けながら、聞こえすぎない距離で見守ります。
殿下は少し間を置いて言いました。
「ナリア」
「はい」
「今日は、普通に研究会ができてよかった」
ナリア様は振り返り、微笑みました。
「はい。私もそう思います」
「君が普通に話してくれて、安心した」
殿下。
少し踏み込みました。
けれど、重くはありません。
ナリア様も困った様子ではありませんでした。
「私も、殿下が普通に接してくださって安心しました」
「そうか」
「はい」
殿下は、少しだけ目を伏せました。
「普通にするのも、難しいな」
ナリア様が小さく笑いました。
「そうですね」
「だが、今日みたいな日を増やしたい」
ナリア様は、夕方の光の中で柔らかく頷きました。
「私もです」
その言葉に、殿下は一瞬止まりました。
でも、呼吸しました。
「ありがとう」
また感謝。
短く、まっすぐで、今の二人にちょうどよい言葉。
私は資料を持ったまま、静かに微笑みました。
もう、毎回私が咳払いしなくてもいい場面が増えてきています。
そのことが、少し嬉しくて、少し寂しい。
やはり、役割は少しずつ変わっていくのでしょう。
帰り際、レオン様が私に言いました。
「ルイート嬢」
「はい」
「今後は、殿下とナリア様が直接話す時間を少し増やしてもよいかもしれません」
私は少しだけ驚きました。
「グラシア様もそう思われますか」
「はい。ただし、完全に二人きりではなく、私たちが少し離れている程度から」
「段階的に」
「はい」
さすがレオン様です。
計画的です。
「殿下はまだ不安定なところがありますが、以前ほどではありません」
「はい」
「ナリア様も、自分の言葉で返せるようになってきています」
「そうですね」
「ルイート嬢が常に間に入らなくても、よい場面が増えています」
分かっていたことを、改めて言われました。
胸の奥に、小さな寂しさがまた落ちます。
けれど、それは悪い寂しさではありませんでした。
育てたものが、自分の手を離れて歩き始めるような。
そんな感覚です。
「少しずつ、ですね」
「はい」
レオン様は頷きました。
「急に変えると殿下が動揺します」
「そこですね」
「はい。最大の懸念です」
私たちは真面目に頷き合いました。
王太子殿下が最大の懸念。
それもまた、私たちの普通です。
校舎を出ると、夕暮れの空が広がっていました。
昨日より少し明るい夕焼けです。
中庭の花壇には柔らかな風が吹き、池の水面がかすかに揺れていました。
あの池。
すべての始まりの場所。
泣きながら自分を責め、足を踏み外して落ちた王太子殿下。
あの時のことを思い出すと、今でも少し笑いそうになります。
いえ、本人の前では絶対に笑いませんが。
あの出会いから、随分遠くまで来ました。
殿下は、ナリア様へ冷たい言葉を吐かないようになりました。
謝れるようになりました。
感謝できるようになりました。
待てるようになりました。
任せることも、休ませることも、追い詰めないことも、少しずつ覚えました。
そして今日、普通の日に戸惑いながらも、普通に接することができました。
それは、派手な進展ではありません。
けれど、とても大切な進展です。
王太子殿下。
今日のあなたは、普通の日を大切にできました。
事件が終わったからと急がず、心配を重くせず、ナリア様と同じ歩幅で研究会を過ごせました。
どうか明日も。
特別な言葉だけでなく、普通の日の小さな言葉を丁寧に選んでくださいませ。
その積み重ねこそが、きっといつか、ナリア様の心へ一番深く届くはずです。




