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『王太子殿下、その恋は口から出す前に止めてください 〜好きな令嬢に嫌いと言ってしまう残念王子の恋愛相談役になりました〜』  作者: 伊佐波瑞樹


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第18話 王太子殿下、前に出ない勇気を持つ



 何かを正したい時、人は前に出ようとします。


 自分が言わなければ。

 自分が問い詰めなければ。

 自分が守らなければ。


 そう思うことは、決して間違いではありません。


 けれど、すべての場面で前に出ることが正しいわけではありません。


 時には、前に出ないことが誰かを守ることになる。


 時には、後ろに控えている方が、相手が自分の言葉を取り戻せることもある。


 その朝、アルノルド殿下は、まさにその難しさと向き合っていました。


「僕は同席しない方がいい」


 開放学習室の机の前で、殿下はそう言いました。


 声は静かでした。


 けれど、その手は机の上で強く握られています。


 無理をしているのが分かりました。


 今日、セシリア・モートン子爵令嬢が教師へ事情を話すための場が設けられる予定です。


 昨日、彼女は私たちに言いました。


 自分は掲示板に紙を貼っていない。


 けれど、誰かから「人がいないか見ていて」と命じられた。


 さらに、話せば学園にいられなくなるかもしれない、家にも迷惑がかかる、と脅されている様子でした。


 それを受け、レオン様が教師へ慎重に相談しました。


 そして今日の昼休み、教師立ち会いのもと、セシリア様が話せる場を設けることになったのです。


 ただし、その場に殿下は同席しない。


 これはレオン様の判断であり、殿下自身も受け入れたことでした。


「殿下がいらっしゃると、セシリア様は緊張されるでしょうから」


 私が言うと、殿下は頷きました。


「ああ。分かっている」


「王太子殿下が聞いている、というだけで圧になります」


「分かっている」


「だから、今日は」


「前に出ない」


 殿下は、机の上の心得紙を見ました。


 そこには、昨日までに増え続けた文字が並んでいます。


『待つ』

『焦らない』

『任せる』

『追い詰めない』

『呼吸』


 そして今日、新たに書き足された言葉。


『前に出ない勇気』


 恋愛相談の心得としては、もはやかなり広い範囲を扱い始めています。


 けれど、今の殿下には必要な言葉でした。


 レオン様は静かに言いました。


「私が教師と同席します。ルイート嬢、バートン嬢、ナリア様は、セシリア嬢が望んだ場合に近くで待機する形です」


「セシリア嬢が望めば?」


「はい。無理に同席させません。彼女が安心できる形を優先します」


 殿下は、苦しそうに息を吐きました。


「僕は、何もできないのだな」


「できます」


 私は言いました。


 殿下が顔を上げます。


「何を」


「何もしないことです」


「……」


「セシリア様が話せる場を、殿下の存在で圧迫しないこと。ナリア様や私たちが動くことを信じて待つこと。それは、殿下にしかできない役割です」


 殿下は黙りました。


 納得しきれない気持ちもあるのでしょう。


 それでも、彼はもう感情だけで動く方ではありません。


 少しずつ、そうなってきています。


「分かった」


 殿下は静かに言いました。


「僕は、レオンに任せる。君たちに任せる。セシリア嬢が話せるよう、前に出ない」


「はい」


「だが、何かあればすぐ知らせてほしい」


「もちろんです」


 レオン様が頷きました。


「殿下は昼休み中、王族用控室にいてください。私が終わり次第報告します」


「分かった」


 殿下は一度、深く息を吸いました。


 そして吐きます。


 呼吸はできています。


 顔色はあまり良くありませんが。


「ナリアは」


 殿下が小さく言いました。


「ナリアは、大丈夫だろうか」


「昨日より落ち着いておられると思います」


 私が答えると、殿下は少しだけ安心したようでした。


 けれど、まだ心配そうです。


「彼女にも無理をさせたくない」


「ナリア様も、無理はしないと分かっておられます」


「そうだな」


「殿下が任せてくださることも、きっと力になります」


 殿下は、ほんの少し耳を赤くしました。


「そうだといい」


 朝の打ち合わせはそこで終わりました。


 授業が始まるまでの廊下は、いつも通りに見えて、どこか落ち着きがありませんでした。


 昨日から、学園内ではセシリア様の名前が小さく囁かれ始めています。


 掲示板の近くで見かけられた令嬢。


 ベアトリス様の取り巻き。


 顔色が悪い。


 何かを知っているのではないか。


 その噂は、まだ大きくはありません。


 けれど、確実に広がりつつありました。


 だからこそ、早く教師のもとで正式に話す必要があるのです。


 セシリア様本人が、噂に潰される前に。


 午前の授業中、私は何度も時計を見そうになりました。


 昼休みまで、あとどれくらいか。


 セシリア様は本当に来るでしょうか。


 途中でベアトリス様に止められないでしょうか。


 殿下は控室で待てるでしょうか。


 ……最後の心配は少し種類が違いますが、かなり現実的です。


 殿下は待つことを学んでいます。


 けれど、待つのが得意になったわけではありません。


 ナリア様や私たちが関わることとなれば、なおさらです。


 隣の席から、小さな紙が回ってきました。


 エレナ様からです。


『殿下は今頃、控室で歩き回っているでしょうね』


 私は返事を書きました。


『レオン様が止めてくださるはずです』


 すぐに紙が戻ってきます。


『レオン様も昼休みは席を外すので、殿下が一人で耐える必要がありますわ』


 私は手を止めました。


 そうでした。


 レオン様はセシリア様の聞き取りに同席します。


 つまり殿下は、その間控室でほぼ一人です。


 ……大丈夫でしょうか。


 私は心の中で、殿下の心得紙にもう一項目足したくなりました。


『歩き回りすぎない』


 ですが、それは今さらです。


 昼休み。


 私とエレナ様は、図書棟横の小さな相談室近くへ向かいました。


 教師が使う面談用の部屋です。


 扉は厚い木でできていますが、外には長椅子があり、待機することができます。


 そこにナリア様が先に来ていました。


 栗色の髪を整え、手には白いハンカチを握っています。


 表情は落ち着いているように見えました。


 けれど、指先には少し力が入っています。


「ナリア様」


「ルイート様。バートン様」


「ご気分は大丈夫ですか?」


 私が尋ねると、ナリア様は小さく頷きました。


「はい。少し緊張していますが、大丈夫です」


 エレナ様が優しく微笑みました。


「無理はなさらないでくださいませ」


「ありがとうございます」


 ナリア様は相談室の扉を見ました。


「セシリア様は、来られるでしょうか」


「来てくださると信じましょう」


 私が言うと、ナリア様は頷きました。


 数分後。


 廊下の向こうから、レオン様と教師が歩いてきました。


 教師は王国法を担当する中年の男性で、穏やかながら厳格なことで知られています。


 レオン様は私たちに軽く頷きました。


「セシリア嬢は、少し遅れて来る予定です」


「一人で?」


「いえ、別の女性教師が付き添っています。ベアトリス嬢たちと接触しないよう、別経路で」


 さすがです。


 そこまで配慮されているなら、少し安心できます。


 しばらくして、廊下の奥からセシリア様が現れました。


 女性教師に付き添われています。


 顔色は悪く、今にも倒れそうです。


 けれど、来ました。


 自分の足で。


 それだけで、大きな一歩です。


 セシリア様は私たちを見ると、一瞬足を止めました。


 逃げたいような顔をしました。


 ナリア様が、ゆっくり立ち上がります。


「モートン様」


 声は穏やかでした。


「来てくださって、ありがとうございます」


 セシリア様の目が揺れました。


「クラウゼン様……」


「無理に話さなくても大丈夫です。でも、話したいと思われるなら、私たちは近くにいます」


 セシリア様の唇が震えました。


 そして、小さく頷きました。


「……いて、ください」


 その言葉に、私たちは顔を見合わせました。


 セシリア様が望んだ。


 なら、同席できます。


 教師も頷き、私たちは相談室へ入りました。


 中は小さな部屋でした。


 机が一つ。


 椅子が数脚。


 窓からは中庭の端が見えます。


 外のざわめきはほとんど聞こえません。


 セシリア様は椅子に座ると、両手を膝の上で握りしめました。


 私は少し離れた椅子に座り、エレナ様はその隣へ。


 ナリア様はセシリア様の斜め向かい。


 レオン様と教師が正面です。


 誰も、彼女を囲むような配置にはしませんでした。


 逃げ道を塞がないように。


 追い詰めないように。


 教師が穏やかな声で言いました。


「モートン嬢。今日話していただく内容は、必要以上に広めません。あなたが不当に責められないよう配慮します。まず、落ち着いてください」


「……はい」


「掲示板の匿名文について、あなたが知っていることを話せる範囲で教えてください」


 セシリア様は、しばらく何も言えませんでした。


 沈黙。


 長く感じる沈黙です。


 けれど、誰も急かしません。


 ナリア様も、私も、エレナ様も、ただ待ちました。


 やがて、セシリア様が小さく口を開きました。


「あの紙を……前の日に見ました」


「どこで?」


「西棟の空き教室です。放課後、ダルモア様たちと……」


 そこで声が詰まりました。


 教師は静かに頷きます。


「続けてください」


「ダルモア様は……直接、書いていません」


 その言葉に、空気が動きました。


 直接は書いていない。


 つまり、誰かが書いた。


「誰が書いていましたか」


 レオン様が尋ねました。


 セシリア様は震えました。


「……イレーヌ様です」


 エレナ様が小さく息を呑みました。


 イレーヌ・バッセル男爵令嬢。


 ベアトリス様の取り巻きの一人です。


 昨日、彼女の隣にいた令嬢。


「イレーヌ様が文を書いていました。でも、文の内容は……その前に、ダルモア様が話していたこととほとんど同じで」


「つまり、ダルモア様が内容を指示したのですか」


 教師の問いに、セシリア様はすぐには答えませんでした。


 唇を噛みます。


 涙が溜まります。


「指示、とは……言っていません。ただ、『もし誰かがこういうことを書いたら、皆どう思うでしょうね』と。『真実を問うだけなら、悪いことではないわ』と」


 部屋の空気が冷えました。


 直接命じてはいない。


 けれど、誘導している。


 責任を逃れるための言い方です。


 レオン様の表情が、少しだけ厳しくなりました。


「それで、バッセル嬢が書いた」


「はい……」


「あなたは何を命じられましたか」


「朝、掲示板の近くに人がいないか見ていて、とイレーヌ様に言われました。私は嫌だと言ったんです。でも……」


 セシリア様の声が震えました。


「ダルモア様が、『皆で決めたことに協力できないなら、あなたは私たちと一緒にはいられないわね』と」


 ナリア様の手が、膝の上でぎゅっと握られました。


 私は胸の奥に怒りが湧くのを感じました。


 それは脅しです。


 仲間から外すという圧力。


 貴族令嬢にとって、学園内の交友関係は家の評判にも影響します。


 セシリア様が怯えるのも無理はありません。


「さらに」


 セシリア様は涙を拭いました。


「もし私が話したら、私が貼ったことにすればいいって……イレーヌ様が……」


「あなたに罪を被せるつもりだった?」


 教師の声が少し低くなりました。


 セシリア様は小さく頷きました。


「私、怖くて……でも、ルイート様たちが責められているのも、クラウゼン様が傷ついているのも、もう嫌で……」


 彼女はついに泣き出しました。


「ごめんなさい……止められなくて、ごめんなさい……」


 ナリア様が立ち上がりかけました。


 けれど、すぐには近づきませんでした。


 セシリア様の様子を見て、許可を求めるように言いました。


「隣に座ってもよろしいですか」


 セシリア様は泣きながら頷きました。


 ナリア様は静かに隣へ移動し、ハンカチを差し出しました。


「話してくださって、ありがとうございます」


「クラウゼン様……」


「怖かったですよね」


 その一言で、セシリア様はさらに泣きました。


 私は胸がいっぱいになりました。


 ナリア様は、本当に優しい。


 そして強い。


 自分も傷つけられたのに、目の前で怯える相手を責めない。


 殿下がこの場にいたら、きっとまた呼吸を忘れていたでしょう。


 いえ、怒りで机を壊しかけたかもしれません。


 やはり、同席しなくて正解でした。


 教師はセシリア様が落ち着くのを待ってから、いくつか確認を続けました。


 日時。

 場所。

 その場にいた人物。

 匿名文を書いた者。

 貼る当日の動き。

 セシリア様が見張りをさせられた位置。


 セシリア様は泣きながらも、できる限り答えました。


 すべてを話し終えた時、彼女はすっかり疲れ切っていました。


 教師は静かに言いました。


「よく話してくれました。あなたが見張りをしたことは問題です。しかし、脅され、圧力を受けていた事情は考慮されます。今後は、同じようなことがあればすぐ教師に相談しなさい」


「はい……」


「今日は女性教師に付き添ってもらい、少し休みなさい」


 セシリア様は頷きました。


 部屋を出る前、彼女は私たちへ向き直りました。


「ルイート様、クラウゼン様、バートン様……本当に、ごめんなさい」


 私は言いました。


「話してくださって、ありがとうございました」


 ナリア様も頷きました。


「これ以上一人で抱えないでください」


 エレナ様が優しく微笑みます。


「次はもっと早く頼ってくださいませ」


 セシリア様は涙を拭い、小さく頷いて、女性教師と共に出ていきました。


 相談室に残った空気は、重く、けれど少しだけ動いた後の静けさを含んでいました。


 レオン様が教師と短く確認をした後、私たちは部屋を出ました。


 廊下に出ると、昼休みの終わりが近づいていました。


 遠くから生徒たちの声が聞こえます。


 何事もなかったような学園の音。


 けれど、私たちの中では大きなことが動きました。


 ベアトリス様が直接命じた証拠は、まだ弱い。


 ですが、イレーヌ様が書いたこと。


 セシリア様が見張りを命じられたこと。


 ベアトリス様が内容を誘導した可能性が高いこと。


 これらは大きな手がかりです。


「殿下へ報告します」


 レオン様が言いました。


 その声は、いつもより少し低かった。


「ただし、慎重に」


「はい」


 私は頷きました。


 ナリア様は、少し疲れた顔をしていました。


 無理もありません。


 彼女はセシリア様の話を受け止めました。


 自分を傷つけた文に関わった相手の涙を、近くで受け止めたのです。


「ナリア様」


 私が声をかけると、彼女は微笑みました。


「大丈夫です」


 その微笑みは、少し無理をしていました。


 私はそれ以上、強く聞きません。


 でも、言いました。


「放課後の研究会で、無理はしないでください」


「はい」


 ナリア様は小さく頷きました。


「でも、殿下には……ちゃんと報告を聞いていただきたいです」


「はい」


 彼女の中にも、殿下へ伝えたい気持ちがあるのでしょう。


 放課後。


 学術研究会の時間。


 開放学習室には、いつもの五人が集まりました。


 殿下は、私たちが入ってくる前から席についていました。


 顔色はあまり良くありません。


 レオン様から概要だけ先に聞いていたのでしょう。


 それでも、立ち上がってナリア様を迎えました。


「ナリア」


「ごきげんよう、殿下」


「ごきげんよう。……来てくれてありがとう」


 声が少し掠れていました。


 ナリア様は、静かに首を振りました。


「私も、ここに来たかったので」


 殿下の目が揺れます。


 けれど、口を閉じています。


 呼吸。


 できています。


 私たちは席につき、昼休みの聞き取りについて改めて共有しました。


 レオン様が、事実のみを整理します。


 セシリア様が前日に西棟空き教室で匿名文を見たこと。


 文を書いていたのはイレーヌ・バッセル男爵令嬢であること。


 内容はベアトリス様が話していた言葉に沿っていたこと。


 当日朝、セシリア様は見張りを命じられたこと。


 話せば責任を押しつけられるような圧を受けていたこと。


 殿下は、最後まで黙って聞きました。


 拳は何度も握られました。


 それでも、机を叩くことも、声を荒げることもありませんでした。


 話が終わると、殿下は目を閉じました。


 長い沈黙。


 皆、待ちました。


 やがて、殿下は目を開きました。


「セシリア嬢は、守られるべきだ」


 第一声がそれでした。


 私は胸が熱くなりました。


 殿下は怒っている。


 当然です。


 けれど最初に出た言葉は、セシリア様を責める言葉ではありませんでした。


「彼女は過ちを犯した。見張りをしたことは事実だ。だが、脅され、利用された」


 殿下は低く言いました。


「その上で、話す勇気を出した。なら、必要以上に潰されるべきではない」


 ナリア様が、静かに殿下を見つめました。


 その瞳には、柔らかな光があります。


「殿下……」


 殿下はナリア様へ視線を向けました。


「君が、彼女を追い詰めずにいてくれたからだ」


「私は……」


「ありがとう」


 短い感謝。


 でも深い感謝でした。


 ナリア様は少しだけ目元を赤くしました。


「私も、セシリア様がこれ以上傷つくのは嫌です」


「ああ」


「でも、匿名文を書いた方、命じた方には……きちんと向き合っていただきたいです」


「当然だ」


 殿下の声に、怒りが滲みました。


 けれど、制御されています。


「ただし、正しい形で」


 その言葉を、殿下自身が付け加えました。


 レオン様が頷きます。


「教師側がイレーヌ嬢へ確認を行います。ベアトリス嬢については、証言の扱いが慎重になります。直接命令した証拠が弱いためです」


「分かっている」


「焦れば逃げられます」


「焦らない」


 殿下は心得紙を見ました。


 そして小さく呟きました。


「……今日ほど、その言葉が難しい日はないな」


「そうですね」


 私は言いました。


「でも、殿下は今日、前に出ない勇気を持てました」


 殿下が私を見ます。


「僕は、何もしていない」


「それが必要でした」


「……」


「殿下が同席しなかったから、セシリア様は話せたのだと思います」


 殿下は黙りました。


 そして、小さく息を吐きました。


「そうなら、よかった」


 その声は、本当に小さかった。


 けれど、少しだけ救われたような響きがありました。


 研究会の後半は、予定していた議題を短く扱うだけにしました。


 皆、疲れていました。


 特にナリア様は、いつもより口数が少なかった。


 殿下はそれに気づいていましたが、無理に声をかけませんでした。


 ただ、帰り際に一言だけ言いました。


「ナリア」


「はい」


「今日は、よく休んでほしい」


 ナリア様は、少し驚いてから微笑みました。


「はい。殿下も」


 殿下の顔が赤くなりました。


 けれど、言いました。


「ありがとう。そうする」


 自然な会話。


 短く、温かい。


 それだけで十分でした。


 その日の夕方。


 私とエレナ様は、校舎を出て中庭を歩きました。


 空は雲が切れ、薄い夕焼けが広がっていました。


 昨日まで重く垂れ込めていた曇り空に、少し光が差したようでした。


「進みましたわね」


 エレナ様が言いました。


「はい」


「でも、ここからが難しいですわ」


「ベアトリス様ですね」


「ええ。イレーヌ様だけで終わらせようとするかもしれません」


「セシリア様へ責任を押しつけようとしたように」


「はい」


 私は小さく息を吐きました。


 まだ終わりではありません。


 でも、今日、セシリア様は話しました。


 ナリア様は支えました。


 殿下は前に出ない勇気を持ちました。


 それは確かな一歩です。


 中庭の花壇には、夕日の光が淡く落ちています。


 花びらが風に揺れ、その影が石畳に小さく踊りました。


 私は空を見上げました。


 王太子殿下。


 今日のあなたは、何もしないことで誰かを守りました。


 前に出ないことで、セシリア様が話す場所を作りました。


 どうか明日も。


 怒りに押されて走るのではなく、正しい形で真実へ近づいてくださいませ。

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