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『王太子殿下、その恋は口から出す前に止めてください 〜好きな令嬢に嫌いと言ってしまう残念王子の恋愛相談役になりました〜』  作者: 伊佐波瑞樹


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第16話 王太子殿下、任せることを覚える


 誰かを大切に思う時、人はつい守りたくなります。


 危ない場所から遠ざけたい。


 嫌な言葉を聞かせたくない。


 傷つく前に、自分が前に出たい。


 その気持ちは、優しさです。


 けれど、優しさは時に相手の足を止めてしまいます。


 相手が自分で立とうとしている時。


 自分の言葉で向き合おうとしている時。


 その前へ出て、すべてを遮ってしまえば、それは守ることではなく、奪うことになるのかもしれません。


 アルノルド殿下が今日学ぶべきことは、それでした。


「セシリア・モートン子爵令嬢ですか」


 朝の開放学習室。


 授業前の短い時間に、私たちは机を囲んでいました。


 殿下、レオン様、エレナ様、私。


 机の上には、王国法の教本が開かれています。


 表向きには、昨日の研究会の続きについて確認しているだけです。


 けれど実際には、匿名文についての情報共有でした。


 レオン様は、いつも通り落ち着いた声で言いました。


「はい。掲示板に匿名文が貼られたと思われる時間帯に、東棟廊下でセシリア・モートン子爵令嬢を見かけた生徒がいます」


「貼っているところを見たわけではないのですね」


「ありません。あくまで、その時間帯に近くを歩いていたというだけです」


 私は頷きました。


「証拠としては弱いですね」


「はい」


 殿下は黙って聞いていました。


 表情は静かです。


 けれど、指先に力が入っているのが分かります。


 セシリア・モートン子爵令嬢。


 ベアトリス・ダルモア侯爵令嬢の取り巻きの一人。


 昨日までの流れを考えれば、疑いたくなる相手です。


 ですが、疑いたくなることと、疑ってよいことは違います。


 そこを間違えれば、こちらが同じことをしてしまう。


 匿名文がしたように、確証もなく相手を悪者として扱うことになる。


「殿下」


 私が声をかけると、殿下は顔を上げました。


「はい」


「今、どう思っておられますか」


 殿下は少し黙りました。


 レオン様もエレナ様も、口を挟みません。


 殿下は一度息を吸い、ゆっくり吐きました。


「疑っている」


 正直な言葉でした。


「セシリア嬢が関わっているのではないかと、思っている」


「はい」


「だが、証拠はない」


「はい」


「だから、今は動かない」


 私は静かに頷きました。


「良い判断です」


 殿下の眉が少し動きました。


「良いのか」


「はい。疑いを持つこと自体は自然です。ですが、それを事実のように扱わないことが大切です」


 レオン様も頷きました。


「現時点でセシリア嬢を問い詰めれば、こちらの方が不当な圧力をかけたと見られる可能性があります」


「分かっている」


 殿下の声は低いですが、落ち着いています。


「ナリアやルイート嬢が傷つけられた可能性がある相手を、何もせず見ているのは腹立たしい」


 殿下は、そこで一度言葉を切りました。


 そして、自分の拳を見つめます。


「だが、怒りだけで動けば、また二人を危険に晒す」


 その言葉に、私は少し胸が温かくなりました。


 殿下は、考えています。


 以前のように、自分の感情だけで動こうとしていません。


「はい」


 私は言いました。


「ですから、今は証拠を待ちましょう」


「待つ」


「はい」


 殿下が苦笑しました。


「最近、僕は待ってばかりだな」


「大事な訓練です」


「そうだな」


 エレナ様が、扇の陰で微笑みました。


「殿下、待つことも王太子殿下には必要な資質ですわ」


「恋愛だけではなく?」


「もちろんです」


 レオン様が静かに言いました。


「政治でも同じです。疑わしいからとすぐ断罪すれば、反発を生みます。事実を集め、逃げ道を塞ぎ、正しい形で処理する。殿下が今学んでいることは、恋愛以外にも役立ちます」


「……僕は恋愛で政治を学んでいるのか」


「順番としては奇妙ですが」


 レオン様は淡々と言いました。


 殿下は少しだけ肩を落としました。


 その様子に、エレナ様が小さく笑います。


 重い話の中でも、少し空気が和らぎました。


「それで、今日の研究会ですが」


 私は話を戻しました。


「ナリア様には、どこまで伝えますか」


 殿下の表情が真剣になります。


「セシリア嬢の名前は、まだ伝えるべきではないと思う」


「私も同感です」


 レオン様が頷きました。


「確証がない段階で名を出せば、ナリア様にも余計な負担をかけます」


「ただ、調査が進んでいることは伝えたい」


 殿下は言いました。


「彼女が不安に思っているなら、何も知らされない方が怖いだろう」


「そうですね」


 私は頷きました。


「では、今日の目標は、ナリア様が不安を口にされた場合、調査は進んでいるが憶測で誰かを責めるつもりはない、と伝えることですね」


「分かった」


「そして」


「焦らない」


「はい」


「疑いを口にしない」


「はい」


「守ろうとして前に出すぎない」


「非常に重要です」


 殿下は少しだけ眉を下げました。


「それが一番難しいかもしれない」


「分かっています」


 私は少し声を柔らかくしました。


「ナリア様は昨日、ご自分もできることをしたいとおっしゃいました」


「ああ」


「殿下がすべて前に出て守ってしまうと、その気持ちを潰してしまいます」


「潰したくない」


「なら、任せる場面も必要です」


 殿下は黙りました。


 長い沈黙ではありません。


 考えるための沈黙です。


 そして彼は、自分の紙に一つ書き足しました。


『任せる』


 私はそれを見て、頷きました。


「今日の心得ですね」


「ああ」


 殿下はその文字を見つめました。


「任せる。待つ。焦らない。呼吸」


「かなり増えましたね」


「恋とは、覚えることが多いのだな」


 殿下が真面目に言うので、エレナ様がまた笑いそうになっていました。


 午前の授業中、私は何度かセシリア・モートン子爵令嬢の姿を見かけました。


 淡い灰色の髪を肩で揃えた、細身の令嬢です。


 いつもベアトリス様の少し後ろに控え、あまり自分から前に出る印象はありません。


 けれど今日は、どこか落ち着かないように見えました。


 視線が泳ぐ。


 誰かに見られると、すぐに顔を伏せる。


 それが罪悪感なのか、単に昨日の騒ぎで緊張しているのかは分かりません。


 人は、疑って見れば何でも怪しく見えてしまうものです。


 だからこそ、慎重にならなければならない。


「マリア様」


 授業後、廊下でエレナ様が私に並びました。


「セシリア様を見ていましたね」


「……分かりますか」


「分かります」


「怪しく見えてしまって」


「それが危ないところですわ」


「はい」


 私は小さく息を吐きました。


「疑い始めると、全部それらしく見えます」


「ええ。だから証拠が必要です」


 エレナ様は少し声を落としました。


「ただ、セシリア様は確かに昨日から様子が変です」


「エレナ様もそう思いますか」


「はい。でも、それが犯人だからなのか、犯人を知っているからなのか、あるいは別の理由なのかは分かりません」


「別の理由」


「たとえば、ベアトリス様から何か言われて怯えている、という可能性もあります」


 私は少し目を伏せました。


 そうです。


 セシリア様が加害側とは限りません。


 命じられた側かもしれない。


 巻き込まれている側かもしれない。


 それすら、まだ分からない。


「見た目だけで判断してはいけませんね」


「はい」


「殿下に言う前に、私自身も気をつけないと」


 エレナ様は微笑みました。


「マリア様も、成長中ですわね」


「殿下と一緒にしないでください」


「あら、似てきましたわよ」


「それは困ります」


 思わず即答すると、エレナ様が楽しそうに笑いました。


 昼休み。


 ナリア様は今日は食堂ではなく、中庭に面した回廊で礼法研究会の令嬢たちと昼食を取っていました。


 昨日までの騒ぎを避けるためでしょう。


 私とエレナ様は少し離れた席に座りました。


 殿下も、今日は王族用の席ではなく、レオン様と教師に呼ばれて別室で昼食を取るようです。


 おそらく、掲示板事件について何か確認があるのでしょう。


 中庭は穏やかでした。


 花壇には淡い色の花が咲き、噴水の水音が静かに響いています。


 風は少し冷たいですが、日差しは柔らかい。


 そんな平和な景色の中にいても、私たちの胸にはまだ警戒が残っていました。


 ナリア様は、礼法研究会の令嬢たちと穏やかに話していました。


 昨日より少し表情は柔らかい。


 ただ、時折考え込むように目を伏せます。


 やはり、事件が気になっているのでしょう。


 私は見すぎないよう、視線を戻しました。


 待つ。


 見守る。


 それは本当に難しいです。


「ルイート様」


 ふいに声をかけられました。


 振り向くと、そこに立っていたのはセシリア・モートン子爵令嬢でした。


 私は一瞬、体が強張りました。


 エレナ様も、静かに姿勢を正します。


 セシリア様は青白い顔をしていました。


 手には小さな教本を抱えています。


「ごきげんよう、モートン様」


「ご、ごきげんよう」


 声が少し震えています。


 周囲には生徒がいます。


 ここで警戒を表に出してはいけません。


 私は穏やかに尋ねました。


「何かご用でしょうか」


 セシリア様は、唇を開きかけ、閉じました。


 何か言いたい。


 でも言えない。


 そんな様子です。


 私は待ちました。


 エレナ様も口を挟みません。


 やがてセシリア様は、小さな声で言いました。


「昨日の掲示板のことで……」


 胸が跳ねました。


 けれど、表情は変えません。


「はい」


「あの……」


 セシリア様は周囲をちらりと見ました。


 視線が落ち着きません。


「わ、私は……」


 その時。


「セシリア様」


 廊下の向こうから、柔らかな声がしました。


 ベアトリス様です。


 白い扇を手に、ゆっくりこちらへ歩いてきます。


 セシリア様の顔が一瞬で強張りました。


 私はそれを見逃しませんでした。


 エレナ様も気づいたようで、目がわずかに細くなります。


 ベアトリス様は優雅に微笑みました。


「こちらにいらしたのね。探しましたわ」


「ダ、ダルモア様……」


「ルイート様とお話し中でしたの?」


「いえ、その……」


 セシリア様は完全に萎縮しています。


 ベアトリス様は私へ視線を向けました。


「ごきげんよう、ルイート様。バートン様」


「ごきげんよう」


「セシリア様が何かご迷惑を?」


「いいえ。少しお話を」


「あら、そうでしたの」


 ベアトリス様は扇で口元を隠しました。


 その目は笑っていません。


「セシリア様は少し気が弱いところがありますから、余計なことを気にしてしまうのです。昨日の件でも、すっかり怯えてしまって」


 セシリア様がさらに顔を伏せました。


 私は、心の中で警戒を強めました。


 これは牽制です。


 セシリア様が何か話す前に、ベアトリス様が遮った。


 しかも「気が弱い」「怯えている」と先に印象づけた。


 もし後でセシリア様が何か言っても、動揺しただけ、思い込み、と扱えるように。


 巧妙です。


「そうでしたか」


 私は静かに言いました。


「昨日の件は、多くの方にとって不安な出来事でしたから」


「ええ。本当に」


 ベアトリス様は優雅に頷きました。


「だからこそ、憶測で誰かを疑うようなことは避けたいですわね」


「同感です」


 私が答えると、ベアトリス様は一瞬だけ目を細めました。


「さすがルイート様。冷静でいらっしゃいますのね」


「そうありたいと思っています」


「素晴らしいですわ」


 その言葉の奥に、何があるのか。


 まだ分かりません。


 ベアトリス様はセシリア様へ向き直りました。


「行きましょう、セシリア様。午後の授業に遅れますわ」


「……はい」


 セシリア様は、私を一瞬だけ見ました。


 何か言いたげな目。


 でも、すぐに伏せてしまいました。


 そしてベアトリス様と共に去っていきます。


 私はその背中を見送りました。


 エレナ様が小さく言いました。


「今のは、かなり怪しいですわね」


「はい」


「セシリア様は、何か知っています」


「そう思います」


「でも、ベアトリス様に抑えられている」


「おそらく」


 私は胸の奥が重くなるのを感じました。


 セシリア様は犯人なのか。


 共犯なのか。


 それとも、脅されているのか。


 まだ分かりません。


 ただ一つ、分かることがあります。


 彼女は何か言おうとしていました。


 そして、ベアトリス様はそれを止めた。


「殿下とグラシア様に伝えましょう」


 エレナ様が言いました。


「はい」


「ただし、これもまだ証拠ではありません」


「分かっています」


 待つ。


 証拠を集める。


 焦らない。


 私たち全員に必要な心得です。


 放課後の学術研究会。


 今日は、いつもの五人だけでした。


 見学者はありません。


 表向きの議題は、王国法における証言の扱い。


 あまりにも今の状況に沿っています。


 レオン様の選定でしょう。


 彼は本当に抜かりがありません。


 研究会が始まる前に、私は昼休みのセシリア様の件を報告しました。


 殿下は静かに聞いていました。


 怒りは見えます。


 けれど、抑えています。


「セシリア嬢が、君に何か言おうとした」


「はい」


「ベアトリス嬢が、それを遮った」


「はい」


「……」


 殿下は目を伏せました。


 拳が握られます。


 でも、すぐに開きました。


 呼吸。


 できています。


「今すぐ問いただしたい」


 殿下は正直に言いました。


「だが、それはしない」


「はい」


「セシリア嬢が怯えているなら、無理に追い詰めれば余計に口を閉ざす」


 レオン様が頷きました。


「その通りです」


「それに、彼女が加害者か被害者かも分からない」


「はい」


 殿下は少しだけ苦い顔をしました。


「任せる、待つ、焦らない……か」


「今日は、そこに『追い詰めない』も追加ですね」


 私が言うと、殿下は小さく頷き、紙に書き足しました。


『追い詰めない』


 エレナ様が柔らかく微笑みました。


「殿下の心得帳、どんどん立派になりますわね」


「内容が情けない気もする」


「いいえ。どれも大切ですわ」


 ナリア様が静かに言いました。


 その声に、殿下が顔を上げます。


 ナリア様は少し恥ずかしそうにしながらも、続けました。


「待つことも、追い詰めないことも、相手を大切に扱うために必要なことだと思います」


 殿下の瞳が揺れました。


「そうか」


「はい」


「なら、覚える」


 短く言った殿下の声は、真剣でした。


 ナリア様の頬が少し赤くなります。


 私は心の中で、そっと頷きました。


 良いです。


 今日は良いです。


 研究会では、証言の信頼性について議論しました。


 レオン様が資料を読みます。


「証言には、直接見聞きした事実と、推測や感情が混ざりやすい。そのため、複数の証言を照合し、矛盾点を確認することが重要とされています」


 私は続けました。


「たとえば、ある人物が特定の時間に廊下を歩いていたという証言があっても、それだけでは何をしたかまでは分かりません」


 殿下が頷きました。


「近くにいたことと、行為をしたことは別だ」


「はい」


 ナリア様が静かに言いました。


「そして、誰かが怯えている場合、その怯えが罪悪感からなのか、別の圧力からなのかも慎重に見なければなりません」


 ナリア様の言葉に、場が少し静かになりました。


 セシリア様のことを指している。


 皆、分かりました。


 殿下はナリア様を見ました。


「君は、どう思う」


 ナリア様は少し驚きました。


「私ですか」


「ああ。君の意見を聞きたい」


 自然です。


 頼っています。


 ナリア様は一度視線を落とし、考えました。


「私は……セシリア様が何かをご存じなのではないかと思います」


「うん」


「でも、あの方が悪意を持ってされたのかは、まだ分かりません。今日の様子を聞く限り、怖がっているようにも思えます」


「そうだな」


「だから、問い詰めるのではなく、安心して話せる場が必要なのではないでしょうか」


 殿下は静かに聞いていました。


 そして言いました。


「参考になる」


 そこで止めるかと思いましたが、彼は続けました。


「ありがとう。君の考えは、相手をすぐに決めつけないところが良いと思う」


 ナリア様の頬が赤くなりました。


 私も少し驚きました。


 具体的な褒め言葉。


 しかも自然です。


 重すぎない。


 殿下、すごいです。


 ナリア様は、小さく微笑みました。


「ありがとうございます」


 殿下も少し赤くなりましたが、口を閉じました。


 呼吸もしています。


 よろしい。


 研究会が終わる頃、方針がまとまりました。


 一つ、セシリア様を直接問い詰めない。


 二つ、彼女が話しかけてきた場合は遮らず聞く。


 三つ、ベアトリス様や取り巻きの前では反応を控える。


 四つ、教師側の調査結果を待つ。


 五つ、ナリア様と私の移動時には必ず誰かが同行する。


 そして六つ。


 ナリア様が提案しました。


「もし可能なら、セシリア様が一人になった時に、私から声をかけてみてもよろしいでしょうか」


 殿下が即座に反応しました。


「それは危険だ」


 声が少し強くなりました。


 ナリア様の肩がわずかに震えます。


 殿下はすぐに気づき、口を閉じました。


 そして息を吸いました。


「……すまない。強く言いすぎた」


 ナリア様は小さく首を横に振りました。


「いいえ。心配してくださったのですよね」


「ああ」


 殿下は、今度は慎重に言いました。


「君が一人でセシリア嬢に近づくのは、不安だ」


「はい」


「だが、君が自分で何かをしたいと思っていることも、尊重したい」


 殿下。


 私は心の中で呟きました。


 よく言えました。


 守りたい気持ちを押しつけず、ナリア様の意思も見ています。


 ナリア様も、それを受け取ったようでした。


「ありがとうございます」


 彼女は静かに微笑みました。


「私も、一人では動きません。ルイート様かバートン様に一緒にいていただける時だけにします」


 殿下は少しだけ安心したように息を吐きました。


「それなら……」


 彼は言葉を探しました。


「任せる」


 短い一言でした。


 けれど、殿下にとってはとても難しい一言だったはずです。


 ナリア様の瞳が揺れました。


「はい」


 彼女は頷きました。


「任せていただけるよう、無理はしません」


 殿下は赤くなりながらも、穏やかに頷きました。


 その日の帰り道。


 私はエレナ様と並んで校舎を出ました。


 夕方の空は薄く曇り、太陽は雲の向こうに滲んでいます。


 中庭の花壇には、昨日より少し冷たい風が吹いていました。


「殿下、今日はずいぶん頑張りましたわね」


 エレナ様が言いました。


「はい」


「ナリア様に任せる、と言えたのは大きいですわ」


「本当に」


「以前なら、絶対に止めていたでしょうね」


「そして余計な言葉を重ねていたでしょうね」


「ええ」


 私たちは小さく笑いました。


 でも、その笑いはすぐに静かになりました。


 セシリア様のことがあります。


 彼女が何を知っているのか。


 何を言おうとしたのか。


 ベアトリス様はどこまで関わっているのか。


 まだ分かりません。


「明日以降、セシリア様がまた近づいてくる可能性がありますね」


「ありますわ」


「その時、逃さず、でも追い詰めず」


「難しいですわね」


「はい」


 エレナ様は少し考え、言いました。


「でも、今日のナリア様は強かったですわ。自分で動きたいとおっしゃった」


「はい」


「殿下も、それを止めきらずに任せた」


「はい」


「少しずつ、全員が変わっていますわね」


 私は頷きました。


 池で泣いていた残念王子。


 傷ついて俯いていたナリア様。


 一人で抱え込みがちだった私。


 面白がりながらも支えてくれるエレナ様。


 冷静に整えてくれるレオン様。


 それぞれが少しずつ変わり、学術研究会はただの隠れ蓑ではなく、本当に互いを支える場所になり始めています。


 けれど、その中心にはまだ火種があります。


 匿名文。


 セシリア様。


 ベアトリス様。


 そして、証拠のない疑い。


 私は曇り空を見上げました。


 王太子殿下。


 今日のあなたは、任せることを覚えました。


 守るために前へ出るだけでなく、相手の意思を尊重することも覚えました。


 どうか明日も。


 疑いに飲まれず、怒りに走らず、大切な人たちを信じて待つ強さを持ってくださいませ。

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