回る側の論理
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前書き
制度は、
誰かを守るために作られる。
だが制度は、
守れなかった人の声を
持たない。
それでも、
その声は消えない。
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第九話 回る側の論理
朝の会議室は、
夜とは別の顔をしていた。
蛍光灯の白い光。
整えられた机。
揃った資料。
三崎は、
いつもの席に座り、
モニターを見ていた。
画面には、
昨日とよく似たグラフが映っている。
わずかに下がり、
そのまま横ばい。
「大きな変動はありません」
担当者の声。
「現行ラインで問題なし、
ですね」
誰かがまとめる。
「はい」
誰も反論しない。
三崎は、
自分の手元に置かれた資料を
一枚だけめくった。
そこには、
“想定利用者”という項目がある。
年齢層。
購買頻度。
生活パターン。
どれも、
平均値だ。
平均から外れたものは、
想定外として
計算から落ちる。
「現場の声は?」
上司が言う。
「特に、
大きな問題は」
言いかけて、
言葉が止まる。
「……ありません」
その一拍を、
誰も拾わなかった。
会議は、
定刻通りに終わる。
三崎は、
立ち上がりながら思う。
――問題がない、
とは。
それは、
報告されなかった
問題の総和だ。
昼休み、
三崎は屋上に出た。
空は高く、
雲は少ない。
スマートフォンを開く。
あの掲示板を見る。
元医者の投稿が、
久しぶりに更新されていた。
制度は、
想定できたものしか
守れません。
それ以外は、
「個別の事情」として
片付けられます。
三崎は、
画面を見つめたまま動かなかった。
その下に、
エリオットの返信がある。
だから、
想定外が現れたとき、
私たちは
制度ではなく
人を見る必要があります。
短いが、
はっきりした言葉だ。
三崎は、
返信欄を開く。
だが、
何も書かずに閉じた。
言葉にすれば、
どこかで
責任の話になる。
責任は、
彼一人のものではない。
夜。
いつもの時間。
いつものコンビニ。
老人は、
棚の補充をしていた。
「お疲れさまです」
三崎が言うと、
老人は顔を上げる。
「ええ。
回ってますから」
その言葉に、
少しだけ含みがあった。
「……昔は」
老人は、
商品を並べながら言う。
「想定って言葉、
あまり使わなかった」
「そうなんですか」
「ええ。
余白、って言ってました」
三崎は、
その手を止める。
「余白?」
「はみ出す人が
出る前提、
ですね」
老人は、
棚を一つ叩く。
「今は、
余白を削る方が
効率がいい」
「回りますから」
三崎は、
その言葉を
昨日、
誰かから聞いた気がした。
「……それで」
老人は、
少しだけ声を落とす。
「余白に立った人は、
目立つようになった」
ミオの姿が、
頭に浮かぶ。
「目立つと、
問題にされる」
老人は、
それ以上言わなかった。
言わなくても、
伝わることがある。
外に出ると、
ミオがいた。
今日は、
少し疲れた顔をしている。
「……やっぱ来た」
それだけ言う。
三崎は、
頷いた。
「ねえ」
ミオが言う。
「ここってさ」
「はい」
「ちゃんとしてるから、
逃げ場に見えるんだよ」
三崎は、
答えられなかった。
逃げ場。
それは、
制度が想定していない
使われ方だ。
「でもさ」
ミオは、
靴先で地面を蹴る。
「逃げ場に
見えちゃう時点で、
もう
外れてんだよね」
その言葉は、
静かだった。
責めてもいない。
ただ、
理解している。
三崎は、
その横顔を見て思う。
彼女は、
制度の外にいるのではない。
制度の縁を、
照らしている。
回る側の論理は、
止まらない。
だが、
止まらないからこそ、
縁が見える。
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後書き
制度は、
冷たいから
問題なのではありません。
完璧に近いから、
余白が消える。
次は、
その余白に
立ち続けることの
重さが、
少しだけ
語られます。
――続きます。




