第二十四話 境界を越えてきた人
前書き
長い時間を隔てた再会は、
説明よりも先に、
身体が覚えている。
抱き合う一瞬に、
言葉より多くの
前提が含まれている。
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到着ロビーは、
思っていたより静かだった。
平日の昼。
観光客よりも、
仕事帰りのような人間が多い。
エリオットは、
到着案内の電光掲示板を
一度だけ確認し、
その場を動かなかった。
歩き回るほど、
落ち着かなくなることを
自分で知っている。
やがて、
人の流れの中に
一人、背の高い男が現れた。
少し伸びた髪。
皺の入ったジャケット。
歩き方だけは、
学生時代のままだった。
目が合う。
次の瞬間、
互いに笑っていた。
言葉は要らなかった。
エリオットが
一歩踏み出し、
男も同時に歩く。
軽い衝突。
そして、そのまま
肩を抱く。
「……久しぶりだな」
エリオットが言う。
「思ったより
老けてない」
男が返す。
声は低く、
少し掠れている。
「そっちこそ」
「飛行機、
嫌いだっただろ」
「今もだ」
男は肩をすくめる。
「でも、
来た」
それだけで、
十分だった。
⸻
車に乗り込むと、
会話は途切れなかった。
近況。
共通の知人。
消息が途切れた名前。
深い話はしない。
けれど、
表面だけでも
積もる量が多い。
「日本は?」
男が聞く。
「変わらない」
エリオットは答える。
「変わらないまま、
更新され続けている」
男は、
窓の外を見た。
整った道路。
無駄のない標識。
「……綺麗だ」
「綺麗すぎる」
エリオットは、
それ以上言わなかった。
⸻
夜。
二人は、
駅から少し離れた
古い飲み屋に入った。
暖簾をくぐると、
油と出汁の匂いが
一気に押し寄せる。
カウンター。
狭い。
でも、落ち着く。
「ビールでいいか」
エリオットが聞く。
「それ以外を
頼む理由がない」
すぐに
ジョッキが並ぶ。
男は、
一口飲んでから
目を見開いた。
「……なんだ、これ」
「普通のビールだ」
「違う」
もう一口。
「冷たいのに、
痛くない」
「喉に
引っかからない」
エリオットは、
少しだけ笑った。
「日本だ」
料理が出てくる。
小皿。
焼き魚。
煮物。
揚げ物。
男は、
箸を止めたまま
見つめている。
「説明してくれ」
「何を?」
「どうして、
こんなに
丁寧なんだ」
「……生活だからだ」
男は、
恐る恐る箸を伸ばす。
一口。
言葉が止まる。
「……衝撃だな」
「素材の味、
って言葉」
「冗談だと
思ってた」
「これは」
少し間を置いて。
「毎日
食べたら、
身体が
戻ってしまう」
エリオットは、
その言い方を
覚えておくことにした。
⸻
酒が進む。
自然に、
話題は
仕事へと流れる。
「で」
男が言う。
「お前が
日本にいる理由は?」
エリオットは、
グラスを置いた。
「観測だ」
「まだ
言ってるのか」
男は笑う。
「お前は
いつも
安全な言葉を
選ぶ」
「君は
危険な言葉を
投げる」
「仕事だからな」
男は、
ビールを飲み干す。
「医療も、
食品も、
政治も」
「全部、
線でつながってる」
「でも、
誰も
一本の線として
語らない」
「語った瞬間、
居場所を失うからだ」
エリオットは、
反論しなかった。
「テレビは?」
男が続ける。
「スポンサーだ」
「悪意じゃない」
「合理性だ」
「視聴者は
安心したい」
「不安は
短く消費したい」
「長く残る話は、
嫌われる」
エリオットは、
静かに言った。
「君は
嫌われる側を
選んだ」
男は、
一瞬だけ
視線を逸らす。
「……誰かが
やる」
「それだけだ」
⸻
料理が
最後の一皿になる。
男は、
名残惜しそうに
箸を置いた。
「なあ」
「この国さ」
「完成してる分、
壊れにくいな」
「だから」
「中にいる人が、
一番、
気づきにくい」
エリオットは、
頷いた。
「君は
壊しに来たのか」
男は、
少し考えた。
「いいや」
「投げに来た」
「拾うかどうかは、
向こうの問題だ」
エリオットは、
その言葉の重さを
知っていた。
⸻
店を出ると、
夜風が
心地よかった。
「しばらく
いるんだろ」
エリオットが言う。
「ああ」
「面白い国だ」
「腹も
減らない」
「身体が
黙る」
エリオットは、
最後に聞いた。
「後悔は?」
男は、
少しだけ笑った。
「嫌われるのは、
慣れてる」
「でも」
一拍。
「無視されるのは、
慣れてない」
エリオットは、
その言葉を
胸に留めた。
この男は、
速度を上げる。
そしてきっと、
誰かと
ぶつかる。
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後書き
遠くから来た人は、
構造を
一望できます。
けれど、
足元の速度までは
測れません。
この夜、
新しい言葉が
持ち込まれました。
それは、
正しいかもしれない。
けれど、
誰の生活に
落ちるのかは、
まだ分かりません。
次は、
この言葉が
思いがけない場所で
跳ね返る話です。




