線を引かない人たち
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前書き
線は、
守るために引かれる。
けれど、
守られるのは、
たいてい人ではない。
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第十三話 線を引かない人たち
その夜、三崎は寄り道をしなかった。
喫茶店を出たあと、
エリオットとも別れ、
まっすぐ駅へ向かった。
川崎の夜は、
相変わらず忙しい。
人の流れは途切れず、
看板は光り、
コンビニは“ちゃんとして”いる。
すべてが、
昨日と同じだ。
それでも、
世界が同じだとは思えなかった。
改札を抜ける直前、
三崎は足を止めた。
駅前のコンビニ。
昨夜と同じ場所。
同じ光。
そこに、
ミオはいなかった。
それを確認して、
胸の奥が、
少しだけ静かになる。
「……いると思った?」
背後から声がした。
振り向くと、
エリオットが立っていた。
紙袋を一つ持っている。
「少しだけ」
三崎は正直に言った。
「彼女は、
線の外にいますから」
エリオットは言う。
「だから、
いつもそこにいるわけじゃない」
二人は、
コンビニの前に並んだ。
自動ドアが開き、
閉まる。
「葛城は、
落ち込んでいます」
エリオットが言った。
「でしょうね」
「彼は、
間違ったことは言っていません」
「ええ」
三崎は頷く。
「でも、
彼は“答え”を
先に出しすぎた」
エリオットは、
少し考えてから言葉を続ける。
「線を引くと、
世界が分かりやすくなります」
「分かりやすい世界は、
安心です」
「でも」
視線が、
軒先に向く。
「分かりやすさは、
誰かを
切り捨てます」
三崎は、
ミオの背中を思い出した。
振り返らなかった背中。
「彼女は、
何も選んでいない」
エリオットは言う。
「ただ、
生きているだけです」
「それなのに、
説明の中では
“例外”になる」
三崎は、
拳を開いた。
「例外って、
便利な言葉ですね」
「ええ」
エリオットは、
少しだけ笑った。
「例外がある限り、
理論は
壊れませんから」
二人の間に、
短い沈黙が落ちた。
そのとき、
コンビニの中から
老人が出てきた。
夜勤の休憩だろう。
背中を伸ばし、
煙草に火をつける。
「今日も、
静かですね」
老人が言う。
誰に向けた言葉かは、
分からない。
「そうですね」
三崎が答えた。
「静かすぎると、
怖いこともあります」
老人は、
肩をすくめる。
「ここは、
何も起きない方が
いい場所ですから」
その言葉は、
責任を持たない代わりに、
人を追い出さない響きを持っていた。
エリオットは、
老人を見てから、
三崎に目を戻す。
「線を引かない、
という選択もあります」
「ただし」
「不安定です」
三崎は、
その“不安定”という言葉に、
奇妙な安心を覚えた。
「……不安定で、
いいんだと思います」
「完成している世界で、
全部が
安定している方が、
むしろ怖い」
エリオットは、
何も言わなかった。
否定もしない。
それで十分だった。
遠くで、
電車の走る音がする。
誰かが、
コンビニに入っていく。
誰かが、
出ていく。
ミオではない。
それだけで、
今日は終わる。
三崎は、
少しだけ肩の力を抜いた。
「葛城は、
また線を引こうとします」
エリオットが言う。
「ええ」
「でも、
彼もまた、
見てしまった人です」
「だから」
三崎は言った。
「置いていかないでください」
エリオットは、
ゆっくり頷いた。
「線の外には、
人がいますから」
二人は、
それ以上話さなかった。
話さなくても、
壊れない距離だった。
コンビニの光は、
相変わらず
均一で、
やさしい。
それが、
正しいのかどうかは、
まだ分からない。
けれど三崎は思った。
少なくとも今は、
誰かを
説明の中に
閉じ込めないでいたい。
それだけで、
十分だと。
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後書き
線を引くことは、
世界を理解するための
一つの方法です。
けれど、
理解できる形にした瞬間、
理解できない人が
生まれます。
この物語は、
線を引かない勇気を
称える話ではありません。
線の外に
立ち続ける人を、
見失わないための
記録です。
次は、
線を守ろうとする力が
動き出します。
――続きます。




