線を引く人
⸻
前書き
違和感は、
長く抱えていられるものではない。
それは、
いつか形を持ち、
境界線になる。
⸻
第十二話 線を引く人
三崎が葛城と出会ったのは、
偶然と呼ぶには、少しだけ整いすぎていた。
場所は、川崎駅から少し離れた、
古い喫茶店だった。
昼でも照明が落ち着いていて、
時間が均一に流れない場所。
エリオットが、
「知人がいる」と言った。
それ以上の説明はなかった。
三崎が席に着くと、
すでに葛城はコーヒーを飲んでいた。
年齢は、三崎より少し上だろう。
服装は地味で、
派手な主張はない。
ただ、視線だけが落ち着かない。
「三崎さんですよね」
名刺は出てこなかった。
「はい」
「初めまして。
葛城です」
それだけで、
彼はすぐ本題に入った。
「線、引きたくなりません?」
唐突だった。
三崎は、
一拍置いてから答えた。
「……何の線ですか」
「全部です」
葛城は、
あっさり言った。
「医療も、
食品も、
生活も」
「繋がってるように見えません?」
三崎は、
すぐには返さなかった。
エリオットは、
黙って二人を見ている。
葛城は、
待たない人だった。
「例えばですよ」
彼は、
指でテーブルを軽く叩く。
「加工食品。
便利ですよね。
安いし、保存も効く」
「でも、
体調を崩す人が増える」
「すると、
検査が増える」
「検査が増えれば、
機器が売れる」
「機器が売れれば、
研究が進む」
「研究が進めば、
新しい薬が出る」
「薬が出れば、
慢性疾患として管理される」
葛城は、
一息も入れずに言った。
「で、
管理される人は、
また忙しくなる」
「忙しくなるから、
加工食品に戻る」
「……ね?」
三崎は、
静かにコーヒーを口にした。
味は、苦かった。
「それは」
言葉を選ぶ。
「結果論、ですね」
葛城は、
笑った。
「そう。
結果論です」
「でも、
結果が同じ方向に
何度も出ると、
人は線を引きたくなる」
エリオットが、
ようやく口を開いた。
「あなたは、
誰かが
そう設計したと
思っていますか」
葛城は、
少しだけ首を振る。
「思ってません」
即答だった。
「そんな天才、
いませんよ」
「ただ」
彼は、
少し声を落とす。
「最適化したら、
そうなっただけです」
その言い方に、
三崎は既視感を覚えた。
誰も悪くない。
でも、
止まらない。
「線を引かないと」
葛城は続ける。
「見えなくなるんです」
「全体が」
「だから、
誰かが言わなきゃいけない」
三崎は、
その“誰か”という言葉に、
微妙な違和感を覚えた。
「言ったら」
三崎が言う。
「どうなります?」
葛城は、
少し黙った。
「……嫌われます」
「過激だって言われる」
「陰謀論って言われる」
「でも」
視線が、
真っ直ぐになる。
「誰も反論できない部分だけ、
無視される」
エリオットは、
静かに言った。
「線を引くと、
安心しますから」
葛城は、
苦笑した。
「そうなんです」
「全部が
繋がってるって思えると、
説明できる」
「怖さが、
減る」
三崎は、
昨夜のミオを思い出した。
「で?」
唐突に、
背後から声がした。
三人が振り向く。
ミオだった。
いつの間にか、
店の入口に立っている。
「それ、
だから何?」
葛城は、
一瞬、言葉を失った。
「いや、
だから……」
「それ知ってさ」
ミオは、
椅子に座らず、
立ったまま言う。
「私、
明日どうすんの?」
沈黙が落ちた。
葛城は、
口を開いたが、
音にならなかった。
「食べるし」
ミオは続ける。
「コンビニ行くし」
「体調悪くなったら、
病院も行く」
「それ、
ダメなの?」
誰も、
すぐに答えられなかった。
葛城は、
視線を落とした。
「……ダメじゃない」
「ただ」
「ただ?」
ミオは、
一歩近づく。
「“ただ”ってさ」
「いつも、
私の後に来るんだよね」
三崎は、
何も言わなかった。
エリオットも、
黙っていた。
葛城は、
小さく息を吐いた。
「……そうですね」
ミオは、
それ以上責めなかった。
「じゃ、
いいや」
そう言って、
踵を返す。
「ごめんね」
最後に、
振り返らずに言った。
「難しい話、
分かんないから」
店のドアが閉まる。
葛城は、
しばらく動かなかった。
「……彼女は」
「正しいですね」
エリオットが言う。
「でも」
葛城は、
拳を握る。
「正しいだけじゃ、
変わらない」
三崎は、
ゆっくり立ち上がった。
「変えなくていいことも、
あります」
葛城は、
三崎を見た。
その目には、
焦りがあった。
「それでも、
線を引きたくなるんです」
三崎は、
頷いた。
「分かります」
「だから」
少しだけ、
間を置く。
「線の上に、
立たないでください」
葛城は、
苦く笑った。
「難しいですね」
「ええ」
三人は、
それぞれ違う方向を見ていた。
⸻
後書き
線を引くことは、
理解のための行為です。
けれど、
線の上に立つと、
足元が見えなくなります。
次に起きるのは、
線を守ろうとする衝動です。
それは、
正しさとは
少し違う形をしています。
――続きます。




