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境界線の上で、立つ — Standing on the Line —  作者: 和泉發仙


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名前のない違和感

前書き


言葉は、

正しさよりも先に、

速度を持つ。


それが早すぎるとき、

人は内容ではなく、

調子を疑う。





第十一話 名前のない違和感


三崎は、朝の電車でスマートフォンを見なかった。


珍しいことだった。

いつもなら、駅に着くまでの数分を使って、

ニュースの見出しを追い、

数字を確認し、

頭を仕事用に切り替える。


今日は、それをしなかった。


理由は分からない。

ただ、昨夜の光が、

均一な明るさのまま、

頭の奥に残っていた。


会社に着き、

デスクに座る。

PCを立ち上げる。

メールを処理する。


それでも、

「問題ない」という言葉が、

微妙に引っかかる。


問題ない、とは、

何を基準に言う言葉だったか。


三崎は、自分の手帳を閉じた。


昼休み。

社食は混んでいた。

いつもの席は空いていない。


三崎は、少し迷ってから、

建物の外に出た。


ベンチに腰を下ろし、

コンビニで買ったサンドイッチを開く。


そこで、

エリオットからメッセージが届いた。


「昨夜の話の続きになるかもしれません。

少し、読んでしまいました」


リンクが一つ。


三崎は、

一瞬だけ指を止めた。

それから、

開いた。


画面に表示されたのは、

個人ブログだった。


派手なデザインではない。

広告も少ない。

白地に黒文字。

文章は長く、

段落がきちんと切られている。


筆者名は、

実名ではなかった。


肩書きだけが、

控えめに書かれている。


「元・医師」


三崎は、

ゆっくり読み始めた。



「これは告発ではありません。

私は誰かを責めたいわけではない。

ただ、

“前提”について書いておきたい」


文章は、

静かだった。


怒りも、

煽りもない。


「医療は善意で動いています。

製薬会社も、病院も、

研究者も、

自分の仕事をしているだけです」


「問題は、

それらが組み合わさったとき、

“終わらない形”が

最も安定してしまう点です」


三崎は、

息を吸った。


「終わらない形」


昨夜の言葉と、

重なる。


「治る、という概念は、

いつの間にか

“管理する”に置き換えられました」


「それ自体は、

現実的な判断です。

ですが、

管理が前提になると、

私たちは

“元に戻る”という想像を

しなくなります」


文章は、

丁寧だった。


丁寧すぎるほどだ。


「私は医師として、

正しい判断をしてきたと思います」


「それでも、

あるとき気づきました」


「この仕組みは、

“続くこと”を

前提に設計されている」


「誰かが悪いのではない。

ただ、

終わると困る人が

多すぎるのです」


三崎は、

サンドイッチを半分ほど食べたところで、

手を止めた。


文章の最後に、

こう書かれていた。


「この話は、

不安を煽るためのものではありません」


「ただ、

“問題ない”と言う前に、

何を前提にしているのかを

一度、

確認してほしい」



読み終えたとき、

三崎は、

妙な感覚に包まれていた。


反論は、

いくらでも浮かぶ。


現実的ではない。

代替案がない。

極論に近い。


それなのに、

否定する言葉が、

喉に引っかかる。


エリオットから、

もう一通メッセージが来た。


「彼の書いていることは、

正確ではありません」


「でも、

間違っているとも

言い切れない」


三崎は、

画面を見つめた。


「言葉が、

少し早すぎるのだと思います」


その一文で、

腑に落ちた。


早すぎる。


だから、

過激に見える。


だから、

拒否される。


三崎は、

画面を閉じた。


午後の会議は、

予定通り進んだ。


効率。

最適化。

コスト。


どの言葉も、

正しかった。


三崎は、

一つも反論しなかった。


会議が終わったあと、

誰かが言った。


「まあ、問題ないでしょう」


三崎は、

頷いた。


頷いたが、

その言葉が、

昨夜よりも

少しだけ軽く感じられた。


夜。


駅前のコンビニの前を、

通り過ぎる。


今日は、

ミオはいなかった。


それを確認してから、

少しだけ歩く。


エリオットが、

後ろから来た。


「読みました?」


「はい」


「どう思いました?」


三崎は、

すぐに答えなかった。


「……分かります」


そう言ってから、

付け足す。


「でも、

同意はできません」


エリオットは、

静かに頷いた。


「それでいいと思います」


「彼は、

線を引こうとしています」


「でも、

線を引くと、

見えなくなるものもあります」


三崎は、

思い出す。


段差に置いたスープ。

受け取られなかった手。


「言葉って、

便利ですね」


三崎が言う。


「便利すぎます」


エリオットが答えた。


二人は、

しばらく黙って歩いた。


コンビニの光が、

後ろに遠ざかる。


誰も立っていない軒先。


それでも、

そこは変わらず

“ちゃんとしている”。


三崎は思った。


言葉にしてしまえば、

楽になる。


でも、

言葉にした瞬間、

誰かが

置いていかれる。


それなら、

今はまだ、

この違和感を

名前のないまま

持っていてもいい。


そう思えたのは、

昨夜、

何も説明しなかったからだ。







後書き


言葉は、

真実を伝えるために

使われます。


けれど同時に、

真実を

置き去りにすることもあります。


速すぎる言葉は、

届く前に

拒まれる。


遅すぎる言葉は、

意味を失う。


次に現れるのは、

その速度に

耐えきれなくなった人です。


線を引かずには

いられない人が、

やってきます。


――続きます。

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