第五話 新たな仲間
「…」
時刻は夕暮れ。バングスルー付近の山、中腹。ユアとの3日目の特訓を終えて宿へと向かっているところだ。いくら街が近いとはいえ夜の山は基本的に危険が伴う。
遭難する可能性もあるだろうし、魔物は夜に活発になることが多い。どうやら治安維持部隊のおかげでこの付近には魔物の姿はほとんどないが、それでも全くいないとは言い切れないだろう。
「…なあ、後どのくらいでこの街を出るんだ?」
ふと隣を歩いていたユアが俺の顔を覗き込んでくる。
「おそらく明後日だな。特訓はそれまでだ。」
「剣の修理が終わったら、すぐに出ていくんだっけ。」
「その日にはもうお別れだ。」
「…もう少し泊まっていく気はないか?生まれてこの方ここにいるから他と比較はできないが、バングスルーは中々いい街だぞ。」
「無理だな。そもそも昨日今日にはここを出ていく予定だったんだよ。これ以上滞在すると宿泊費がバカにならない。」
昨日でもう金稼ぎは終えてしまった上に、相変わらず資金に余裕はない。昨日酒場であまり稼げなかったのは、おそらく店側にある程度タネがバレてしまっているのだろう。ならばこれ以上の稼ぎも見込めない。
ユアが俺を引き止めようとする理由はわかる。ただ訓練をもう少ししたいだけなのだろう。
確かにユアの魔法弾はこの3日間で驚くほど進化したが、それでも魔法使いとしてはやはり心許ない。旅に出る実力なんて、まだまだ足りていないのだ。
「そうか、金なら、まあ仕方ないのか。」
「あんま納得してねえように見えるんだけど。」
「…恥ずかしながら、金で困るという感覚がよくわからないんだ。」
「そりゃ羨ましい。」
ユアの身なりは金持ちのそれとまではいかなくとも、ある程度しっかりしている。まるで子供のまま成人を迎えたようだ、と思ったことが結構あるが、実際間違ってはいないのだろう。
「旅に出れば困ることなんていくらでもあるぞ。金もそうだし、寝る場所も人付き合いも大変だ。楽な状況なんて、多分今より圧倒的に少なくなる。」
冒険者、旅人、そんな言葉に夢みる者は意外と多いのだという。俺からすれば到底ありえない感覚だ。
「山中で魔物に襲われることなんて日常茶飯事だし、泊まる場所がなくて野宿することもある。大変なクエストをこなした後に、依頼主に飛ばれる可能性だって0じゃない。」
「それは全部、経験してきたことか?」
「合わせて30回くらいはあるな。」
正確に言えば依頼主に飛ばれることは少ないため、ほか2つがずば抜けて多い。食べるものがなく、泊まるものがなく、死にかけたことはまだ片手で数えるほどだったか。
「こんな話を聞いても、旅に出たいと思うか?」
「ああ、より楽しみになった。私の知らない世界がまだまだ広がっているんだろ。」
「やっぱお前…知識に対しては信じられないほど貪欲だな。」
今の不幸話を聞いて尚、旅に出たいと思うばかりかその意欲がより強くなるなんて、この街娘の探究心が計り知れない。
「別に俺がいなくても訓練ができなくなるわけじゃない。舞台準備は流石に残せないが、この山の中なら魔法弾を打つ練習なんていくらでもできるだろ。」
ライズカーテン、魔物を召喚する場所として作ったあの魔法は、おおよそ1週間くらいで自然に消滅してしまう。壁を建てる専門家であれば、もっと長い期間維持できるらしいが、その手段を俺は知らない。
「まあ多分何とかなる。もうしばらく力をつけてから、親を説得してみろ。」
ユアの親は腕の立つ剣士と魔法使いだったらしい。元々は旅に出ていたこともあると言っていた。そんな両親がただ無為にユアが冒険することを禁止しているわけではないのだろう。
おそらくユアの両親はこいつの弱さを理解している。それ故にユアが旅に出ることを許していない。
逆説的に言えば、ある程度の力さえあれば、街を出るのに大きく拒否されることはないだろう。ある程度の思惑があろうとも、力をつければそう簡単に首を振るわけにもいかないはずだ。
そう結論づけて…俺にしては珍しく、他人の人生に道筋を示したところで、しかしユアはあまり納得いかなさそうに何か考え込んでいる。
「…このプランでなんか問題があるか?」
「いや、何も。センフの言うとおり、ここから実力をつけて両親を説得するのが一番いいのだろう。1人で旅に出るかパーティーを組むかは未定だが…後者の場合は、隣町のギルドを利用するつもりだ。」
ユアは指を一つずつ折りながら、俺が伝えてきたようなこれからの道筋を確認していく。
「だが、何か納得がいかない。」
「何かってなんだよ…」
「さあ、私にもうまく説明ができないんだ。」
しかし薬指まで折ったところで、その顔を歪ませて首を傾げる。
「なあセンフ、お前は今パーティーを組んでいないんだよな。」
「…このやりとり何回目だ?今は1人だ。」
「これからも、か?」
「未来のことはわからねえが、今のところは。」
自分の将来のことなど何もわからないし、確定もしていない。だが、しばらくは…もしかすればずっと1人の可能性も十分ある。
あれだけともに時間を過ごした、一生とまではいかなくとも、それなりに旅をすると思っていた仲間といたのも、人生においてはほんの一部の出来事だ。
俺がそう告げたところで、ユアはそうか、なんて呟きながらまた視線をこちらへと向ける。
「なら、その旅に私を連れて行ってくれないか?」
「…はあ?」
そして、まるでこともなさげにそう言ったのだ。
「お前、いきなり何言ってんだ?」
「そのままの意味だよ。センフがこの街を出る時に、私もお前についていくと言ったんだ。」
「意味がわかってねえわけじゃねえよ。いや、お前の考えは意味わからないけど。」
俺と旅に出る、俺についていく、なんてどういうつもりだ?唐突にユアが発したそんな提案を、俺は全く飲み込めていなかった。
「ダメか?」
「いいとか悪いとかじゃない。そもそも何でついてくんだよ。」
「共に旅路を歩めば、魔法をまた教えてもらえるだろう。それに出会った時みたいに、センフは旅について詳しい。おそらくそこらへんの冒険者ギルドにいた人たちよりもな。」
「思ったよりも利己的な考えだな。」
なるほど確かに、俺と一緒に来れば今日と同じように魔法の訓練を受けることはできるだろう。それに同世代の連中よりかはきっと、旅の経験は豊富な方だ。
「別に損得勘定だけで考えているわけじゃないぞ。それ以外にもある。」
「損得勘定以外の理由ってなんだよ。」
「…単純に、寂しいんだ。出会ってからこうして魔法を教えてもらっている間に、私たちはずいぶん親しくなっただろう。」
「そんなことないだろ。まだ会って1週間も経ってねぞ。」
「あい変わらず非情だな。」
「実直な感想だよ。」
親しくなった、というには些かこの街娘のことを俺は何も知らない。そもそも親しくなったという感覚すらまともになかった。どの程度までいけば仲が良いと言えるのだろうか。
「私は少なくとも、明後日にこの街を出ていくとセンフが言った時、寂しく感じたんだ。まだ先のことなのに。」
ユアは一週間ほど前に、バングスルーの広場で別れた時と同じような顔をしていた。
「だから一緒に旅に出たい。これじゃダメか?」
「これじゃダメかって…寂しいってのは後付けだろ。」
「…どうして分かった?」
「お前は嘘つくの下手だからな。簡単に嘘と本音が区別できるんだよ。」
「私たちはまだ親しいわけではなかったんじゃないか?」
「親しくなくても癖は見抜ける。旅中では初対面の奴の方が圧倒的に多いんだよ。」
この街娘、基本的には素直なことが多いが、たまに自分の利益を押し通すために嘘をつくことがある。
例の門番に対しても、宿の店主に対しても、両親にさえ、ある程度嘘をつく器量があるのだ。当然、俺に向けられる言葉が全て本音だとも限らない。
「…無理だな。お前を連れていくわけにはいかねえ。」
「な…」
少しだけ逡巡して、俺は首を横に振った。ユアが驚いたようにその目を開く。
「どうしてだ?…やはり、私を連れていくことにメリットがないからか?」
「そりゃ否定はしない。もしお前を連れていけば、これから俺は魔法の訓練をしなきゃいけなくなるし、面倒も見ないといけねえからな。」
「訓練ならともかく、自分のことくらい自分でやるさ。」
「本当にできんのか?」
「それは…頑張るよ。」
ユアはどこか自身なさげに口をすぼめる。いきなり街から出て世話を受けずに過ごす、というハードルの高さの自覚はあるようだ。
「別にそれはいいんだ。俺に得があるからとか、そんな話は関係ない。」
「なら私の実力不足が原因か?」
「ちげえよ。お前1人くらいなら十分庇える。足を引っ張られてもどうとでもなる。」
かつてはいつ死んでもおかしくないような、そんな奴らとパーティーを組んでいた。それで4年間、誰も死ぬことなく旅を続けられていたのだ。
ユアの好奇心は不安なところもあるが、それでもさほど懸念すべきことではない。
「なら、どうして。」
「単純な話だ。俺は1人で旅をするってもう決めている。誰かと大陸を旅するつもりがないってだけだ。」
「1人って…昔は仲間と旅をしていたんだろう。」
「だからこそだよ。俺はそこから追放された身だ。それが例え身から出た錆だったとしても、もう誰かと旅をするのは御免なんだ。」
数日前にパーティーから追放された時点で、俺は1人で大陸を巡ることを決めていた。
出会いがあれば別れがある。ずっと一緒に過ごすと信じて疑わなかった仲間から俺は離れて、1人になってしまった。
俺はきっと天涯孤独なのだろう。生まれた時から周りにはほとんど人が近付いてくることがなく、唯一隣に立っていた仲間すらもどこかへ行ってしまう。誰かと共に歩みを進めることなど、到底敵わないのだ。
どうせ離れてしまうのなら、最初から誰もいなければいい。大きな喜びを感じることはないかもしれないが、同時に喪失感や寂しさを感じることもない。
「別にお前が嫌いになったとか、そういうんじゃない。これは俺自身の問題だ。だから、パーティーを組むなら別の奴を当たれ。」
「仲間がいなくなるのが寂しいんだろう。ならば私はセンフの元を離れない。少なくともかつての仲間のようには。」
「口先でなら何とでも言える。本当に離れないと、そう保証できる要素はどこにある?」
「…それは。」
自分でも自覚しているような、鋭い目線を敢えて向けた。ユアが体を震わせて怯む。
「お前は知らないだろうがな、この世の中は思っているより面倒で、残酷なんだよ。うまくいかねえことも、辛いことも数え切れないくらいある。」
旅に出ればきっと多くの困難が待ち受ける。大抵の旅人、冒険者が受けるようなものならまだいいが、俺に着いてくるのなら、ユアには無関係な、本来は受けるはずのなかった敵意や被害さえまともに喰らってしまうはずだ。
…この街娘にそんなものを味わせたくないというのもあるが、それ以上にいずれ俺から離れていく未来が見えるのだ。
「昔の仲間がそうであったように、お前も俺のせいで多くの害を被るに違いない。そうなれば、俺の元から離れたくなるに決まっている。」
「センフのせいで私が苦しもうとも、それでも旅をしたいんだ。お前と一緒なら、私の知らない世界を見ることができるだろう。」
「別に俺じゃなくてもいい。俺に着いてきても、お前にとっては悪いことしかないんだよ。」
世界は、おそらくこの街娘が考えている以上には広い。旅に出ればその知識欲を満たすには十分だろうし、それは俺でなくてもいい。
「あいも変わらずわがままだな。そんなんじゃ、旅に出ることすら許してもらえねえぞ。」
気づけばユアが涙目になっていた。こんなことで、とも思ったが、自分も言葉を強くしすぎた側面があるだろう。
「…な、今はそれ関係なくないか!?」
「旅に出る話だろ。なら関係大アリだ。」
だから敢えてユアを揶揄った。今浮かべている笑顔、というより嘲る顔は、不自然なものになっていないだろうか。
一息ついてまたユアの瞳を覗く。ここまでしても、まだ目の前の街娘は不満げそうだった。
「きっと時間をかければいい仲間が見つかる。この辺りは冒険者が多いからな。お前と馬の合う奴もいるだろうし。俺と旅に出るのは諦めろ。」
「…でも。」
「話はこれで終わりだ。暗くなってきたしもう帰るぞ。」
「あ、待て!」
これでも不満げなユアを置いていくように、俺は山道を早足でかけていく。ユアの声が後ろから聞こえてきたが、俺はその足を緩めることはしない。元々身体能力は高い方だ。追いつけるわけもないだろう。
旅に出ること自体は問題でない。もう少し魔法の訓練は必要だろうが、ユアが持つその飽くなき探究心は、旅人に向いている。
ただ、俺ではないだろう。この狭いバングスルーの街ですら、多くの人間に愛されているのなら、大陸へと繰り出せばきっとユアにとってもっといい仲間が見つかるはずだ。
だから俺は、この街娘を拒否した。自分のため、そして何よりこの少女のため。人が不幸になる姿を見るのも、俺自身が不幸になるのも嫌なのだ。
西の空に夕陽が見えた。それは若干雲に覆われている。肌に吹き付ける風がほんの少し冷たく感じた。
「…へえ、明日には出ていくんだな。」
「そのつもりだ。」
バングスルー滞在5日目、いつもいつでもカウンターの奥にいる店主は、肩をついてこちらの方を振り返っている。
「明日の分の宿泊費まで払っておく。中身確認してくれ。」
俺は胸元に入れていた巾着袋を取り出して、カウンターの上に置く。店主は俺より一回り大きな手でそれを受け取った。
「はいよ。…追加で2日分、合わせて330ルイ、確かに受け取った。」
店主は中身の金貨を確認して頷くと、袋を閉めてカウンターの奥へ置いた。あんなところに置いて取られないのか心配になるが、俺には関係ないことだろう。
「しかしもう出ていっちまうとは、寂しくなるな。」
「あんたとそんな深い関係になった覚えがないんだが。」
「毎日のように兄ちゃん、ここに来てただろ。ユアちゃんの面倒も見てたしな。1週間だけって言われればそれまでだが、されど1週間だよ。」
「多くの客が入ってきては出ていくのに、いちいち寂しくなってたらキリがないだろ。」
「確かに俺はいろんな客と出会う。ただここに泊まるような奴は大体が冒険者だ。一度立ち去ったら二度と出会えなくなるって考えたら、割と悲しいもんだぜ。」
「大袈裟じゃねえか?」
一瞬の出会いが一生に一度の出来事というのは、人生の中で案外珍しくない。俺も初めて遭ってから再開していない人間はいくらでもいる。むしろ長い時間を共に過ごしている割合の方が圧倒的に少ない。
出会った人間全員の別れを惜しむことなどまずないだろう。どれだけ感激的な出会いであろうとも、人生全体で考えればコンマの出来事に過ぎない。
思い出すことはあれ、懐かしむような関係性などそうそうない。どうやら店主の感覚は俺とは違っている。
「兄ちゃんは、昔の関係性とかあんまり気にしないタイプか?」
「そうかもしれねえな。少なくとも、あんたみたいに1週間しかない関係の奴との別れを寂しく思うことはない。」
「ははっ、だろうな。ハルノシアンさんと会った時も反応薄かったし。結構久々の再会だったんだろ?」
「あいつと出会ったところで別に感動なんてしねえよ。どちらかと言えば、二度と会いたくなかったしな。」
「へえ、意外だ。あっちの方は兄ちゃんとかなり仲が良かったと言っていたぞ。」
「…あいつ、存在しない記憶を生み出してるのか?」
シアンは別に嫌いでもないが、だからといって思い出ができるような関係性でもなかったと思う。再開した時に口にした、仕事仲間という表現が最も適切な関係性だったはずだ。
「俺は兄ちゃんが結構薄情だと思ってしまうなあ。もうちょっと別れって、感動的なもんじゃねえか?」
「そんな特別でもねえよ。出会いがあればいつか別れがある。人生において特別でもないことを、いちいち飾り付けて記念にする理由もない。」
「別れ自体はそうかもしれねえが、別れゆく人との関係ってのは唯一無二だろ。俺はもうこんな歳だが、それでも兄ちゃんとした話やここ最近の出来事は結構特別なものだと思ってるぜ。」
「…五万といる客のうちのたった1人だろ。」
「それでもだよ。」
店主はいつの間にか手に持っていた、植物由来の布を持ってグラスを拭いている。いつ見ても曇り一つなく光っていたグラスは、この店主の意外にも丁寧な仕事ぶりを示している。
「別に兄ちゃんにだって、別れを惜しむ相手がいなかったわけじゃないだろう。昔、色々あったみたいだしな。」
「どうせあんたなら知ってるだろ。」
「魔法協会の支部長と知り合い、そして2人の話を聞いてたら流石にわかるさ。」
そういえばこの店主は、結構俺の話を知っているはずである。シアンと言葉を交わし、昔のことを掘り返されていたのはいつもこの場所だったからだ。
「ずっとソロってわけでもねえんだろ?なら別れたくないと思った奴の1人や2人、いるんじゃないのか?」
「それは。」
そう言われて頭に浮かんできたのは、結局、かつての…1週間ほど前に決別した仲間の姿だ。いつまでも未練がましく、忘れられない自分が滑稽で思わず笑ってしまう。
「…別にいねえ。懐かしむくらいはするが、別れたくないとまではいかなかった。」
「ふーん、兄ちゃんは案外、未練を残すタイプだと思うんだがなあ。」
「何を根拠に言ってんだ。むしろ今までの話を聞いてれば、逆のタイプだと思わないか?」
「だからこそだ。普段は他人に思い入れをしない分、数少ない相手に対しては気持ちを入れ込むように見える。」
「そんなことねえよ。あんた考えすぎだぜ。」
店主の言葉に頷いてしまえば、それこそ昔の仲間を忘れられないと、そう認めてしまうようなものだった。
「というか未練がましいってんなら、ユアの方がずっと上だろ。」
あの街娘はそれこそ出会ってからたった一週間しか経っていない俺が、この街を出るのを寂しく思っていた。バングスルーは多くの冒険者が行き交う街でもあるが、ユアは生まれてからこの方、ほとんど出たことがない。
きっと別れというものをあまり経験していないのだろう。だから俺に着いてこようとしてきたのだ。
「それはそうかもしれねえな。兄ちゃんと離れるのが嫌で、一緒に着いてこうとしてたんだろ?」
「…おいちょっと待て、なんで知ってんだよ。」
「今朝ユアちゃんが来た時に洗いざらい話してたぜ。兄ちゃんの文句もめちゃくちゃ言いながらな。」
「あいつ何してんだほんと。」
「聞けば兄ちゃん、昨日の帰り際に『俺はもう1人で旅をする』ってユアちゃんのこと断ったんだってな。」
「そこまで知ってんのか。」
「だから言っただろ。あの子細かく説明してくれたぜ。」
「…はあ。」
昨日の帰り際の言葉は、ユアを突き放すために口にしたものだ。過去も、感情も表に出すつもりなんてなかったのに、思えば自分らしくもない。
俺自身は結構、話した内容が秘密のつもりだったのだが、ユアにとってはそうではないらしい。まあ、安易に口外するなとも警告していなかったので仕方がないが。
「どうして兄ちゃんは1人で旅をしようと思ってんだ?」
「…あんたにそれを話す必要があるか?」
「ただの興味本意だよ。老人は人の秘密ごとを聞くのが好きだからな。」
「店主、結構若々しいように見えるんだけどな。」
「ただ取り繕ってるだけさ。生きてきた年数に嘘はつけねえよ。」
そう言って店主はまたガハハと笑う。人生を楽しそうに、いや、愉快に生きているように見えるこの老人は、しかし同時に様々な経験をきっとしてきたのだろう。額に刻まれている皺がその証拠だ。
「別に大した理由じゃない。シアンと再開した時にも言ったが、俺はついこの前パーティーから追放された身なんだ。」
俺は手元にあったジョッキを煽る。そして半分ほど口にした後に、また店主の方を振り返った。
「共に旅をしようとも、いつか俺の元を離れていく。ユアもどうせ一緒に決まっている。」
「えらく悲観的だな。」
「客観的って言ってくれ。実際に経験してるんだ。」
自分でも悲観主義者であることは自覚している。だが、今回の件に関しては悲観的な思考ではなく自分の身に起きた事実なのだ。
これを悲劇と宣うほど被害者の顔をする気もないが、それでもいつか自分の元を離れるという考えを持ってもおかしくないだろう。
「でもユアちゃんはあんたと旅をしたいって言ってたぜ。『センフの元から離れる気なんてさらさらないのに。』とかも言ってたしよ。」
店主はカウンターについた右手の上に頭を乗せると、首を傾げながら少し甲高い声でそう言った。
「…おい、それユアの真似じゃねえよな?」
「結構似てるだろ。モノマネには自信があるんだ。」
「本気で言ってるのか?」
「同じことをユアちゃんの前でしたら、回し蹴りくらいそうになったよ。」
「その反応で答え出てるだろ。」
全然似てない、というかむしろ、朝に聞こえる鳥の鳴き声がまだ近いというレベルで酷い。店主の厳つい見た目と合わせて、おおよそユアの再現とは思えない。
「はあ…調子が狂いそうになる。…結局ユアがどう言おうが関係ねえよ。どんな人間でも嘘は付くし、約束だって守らないこともある。あんな純粋に見える街娘でさえ、虚言という言葉は知っている。」
「だろうな。ユアちゃんはああ見えて結構捻くれているところもあるし。」
「どうせまた1人になるのなら、最初からいないほうがいい。そうは思わねえか?」
俺は敢えて、昨日ユアに向けた言葉をそのままぶつけた。この店主は俺の過去について、ある程度は知っているのかもしれないが、全てではないだろう。仲間と決別したことも、或いはその前についても話していない。
だが店主は…まるで全てを見透かしたかのように俺の瞳を捉えると、いつも見せていた豪快なものでなく、どこか柔らかく感じるような視線をこちらに向ける。
「確かにその言い分にも頷けるところはある。ただ、兄ちゃん自身のスタンスと矛盾していないか?」
「俺のスタンス?どういうことだ?」
「あんたは『ユアちゃんが離れる』こと、つまりいずれ訪れる別れを惜しんでいるわけだが…兄ちゃんは昔の関係性をあまり気にしないんだろ。だったらたとえこの先、旅の中でユアちゃんと別れようとも、それは長くはない人生の、しかしたった一幕にしか過ぎないんじゃねえのか?」
店主はその顔に、少しの笑みを浮かべていた。
「兄ちゃんはこれまで別れを惜しむような相手はいないって言ってたが、それが本当ならユアちゃんが離れるのを懸念する必要なんてないだろ。…あんたが本当に、寂しいと思ったことがないのならな。」
「…店主。」
「嘘は方便とは言うし、時に必要なこともあるが、自分に嘘をつき続けてもメリットになることはは何もないぜ。」
店主は一つ息を吐くと手元のグラスを後ろの棚へとしまい始めた。
自分に嘘をついている。そんな言葉が頭の中でなぜか反芻していた。
「やっぱあんた、大人びているが『兄ちゃん』だな。そんくらいの年齢で人生はそう達観できねえよ。俺から見りゃまだまだ若者だ。」
「あんたの半分くらいしか生きてねえしな。まだ髪の毛は白くなっていねえよ。」
「こりゃまいった。最近は染めても染めても白髪が出てきてしまうんだよ。もう俺も老けたもんだ。」
店主は背中をこちらに向けたまま、また豪快に笑った。はっはっは、と大きな声が宿に響き渡る。
「たまには正直になったほうがいいぜ。俺みたいな年寄りは、嘘の必要性と愚かさを同時に知っている。年の功っていうやつだ。」
店主はよっこらせと言いながら、下の棚へと手を伸ばす。何かを取り出すと立ち上がった。
店主は俺の前にグラスをポンと置く。そこには赤と橙が混ざったような色の液体が、全体の8割ほど注がれていた。
「サービスいるかい?ルチアの花から採れた茶だ。」
「…サービスって言って、またとるつもりか?」
「いや、今回は正真正銘のサービスだ。もちろんタダだよ。」
「あんたのこと絶妙に信用ならねえんだけど。」
「大丈夫だ、嘘はつかねえ。客商売は信用が第一だからな。」
覚えばこの前アルマーニを出された時も、確かにサービスとは言っていなかったはずだ。ただ目の前に置かれた飲み物を俺が手に取ってしまったというほうが正しい。
「本当は売れない商品の在庫処分ってところだけどな。でも兄ちゃん、甘いものはあんま好きじゃないだろ。」
「よくわかったな。そんなこと言ったか?」
「この前のアルマーニ、結構渋そうな顔して飲んでたからな。あれみりゃ一発だ。」
確かに俺は、甘いものが口に合わないことが多い。この前のアルマーニも、結局飲み切るまでに結構な時間を要したのは、ひとえに体が受け付けなかったからだった。
「なんでいきなりサービス…ちょっと不気味なんだが。」
「深い理由はねえよ。ただの気分だ。」
店主は手元にあった樽を持ち上げると、そのままカウンターから入り口の方へと向かっていく。…この店主がしっかりと外に出ている姿を見たのは2回目だろうか。
しばらく逡巡して、結局渡されたルチアの茶が入ったグラスを手に取る。口元に近づければ、香ばしい匂いが鼻を掠めた。
舌先にわずかな苦味が通り、そのまま抜けていく。どこか懐かしいような、慣れ親しんだような味に、思わず頬が緩んだ。
「…ユアちゃんは結構、真面目な子だ。家の仕事は嫌々でもちゃんとするし、一度始めたら最後までやり切る根性もある。」
「結構サボってるところも見たけどな。でもまあ…真面目ってのは同意する。」
「だがそれ以上にやんちゃで、好奇心旺盛な子なんだよ。冒険者とはいつも話をしているし、街の外に出歩いては手帳に色々と書き込んでる。」
「それも知ってる。そもそもあいつと出会ったのも山中だった。」
「ユアちゃんはしきりに街を出たいと言っていた。最初は冗談かとも思ったが、あの熱量は嘘じゃねえ。」
「嫌というほど実感してるよ。」
「…兄ちゃん、あんたさえよけりゃ、あの子を連れていってあげてくれねえか?魔法使いとしちゃ今は実力不足かもしれないが、あの子は素直で真面目だ。いつかきっと、いい魔法使いになる。」
「あいつ旅に出ることには反対してねえよ。ただ、俺でなくてもいいだろ。」
「あんたでも構わないだろう?それにユアちゃんは…何よりあんたと行きたいと言っていた。老婆心かもしれねえが、あの子の思うようにさせてやりたいんだ。」
「…あんたはいつもユアに甘いな。」
「不思議とあの子は応援したくなるんだよ。」
「あんな我儘になったのは、応援され過ぎたからだろ。」
「否定できねえな。」
店主はそう言いながら、またカウンターを出ると、樽を運び出す。歳は俺の倍は食っているだろうに、それでも若々しく見えるのはなぜだろうか。
「明日には荷物をまとめて出ていく。受付とかは必要か?」
「いや、大丈夫だ。鍵も部屋の中に置いといてくれればいい。金ももう受け取ったし、明日の昼には部屋を空けといてくれれば構わねえよ。」
「わかった。ありがとう。」
手元にあったルチアの茶を飲み干して俺は立ち上がった。…そういえば、今日使うはずだった本を一冊、忘れている。
いつもは外に出るところを俺は部屋の方へ踵を返す。無論、忘れ物を取りに変えるためだ。
古びた、建て付けの心配になる階段を登ろうとしたところで、勢いよくバンと扉を開く音がした。
古い建築用式の街に浮かび上がる夕陽も随分見慣れた光景になっていた。バングスルー滞在5日目、特訓帰り。
昨日のことでユアから何か言われるかと身構えていたが、意外にも文句や不満、我儘が浴びせられることはなかった。
その代わりに休憩している時はずっと不機嫌そうに俺の方を睨んできたが。何かあるのかと聞いても、何もないの一点張りだ。
世の子供には、親に反抗する時期が2回あるのだそう。1回目は生まれて3つの頃、そして2つ目は成人した直後くらいの歳だ。ユアはちょうど、2回目の年齢に当てはまる。
どうすればいいのか、どうして欲しいのか…不機嫌になった理由はなんとなくわかるが、その対処法なんか知るはずもなく、俺はその視線から目を逸らして今日を過ごした。
別に何をしたわけでもないのに、ユアが勝手に不満になるのは、やはり幼稚だ。とても俺の成人した時とは大違いだった。
「…マスター。今大丈夫か?」
「ああ、どうした?」
「剣の様子を見にきた。明日までに終わるか?」
俺は街の入り口の近くにある鍛冶屋を訪れていた。いつも使っているあの剣は、予定通りなら明日にも修復が終わるはずだ。
「問題ない。明日朝一で終わらせる。店が開いた後ならいつ来ても構わない。」
「わかった、ありがとう。」
「ちなみにあの剣、表面が錆びやすくなっていたぞ。ここら辺の錆止めは結構使いやすいが、どうじゃ?」
「生憎様だが間に合っている。」
店主は棚に置かれた錆止めから視線を逸らすとまた、チッ、と舌打ちを一つする。思えばあまり商売熱心な鍛冶屋というのは見たことがない。
大抵の街にいた鍛冶屋は皆職人気質で、商品の修復や鍛治に力を入れており、それ以外に興味がないという方が圧倒的に多かったからだ。
その点、この店のマスターはことあるごとに商品を売りつけようとするのだから珍しい。商人魂が染み付いているのだろうか。冒険者の街で鍛冶屋を営むくらいなのだから、それなりには損得勘定をするのだろう。
鍛冶屋を後にして宿に向かった。夜が近づき、少し気温が下がっているのか、やけに肌寒く感じる。
夕陽が目の前で眩しく光り輝いた。大きく空に映る半円が、地平線へと徐々に消えていく。そんな橙に染まった空に、小さな一つの影が見える。
鳥のようにも、魔法使いのようにも見えるその影は、だんだんとその姿を大きくしていく。…というより、こちらに近づいてきている。
風が頬を割き、明るく俺を照らす夕陽が一瞬、影に染まった。次に視界がまた橙で埋まった時、隣には赤いサキュバスが立っていた。
「…どこ行ってたんだ?」
「ドンハロックだ。野暮用だな。」
「第二支部ってことは仕事か。意外と真面目にやってるんだな。」
「流石にある程度はな。でなけりゃ老人どもの小言がうるさいんだ。」
シアンはどこか面倒くさそうにため息を一つ吐くと、首を小さく振る。
「もう戻らなくて大丈夫なのか?」
「仕事の後始末はユーランに任せてある。私はこっちでやることがあるからな。」
「…ああ、地域調査で来てたんだったな。」
「この仕事に終わりが見えないんだが。代わりに全部やってくれないか?」
「嫌だよ。めんどくさからず働け。」
「放浪者にだけは言われたくないな。」
ユーランというのはシアンの部下にあたる人間だったはずだ。紫の長髪にシアンより若干低い背丈を持つ魔法使い。シアンについていくという時点で苦労するのは決まっているだろう。
「貴様はもう明日にはここを出るのか?」
「その通りだが…どうしてお前が知ってるんだよ。」
「さっきの鍛冶屋の話が上から聞こえてきた。」
「本当に地獄耳だな。便利なもんを持ってて羨ましい。」
「こんなもの、聞きたくないものまで聞こえるだけだぞ。」
「じゃあいらねえ。」
シアンが持つ鋭く先が尖った耳は、普段はその髪に隠れている。それは普通の人間の何倍もの聴力を持ち、故に俺よりもずっと物音を聞き分ける能力が高い。西の方のサキュバスは大抵この耳を持っている。
「結局、旅には1人で出るつもりか?」
「…そのつもりだ。俺には1人がお似合いらしい。」
「あの街娘を連れていくつもりはないんだな。」
「はあ、またその話かよ。」
「また、と言われてもまだ2回目だぞ。」
「同じ話を昼頃、店主にされた。昨日はユアに連れて行ってくれと頼まれた。」
「ああ、やはり。案外あの街娘、行動力があるようだな。」
まるで全てを知っていたかのようにシアンは頷く。そんな姿に思わず眉を顰めた。
「やはりってどういうことだ。」
「あの娘は旅に出たがっていた。そして同時に、貴様にも懐いていた。ならば共に旅へ出たいと願うのは至極普通のことだろう。」
「それだけでそう結論づけるのが意味わからねえよ。」
「複雑なことを考えるのは私には合わん。それに人間という種族の強固な関係性は、何も劇的でない出会いから始まるものだろう。」
シアンはふっと息を吐く。その口元から若干の熱を感じる。夕陽に隠れて見えないが、おそらく橙色の…高温ではない炎を吐いたのだろう。
「なぜあの街娘を連れていかん?嫌いにでもなったか?」
「そういうのじゃない。色々考えたが、俺は1人でいいって結論になっただけだ。俺の今の立場を考えてみろ。世間的にも、ユアを連れていけるような状況じゃねえよ。」
俺はまた1人でここを出る理由を口にした。これで三度目だ。
「世間にお前が目をかけることなんてほとんどないと言っただろう。それともこの街の人間に、過去を掘り返されることがかったか?」
「一回あった。街の門番に咎められたんだよ。」
「一回だけじゃないか。しかも追い出されてはいないのだろう。」
「…」
確かにこの街で、昔の出来事を咎められたことはほとんどなかった。あの門番には知られていたが、それもよくわからない理由で結局追い出されはしなかった。
「それでも旅を続ける中でどうなるかはわからない。なら1人で旅をしてしまったほうがいいだろ。」
今回は運が良かっただけという可能性も十分ある。街を点々としていけば、今後どんな扱いをされるのか、想像はつかない。
ならいっそ、1人でいた方がいい。人はいつも孤独というわけではないが、少なくとも俺はその大半が空白なのだろう。それを受け入れればいいだけの話なのだ。
しかし俺の姿を見て…なぜかシアンはこちらを嘲るように、その頬を右に釣り上げていた。
「なんだ、また1人になるのが怖いんだな。」
「…はあ?なんでそうなるんだよ。」
「顔に書いてあるからだ。センフ、貴様は自分の本心を隠す癖がある。そして同時に嘘をつく時は本音の反対のことを口にする。いつもそうだっただろう。」
目の前の元サキュバスはなぜか勝ち誇ったかのように高笑いをしている。
「私でも今の貴様の言葉が嘘だというくらいはわかる。この前はやけに仲間には世話になっただの、大切だっただの口にしていた。仲間が必要だという私の言葉に、否定すらしなかった。そんな貴様が1人でいいと、簡単に切り替えられるはずもない。」
「世話になったのは事実だが、未練はもうなくなってる。追放されてから一週間も経ったんだ。」
「嘘だな。貴様のその癖はもはや条件反射のようなものだ。心の奥底では未練がましく仲間を思っている。そしてまた失うのが怖いのだろう。だから拒絶してもいないあの街娘を引き入れるのを嫌っている。」
「お前の勝手な想像だ。俺の心の底なんて、お前にわかるはずがない。」
「だが表面の言葉くらいは読み取れるぞ。これでも人間になってからしばらく経つ。感情という存在は理解し始めているところだ。貴様が嘘を吐き捨て、自身の過去をゴミ溜めに掃き捨てようとしていることを、な。」
シアンはどこか俺の中身を覗き見るように、間の距離を一歩、詰めてくる。
「認めた方が楽になるぞ。貴様はかつての仲間を思っている、とな。そうすれば何もかもから解放される。」
「…随分心の中をなぞろうとする言い回しだな。」
「元々はサキュバスだからな、一応。」
シアンはそう言いながら、今度は同時に両方の頬を釣り上げる。
普段のような近寄り難いと感じる不気味な笑みとは裏腹に、それはひどく蠱惑的な表情だ。
かつてシアンがよく見せていた、そして自身を魅せないために、人となってからは封印していた笑い方だ。
…俺は仲間との別れを寂しいと感じているのか、そんなわけがない。今まで多くの出会いと別れを経験してきた。
これまでの旅も、人生という物語の短い一章に過ぎない。何をそんなに悲観することがあるのだろうか。
どうせいつかは道を違える。それが人と人の関係だ。少し期間が短かったというだけの話だ。そんなものに思い入れをするなんて馬鹿馬鹿しい。
「…」
風が吹いた。気づけば夕陽はその大半を空の向こうに隠している。すっかりと街の中は暗くなり、酒場だけが明るく光り始めている。
…ああ、そうだ。俺は馬鹿だ。ありふれた物語のほんの一幕、それに想いを馳せている。懐かしさを覚えている。寂しさを…少しは抱えてしまっている。
「はあ、お前に絆される日が来るとはな。」
「ははっ、あの捻くれ者の本音を引き出すことができたとなれば、今日は記念日だな。」
「何の記念だよ。」
シアンはまた右頬だけをあげて笑った。いつも通りの、醜くはないが本物には見えにくい笑いだ。
「残念ながらお前の言葉は否定できなかった。俺はどうやら、1人だと中々寂しく感じているらしい。」
エドワンスの街を出た時、シアンと酒を交わした日、俺は思えば割と仲間のことを思い出していた。そしてもし、などというあり得ない想いを抱いてしまっていた。
ユアと初めて訓練をした日、夢を見た。かつての仲間との日々だ。
自分でも意外だった。忘れようとしていた、忘れられると思っていた、人生の一節を、一週間経った今でも引っ張っている。ずっと孤独だったため、これからもそうなるだけだろうと、割り切れなかった。
「その様子だと随分本音を曝け出すのに時間がかかったようだな。大体一章の2話分くらいか?」
「お前が何を言ってるかはわからないが、まあ随分時間はかかった。」
単純な話だ。俺は捻くれ者だった。自分に嘘をついていた。劇的なトリックも感動的な演説シーンもなく、ただ1人で意味のないプライドを折れなかっただけのつまらない物語を一人歩いていた。
どうしようもなく幼稚で、稚拙で、幼かったのだ。そんな俺の姿はどうしようもなく醜かったはずだ。
「1人だと寂しいのだろう。ならばやはりあの街娘を連れていけばいい。きっと愉快なことになる。」
「どうしてそんなにユアを連れて行かせようとするんだ。」
「貴様のためを思ってが2、面白そうが8だ。」
「ほとんど自分のためじゃねえか。サキュバスは欲を食らう生き物じゃなかったのかよ。」
「自分の欲望が満たされていない輩が、人の欲を埋められるはずないだろう。」
人の欲を利用するサキュバスっぽくはなく、自分の欲望に対してあまりにもまっすぐだったシアンらしい言葉だ。
「ほんと、お前と話しているとどうも調子が狂う。なんで性格は変わっているのに、そこはそのままなんだ。」
「知らんな。貴様が勝手に踊り狂っているだけだろう。私はその手助けさえしていない。」
「どうせずっと昔もそうだったんだろ。」
「だからサキュバスとしての私は死んだんだよ。」
かつては人を食い物にし…いや、こいつの場合、自分の意思とは関係なく周りを食い尽くしてしまうその性質は、人間になった今でも若干だが残っている。
「お前の考えは多少なりとはいえ合っている。ただ、それなら尚更、ユアを連れていけねえな。」
「一体なぜだ?もう何も思い悩むことはないだろう。」
「ユアを拒絶してる理由は俺のためだけではないからだ。俺はあいつらと旅をしてたことに意味があると言ったはずだ。」
「ふむ、それは前の酒の席の時に口にしていたな。あの街娘も1人の人間、だったか?」
「…このままだと、あいつをかつての仲間に照らし合わせてしまう。」
ユアはバングスルーに住む、旅を夢見る1人の少女だ。かつての優しい戦士とも、頓珍漢な魔法使いでも、頭のネジが外れた僧侶とも違う。
再び『仲間との旅』なんてのをしてしまえば、かつての失敗を思い出して、重ねてしまうだろう。
「仲間と照らし合わせる、か。それは本当なのか?」
しかしシアンは、不思議そうにまた首を傾げる。街の真ん中で立ち止まると、背中についた羽をバサっと翻してこちらの方を振り向いた。
「本当って…この前は納得してただろ。」
「あの時は、『貴様が街娘を連れていく』という場合の話だったはずだ。しかし今度はあの街娘の方から誘いを受けているのだろう。貴様はまた、別の人間に誘われて新たな旅に出る。『かつての仲間を重ねる』ための貴様による誘いでなければ、きっと懸念しているようなことは起こらないぞ。」
シアンは金色の瞳を一段と大きく開き、まるで心の中を読み取ろうとせんばかりにこちらを見つめる。
「そもそもあの街娘自体、一目見ただけでも中々興味深い。貴様の昔馴染みなど私には知りようがないが…例え似ているところがあろうとも、完全に重なることなどないだろう。ここ最近ようやく理解してきたが、人間は結構、個体によって差があるらしいな。」
「…それはそうかもな。確かに、ユアとあいつらは別だ。」
思えば店主も同じようなことを言っていた。宿屋なんて、出会いと別れを結構な頻度で繰り返す職業でさえその一つ一つを特別だ、と。
「それでも…例え似ていなくとも、旅をする仲間っていう共通点があるだけでユアとあいつらを完全には切り離せない。」
「ここまで言ってもまだ粘るか。しつこい男は嫌われるぞ。」
「お前が離れてくれるんなら万々歳だな。」
「何を言っている?私が貴様から距離を取ろうとすると思うか?粘着スライムくらい粘るぞ。」
「そこまでくると気持ち悪いなお前。」
シアンはなぜか面倒くさそうにため息をまたつきながら、視線を空の方に向けて歩き出した。
光魔法によって灯された街の光が、その頭を照らしていた。
気がつけばもう宿屋にたどり着いていた。路地裏にあるこの建物は周囲に灯りがないため、表通りよりも薄暗い。
「あ…センフ!それと…シアンさん!」
そんな宿の前から馴染みのある声が聞こえてきた。金色に近い長髪を持つ街娘の存在が視界に入る。
「久しぶりだな街娘。元気にしていたか?」
「はい、それなりに。シアンさんはどうですか?」
「私も同じようなものだよ。…ふむ。」
シアンは何かを探るようにさっとユアとの距離を詰める。いきなりの行動にユアが体を若干のけぞらせたが、そんなことは気にしていない様子だ。
「えっと、何ですか?ちょっとそう見られると…」
「この前よりも顔つきが良くなったな。魔法使いとしては…まだまだだが、表情が随分と勇ましくなっている。何かあったか?」
「何かと言われても特に…」
ユアは意味がわからなさそうに首を傾げる。しかしシアンの言葉を飲み込むように何かを考えて、そしてあっ、と何かに気づいたように呟いた。
「でも、魔法の特訓をここ最近はしていました。」
「ふーん、貴様1人でか?」
「ああいえ、センフとです。」
「…ほう?」
その瞬間、シアンの視線がこちらへと向いた。ユアの余計な一言が、この女の興味を引いたらしい。
「おい貴様、なぜそんな大事なことを言わなかった?」
「別に聞かれてねえからな。」
「あんな話をしておいて、黙っておく必要もなかっただろう。」
シアンがいない間、何をがあったかと聞かれていないのは本当だ。そもそも何か聞かれても話すつもりはなかったのだが。
このサキュバスにあの特訓について話してしまえば、それこそ面倒臭いことに、今浮かべているような気味の悪い笑みが視界に入ることは明白だったからだ。中々どうして、この女に対して隠し事が上手くいかないのだろうか。
「はっはっは!どうやら私が知らぬ間に、この娘と随分仲良くなっているようじゃないか。」
「別に何も変わっていねえよ。」
「いやあ、変わっているな。私が出た日にはあんなに魔法を教えるのを拒否していただろう。一体何があったんだ?」
「金のためだ。宿代を安くしてもらった見返りだよ。」
「一応それらしい理由は作ってあるんだな。」
「そんなに都合よく解釈すんな。」
「私はそうするさ。なんせ深く物事を考えるのは得意ではないからな。」
シアンは嬉しそうにパンパンと俺の肩を強く叩く。
やはり特訓について知られるのは避けたかった。こうなる未来が見えていたからだ。
「えっと…?」
いきなり笑い出したシアンを横目に、ユアはまたわけがわからなさそうにそのサキュバスを見つめていた。その声に気がついたのかシアンがユアの方を振り返る。
「貴様、この男に対して旅の誘いをしたんだろう?」
「え、なんでそれを。」
「こいつの口から先ほど聞いた。昨日の出来事だったらしいな。」
シアンは驚いたように目を丸くする。そしてなぜか、ギロッとこちらを急に睨んできた。
「ちょっとセンフ、何でそんなこと言いふらすの?」
「お前が言うか…昨日の今日で店主に話してただろ。」
「…あっ、それはまた別というか。」
「一緒だよ。むしろそっちの方がずっとタチが悪い。」
先に昨日の出来事をバラしたのはユアの方が先だ。別に隠し事にしよう、などと約束を交わしてもいないためユアを責める義理はないのだろうが、それ以上にユアに問い詰められる意味の方がない。
「中々愉快な光景だな。互いに隠し事だとは思いながら、しかし自分だけは身近な人間に話してもいいと思っているその身勝手さ。似た所があるんだろう。」
「先に口を滑らせたのはユアの方だ。あいつと一緒にしないでくれねえか?」
「相手が先に手を出したから仕返しはやむを得ない。その思考を持った王によってこの大陸では何度争いが起きた?」
「…数え切れねえな。」
「先の行為にどちらが悪いなど、結論づけるのは不可能だろう。程度の差はあれ、双方に非がある。」
「だから無駄な争いはするなとでも言いたいのか?」
「いや、むしろ私は争いを好んでいる。故に貴様の体を燃やし、私の体を切り刻んだ。」
「…ああ、お前はそういう奴だな。」
ありし日の記憶が思い起こされる。今こうして、普通に話しているのが不思議なくらいだ。
「え…?」
「安心しろ街娘。貴様が生まれるか否か、という頃の話だ。」
このサキュバスと初めて戦ったのは…体を裂き合ったのは、今から数年ほど前のことだ。ユアは当然生まれているし、なんならすでに店の手伝いをしていたくらいだろう。
「互いの意思のぶつかり合い、血肉の弾け合い、その先に人の本性が見えるとまでは言わないが、あい見えることがあるはずだ。つまりだ、喧嘩するほどなんとやら、ということを私は言いたいわけだよ。」
「そう見えてるんなら勝手に思っといてくれ。」
「相性の良さなど、客観的な情報でしか判断できないだろう。」
その時、シアンがユアの方にまたその赤色の視線を向ける。若干その体が震えているのは、シアンの体から、一目見てわかるほどの魔力が溢れ出しているからだろう。
「おい街娘。貴様はセンフに対して、自分を連れて行ってくれと頼んだようだが、その気持ちは今も変わっていないのか?」
「え?」
「心境に変化がないかと聞いているんだ。」
ユアはわけなわからなさそうに首を傾げる。あまりにも唐突な質問だ。
…しかしすぐにその意図を把握したのか、またシアンの方に向き直る。
「それは…今も一緒です。私は旅に出たい。他ならぬこの魔法使いと。」
「此奴もどうせ口にしているだろうが、他の輩と旅に出るという選択肢は消えていない。むしろ貴様にとっては、そちらの方がメリットは多いはずだ。それでもか?」
「それでも、です。センフは旅の現実を教えてくれたので。私は冒険に夢を見ていますが、同時に現実を見る必要があることも知りました。センフとなら、そのどちらもを見失うことがないと思っています。」
「ははは!だそうだセンフ。これでも断るのか?」
俺となら、なんてあまりにも過言だ。夢も現実も追い求めるなんて、それこそ理想論だ。
しかし同時にこの街娘なら、旅のなかで自身の夢を叶えてしまいそうだという謎の確信がある。
だからこそ俺の思考は、俺の存在がよりノイズになるだろう。夢に近づけば近づくだけ、現実に取り憑かれた存在が邪魔になるに違いない。
「先に言っておくが、貴様の懸念なぞ気にすることはないぞ。過去を懐かしむことはあれ、ついぞ思い出すことはない。いつだって旅は思っているより激動だからだ。この娘にその現実を教えたのは、他ならぬ貴様自身だろう?」
「懐かしむ時点でダメじゃないか?それだけできっと前には進めなくなる。」
「過去に縋り付いていれば、だろうな。しかしだ、この街娘はおそらく貴様にそんなことをさせないだろう。貴様の足がいくら止まろうとも、きっとこの街娘によって、強制的に引っ張られる未来が私には見える。」
シアンはまるで俺の奥底を覗き込むようにその顔をじっとこちらへと近付けてくる。
別に何をされたわけでもないのに…しかし、何か心の奥底まで見透かされたような気がして気持ち悪い。
「街娘、改めて本心を伝えておけ。でないと此奴はいずれ忘れてしまうぞ。」
「別に何も忘れねえよ。1日2日で記憶がなくなるほど老いていない。」
「言葉とか願いとか記憶とか、そういったものじゃない。もっと本質的であり、しかしある意味で言葉よりも重要ではないことだ。」
「…はあ?意味わからねえ。どういうことだよ。」
「大丈夫だ。この街娘にさえ伝われば、それでな。」
シアンがまた右頬を釣り上げながら、後ろの方に振り返る。本質的であり、しかし重要ではない。
ユアにとってもそんな言葉、意味不明だろうとそちらの方を向けば…しかし当の本人は、ぽかんとした表情でも、ましてや首を傾げるでもなく、むしろその逆…キリッとしたような、あえて表現するならば、どこか覚悟を決めたような表情を浮かべていた。
「…センフ。」
「…なんだよ。」
「改めて、私の願いを聞いてくれ。」
ユアはそう言いながら、不気味に笑っている元サキュバスの横を通り過ぎ、こちらへと近づいてくる。
体が動かない。というより、動かせなかった。どうしてだろうか、自分でもわからない。
「もう明日にはこの街を出るんだろう。その時に私も連れて行ってくれ。」
街娘は端的にそう告げた。飾るでもなく、止まることもなく、ただ真っ直ぐに。
いまだに賑わっているはずの夕方の街に、しかし沈黙が訪れた。空間を擦り、肌をつんざく風の音だけが耳にこだまする。
街娘の本心が初めて垣間見えた気がした。いつもいつでも素直で幼い少女の、何よりも真っ直ぐで熱い心を目の当たりにした。
「だから、お前を」
「私が勝手についていくだけだ。センフにも何か事情はあるのは知っている。シアンさんの話を聞く限り…私にはどうしようもなくて、それでいて私に遠慮することなのだろう。」
「…その通りだ。お前に関係があるといえばそうだが、それは俺自身の問題だ。」
「別に構わない。私はただ、センフと共に旅に出たいというだけだ。遠慮なんていらない。」
シアンは力強く首を振った。あいも変わらずまだまた未熟な魔法使いの、しかし誰よりも強い信念がそこにある。
「魔法使いとしても人間としても一人前とは到底言えないが、それでもこれから強くなっていく。だから私を、連れて行ってくれ。」
…
どうしてだろうか。心が酷く揺さぶられる。もう二度と点くことのないと思っていた灯火が、微かにその光を見せた。
体の奥底が湧き上がっていた。中規模の街の、何気ない日常のひと時。特殊でも特別でも特異でもない、ここ最近、ずっと目にしてきた光景。そんな中で放浪者と街娘が向かい合っている。
…劇的でも、悲劇的でも、喜劇的でもなければ刺激もない、ただのありふれた街並み。街の人間にとってはいつも通りの日々だ。
これでいいのだろうか。
いや、構わないのだろう。
結局のところ、いつもいつでも舞台で上映される物語のような展開を浴びていれば、きっと疲れてしまう。
今は逃げなければいい。ただ、それだけなのだ。
「…はあ、負けだ。」
「え…」
「ついてくるんならついてこい。手は貸さないからな。」
夕焼けが1人の魔法使いを照らす。茶色というよりは金色の、一回り小さい背丈を持つ少女が光を浴びている。
「…本当にいいのか?」
「そう言ったはずだ。」
「…嘘じゃないよな?」
「嘘をつくような状況じゃないだろ。明日の昼にはこの街を出る。それまでに準備しとけ。」
一つため息をついた。俺はユアの横を通り過ぎて、宿の方へと向かっていく。
「…やったああああああ」
「うわっ。」
宿屋の階段に足を一歩踏み出したところで、これまでに聞いたようなことのないユアの叫び声が耳に響いてきた。思わず体勢を崩し階段から滑りそうになる。
「ははっ、良かったな。」
「はい!ようやく、私も冒険者に…」
「中々苦労はするだろうがな。それでも此奴とならどうとでもなるだろう。」
「シアンさん…本当にありがとうございます。」
「貴様に感謝される筋合いなんてない。私は貴様が此奴と共に歩む姿が面白そうだと考えただけだからな。」
結局のところ俺はこの元サキュバスの興味本位に、いや、思うようにやられたということだ。
ここのところずっと負けてばかりだ。賭け事も、元サキュバスに対する感情の化かし合い、意味のない馬鹿な仕合も、そして街娘の気持ちにも。
ともすれば、俺は人生の中でこんなに敗北を重ねたことはないのではないだろうか。
1人で大陸を彷徨っていた時も、魔法協会に手を貸していた時も、或いは仲間と旅をしていた時でさえ、もう少し戦績はマシだったはずだ。負けていないとは言わないがこんなに連続ではそうそうない。
負けるということは、すなわち弱くなってしまったのだろう。旅の中で勝手に成長していると思っていた自分が少々バカらしい。
冒険者の街、バングスルー。気がつけば日が若干傾いていた。後もう少しすれば、またこの街も静けさを取り返し暗闇に沈むだろう。
センフ・カリスタ、魔法使い兼剣士、現在放浪者。追放されてからは数えて6日。新たな旅路が始まるようだった。




