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第六話 そして旅立ちへ

1番多い誤字

街娘→町娘、街女

「…」


バングスルー滞在6日目、明朝、町一番の鍛冶屋前。相変わらず愛想が悪い店主の顔が目の前にあった。


おそらくだが、俺の表情は見るに耐えないくらい歪んでいるのだろう。


「…なあマスター。これ本気で言ってんのかよ。」


「ここで嘘をつくわけないだろ。」


「修理費…元々言ってた倍以上じゃねえか。」


当初大剣を預けた時に提示されていた修理費は、割引される前の宿代1泊分程度であった。しかし、今目の前に提示されている紙の上には、ぼったくりとしか思えない金額が描かれている。


「剣のメンテナンスと劣化部分の修復ならともかく、ドラゴンの血を落とす作業まであったろ。それくらい貰わなきゃこっちも商売あがったりじゃ。」


「だからって倍はねえだろ!?」


「たかが血を落とすだけ…それなら3日も時間は必要ない。言っただろ?ここらへんのドラゴンの血は落とすのに時間がかかるとな。あのまま放置していれば、最悪使えなくなっていたぞ。」


「そりゃあその部分は感謝してるけどさ…もう少し安くならねえか?こっちも手持ちがきついんだ。」


「無理じゃ。出すもん出さなきゃ俺もあの剣は返せない。金がねないなら諦めるんだな。」


マスターはひらひらと手を振りながら、店の奥へと入って行く一瞬こちら側へと視線を向けた。


「はあ、わかったよ。これでいいか?」


俺は諦めて胸元から袋を取り出し、その中にある金貨をいくつか近くの机に置く。マスターは俺が懐に手をかけたのを見た瞬間、踵を返して再び目の前に向かってきた。


「…はいよ。確かに受け取った。」


マスターは机の上に置いてある金貨を確認すると、小さく頷いた。


「ちょっと待ってろ。奥から剣を取ってくる。」


そしてその金貨をさっと回収してエプロンのポケットにしまうと、今度は駆け足で店の奥へと入っていった。


しばらくすれば銀の光沢が眩しい、いつも手にしていた俺の大剣を手元に抱えて戻ってくる。


「錆とか刃こぼれは粗方直しておいた。金属の経年劣化だけはどうしようもないが、それもできるだけ応急処置はしてある。」


「…すげえな。」


マスターから手渡された剣を軽く見渡してみれば、それだけで預けた時とはまるで別物のようになっていることがわかる。


黒ずんでいた刃の側面は、新品のように辺りの光景を反射し、ところどころかけていたはずの刃の部分も、すっかり元通りになっている。手の甲にこつんと軽く当ててみれば、切れ味が変わっている。


流石、武器の街で一番と言われるだけの鍛冶屋だ。その腕は俺がこれまで見てきた中でも、最上級ではないだろうか。


「おい、店先でんなもん振り回すな。客が来なくなる。」


「ああ、すまない。…けどあんた、本当に腕利きなんだな。噂通りだ。」


「そりゃどうも。ちゃんと金貰った依頼だからな。手は抜かない。」


「…俺が金出し渋ってたらどうしてた?」


「そりゃ返すわけないだろ。こっちも商売でやってるんじゃよ。」


「マスターみたいな鍛冶屋、初めて見たぜ。」


「金にがめついってか?そう思われても問題ねえ。金がないよりはマシだ。お前は知らないかもしれんが、貧乏じゃなんもできねえからな。」


マスターはふっと息をつくように笑った。そのしんみりとした顔は、これまでの無愛想なマスターのイメージからは離れた、どこか物憂げなものだ。


「あんたのことは知らねえが、金がない辛さは知ってる。旅人って基本その日暮らしだしな。」


「お前も中々、苦労してんのか?」


「その通りだ。だから負けてくれてもいいんだぜこれ。」


「んなことするわけねえだろ。ほら帰った。」


マスターは小銭の入ったポケットに手を突っ込むと。もう片方の手でしっしと店先を俺のことを追い払う。


「いい旅にしろよ。少なくともその剣を手放すまでは死ぬんじゃない。うちの評判が悪くなる。」


「…」


踵を返して店を立ち去ろうとした時、ふとそんな独り言のような声が、後ろから聞こえた。


「ありがとう、マスター。」


それに対する返答はない。ただ、耳に入ってくるのは朝から賑やかなバングスルーの中心街の雑踏だ。


背中には久々に、ずっしりとした重みがかかっている。剣の柄を軽く握り、その感触を確かめてから俺はまた歩き出した。




目の前に聳え立つのはバングスルーの街、その一角にあった伝統的な住居だ。周囲の雰囲気に溶け込みながらも、一際存在感を放つその建物の前に、俺とユアは二人で立っている。


時刻は昼頃、繁華街から少し離れた住宅地。ユア・

エルスターがどこか高級感漂う門戸を叩く。


「仕事終わったよ。」


「…おかえり。ちゃんとエルヴァンの所も回った?」


玄関の扉の奥からユアと同じ髪色をした、40前後の婦人が姿をのぞかせる。目つきやその顔立ちまでユアにそっくりなのは、目の前の人がおそらくユアの母親だからだろう。


「大丈夫、取引書も預かってきたから。」


「そう。…それで、その方は。」


「うん。昨日言ってたセンフ。」


ユアの母親から向けられるのはどこか懐疑的な視線だ。


それも仕方はないだろう。なんせ十数年育ててきた娘が、共に旅に出ると宣言した見ず知らずの相手だ。


そもそもユアの旅に反対している両親の立場からすれば尚更、俺のことなんて快く思うはずがない。


「…あ、どうも。」


「あなたがセンフさん…魔法使いだったかしら。」


「ええ、一応。」


表情が変わらないのは無愛想だと思いつつも、しかし返事をしないよりはマシなはずだ。


「ちょっと待ってて。お父さん呼んでくるわ。」


ユアの母親はその眉間に皺を寄せて、若干俺を睨みながら、玄関の奥へと入っていった。


「…なあ、本当に大丈夫なのか?」


「なんとかなるはず…多分。」


「信用ならねえ。次そこの扉が開いた時に、お前の両親が刃物持ってても不思議じゃねえぞ。」


「その時は避ければいいだろう。センフなら造作もないはずだ。」


「そういうことじゃねえよ…」


ユアは昨日俺やシアンと別れた後、一度両親と旅について改めて話をしたらしい。


昨日は旅に出られると喜んでいたが、そもそもユアが『街娘』である理由は、俺についていく以前の問題だ。


旅は危険であり自分の身を守れるほどの実力がないから…勝手な推測ではあるが、大型そんな理由で反対されているのだろう。


「そもそも俺がどうこう以前に、お前が旅に出ることも反対されてるんだろ?」


「この前山で遭難した時と一緒だ。昨日はずっと喧嘩してたよ。」


「そりゃあ身勝手だって思われるわな。俺すらもそう思ってるし。」


「な…お前は味方じゃないのか。」


「どちらかといえば今でも敵だよ。そもそもお前は今でも魔法使いとしては半人前にすらなっていない。」


「ぐ…それは、そうだが。」


ユアは虫の居所が悪そうに、その顔を歪める。


「実力が見違えているのは否定しないけどな。この四日間の訓練のこと両親には伝えたのか?」


「ああ。両親はそれでも、旅に出るのは危険だと言って聞かなかった。」


「ユアの両親の方が正しいな。バングスルーで武器を扱ってるんなら、力を見誤るってこともないだろ。生半可な力で旅に出たら、お前の場合多分3日で死ぬ。」


「そんなことはわかってる。だから私はセンフについて行くと、伝えたんだ。」


「そしたらあの反応か。」


「あれでもだいぶ治った方だ。父は変わらなかったが、母が今日初めて口を開いたのはついさっきだ。」


「…俺殺されねえか?」


ユアの母親がこちらに向ける視線は、かなり警戒が含まれたもので、それでいて冷酷だった。


実の娘にさえその態度を示すのなら、俺がどういう扱いをされるのか想像もつかない。もちろん何かされたとして、俺には抗う権利もない。


自分の行く末を少し先んじ…心の中に陰りが生まれたところで、重厚な扉が開かれる鈍い音がまた聞こえた。


目の前にはユアの母親と、筋肉質で暗い茶髪の髪を携えた、俺よりも一回り大きな中年の男性が立ちずさんでいた。その手には一応刃物とかはない。この人がユアの父親なのだろう。


「…君がセンフくん、か。」


「はい。センフ・カリスタ、大陸の東から来た魔法使いです。」


「話には聞いている。娘がどうやら世話になったようだ。」


ユアの父親の声が低くずっしりと耳に入る。少なくとも歓迎されているなんてことは間違いなくない。


「色々聞きたいことはあるが、まずは君に感謝しておこう。」


「感謝ですか?俺に?」


「おおよそ一週ほど前、うちの娘が山奥で遭難した時に、食料と寝床を用意して、街まで送り届けてくれたそうだね。」


「…ああ」


そういえばユアと出会ったのは、そもそもこの街娘が山の中で遭難していたからだった。伴わない実力で、しかし好奇心だけは人並み以上に持っていたせいで、ユアは山奥で一人になっていた。


一週間ほど前の自分に、これからあの街娘と旅に出ることになったと伝えても信じないだろう。


「別に大したことではありません。あの時はたまたま娘さんと出会っただけですし、バングスルーにも元々用事があったので。」


「それでもだよ。私達にとって大切な一人娘を救ってもらった事実は変わりない。君にそのつもりがなくても、感謝の気持ちは一応受け取ってもらいたいんだ。」


ユアの父親の声色は変わることなく、相変わらず視線はどこか冷たい。しかしその言葉に嘘があるようにも思えなかった。


「さて、ここから本題だ。君は娘を旅に連れて行くつもりらしいね。」


「…」


正確に言えば連れて行くというよりかは、ユアがついてくるという方が正しいが、そんな実際の様子は関係ない。


少なくともユアの両親から見れば、俺がユアを旅に連れて行くという風に見えるに決まっているはずだ。


「ユアは確かに、昔から旅をしたがっていた。私の父…ユアの祖父に感化されて昔から好奇心旺盛だったからね。」


やはりユアの異常な好奇心は、両親も把握していたようだ。何なら遺伝によるものらしい。


「この街は活気豊かだけど、同時に街である以上、閉鎖的な部分もある。旅に出たいと思う気持ちもわからなくはない。実際、ユアはたまにこの街を抜け出していたからね。」


「ユアちゃん一週間前も遭難していたもんね。お父さんにあれだけ注意されてたのに。」


「それは反省してるよ。だから仕事も手伝ったんだし。」


「本当に反省してる?そう見せるために仕事手伝ってたように見えたよ。」


「うっ…」


ユアは図星をつかれたのか、その顔を気まずそうに歪める。実際この一週間、ユアが自身の行いに反省をしている様子は感じられなかった。


「娘は生まれてこの方、ほとんどこの街から出たことがない。家の仕事のこともあるし、何より街の外は…子供一人にはあまりにも危険すぎる。」


ユアの父親は一息つき、またこちらへと振り返る。


「私も昔はこの街の外で仕事をしていた。街の外の…世界の広さとその恐ろしさは、旅人の君ほどではないが、知っているつもりだ。」


「…確か昔は剣士だったと。」


「小さな街の領主の護衛をね。妻と出会ったのもその仕事の関係だ。君のように各地を巡っているわけではないが、それでも大陸にある主要都市は大体巡っている。」


街の領主の護衛は、それなりの実力がなければ務まることができない。土地を納める、その地域の民を束める立場というのは、その性質上敵を作りやすいためだ。


「君は腕の立つ魔法使いだと聞いた。ユアが旅に出るには実力不足だと、わかっているだろう?」


「ええ、旅人として…大陸を渡る上で、娘さんは魔法使いとしての力量が不十分です。というかそのまま旅したら死にます。」


「…」


「…不服そうな顔すんな。お前もわかってるんだろ。」


「いや、そうだけど…」


ユアはじっと不服そうにこちらのことを見ていた。先ほどから何か口を出そうとして、しかし何も反論はしてこない。反論ができないというのが正しいだろう。


「このまま旅をしては死ぬ、センフさんはそう思っていらっしゃるのですね。」


「これでも結構大陸を巡っているので。旅の危険性はそれなりに理解しています。」


「旅人になれば、危険とは常に隣り合わせになるとわかっている…それなのに、貴方は私たちに、この街から娘を放り出せ、とおっしゃるのですか?」


「…少なくとも娘さんは旅をしたがっています。そしてその覚悟を本人は持ち合わせている。俺が言えるのはここまでです。」


「そんな他人事のように…」


その瞬間、こちらを見つめるユアの母親の視線が鋭くなった。父親の方よりも明確に、そこには俺に対する警戒心が現れている。


「貴方も知っての通りユアは一人っ子です。私たちにとっては…それこそ大事な娘なんです。それにも関わらず、追々と危険な目に遭わせる、なんてできるはずがないでしょう。」


「…母さん。」


「貴方は私の娘のことを何も大切に思っていないように見えるんです。所詮赤の他人だと、ユアが死んでもどうなってもいいと思っているんじゃないんですか?」


「…」


「貴方にとっては出会って一週間の街娘かもしれませんが、私にとっては十六年、一緒に過ごしてきた家族なんです。そんな易々と旅に出ていいと言えるはずがない。貴方にも大切な人がいるならわかるでしょう。」


その視線はもはや敵対だ。治安部隊が盗賊に向けるように、魔法協会が魔物に対して向けるように、そこには明確な殺意すら感じる。


…だが、そんな視線を向けられるのは慣れてしまっていた。


「落ち着きなさい、メアリー。」


「でもお父さん…」


「ここで感情的になっても何も進まない。わざわざ彼はここに足を運んでいるんだ。あくまでも僕は、この少年と対等に話をするつもりだ。」


こちらに向かって一歩踏み出してきそうなユアの母親を、父親が前に手を伸ばして堰き止める。


ユアが時折衝動的な行動を取るのは、この母親遺伝なのだろうか。こんな考えが浮かんでしまうことはきっと悪いのだろうが。


「一方的に捲し立てて申し訳ない。ただ、同時にメアリー…私の妻の気持ちもわかって欲しいんだ。」


ユアの母親は手に肩を乗せられて、ようやく少し感情が収まったようだ。


「このまま旅をしてはユアは危険な目に及ぶ。…あるいは、腕の立つ君がある程度守ってくれるのかもしれないが、いつもユアを守れるわけじゃないだろう。君だって眠っている時や疲れて動けない時があるはずだ。」


「一緒に旅をしたとしても、ユアと離れることはいくらでもあると思います。」


「旅に出る以上、自分の身は自分で守る必要があるが、ユアにはそれが果たしてできると思うかい?」


「おそらくできないでしょう。娘さん、魔法使いの称号は五級しかないようですし。」


「ああ、その通りだ。だから」


「少なくとも今だけは、ですが。」


その時、ユアの父親の瞳が少しだけ見開かれた。


「…今だけか。つまり将来はそうではなくなると?」


「ええ、この四日間の話は聞いていますか?」


「四日間…ああ、知っている。君が山奥で、ユアに魔法を教えてくれていたそうだね。」


「教えるというほどのことはしてないですが…貴方の娘さん、この四日間でかなり魔法の扱いが上達しているんですよ。初めは魔法弾を放つのすら精一杯だったのに、この短期間で自由自在に使いこなしていますから。」


「どうやらそのようだね。私は魔法に詳しいわけではないが…素人目でも、ユアが一皮剥けたように見える。


「奥さん。魔法使いである貴方なら、よくわかるんじゃないですか?」


「メアリー、どう思う?」


ユアの母親、メアリーは何かを確認するようにユアの方をじっと見つめる。しばらくして今度は俺の方を振り返った。


「確かにユアはこの数日で魔法使いとしてはすごく立派になっています。ちょっと前までは小さな魔力すら満足に操れていなかったのに、今は自分が持っている少量の力を、自在に使っているように見えますから。」


「魔力が乱れてた…ってどういうこと?」


「…人は大抵、その内に大なり小なり魔力を秘めている。魔法をうまく扱うには、魔力の流れを適切にコントロールする必要があるんだよ。」


この世に生きている人間、それどころかほとんどの生き物は潜在的に魔力を備えている。ただ魔法を適切に扱うには、自分の潜在的な力を理解し、引き出す必要がある。


勿論生まれながらの魔力の量がそのまま魔法使いとしての力になるが、自分の持つ力を最大限引き出すこともまた、一流の魔法使いになるためには必要だ。


「昔はユアちゃん、魔力が荒れた川みたいに散らばってたけど、今はちゃんと綺麗に纏まってるのよ。」


「…そんなことになってたんだ。」


「魔力の流れなんて、魔法使い特有の感覚的なものだからな。魔法協会ですら、あまりにも理論性がなくてそんなもん教えていない。」


自分の持つ魔力を上手く扱えない人間は、大抵体内から出た魔力を無闇矢鱈に発散させているからだ。腕が立つ魔法使いは、自分の魔力を体の外形に沿って上手くコントロールしている。


…あくまでも、そのイメージだ。俺にはそう見えているというだけであり、そこに理屈や明確な理論は発見されていない。


大抵の人間や並の魔法使いは、この流れというものを意識すらしていないだろう。そう考えればメアリーは魔法使いとして中々上澄みだったのだろうか。


「魔力の流れ、見えているんですね。」


「抽象的なものです。おそらく貴方ほど鮮明には見えていないし、自分がどうなっているのかもわからない。」


メアリーがこちらに向ける視線は相変わらず殺気にあふれているが、その中に少しだけ純粋に俺を測るものが入っているように感じる。


「ユアに確実に力はついている。メアリーが言うのなら間違いないんだろう。センフ君の意見も少しはわかる。」


「お父さん。じゃあ。」


「だが、それでも心配だ。単純に力があるだけで、生き延びられるとは限らない。」


「…どういうこと?」


「優秀な人間だとしても、死ぬときは簡単に死ぬというだけだ。」


「…わかんない。お父さんとお母さんが旅に反対しているのって、私に魔法使いとしての力がなかったからじゃないの?」


「理由はそれだけじゃない。…少し昔のことになる。私が領主護衛をしていた時、その街に世代で一番実力の立つ、それどころか10年に一人とまで言われた剣士がいた。私も手合わせしたが、完膚なきまでにその若者に倒された。」


父親はそれなりに腕の立つ剣士だったとユアが言っていた。そんな人が歯も立たないのなら、相当な手慣れなのだろうか。


「そいつは治安維持部隊に入って、2年経たずに死んだ。魔物に囲われて即死だったらしい。部隊の人間でも足をほとんど運び入れない魔物の巣窟に忍び込んだと聞いた。」


「それはその剣士の不注意でしょう。」


「その通りだ。あの若者より腕はないが、今でも治安維持部隊に勤めている人間はいくらでもいる。彼らは皆、命を守るための知恵を持っているからだ。」


ユアの父親はそう断言した。実際この世は力を持っているだけで何もかも上手くいくものではない。もし力が全てを支配しているのなら、この大陸の統治者が年を食った老人たちになるわけがない。


その青年も、力はあったが魔物に関する知識がなかった。故に死んだという、それだけの話だ。


「ユアが仮に力を持ったとして、旅の中で死ぬ可能性は0ではないだろう。力だけでは生き延びられない。旅には知恵も必要だ。」


「それなら大丈夫だよ。センフはここに来るまでずっと旅をしていたんだ。遭難していた私を連れてきてくれたし、そんな簡単には死なない。」


「お前…よく意気揚々と自分の失態について話せるな。」


「…いや、今回はセンフのことについてだから。」


自分の失態を堂々と話すのはどうかと思うが、その言葉からはユアの俺に対する信頼も多少見える。


「心配なのはセンフ君に関することもある。端的に言えば、私たちは君について何も知らない。ユアから話を聞くが、こうしてその姿を見たのさえ、今が初めてだ。」


センフの父親はじっとこちらの方を見据えた。表情は何も変わらないが、その眼光はこちらを強く突き刺す。


「君の実力を計り知れないし、そもそも君の人間性についてもわからない。今はこうして丁寧な物腰でいるが、それが君の本性ではないだろう。」


「ちょっとお父さん。それは流石に…」


「大丈夫だユア。」


これに関してはユアの父親が正しい。俺は見ず知らずの旅人であり、街の中でユアと知り合っただけの存在だ。俺のことを警戒するのも、全くもって無理はない。


実際俺は魔法協会を去り、パーティーをつい先日、追放されたばかりの身だ。ユアの父親は慧眼を持っているとすら言える。


「君を軽蔑するつもりはないが…信頼もできないんだ。そんな相手に、ユアを任せることはできない。」


「…お父さん、何も知らないくせに。センフはとっても良い奴…ではないけど、悪い奴でもない。私を助けてくれて、私に魔法を教えてくれた。旅に出たいという私のわがままも受け止めてくれたんだ。」


ユアは若干不貞腐れたようにプイッと首を振る。


「でもユアちゃん、センフさんとはこの間知り合ったばっかでしょ?この人のこと、本当にちゃんと知ってるの?」


「それは…」


「旅をするってことは、ずっと一緒にいるってことなのよ。お母さんには一週間過ごしただけで、この人の全てがわかるとは思えないけど。」


メアリーはユアを諌めるようにそう言った。その目つきはとても穏やかで、まるで俺のことを殺すばかりに睨んでいた人とは別人のように思える。


「ユアは…或いは君も、私たちが理解力の足りない、頭の硬い人間だと思うかもしれない。だが親には親の事情がある。君が良い人間か、悪い人間か、それすらもわからない中で、首を縦には触れないんだ。」


「…いえ、至極当然の考えだと思います。」


ユアの父親に対して何も反論が思いつかなかった。


当たり前だ。俺はここに来てほとんど時間が経っていないのだ。ユアですら俺についてほとんど何も知らないのに、まして初めて会った人間に、自分たちの娘を任せられるわけがない。親心というものは理解できないが、それでも知ってはいる。


ましてや俺の過去に詳しく知ることがあれば、この二人は絶対、俺を拒絶するだろう。そんな俺が安心してくださいと言えるはずがない。


辺りに静寂が訪れた。遠くの方から賑やかな話し声が聞こえる。今の時間帯ならおそらく街が一番人が多い時間帯だろう。そんな時間でもここは静かだ。


風が一つ、頬を擦った。冷たくて、無機質だった。結局俺はまた、誰にも理解されずに孤独になるのだろうか。ユアを拒絶しなかったのは、ついてきても良いと言ったのは、もしかすれば俺自身が一人になることを拒んでいたからかもしれない。


少なくともあの赤いサキュバスはそう言っていた。戯言だと、サキュバスの蠱惑の嘘だと流した感情が、しかし心の奥底で存在感を放っている。


寂しいと感じていたとしてどうすることもできない。俺自身の問題ではなく、ユアと俺が出会ってほとんど時間が経っていないからだ。今回ばかりは誰のせいでもないと言って良いだろう。


もう諦めるしかないのだ。再三抱いてしまって希望を、また吐き捨てればそれで終わりだ。俺の罪を考えれば、それで採算が取れている。


「おーいエルスターさん。お届け物だ。」


いつの間にかハマっていた泥沼の中には似合わない、快活でハキハキとした声が、後ろから聞こえてきた。同時にごろごろと石畳を削る車輪の音がする。


「…ハニー君。」


「今日買い出しに行ってたら、冒険者からルチアの果実もらったんだよ。いつも世話になってるから…」


振り返れば、そこにはこの一週間滞在した宿の店主が、荷車を押していた。


「お、兄ちゃん、何でこんなとこにいるんだ?」


「ユアのことについてだよ。」


「ユアちゃん…ああ。」


店主は何かを察したように頷くと、今度はユアの方に振り返る。


「ハニー君、彼のことを知ってるのかい?」

「そりゃ勿論。兄ちゃんずっとうちに泊まってたからな。」


「だからユアちゃんと…」

メアリーは何かを察したように小さく呟いた。てっきりユアは宿のことについても話しているかと思ったが、そうではないらしい。


…ならば尚更、ユアの両親にとって俺は娘の前にいきなり現れた不審な冒険者に写っていただろう。


「兄ちゃんがエルスターさんの家にいるってことは、旅に出る報告か?」


「少し違う。ていうかあんたに旅のことなんて話したか?」


「昨日支部長さんから聞いたよ。酒飲みながらウキウキで話してたぜ?」


「はあ…だろうな。」


ユアと旅に出ると言った時、誰よりも愉快な表情をしていたあのサキュバスなら、宿で店主と饒舌に話している姿も容易に想像がつく。


「にしても旅に出る報告じゃないならどういう要件だ?」


「…まあ、ちょっと。」


「お父さんとお母さんに反対されてるんです。センフと旅に出るなって。」


「そういやそうだった。そもそもユアちゃんは冒険自体許されてなかったもんな。」


店主はわざとらしく片方の手でグーを作り、もう片方の手に軽く叩く。


「あれ、でもエルスターさん。ユアちゃんが旅に出るのは一人だと危険だからって話じゃなかったか?大陸結構回ってる兄ちゃんとなら、何も問題ないだろ?」


「…彼の実力が問題じゃないんだ。私たちは彼を信頼できない。だからユアを連れて行かせるわけにいかないんだ。」


「ユアちゃん自身ってよりかは、兄ちゃんの方か。まあエルスターさんは初めて会ったろうし、兄ちゃんが得体の知れない存在に映っても仕方ねえな。」


店主はユアの両親の方を見据えながら、そんな風に呟いた。


「だけど兄ちゃん、悪い奴じゃないぜ。少なくとも俺が見てた限りではよ。」


「…それ、本当なの?」


「兄ちゃん口は悪いが、なんやかんやユアちゃんの面倒見てたし、俺が見てる限りじゃあ悪いこともほとんどしてねえ。宿屋してれば冒険者の素顔って割と見えてくるもんだが、兄ちゃんはいい奴だよ。」


相変わらずこの店主は掴みどころが見えない。店主が俺をどう見てたのか、その言葉が嘘か本当かもわからない。だが全てを見透かされているような感覚だけは不思議としていた。


「ユアちゃんと相性良さそうだし、下手にギルドの人間捕まえるよりかは、兄ちゃんと行った方がこの子のためになると思うぜ。」


店主はまた、年齢に見合わない屈託の笑みを浮かべる。ユアに向けて、そして俺に向けて何度も見せた皺だらけの顔だ。


「…だがな。」


「やっぱり心配なのよ。旅に出すには不安がつきまとう。センフさんの強さも、人間性も、私たちには計り知れない。」


ユアの両親は苦虫を潰したような表情をつける。…この店主の言葉は、多少追い風にはなっているかもしれない。それでもこの二人を動かすには到底至らないのは、仕方ないだろう。


店主がまた何かを言おうとして、しかしその口を紡ぐ。ユアの両親と長い付き合いを持っているのなら、その人柄も理解しているはずだ。或いは、娘を心配する親の気持ちが多少はわかるのだろう。


「その冒険者の強さなら俺が保証してやる。人間性は…わからないけどな。」


俺たちの間に走った沈黙は軽快で、それでいてどこか重さのある低い声によって消しさられた。


「…ハタさん。」


「どうもエルスター夫妻、話は小耳に挟んでるよ。ユアちゃん、その冒険者と旅に出るんだろ?旅の相方としては結構いい人材だと思うぜ。」


気づけば俺の隣にバングスルーを守る門番、ハタ・ヨシヒサが立っていた。街の巡回中なのだろうか、腰にいつの日か俺も使った剣を携えながら、体には最低限の防具を身に纏っている。


「なんせこの俺とタイマンで制したからな。ありゃ完敗だった。」


「本当か?ハタ君が…」


「ちゃんとカルフも見ていたぞ。この街じゃ一番剣の腕が立つって自負はあったが…どうやら俺もまだまだ未熟らしい。」


ヨシヒサはどこか嬉しそうにため息をつく。俺よりも幾分歳をとったその剣士は、嬉しいことがあった子供のように喜びが溢れているように見えた。


「…分かってはいたが本当にすごいんだな。ハタさんを破るなんて相当だぞ。」


「そりゃどうも。」


ユアの反応を見るに、ヨシヒサはやはりかなり腕の立つ門番だったらしい。確かにその振る舞いや剣捌きの一つ一つが、熟練者のものだった。


俺も結局、正面からやり合って勝ったというよりは、不意をついて一本をとっただけに過ぎなかった。


「謙遜しないんだな、兄ちゃん。」


「こういう時に卑下すると良くないんだろ。その門番に勝ったのは事実だしな。」


「はっ、言ってくれるな。また後でもう一回やるか?今度は負けねえぞ。」


ヨシヒサはパッとこちらの方に近づくと、俺の肩をガッチリと掴む。


「やらねえよ。流石に今度やったら俺が死ぬ。」


「大丈夫だろ。お前さん、真剣の扱いも良かったしな。」


冗談めかしたように笑っているが、俺と門番は互いに本気で殺されていた可能性もある。


それにこの門番は俺の過去を知っている。少なくとも世間的には罪人で、追放された人間ということも、また。


しかし門番のその一挙手一投足に、俺への警戒心は全く感じられない。まるでユアや街の人間と話すように、俺に対して接している。なぜ俺に対して、そんなことができるのだろうか。


「とまあ、エルスター夫妻は不安感抱いているみたいだが…心配してることは起きないと思うぜ。少なくともこの冒険者は強いし、それに卑怯な人間じゃない。」


「…なら、彼は誠実な人間なのか?」


「そこまでは知らないが、変な小細工するような奴ではなかった。第一、俺が街を見張ってるのにそんな奴をほっぽり出しとくわけないだろ。」


「それは…そうだな。」


バングスルーで過ごす中で、この門番が街の人間と会話している様子を数度見かけることがあった。


通常門番や治安維持部隊の人間は、真面目で堅物な人間が多く、大陸の異動も多いため、街の住人と仲良くなるケースは珍しい。


だがこの門番は例外だった。来る人皆が彼のことを慕い、街の人間にかなり信頼されている。ユアの父親もまた、この門番をある程度買っているのだろう。


「この冒険者はユアちゃんに魔法教えてたんだろ。夕焼けが降りる前まで山で特訓なんざ、普通はめんどくさくてやらねえよ。」


「…あんたも知ってたのかよ。」


「そりゃ街の正門から出て行くの何回も見かけたからな。ユアちゃんの魔力がいい感じになってんのもお前さんの仕業だろ。」


ヨシヒサは一瞬こちらを見てニカっと笑い、またユアの両親の方を振り返る。


「一応この街を守っている人間が安全って判断したんだ。これでもまだ不安かい?」


気づけばユアの母親から放たれていた殺気はほとんどなくなっていた。父親から向けられる懐疑的な視線も、かなりましになってかなりマシになっている。


それでも、決してその表情から賛成してくれそうな雰囲気でもない。


「…こりゃ参ったな。」


「仕方ねえよ。エルスター夫妻の気持ち、ハニーさんならわかるはずだ。」


「ああ、それはそうだが…旅は道連れってあんたの国じゃ言うんだろ?」


店主とヨシヒサは互いに向き合って苦笑いを浮かべている。


…やはり、受け入れられないのだろうか。二人の表情を見るに、俺に対する警戒心はかなり薄まっているのはわかる。少なくとも不審者には見えていないだろう。


だが、見ず知らずの人間であるという事実だけはわからない。その事実だけはこの場にいる誰もが変えられないのだ。旅は道連れ世は情けという文言は、信頼できる人間との間にしか使えない。


また風が吹く。先ほどよりも若干暖かい、どちらかと言えば生ぬるいくらいの風が髪をくすぐった。


「…私、やっぱり旅に行きたい。」


数刻の沈黙を今度は小さな声が打ち破る。力なく、どこか震えているそれは、しかしどんな言葉よりもまっすぐに聞こえた。


「…ユア。」


「私、今まで旅って楽しいものだと思ってた。この街にはない景色が広がってて、未知の植物や動物がいて、新しく知識の本を広げるって、すごいことだと思ってた。」


ユアは胸元から一冊の本を取り出す。初めてユアと出会った時に持っていた、古くも丁寧に扱われていた一つの冊子だ。


「でも、違った。センフが教えてくれたんだ。旅って危険なものだって。簡単に死んでしまう可能性があるって。私が想像してたよりずっと恐ろしくて、残酷な魔物がそこら中にいるし、事故に遭う可能性もあるって。」


ユアの両親が、門番が意外そうにその目を若干見開いた。ユアは今までこの閉ざされた街で、甘やかされて育ってきた。危険という言葉にあまり触れることがないと思われていたのだろう。


「お母さんとお父さんが反対してた理由もようやくわかった。遅すぎるって言われればそうなんだけど…

それでも私一人だったら絶対に危険だよね。」


「そうよユアちゃん。この大陸では、たった一年で数えきれないくらいの冒険者の人が死んでいるの。」


「…うん。それも聞いた。他人事じゃないって。旅に出たら、その内の一人になる可能性は十分ある。」


「お母さんは心配してるの。ユアちゃんに何かあったらどうしようって…街の外じゃ、私もお父さんも何もできないから。」


メアリーはゆっくりとユアの肩に手をつき、顔を俯かせる。そしてすぐに、ユアの瞳をじっと見つめた。


「それでも旅に出たい。センフも、ハニーさんも、他の冒険者さんも、私の知らない世界の話をたくさんしてくれた。近くの山も、私の知らないことはたくさんあるんだ。じゃあこの大陸中には、もっと色んな知識が広がってるんだよ。」


「でも危ないのよ。魔物も、人も、自然も、全部がユアちゃんの敵になる可能性もあるのよ。」


「わかってる。でもその危険も私は知りたいんだ。危険な魔物も、人を殺す植物も、閉鎖された都市も。私知らない世界の全てを知りたい。命の危険なんて、何も知らないよりずっとマシだよ。」


…ユアの知的好奇心は前からおかしいと思っていた。だが、そんな生半可な言葉で表せるようなものではない。


端的に言ってしまえば異常だ。安全よりも安心よりも命よりも、何よりも知識を求める。この街娘は、嘘偽りなくそう言っているのだ。


「…おいおいマジかよ。」


「ははっ、こええな。」


店主とヨシヒサは苦笑いを浮かべながらそう呟く。十数年間、街で閉ざされた娘の、もはや狂気とも言えるその夢は、流石の二人をも驚かせている。


「ちゃんと魔法の訓練はする。お金も宿も、クエストとか仕事をして、どうにかする。」


ユアはゆっくりと母親の手をゆっくりと外して、一歩引き下がる。そうして改めて両親の方をじっと見据えた。


「お願い。お父さん、お母さん。私の最後のわがままを聞いて。」


そうして、ピッシリと頭を下げた。


「…ユアちゃん。」


メアリーがどこか寂しそうにそう呟く。その瞳はただ娘を心配している一人の母のものだ。


辺りが若干静まり返った。自分の呼吸音が反芻し、耳に響く。先ほどまで聞こえていた賑やかな表通りの雑多が、まるで意識の外側にあるように消えていた。


「…その覚悟は、本物か?」


ユアの父親がそう言った。その言葉を聞いたユアが顔を上げる。


「生半可な気持ちではすぐに死んでしまう。誰もお前を守ったりはしてくれない。それでもその覚悟は変わらないか?」


「うん。私は本気。もう皆に甘えられないどころか、むしろ厳しくなるのなんてわかってるよ。でも旅に出たい。」


「そうか…」


ユアの父親は小さくそう呟くと、その瞳をゆっくりと閉じた。腕を組んだまま、何かを考えているようも、何かを飲み込もうとしているように見える表情をしていた。


「センフ君。いくつか聞いておこう。君との旅は、ユアを不幸にしてしまう可能性はあるか?」


「それは…」


旅が人を不幸にするのか、この穏やかな環境で育った街娘に、真実という名の残酷を目にさせてしまうのか。そう問われれば答えなんて決まっている。


「いくらでもあると思います。旅をしてれば、いくらでも不幸な出来事に遭うし、見たくもないものを見てしまう。残酷で、悪徳で、非道な存在なんていくらでもいますから。」


「ならもし何かあった時、君は必ずユアを守ってくれるか?」


「それは無理です。俺にできないことなんていくらでもありますし、そもそも守ってばかりでは意味がない。ユアは自分の力で自分を守るようになると思います。」


「…最後だ。君との旅は有意義なものになると思うかい?」


「…」


旅は有意義か。単純にして、最大の疑問だ。なぜ大陸を回る冒険者が数多くいるのか。彼らはなぜダンジョンをこなし続けるのか。その理由は千差万別で、一言で言い表すのは不可能である。


そしてその過程も結末も、人によって異なってくる。それを知る術なんて、ありはしないのだ。


ならこの街娘はどうだろうか。全てが未知で、予測不能な旅路は、ユアにとって何になるのか。


「俺であっても俺でなくてもなりますよ。知識を純粋に追い求める人間が、一番旅を楽しめます。そう言った意味では、最も旅に向いている性格と言えます。」


旅とは未知に触れることだ。自分の知らない世界を、見たこともない生物を、聞いたことのない現象を確かめる行いの連続だ。ただ純粋に、異常なほど知識を欲しているユアにはやはり、旅は向いている。


ユアの父親はまた目を瞑って、一つ息を吸った。


「ならば、一つだけ伝えておく。…帰る家はない。そう思っておけ。」


そうしてユアの父親は何か諦めたように、あるいは清々しそうにそう呟いたのだ。


「…え。」


「当たり前だ。帰る場所があると思ってしまえば、その覚悟は揺らいでしまう。バングスルーの街は頭の片隅に置いておくくらいにしろ。旅に出るのならな。」


「本当に…いいの?お父さん?」


ユアが信じられなさそうにその視線を上げる。


「…お父さん、本気なの?ユアちゃんのこと心配じゃない?」


メアリーも驚いたようにユアの父親を見据える。


「賛成はしたくなかったが、最早止められないだろう。世界の広さを知ってしまったなら、好きなようにさせればいい。それともお母さんはまだ反対するかい?」


その言葉に、メアリーが唇をゆっくりと締めて、俯いた。


「…お父さんが言うなら、仕方ないわね。」


「ああ、仕方ないな。」


「はっ、相変わらずエルスターさんは素直じゃねえな。」


「こんな時くらい、ちゃんと言葉にすればいいのによ。このツンデレが。」


「おいそこの二人、うるさいぞ。」


店主とヨシヒサがユアの父親の方を指さして笑っていた。


「…え、じゃあ私、今から冒険者?」


「なんで当の本人が一番自覚持ってねえんだ。散々旅に出たいとか言ってたくせによ。」


「いや、いざ認められると、逆に現実か不安になると言うか…」


ユアはどこか呆然として立ち尽くしている。長年の夢が叶った時、人は圧倒的に喜ぶか、その現実を逆に認知できず固まってしまう。それだけユアにとって、両親に認められるのは大きな出来事だったのだろう。


「頬つねってやろうか?それで夢かわかるだろ。」


「…それはいいや。」


「なんで若干引いてんだよ。」


いきなりすんとしたユアに対して思わずため息をつく。一気にいつも通りのユアに戻って逆に拍子抜けだ。


「そうだ、ユアちゃんを送る前にパーティー開かねえとな。今日の夜、うちの店開けとくよ。」


店主がふと思い出したようにそう呟く。


「え、パーティーするんですか?」


「もちろん。ユアちゃんの冒険スタート記念兼、送迎会だ。」


「うわあ…じゃあいっぱい美味しいもの作ってください!」


「おう、任せとけ。腕によりをかけてたくさん作ってやるよ。」


「ありがとうございます!」


ユアがパーっと微笑みを浮かべた。先ほどまでの真剣な表情から一点、まるで子供のような無邪気さがそこにはある。


「せっかくの記念日だしパーっと行かねえとな。エルスター夫妻は店いつ締める?」


「今日は少し早めに店仕舞いをしよう。日が沈むまでにはハニー君の店に行くよ。」


先ほどまで難しい顔をしていたユアの父親が、ふっと笑った。その笑顔はユアと瓜二つだ。


「…仕方ないわね。ユアちゃんの門出はしっかり祝ってあげないと。」


ユアの母親は、どこか諦めたように、というか呆れたように首を小さく振った。だがその表情は穏やかであり、先ほどまでの雰囲気は感じられない。


「エルスターさんたちが来るまでに酒をたんまり準備しておくよ。兄ちゃんも夕方には宿にいてくれ。」


「いや、いきなりすぎるだろ…なんでパーティーやるんだよ。」


なぜかテンションの上がっている大人3名を横目にそう呟けば、門番が勢い俺の肩に手を回してきた。

「当たり前だろ?ずっと一緒に過ごしてきた子が街から出ていくんだ。送迎会くらいするに決まってる。」


「…そんなもんか?」


「少なくともこの街じゃ慣例だ。親しい奴との別れがしんみりしたものなんて嫌だろ?だから盛大に送り出すんだよ。」


「俺はあんたらがただ騒ぎたいだけに見えるんだが。」


「はっ、水を差すようなこと言うんじゃねえよ。間違ってないけどな。」


「やっぱそうなのかよ。」


送迎会なんて名目を作りながら、ただ酒を飲んで騒ぎたいだけの大人がどうやら複数名いるようだ。ユアもまた目を輝かせているあたり、そちら側なのかもしれない。


ふとユアの母親と目が合った。ユアの母親は一瞬、そばで騒いでいる店主たちの方を向いて、呆れたように苦笑いする。その視線に殺気はもうない。


空を見上げれば、太陽が少しだけ傾いていた。後2、3時間もすれば日が暮れるだろう。遠くの方からは相変わらず喧騒が聞こえており、この街がいかに賑わっているかを感じられる。


気がつけば、一人ではなくなっていた。隣にまた旅路を歩む仲間ができた。


この先の旅は一体どうなるのだろうか。どんな未来が、どんな結末が、どんな世界が待ち受けているのだろうか。そんなのは今、知る由もない。なぜなら旅とは未知に触れることだからだ。


今は、少しだけ過去と決別すればいい。決してその記憶を忘れることはないだろうが、しかし無闇に思い出す必要もない。どうやら将来が、少なくとも真っ暗ではないようだから。


バングスルーの街滞在6日目、放浪者、センフ・カリスタ。俺はまた、新たな一歩を踏み出そうとしていた。




鶏の鳴く声が響き渡る。バングスルーの街は人影が少なく静かだった。辺りには、開店準備をしている商人たちが時折闊歩している。


そんな朝早くの時間帯に、通りから離れた裏路地にある宿には、いくつかの人影があった。


「…準備できたか?」


「うん、バッチリ。」


店のカウンターに腰掛ける俺の後ろでは、ユアが大きなカバンからはみ出すくらいの荷物を抱えて立っていた。昨日のうちに旅へ出る準備を終わらせていたようだ。


「ならいくぞ。」


俺はユアの姿を確認して立ち上がった。


「おいおいおいちょっと待て兄ちゃん。いくらなんでもあっさりしすぎだろ。」


「んなこと言われても…昨日散々騒いだだろ。」


「もしかすれば今生の別れになるんだぞ?お見送りくらい、もうちょっと感動的なもんの方がいいに決まってる。」


「いや別に…」


そう呟いたところで、視界の端にユアの両親が立っている姿が見えた。


「…ああ、ユアは違うな。」


俺にとってこの旅立ちは、数日間滞在した街を出るだけのよくある出来事だが、ユアの方は違っているだろう。


長年育った街を出て、大陸へ一歩踏み出す。…もしかすれば、二度と両親に出会うことはないかもしれないのだ。


「おいおい、兄ちゃんも一緒だぜ。」


「だからあんたとはそんな長い時間過ごしたわけじゃ」


「時間とか関係ねえよ。この一週間、ユアちゃんのことも含めて結構、濃密な時間を過ごしたつもりだ。俺からすりゃ、兄ちゃんがいなくなるのは寂しくなるんだよ。」


「そうだ。結局お前さんとは剣を交わせなかったしな。」


ふと店の入り口から、ヨシヒサの姿が見えた。いつも身に纏っていた鎧を外し、薄い布のような服と腰に小さなナイフを携えている。ずっと門番だった男の、自然体はなんだか新鮮な姿だった。


「あれ冗談じゃなかったのかよ。」


「俺は本気だったぜ?まあ娘さんが旅に出る前に、相方を怪我させちゃ流石に悪いかもな。」


「…随分と自信満々だな。」


「ははっ、ちょっとした虚勢だよ。本気じゃなかったと言っておけば、多少なり自分を誤魔化せるからな。」


「はあ…そうか。」


ヨシヒサはヨシヒサで、随分と子供らしいところもあるようだ。…いや、ある意味これが本来の姿なのかもしれないが。


俺は息を一つつき、カウンターの横に置いていた荷物を手に取った。


「もう出るのか?」


「しばらく歩くつもりだからな。野宿することを考えれば、少しでも早めに出ていく方がいいだろ。」


「そうか、じゃあこれでお別れだな。」


「ああ。店主、改めて世話になった。」


「お礼は俺が言いたいくらいだ。宿屋に7日間も泊まる客なんてそうそういないからな。十分儲けさせてもらった。」


「…めちゃくちゃ値引きしただろ。ちゃんと利益になってんのか?」


「ははっ、大丈夫だよ。」


この7日間、なんやかんやで相場よりも大分一白あたりの値段を下げてもらった。いくら7日間も泊まったとはいえ、一泊あたりの利益が小さければ、あまり儲かっていないはずだろう。だが店主はそんなことを気にした様子もなく、なぜか豪快な笑みを浮かべている。


「それじゃ、いい旅を。もしまたバングスルーに寄ることがありゃ、うちを使ってくれ。いつでも部屋は開けておくよ。」


「またここに来たら利用するよ。宿泊料金が他より安かったらな。」


「それだったらまた値引きしてやるよ。」


店主はそう言って目を閉じ、ふっと息を小さく吐いた。


「簡単にくたばってくれるなよ。お前さんが死んじまったら、俺の顔にまで泥がかかるからな。」


気づけばヨシヒサが先ほどよりも一歩、こちらへと近づいてきていた。


「…わかってるよ。今のところは、まだ旅を続けるつもりだ。あんたにも見逃されたしな。」


「お前さんは問題ないと判断しただけだよ。」


ヨシヒサはからっとした笑みを浮かべて、俺の肩にポンと手を置いた。


「…娘さんをよろしく頼むよ。それじゃ、いい旅を。」


そして、ゆっくり手を離すとそのまま俺の横を通り過ぎていく。


「…じゃあ、行ってくるね。お母さん。お父さん。」


「行ってらっしゃいユアちゃん。」


「ああ、気をつけるんだぞ。」


傍では、ユアが両親と別れの言葉を交わしていた。両親の方は若干目を潤わせていたが、ユアはどこか誇らしげに、まるで寂しさも悲しさも背負っておらず、凛々しく立っている。


「センフ君。どうかユアをよろしく頼むよ。」


ユアの父親が、ふとカウンターの方に視線を向けてそう言った。


「ユアちゃんを危険な目に合わせたら…承知しませんからね。」


「…ええ、任せてください。」


ユアの母親には、また昨日のような殺気が篭っている。…決して俺を完全には受け入れていないのだろう。だが、そこに明確な敵対心があるわけでもない。


「じゃあセンフ、行こうか。」


「ああ。」


ユアの姿を確認して、俺は入口の方へ向き直った。後ろには数人の人影がある。だが、振り返ることはしない。皆がどんな表情をしているのか、どんな感情を抱いているかはわからないが、悪いものではないことくらいは知っている。


ドアに手をかければ、からんからんとベルの音が鳴り響く。この店に初めてやってきた時も聞いた音だ。


バングスルーの街から見える空は、雲ひとつなく晴れ渡っている。徐々に人影が増えてきて、この街の日常が始まろうとしていた。


隣には、1人の街娘がいる。明るく、思慮深く、そして今生まれ育った街を旅立つ、新米の冒険者だ。


これからどのような旅路になるのかなど、想像はつかない。つくはずもない。旅とは未知に触れることだからだ。


風が一つ吹きつけた。それは今までよりも暖かく、どこか優しいものだった。

本作で第一編(名付けるならバングスルー編となるのかな?)が終了となります。

気ままに作品を描いているので続きはいつになるかわかりません。

ここまで読んでいただきありがとうございました。


誤字脱字等がありましたら、ご指摘いただけると幸いです


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