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第四話 途絶えぬ疑問

東から登った太陽はすっかり頂点へと昇っている。辺りの草木が風に揺れ、さーっと緑の匂いが鼻をくすぐった。


ある男は木の上で本を読みふけ、またある男は岩場で気持ちよさそうに日向ぼっこをしている。その近くで一人の少女が魔導書を抱えながら、もう一方の手で魔法陣を作っていた。


「エアスフール!」


少女がそう叫んだ瞬間、あたりに小さな雷鳴が鳴り響く。上の方から電気が降り注ぎ、地面へと吸収されて消えていった。


「なんでライトニング…雷魔法が出るんだよ。」


「えへへ、何でだろうね。」


「逆にすごいよなお前。」


ロングヘアーの黒髪少女がやってしまったという様に頭に手を当てながら苦笑いする。その少女の前でため息をつく魔法使いがいた。


「風が雷に、水が風に…そんで、魔法弾は逆向きに飛ぶ…ほんとどうなってんだ?」


魔法使いの男…センフ・カリスタが呆れた様に少女の方へと視線を向ける。小さなとんがり帽子を被った少女、ラカ・アルヘルムはいつもこうなるんだよねと呟きながら杖を眺めて首を傾げた。


「魔法を教えてって言われたからわざわざ時間取ったが、流石にここまでとは思わなかったぞ。」


「いやあ、逆にすごいでしょ、私。」


「こんな魔法使い見たことねえよ。」


ラカは魔法使いの資格を一応持っている。だが、パーティーの魔法使いとしては少々心許ないらしい。彼女はそんな自分を不甲斐なく思っているらしく、魔法を上手く扱える様になりたいと仲間の魔法使いに教唆を頼んできたのだ。


「魔物と出会った時はどうしてたんだ?思った通りに魔法が出なきゃ、怪我をしたり撃退できないだろ。」


「今まではまあ…こう、気合いで?とりあえず魔法を手当たり次第に使ってたら、運良く撃退できてたんだよね。」


「…よく死ななかったなお前。」


魔物やドラゴンには属性…自然の理の様な性質を持つものが多い。獣を模した魔物は火に弱く、水を扱うドラゴンは草木の盾を貫けない。魔物と出会った時には、適した魔法を使う必要がある。


だが、目の前にいる少女は自分の思った通りに魔法を繰り出せない。魔法は使い方を間違えると、魔物を撃退するどころか余計に活性化させてしまったり、自分が怪我をすることだってあるのだ。


「いつもテクノもアンリーもいたし、私が失敗しても何とかなってたんだ。」


「はあ、なるほどな。」


魔法使いの男は木の上の方を眺める。その視線に気づいたのか、僧侶のテクノは優しく微笑んだ。


「あんたんとこの魔法使い、なかなか酷いな。」


「彼女は頑張っていますよ。いつも彼女なりに、パーティーに貢献しようとしていますから。」


「でもこいつの場合、足引っ張ることもあるだろ?」


「…」


テクノはふむ、と一言呟くと、手元に持っていた本を、表紙を上に向けたまま膝の上に置く。


「確かに、否定はできません。」


「そこは庇ってくれるところじゃないの!?」


「あなたのせいで死にかけたことは…2回ほどありますから。」


「…あんたら本当によく生きてんな。」


「旅はいつも危険がつきものでしょう。」


さらっととんでもないことを言ったパーティーのリーダーに、また思わず呆れてしまう。実力が乏しい冒険者が3人集まり、数年旅を続けられているというのはもはや奇跡なのではないかとすら思えた。


「ですが、ラカを攻めるつもりはありません。いつもこの子は頑張ろうとしていますから。」


「あんた本当に仲間に甘いな。こいつのやらかし皆で死ぬ可能性だってあるんだぞ。」


「結果よりも過程が重要だと私は考えています。自分なりに出来ること…ラカの場合は、魔法使いとして魔物を撃退しようとする、その心意気が何よりも必要でしょう。」


「…テクノ、本当に君はいい奴だね!」


「あなたの行いを全て許しているわけではないですからね。勘違いしないでください。」


「ぶー…わかってるよ。」


味方かと思われたテクノにハシゴを外されたラカは頬を膨らませながらプイッとそっぽを向く。


「理想論じゃねえのか?残念ながら、この世の中は思っているより汚れているぞ。」


「知っていますよそんなこと。だからこそ綺麗でありたいと思うんです。」


「それで死んだら元も子もないだろ。」


「その時はそれまでだったというだけ。旅をしている時点である程度は割り切っています。」


僧侶は微笑みながらそう言った。魔法使いの汚点…いや、はぐれものを敢えて拾ったこの男は、やはりどこか掴みどころがわからない。


優しく微笑む僧侶は腰にかけていた本をまた取り出す。


「続きを教えてやってくれませんか?今はあなたも、立派なパーティーの一員ですよ。」


「ああ、そうだったな。」


何を言い返すでもなく、いや、ついていくと決めた以上何も言い返すつもりもなく、魔法使いの男は手元の杖をまた手に取った。


「おい、やるぞラカ。もう一回魔導書開け。」


「あ、わかった!今行く。」


気がつけば近くの岩場に生えている花を眺めていたラカは俺の声に気がつくと、こちらへと駆け寄ってくる。相変わらず無垢で、しかしどこか悪戯好きな見た目が幼い少女が近づいてくる。


そして隣に来たことを確認し、先ほどと同じように魔法を教えるため、手元の杖を握った。


「いいか、呪文ってのは飾りの部分が強い。結局、魔力のコントロールが重要だ。」


ラカが魔法を思った通り扱えない…別の魔法が暴発しているのはおそらく魔力を扱いきれていないからだ。


「…ラカ、聞いてるか?」


しかしラカからの返事はない。不思議に思って魔法使いの男は隣へと振り向く。


「聞かなきゃいけないの?あなたの言葉を?」


その声はただ、冷たかった。


先ほどまで隣にいたはずの幼げな少女の姿はどこにもない。ただ先ほどよりも髪が長く、大人びているの一人の女性が、どこか無機質にも感じる視線をこちらに向けていた。


「…ラカ?どうした?」


それは紛れもないラカの姿だ。ただ、先ほどとは違う。同じなのに絶対的に違っている。


「別にどうもしていないわよ。ただあなたの言葉を聞く意味なんてないでしょう。」


ラカは眉一つ変えずにそう告げる。


心臓が握られる様な感覚に襲われた。鼓動が早く、より鮮明に感じられる。体が冷たい。


「…人殺し。」




「はっ」


息が早まっていた。鼓動が体中を打ち付けている。肩が一定の間隔で震えていた。


「…夢。」


俺は宿の布団の中にいた。先ほどまで目にしていたのは、非現実的な、脳が作り出す偽物の世界だったらしい。


カタン、カタンと木が揺れる。雨粒が屋根か窓かを穿っているのだろう。水滴がこぼれ落ちる音が部屋の中まで響いていた。外はとっくに黒に染まり、部屋の中も小さな電球すら染まっていない。しばらく夜は更けないだろう。


自分の状況を整理したところで、俺は一つ大きな息をつく。そこから深呼吸を何度か繰り返し、まずは体を落ち着かせた。


枕元に置いていたジョッキから水を一杯口に含む。よほど喉が渇いていたのだろうか、体の中を水分が駆け巡る感覚がした。


「…何であんな夢、見たんだ。」


ベットに座り込みながら、気づけばそう呟いていた。


先ほどまで目にしていた、頭に浮かべていたあの世界は確かに幻想ではある。しかしその全てが偽物ではない。途中までは確かに、本当にあった出来事だ。


魔法をうまく扱えないラカに山へ連れ出されたのも、テクノが本を持って木の上にいたのも、アンリーが気持ちよさそうに寝ていたのも全て同じ日のことだ。


…すっかり忘れていた記憶だ。今から数年前の出来事で頭の片隅にすらなかったものを、なぜ今更夢で見たのだろうか。


頭の中でゆっくりと思考が書き巡らされて、一つの思考が頭をよぎる。


「重ねたのか。今日のこと。」


今日はユアに、未熟な魔法使いに魔法を一通り教えていた。正確に言えば、魔法の扱い方というよりかは魔法を使った生き残り方という方が正しいかもしれない。


そして夢で見た光景も魔法を教えた日の出来事だった。大陸南の都市の山間部、複数回魔法の訓練をした中の、初めての時だ。


「…はあ。」


小さく呟いたため息は雨音の中に消える。俺は目を瞑ってその場に俯いた。


今日の出来事と夢の中は状況がよく似ている。いつの間にか記憶をリンクさせていたのだ。


パーティーから追放されてもう3日も経っている。もうあの3人とは別れてしまったはずだ。なのに昔の思い出をまだ引きずっている。


挙げ句、出会ったばかりの街娘に過去の仲間の姿を思い浮かべているのだ。あまりにも未練がましく、情けなく、そして愚かだ。


気づけば頬が緩んでいた。声にならない渇いた笑いが込み上げてくる。


昨日元サキュバスに、ユアを仲間として連れていくなんてできないと、仲間の代わりになんてできないと大口を切ったくせに、無意識の内にそうしてしまっている。


なんとまあ、脆い意志なのだろう。いや、単純に心が弱いのか。失ってしまったものを、取り返すことなんて不可能だとわかっているはずの過去を、それでも醜く、まるで子供が駄々をこねる様に追い求めているのだ。


…夢を見ている、前を向いているあの街娘よりもよっぽど幼い。心が育っていない。俺はずっと後ろを向いたまま、前に振り返ることもなくただ過去を嘆いている。いつまでもいつまでもいつまでも同じ方向を向き続けている。


何も変わらない、何も変われていない。自分は結局、自分のままなのだ。


馬鹿らしくなって、何も考えたくなくて、俺は敢えて力を込めてベットへとまた転がり込んだ。着地する場所を間違えてしまい、壁際の木に背中を小さく打ち付ける。またしても声にならない叫びが飛び出た。


雨音が先ほどよりも強くなっていた。今にも部屋の窓を突き破らんとするばかりの勢いで打ち付けている。


目を瞑って、その上から腕で視界を閉ざした。しかし当然、眠れる気配などない。


ただ茫然と自分の醜さだけを自覚しながら、微動だにせず外の雨に耳を傾けていた。




「…」


バルスク地方から東に数百キロ、ドンハロックの街。魔法協会や冒険者ギルド本部がある大陸中央部に近いこの街には、大陸の下半分を管轄する魔法協会の第二支部がある。


日が沈み数時間が経った頃だ。いつもは魔法協会の職員でごった返している第二支部も、営業時間を過ぎた夜になれば人の姿はほとんどなくなる。


そんな第二支部を取り仕切る建物の後ろ側、およそ数百メートルのところに一つの倉庫がある。今はもう使われなくなった廃材や古びた魔法道具がそこらに転がされている、大きなゴミ箱ような場所だ。


倉庫の中にある、ぽっかりと空いた広場のような場所に一人の男が立っていた。魔法協会の職員服を見にまとった男は、顔に皺を刻ませながら月を眺めていた。


「…おや、久しぶりですね。」


突然、重い金属が擦れる音が響き渡る。倉庫の扉が開かれて、街灯の光が中に流れ込んだ。


男は扉の方を振り返る。そこには同じく職員の服を見にまとった女が立っていた。しかし男と違い、肩から金と朱色であしらわれた首かけを身につけている。魔法協会の幹部のみが身につけることが認められている、専用の飾りだ。


「…やはりここか。」


「ええ、月明かりが綺麗ですので。」


男は後ろを振り向き、大窓から見える満月に視線を動かした。


「それで、どうしてこちらに?レヴィンテール殿は今、バルスク地方の調査に出ているのではなかったのですか?」


「少し事情があってな。急遽戻ったんだ。」


「ほうほう…急ぎの要件ですか。」


「アンヘルはどこにいる?あいつに用事があるんだ。」

「アンヘル様は今、ガンラン地方へと赴いています。要件ならば私に。」


「そうか、ならいい。」


ハルノシアンは舌打ちをしながら、倉庫を後ろ手に振り返る。


「わざわざこちらへと出向いたにも関わらず、もう立ち去るのですか?」


「…なんだ貴様。」


「ただ疑問に思ったもので。あなたがここを訪れるなんて、それこそ久しぶりの出来事ですから。普段の幹部会議にすら貴方は参加されていないと聞いていますよ。」


男はその頬を釣り上げたまま、シアンの元へと一歩歩み寄る。


「あなたが自分の管轄で仕事をしているのさえ、珍しいことではありますがね。何故今になって?」


「別に何も理由などない。気分だよ。強いて言えばあのジジイどもからの視線がうざったいだけだ。」


「確かに賢者様たちはハルノシアン殿のことをよく思っておりませんが…あなたがそんなことを気にするとは少々意外ですね。」


「さっきからなんだ。何が言いたい?」


「単純に貴方の行動を疑問に思っているだけですよ。アンヘル様から貴方は自由気ままで何にも囚われることがない、そんな方だと耳にしていましたから。幹部になって1年、ようやくバルスク地方に赴いた原因がただの気分だとは到底思えないんです。…他に理由があるのでは?」


男はまた後ろを振り返ると、何かを伺うようにその視線をハルノシアンに向けた。曲がっている、歪んでいる。心の奥底を、その蓋を迂回して覗かんとする視線だ。


「例えば気にかけていた魔法使いがたまたま訪れた、とか。」


男がふっと、小さく笑いながらまるで独り言のように呟く。次の瞬間には、ハルノシアンが男の目の前まで飛びついていた。


朱色の中に二重の金がかけられたその瞳は大きく見開かれ、男の方を睨んでいる。瞳や髪色と同じように朱色に輝く爪が男へと突き立てられていた。


「おやおや、乱暴ですね。」


「貴様、何か知っているな?」


「はて、何のことでしょう。」


男は先ほどよりもわずかに瞳を開く。ハルノシアンの攻撃に対して、手元で防御魔法を展開し立ち向かっていた。


「…惚けるな。煽っているのか?」


「私はレヴィンテール殿が何故怒っているのか、さっぱりわかりませんよ。」


「センフ・カリスタを知っているだろう。奴はかつて、魔法協会の人間だった。」


「カリスタ、カリスタさんですか。」


男の首が赤く染まった。ハルノシアンの親指が、男の肩に突き刺さっている。だがそれでも男は表情を変えない。


「もちろん知っていますよ。…彼は今、冒険者でしたかな?」


「あいつはパーティーを組んで各地を巡っていた。しかしつい先日、奴は仲間内から追放された。」


「おや、そんなことがあったんですね。お気の毒に。」


「奴の仲間は魔法協会の人間と直前に接触していたと言っていた。貴様ら、一体何をした?」


「さあ、知りません。魔法協会は大陸規模の組織。その動向を全て把握できるわけがないでしょう。」


「まだしらを切るつもりか。どうせ上の奴らの仕業だろう。…アンヘルが手を加えたことも、全てお見通しなんだよ。」


「随分昔に出て行った人間のことなんて、今更何故私たちが気にするのですか?」


「ならなぜ『気にかけていた魔法使い』なんて言葉を使った?」


「貴方様がここに戻ってきた理由と一緒ですよ。なんとなく、です。」


「…真意を答えろ。さもなくば殺す。」


ハルノシアンの爪が紅く光る。その先から魔力が溢れ出し、やがてそれは炎となって男へと燃え移った。


「真意…ですか。わかりませんね。」


男はその表情を若干崩しながらも、ハルノシアンへと向き合い続ける。ものぐさの悪い笑みが若干崩れ、額からは汗がこぼれ落ちていた。


「貴様達がやったことはわかっているんだよ。何も知らないなどと言ったな…貴様の目は嘘をついている奴のものだ。」


「疑われてはたまりませんな。幹部の人間に嫌われてしまうと、碌なことがない。」


「口を開け。もう時期、お前は焼き切れるぞ。」


ハルノシアンはさらに指先へと力を込める。魔力から生み出された炎がより強く燃焼し、やがてそれは青色へと変化した。


その火は男が身につけていた魔法協会の職員服に引火する。並大抵の魔法ならば防ぐことのできる代物が、しかしハルノシアンの力は受け止めきれず、徐々に、徐々に燃え広がって行った。


「…知りませんよ。何も。」


「そうか…もういい。」


男はどこか諦めたようにふっと息をつく。その姿を見て、ハルノシアンはその瞳を閉じ、さらに手元へ力を込めた。


その瞬間、男の周囲を碧色の柱が覆った。すっかり静まり返った第二支部の建物が強く光り輝く。しかしそれも一瞬で、倉庫の中はまたすぐに、夜の静けさを取り戻した。


「ユーラン。いるか?」


「ええ。どうしましたか?シアン様。」


ハルノシアンが月夜に向かってそう呼びかけると、倉庫の扉がまた開かれる。そこには魔法協会の職員服を見にまとった、紫髪の青年が立っている。ハルノシアンよりも少しだけ背が低く、肩には紋章をかけていない。


「2つほど仕事を頼みたい。一つは本部への報告だ。」


ハルノシアンは紫髪の男…ユーランの少し甲高い音を確認すると、月に背を向ける。その右手には、先ほどまでこの倉庫にいた、魔法協会の男が串刺しにされている。ハルノシアンはその返り血に覆われていた。


「魔法協会の人間が、仕事中に不運な事故に遭遇した。姿から察するにアンヘルの部下と思われる。そう伝えてくれ。」


ハルノシアンは手元から男をゆっくりと引き剥がすと、その場へと放り捨てる。そして血が混じった唾をそこへと吐きかけた。ハルノシアンの唇には小さな傷ができている。


「もう一つはこれの処理だ。お前の方で、こいつの記憶を砕いておいてくれ。」


「…わかりました。すぐに仕事に移ります。」


ハルノシアンが下を指さすとユーランは一切の躊躇いなく頷き、倒れ込んだ男の方へと駆け寄っていく。


男は腹部を鋭利な刃物で切り裂かれている。傷口からは血が溢れ出し、呼吸が荒くなっていた。


「生かしておいたんですか?」


「人間という種族は、仲間内での殺しは御法度なのだろう。せっかく上り詰めた場所だ。そう簡単に手放すのも惜しい。」


ハルノシアンが立てた爪は…男の致命をわずかに避けていた。一部が内臓や血管に突き刺さり、そこから血が溢れているが、同じくハルノシアンの魔法によってその部位が焼かれており、傷口が簡易的ながら塞がっている。


「こいつの魔力は殺した。もう2度と魔法は使えない。ここ数日の記憶を砕いてしまえば後は仕事中に事故に遭い、精神を病んでしまった不運な男になる。アンヘルも私に手は出せまい。」


ハルノシアンは腹部から筒状の紙束を取り出す。手元で小さな炎をつけると、紙束に引火させてそれを口に咥えた。


「後は頼んだ、ユーラン。もし何か不都合があれば私にまた連絡しろ。」


「承知しました。これからは?」


「またバルスクへと戻る。…貴様はこの仕事を終えたら数日休みをとっておけ。他の人間に仕事を振って構わない。」


ハルノシアンはそう言いながら、倉庫の入り口へと歩みを進める。その姿を確認したユーランは再び下の方へと振り向き、男の頭上に手を当てた。


「ドゥリツァドラン」


ユーランがそう呟けば、手元から小さな魔法陣が生み出される。そこから発現した魔力が男の額の方へ向かっていく。


パリン、とまるで何かが割れるかのような音が第二支部の中に響き渡って行った。




「…」


頭の中には、昨日見た夢が浮かんでいた。遠い昔、パーティーを組んだばかりの時の記憶、そしてその後の、かつての仲間、ラカの言葉。


人殺し、という言葉が何度も反芻し頭の中を蝕んでいる。いくら追い出そうともして決して離れることなく、まるで粘液のように脳にこびりついている。

「…っと。」


「センフ、大丈夫か?」


「ああ、ちょっと躓いただけだ。」


「…」


時刻は昼ごろ、同じくバングスルー付近の山の中。今日もセンフの魔法訓練を行うために、昨日作った広場へと向かっていた。


「寝不足か?昨日より元気がないように見えるぞ。」


ユアは俺の横を通り過ぎると、そのま首を傾げてこちらの顔を覗き込む。


「昨日帰った後、街を出歩いてたんだよ。俺は子供と違って早く眠れないからな。」


「…な。お前、私をまた馬鹿にしたな?」


「ユアのことだとは一言も言っていない。むしろそんなに反応するってことは、お前はガキみたいに昨日もぐっすりだったのか?」


「…別にそんなことはない。昨日も帰った後、夜まで植生の勉強をしていたんだ。センフと同じくらいまでは多分起きていたよ。」


「さっきまで家の手伝いしてたって言ってたよな。ちゃんと睡眠取れてんのか?」


「いや、とても寝不足だよ。」


ユアの姿を見てみるが、特段疲れた様子はない。目元にクマはなく、雰囲気もいつも通りピンピンしている。


この山道を全く苦にせず登っているあたり、昨日の疲れはしっかり回復しているはずだ。


多分、ぐっすりと寝ている。8時間は確実に。


「…寝不足か。なら仕方ないな。今日の訓練はなしだ。」


俺はため息をつきながら歩みを止めると、そのまま来た道の方を振り返る。


「え、なんでだ!?」


「なんでって…そりゃ寝不足の状態で訓練なんてしたら危ないだろ。そもそも体が休まってないなら魔法弾の精度に響いてくる。そんな状態でここに来ても意味がない。」


俺は踵を返すと、今まで登ってきた山道に視線を落とす。


「どうやらお前は寝不足らしいからな。いや、残念だが、今日はもう解散だ。」


そしてそのまま、山道を少し早足でかけていく。


「おい待てセンフ!私は辞めるとは言っていないぞ!」


数歩歩いたところでそんな怒号が後ろから聞こえてきた。しばらくして右肩が何かに掴まれる感触を覚えた。振り返ればそこには元気ピンピンのユアがいる。


「そんだけ走れるんなら、寝不足ではなさそうだな。」


「…なっ、お前、計ったな!」


「別に何も。お前の体調を気遣っただけだ。」


ユアは俺の肩を掴んだまま、その顔をまた赤くする。当然本気で走ってはいないが、駆け足の俺に追いつけるのなら疲れていることはないだろう。


「ほら、とっとといくぞ。時間がもったいない。」


俺はユアの手を振り解いてまた広場の方へと進んでいく。『後で絶対殺す』なんて物騒な言葉が聞こえたのは、おそらくやまびことかだろう。




「…パラノサモイア。」

広場について2時間後、俺とユアは昨日作った透明な壁の中にいた。手元に力を込めて魔力を一点に集中させれば、それは塊となり、やがてオオイヌの形となって、地面へと着地した。


昨日よりもスムーズに召喚が行っているのは、今日はまだ魔力をあまり使っていないからだろう。昨日は舞台準備に多くのリソースを割いたため、その分魔力が枯れていた。


続けて力を込めればオオイヌが1匹、また1匹と手元から飛び立っていく。合計3体の偽物のオオイヌが舞台の中に召喚された。


偽物ははその目を見開いてユアを睨み、やがてその内の2匹が、そちらへ飛び込んだ。真ん中にいるオオイヌが最初に飛び出した2匹よりも一瞬遅れてユアの元へと襲いかかる。


タイミングをずらすことで、防御される可能性を少なくし、一網打尽にされないようにする、オオイヌの群れが狩をする時によく見られる性質だ。元々が狼なだけに、やはりある程度賢い。


ユアは手元の杖に力を込めると、その先から魔法弾が飛び出す。昨日よりも圧倒的に早く、一発、二発と発射され、オオイヌへと襲いかかった。


だが、三発目を打つ前に後ろにいたオオイヌがユアの懐へと襲い掛かる。杖から放たれた三発目の魔法弾は届くことなく…オオイヌがユアの横を通り過ぎた。


「もう少しだったのに…」


「やっぱり連続で発射するのがまだできていないな。」


ユアは一つ息を吐くと、ゆっくりと体を沈め込んで、手に持っていた杖を地面にそっと置いた。


「…休憩にするか。俺も魔力が尽きてきた。」


「わかった。」


先ほどからもう10回は偽物の魔物と対峙している。召喚魔法を連発していたことである程度魔力が減っていた。ユアもそれは同じだろう。


ユアはゆっくりと立ち上がると、透明な壁の外に出て、近くに歩きにもたれかかる。すぐに手を顔の下に当てながら、あーでもない、こーでもない、なんて独り言を呟いていた。


俺もユアに続くように透明な壁の外に出ると、すぐ近くに座り込む。魔力の使いすぎか、あるいはあまり眠れなかったからか、頭がほんの少し痛みを覚えていた。


「なあセンフ、なぜ三発目の射出が遅くなっていると思う?」


「純粋に魔力が尽きているんだよ。二発目まではすぐに魔法弾を打てているから、魔力の変換はうまくいっている。ただ全部打ち切る前に、杖に込めた魔力を使い切っているな。」


「ああ…だから杖にまた魔力を込める時間が生まれて、その結果遅れているのか。」


「おそらくな。確証はないけど。」


昨日の訓練…そして、今日の時間でユアは随分と魔法を放つ速度が速くなっていた。ユアの吸収が早い…というよりは、魔法を放つための手順をしっかりと実践できているという方が正しいだろう。


「三発目を打つだけなら、それまでの魔法弾に使う魔力を絞ればいいが…さらに複数発打つ場合、それにも限界がくる。魔法弾を作る前に、もっと魔力を汲み出さないといけないんだよ。」


「魔力のくみ出し…杖の握り方と伝導のさせ方を変えた方がいいか?」


「時間あたりに汲み出す魔力の量を増やす…もっと思いっきり体の中から杖に勢いよく運んでみろ。頭の中でイメージすれば、割とうまくいく。」


「わかった、試してみる。」


ユアはそう返事をしながら、手元にあるノートに何かを書き込んでいる。昨日からずっとこんな調子だ。ユアは魔法使いとして強くなりたい、というの願望があるのだろうが、それ以上にただ純粋に知識を欲している部分もあるのだろう。


知識を得ようとする人間は、必然的に興味関心が他人に向きにくいことが多い。しかしユアは街の人間に甘やかされているため、他の知識を求める人間よりも子供に見えるのだろう。


「…なんだ。顔に何かついてるか?」


木の横に置いていた剣を眺めていたところ、前から視線を感じた。そちらの方を振り向けばユアがじっと俺の音を睨んでいる。


「いや別に…センフはすごいと思っただけだ。」


「なんだその月並みな感想。」


「確か、今一人で旅をしているんだよな?」


「…いきなりなんだ?」


「ちょっと気になったんだ。一人になったのはつい先日だったっけ。」


「ああ、お前と出会った前日…その時にパーティーを追放された。」


肯定の意を示すために小さく頷けば、なぜかユアは首を傾げて、また何か考え込む仕草をとる。


「どうして追放されたんだ?」


取り止めのない質問をするユアの方に視線を向ければ、こともなげにそう言い放った。


「お前は魔法使いとして十分な実力があるじゃないか。なんで追い出されてしまったんだ?」


「なんでって…色々あったんだよ。そもそも、皆が皆実力だけでパーティーのメンバーを選ぶわけじゃないんだぞ。」


「でもないよりはある方がいいだろう。」


「…何も実力だけじゃないんだよ。仲間内から追い出される原因ってのは。性格とか相性とか、人それぞれ事情があるんだ。」


旅を共にする仲間とは、それこそ四六時中、同じ時間を共有する。いくら魔法使いや戦士として実力があろうとも性格的に合わないものがいたり、相容れない価値観を持つ人間と旅をしたくはないだろう。


「じゃあ仲間と相性が悪かったりしたのか?」


「…いや、そんなことはない、はずだ。多分。」


「なんか歯切れが悪いぞ。」


「少なくとも俺はそう思っていなかったってだけだ。」

相性というのは、少なくとも画一的な視点で測れるものではない。だがそれでも主観的には、俺は仲間とそれなりに気が合う方だったとは思っている。


実際のところ、相手がどう思っているかは知らないが…4年間も旅をしていたし、最悪ってことはないはずだ。


「じゃあなんで仲間から外されたんだよ。」


「だから色々だって…」


「色々って?」


迫り来るユアから距離を取ろうとして、顔を逸らせば、逆にその距離がさらに縮まる。ユアは興味津々と言った様子で、俺の方を覗き込んでいた。


「…俺が昔、結構なやらかしを起こした。おそらくそれが原因だ。」


「ふーん…やらかしか。」


「ああ、そうだ。やらかしだ。」


このまま流そうとしてもユアは一歩も引かないだろう。だがここで俺のことを話せば、それこそユアがどう思うかなんてわからない。


ユアの表情を見るにこのやらかしが何か、というのを知りたがっている。だがそんなこと口にするわけにもいかないので、俺はユアを睨み返した。


しばらくすれば、俺が何も話すつもりがないことを察したのか、ユアは視線を明後日の方向に向ける。


「つまりセンフはパーティーの仲が悪くなってしまう何かを起こしてしまい、それで追放されたんだな。」

「別にそういうわけじゃ…」


やらかし、というのはパーティーになる前の出来事だ。追放された原因もまた同じ、旅をするずっと前のことである。


少なくともテクノがリーダーを務めるパーティーに入ってからは、パーティーの輪を乱すようなことは何もしていないはずだ。…いや、よく考えればちょっと心当たりはなくもないが。それらも過去の贖罪に比べれば、圧倒的に小さなやらかしだ。


ユアが絶妙に勘違いをしているので、俺はゆっくりと首を振ってそれを否定しようとした。


「…ああ、まあ、そうだな。」


しかし俺は、少しの間を置いて頷く。


ここでユアの考えを否定すれば、必然またその中身を深掘りされるだろう。具体的なことは聞かないだろうが、おそらく外堀を埋めて真相に迫ろうとしてくる。


ならばいっそ、小さな嘘でもついてしまった方が色々と都合がいい。ユアの考えを正解としておけば昔について知ることもないだろう。


「何か絶妙な間があった気がするが…」


「よくあるだろ、自分にとっては大したことないと思ってても、向こうは重く考えてたっていうやつが。」


「そういうことか。…まあその仲間とやらも勿体無いな。センフみたいな魔法使いをわざわざ離すなんて。」


「俺みたいなって…どうしてお前は俺を買い被るんだ。」


「別に過大評価をしているとは思っていない。少なくとも私からすればセンフは実力のある魔法使いだ。それに加えて、今こんな風に魔法を教えてくれているだろう?もし私が旅をするなら、仲間にいて欲しいような奴だよ。」


ユアは微笑みを浮かべながら、まあ旅に出れないんだけど、なんて小さく呟く。


「魔法を教えているのはこの街にいる間、体を動かしていなかったら体が鈍るからだ。もし暇がなけりゃ俺はお前に何もしない。」


「それとハニーさんから宿の代金を引いてもらってるのも理由か?」


「お前知ってたのかよ。」


「普通に考えてあの距離の会話が聞こえない方がおかしいだろ。私はおばあちゃんじゃないんだぞ。」


ユアが両耳をまるで獣のように手で立てる。よく考えれば、俺はユアの隣に座っていたのだ。店主はあの距離でユアに会話を聞かれてないと思ったのだろうが…それは店主が初老な故、耳が悪くなっているからなのかもしれない。


「お前の面倒を見たら宿代を引くって店主が言ったから俺はここにいるだけ。別に善意でやってるわけじゃない。」


「それが普通なんだろ?利益を得るために対価を支払う、この世は優しさだけでは回っていないって。」


「そこまでは言ってねえよ…」


「そうだっけ。まあいいや。私はセンフが何をやらかしたのかは知らないけど…少なくとも、その普通が出来てるなら人間性も悪くはないだろう。」


「…」


この世は大抵、等価交換で回っている。見返りのない善意や、優しさだけで人を救う人間などありはしない。どんなものにも適切な価値が存在し、人はそれらを求め取引を行う。


「実力があって、人間性も悪くはない。そんな奴を追放したのは勿体無い、って私は考えるわけだ。」


「人間性がいい、ではないんだな。」


「そう断言できるほどセンフのこと知らないからな。」


ユアはまたにっこりと微笑みを浮かべる。確かにユアとは知り合って2日かそこらしか立っていないのだ。


俺はこの街娘の性格なんかを宿でのやり取りなんかである程度理解したが、その全貌はまだ知らない。ユアにとってもそれは同じだろう。


「やっぱり仲間は嫌いになるものなのか?」


「追い出されたのは確かにいきなりだったが…嫌いになったかと聞かれれば、すぐに頷けないな。」


頭にはありし日の仲間の姿が思い浮かぶ。優しすぎる戦士、魔法を使えない魔法使い、好奇心旺盛な僧侶。…皆が笑っている横顔がある。


「自分を追い出した奴らだぞ。それにセンフの言い方的に、突然追い出されたんだろ?」


「追放されたのは確かに急だったが、悪いのは俺だったからな。」


魔法協会に目をつけられたのも、単純にパーティーに俺という枷があったから。パーティーのメンバー…彼らの判断は改めて考えても適切なものなのだろう。


「そもそも、俺は結構仲間のことが好きだったんだ。そりゃあ追放されて思うことがないと言えば嘘になるが…嫌いになるってほどじゃない。」


「そんなものなのか。わからないな。」


ユアは納得いかないように首を傾げる。だが俺も嘘はついていない。それ故に溢れ出すボロもない。


「この街を出たら、どうするつもりなんだ?」


「また一人で旅をするつもりだ。お前を拾った時と同じように、各地を転々と。」


「…旅の目的はないんだっけ。ただ生きるためにやってるって。」


「ああ、生まれてこの方、ずっと旅をしてる。だからこれからも旅をする。そこに深い理由なんてない。」


そういえばユアは、俺の旅の価値観をかっこいいと言っていた。街に生まれ、割と不自由なく暮らし、ある意味自由を奪われているとも言えるこの娘は、俺とはまるで価値観が違うのだろう。


「ユアも旅をしたいんだろ。お前の場合は、俺と違ってきちんとした目標があるみたいだがな。」


ユアはふと、きゅっと頬を締めた。またその顔に、若干の陰りが浮かぶ。


「…こんな実力で旅に出たいなんていう戯言をお前は笑うか?」


「馬鹿にするなら魔法教えてねえよ。割と本気で訓練に取り組んでるし、それを笑う意味がわからねえな。ただ、一人で行くのはちょっと危険だが。」


「やっぱり実力不足、か。」


「どちらかといえば性格の方が問題だ。好奇心旺盛な奴はいろんなところに首を突っ込むからな。」


ユアの実力に問題があるかと言われれば否定はしないが、それは今に限った話だ。それよりもユアの場合、一人で街を抜け出すその行動力の方が旅をするにあたって弊害になってくるだろう。


「お前の場合、魔物に襲われるってよりかは、崖際に咲いた植物を取りに行ったり、興味本位でドラゴンにちょっかいかけて死にそうな気がする。」


「ちょっと想像できてしまう自分が辛い。」


「だからパーティー作るか、どっかに拾ってもらって旅に出た方がいいんじゃねえのか?この街にもギルドくらいあるだろ。」


中規模程度の街には、大陸の冒険者を支援するギルドが大抵点在している。多くの冒険者はそのギルドを時に休憩場所として、時に職場として、またある時は仲間を探す場所として利用している。


「…仲間。やっぱり旅をするにあたっては必要だよな。」


「なんか都合の悪いことでもあんのか?」


「いや、バングスルーで仲間を探すとなれば、顔馴染みがいる可能性が高い。仮にパーティー募集しているのが知り合いだったら、そもそも仲間に入れてもらえない気がするんだ。」


「どうしてだ?魔法使いを募集しているのなら断る意味がないだろ。知り合いってなら尚更。」


「知り合いは皆、私が甘やかされていることを知っているからな…旅に出るのを止められる可能性が高い気がする。」


「ああ…」


街の中で甘やかされて育った知り合いが旅に出たい、なんて言い出したら必然的に止める人間は多くなるだろう。


ユアの実力よりも、旅という過酷な環境に身を置くことを不安に思うか、或いは街娘を連れ出すこと自体に責任を感じる可能性だってある。


「なら隣町のギルドを利用するか、知り合いがいないパーティーに入るかしろ。」


「…その手立ては後々考えておくよ。」


ユアはどこか諦めたようにそう呟くと、手元の杖を取り出してまた立ち上がる。


「センフ、続きをやりたい。また魔物を出してくれるか?」


「お安い御用だ。もう休憩は必要なさそうだな。」


少し時間を空けたことで、ユアの状態はまた万全に戻っているだろう。魔力もある程度は回復しているし、疲れもある程度は取れているはずだ。


ユアは俺の言葉に頷くと、そのまま俺の横を通り過ぎて透明な壁の中へと入って行く。随分とやる気満々だ。


ユアの気持ちは中途半端なものではない。おそらくは本気で、人生をかけて、取り組もうとしていることだ。だからまだ成功していないオオイヌの討伐にも前向きに取り組んでいる。


ユアのそんな思いに、少し眩しさを覚えつつ俺はゆっくりとユアの後ろに続いて透明な壁の中に入っていった。




「…まじかよ。」


時刻は夕刻、日は地平線によって半分その姿を消し、あたりはオレンジ色に包まれていた。


ユアを魔法使いとして鍛える特訓を終えた後、俺は街の入り口近くにある鍛冶屋に来ていた。そこはこの街に来た初日に訪れた、バングスルーで一番とも言われる店だ。そこにずっと使っていた剣をメンテナンスにかけていた。


「もうちょい修理に時間がかかる。だいぶ刃が溢れているし、表面も錆びてボロボロだったからな。」


眉と口元から立派な黒い髭を携えた鍛冶屋のマスターは、店の後ろの方を指差す。そこには俺の預けている剣が、特殊な魔法によって覆われていた。


「まだ表面を磨いている段階なのかよ。」


「そもそも金属自体が腐食している。念入りに磨かないとすぐにまた壊れるぞ。」


「そりゃ長いこと使ってたから仕方ないけどよ…それでも時間かかりすぎじゃねえか?」


あの魔法は金属の錆を取り除き、表面についた汚れを落とす魔法だ。洗浄魔法なんて言い方でこの辺りでは呼ばれているらしい。


大抵、俺の剣くらいの大きさならば、一日もすれば洗浄魔法で綺麗にすることが可能なはずだ。しかしすでに、剣を預けてから2日が経っている。


「普通の汚れならもう終わっている。だがお前、最近ドラゴンかリザードかを切ったりしただろう。」


「ああ、十数メートルの奴を一体。」


「その時返り血はすぐに拭いたか?」


「いや、めんどくさくて放置したな。」


「…やっぱりか。」


マスターは納得したように頷くと、洗浄魔法をかけている俺の剣の方へと振り返る。


「お前にあの剣を預かった時、表層部にドラゴンの血液がこびりついておった。それが洗浄魔法の邪魔をしていたんじゃ。」


「ドラゴンの血ってそんなへばりつくものか?一日二日くらいなら放置してても問題ないだろ。」


「それは北西の方に住んでる奴らの話だ。南の地域に住み着くドラゴンには天敵がいない。その分体が鈍っておるんじゃよ。肥満体質の生き物の血は粘性が高い。」


「ああ、そうなのか。」


そういえば山の中で出会ったあの炎龍はそれほど強大な力を持ってはいなかった。動きが遅かったのも気のせいではなく、普段あまり体を動かさないために、簡単にその動きを捉えられたのだろう。


「ここら辺の生き物を狩った時にはすぐにその血を拭きとっておけ。最悪、一生使い物にならなくなるぞ。」


マスターは近くの机に置いていた布をさっとこちらへと差し出してくる。剣の表面を磨くために使われる、繊維が緻密に織り込まれた布だ。後ろには、1日の宿泊費半分くらいの値段が書かれた札がついている。


「いや、買わねえよ…」


「あると便利だぞ。」


「拭き布ならもう間に合ってる。」


俺は元の方へ布を差し出す。マスターが若干悔しそうにけっ、と啖呵を吐きながらまた洗浄魔法の方へ振り向いた。


「完全に治すにはどのくらいかかるんだ?」


「後三日。それまでに必ず元通りにしておく。」


「わかった。よろしく頼む。」


当初の予定では、早ければ明日にもこの町を出る予定だった。しかし、どうやらそんな都合よく上手くはいかないようだ。


俺は鍛冶屋を後にして再びバングスルーの街へと足を向ける。


西の空に大きな日の姿が見えた。後数時間もすれば完全にその赤色は姿を消して、再び街は夜に包まれるだろう。


この街を訪ねてもう3日が経った。すっかりと周囲の街は見慣れた景色になっている。明日にはここを出ていくつもりだったのだが、案外長居することになりそうだ。


「お兄さん。少しいいかい?」


「…ん?」


宿へ戻る道筋の最中、ふと低く鋭い声が耳をつんざいた。こちらを呼ぶ声がした方を振り返れば、治安維持部隊の服を着た中年の男が立っている。


「あんた、確か前に門にいた…」


「覚えててくれたのか。こんなしがない中年をよ。」


その男は俺がこの街に訪れた際にいた門番だ。手荷物検査中に、ユアに声をかけていた方である。


目の前の男…その視線が明らかに好意的なものではない。


「自己紹介がまだだったな。ハタ・ヨシヒサ。大陸の治安維持部隊をやっている。」


「なんだいきなり。」


「俺はお前さんのことを知っている。少し用事があるんだ。」


ヨシヒサは目を細めて俺の方を睨んだ。その視線はもはや敵意というものに近い。


「お前さん、センフ・カリスタだろう。数年前、大陸の東で事件を起こし、魔法協会から締め出しを喰らっていた。」


「…俺のこと知ってたんだな。」


「こう見えて結構、真面目に働いているんでな。危険人物の情報は確認しているんだよ。」


もしかすればこの門番は初めから気がついていたのだろう。秩序を重んじ、取り憑かれているとさえ言える治安維持部隊の人間ならば、確かに認識していてもおかしくはない。


「確かにあんたの言うとおり、俺は数年前に魔法協会から締め出しを喰らった。元々は犯罪者だ。…俺を捕まえにきたのか?治安を統治する組織の人間として。」


「まあそう焦んな。お前さんを捕まえにきたわけじゃないから安心しろ。少なくとも今のとこはな。」


治安維持部隊、そして過去の犯罪歴を出してきたため、俺を捉えにでもきたのかと思ったが、違ったようだ。だがそうなると、余計にこの男が俺に近づいてきた真意がわからない。


「冒険者ライセンスは本物なんだろう。俺は確認しちゃいねえが、カルフがちゃんと見ているはずだ。ならお前さんを捕まえる義理は俺にない。」


おそらくもう一人の門番のことだろうか。俺の冒険者ライセンスは嘘偽りない本物である。そうでなければ、そもそも旅なんてもうできなかっただろう。おそらく数年前にそこら辺でのたれ死んでいる。


「どうしてエルスターの娘さんと一緒に居たんだ?」


「どうして、と言われてもな。この前ユアが言ってた通りあいつとは古馴染みなんだよ。たまたま再会して、バングスルーを案内してもらうことになっただけだ。」


「…それは本当か?」


「本当だよ。なぜ疑うんだ。」


「お前さんのような奴が、エルスターの娘さんと知り合いとはどうも思えなくてね。昔馴染みとあの子は言っていたが、それも信じがたい。」


そう言いながらヨシヒサはこちらとの距離を一歩詰めてきた。黒い瞳が見開かれ、こちらを覗き込もうとする。


「そもそもお前さん、ここら辺の出身じゃないだろ?その名前にしろ、目の色にしろ、どちらかといえば東側の生まれのように見える。」


「確かに生まれは大陸の東だが、育ちはこっちだ。あいつと昔馴染みではないと疑われる意味がわからないな。」


ヨシヒサは俺と同じように黒色の瞳に黒髪を携えている。ここら辺の街の人間は皆、ユアのようにどちらかと言えば黄色に近い髪と青色の瞳を持つ人間が多い。もしかすれば案外出身が近いのかもしれない。


「それともあの街娘が、俺みたいな犯罪者と知り合うはずがないとでも言いたいのか?」


「娘さんの態度がおかしかっただろう?普通に考えて古馴染みが犯罪者だと知ってたら、あんな風に気兼ねない態度は取れない。」


「…多分、あいつは俺について何も知らないだけだ。」


これは本当だ。ユアはおそらく俺のことを何も知らない。だからこそ、さっき俺について根掘り葉掘り聞いていたのだ。知識を求める好奇心とは別に、俺が何者か、というのを単純に疑問視したのもあるのだろうが。


「ユアとは久々に会ったんだ。交流があったのも、もうずいぶん前の話だ。たとえあいつが何も知らなくても不思議じゃない。」


「昔馴染みが犯罪者になった、なんてニュースを聞いていないとでも言いたいのかい?」


「あいつはずっとこの街にいる。囚われてるなんて表現はあまり良くないのかもしれないが、外からの情報が耳に入ってこない可能性は十分あるだろ。」


「ふーん…なるほどな。確かにお前さんの言い分にも納得できる節はある。」


ヨシヒサは面食らったように、驚きの表情を浮かべるが、それも一瞬でまたこちらに警戒を向ける表情に変わった。


「だが、それでも根本的な問題が変わるわけじゃない。」


「問題…?」


「ちょっとしたお願いがある。この街から出て行ってくれねえか?」


それはあまりにも唐突な勧告だった。状況が飲み込めず…いや、ある程度察しはついているが、それでも納得できずに門番の男を睨み返す。


「理由を聞かない限り、返事できないな。」


「簡単な話だ。俺は治安の維持を生業とする人間。単純に、犯罪歴のある人間をそう易々とほっつき歩かせておくわけにはいかねえんだよ。」


「俺はこの街で何もしていないぞ。」


「たとえ今、この街で害のない存在だったとしても、ずっとそうだとは限らない。俺たちはお前さんを危険視しているんだ。少しでも犯罪のリスクがあるのなら、その危険性は排除する。治安維持部隊がそんな存在だってことは、お前さんが一番知っているんじゃねえか?」


「そういえば、治安維持部隊は秩序に取り憑かれているなんて表現されていたな。」


この大陸は近年、ほとんど大きな争いは発生していないが、十数年までは各地方で戦争が勃発しており、魔法協会や冒険者ギルドでも手が追えないほど混沌に包まれていた。


ある一つの戦争を皮切りに、それまでは穏便派だった治安維持部隊がその勢力を増し、秩序の安定に努めてきたというのは、ある程度の歳を食っている人間なら皆知っている。


治安維持部隊の人間ならば、その組織に属している以上、危険分子は潰しておきたいのだろう。俺が何をしでかすか、かつて犯罪者だった人間を警戒するのは至極当然の理だ。


「だが…俺もそう易々と引き下がるわけにはいかない。しかしこちらにも大義名分なんてそんな大層なものはないが、引き下がれない理由がある。」


「頷いてくれないか。やっぱり久々に幼馴染と出会えたのに、すぐに出ていくのが名残惜しいのか?」


「いや、ユアに関してはぶっちゃけどうでもいい。別に今出て行っても俺は何も思わない。」


的外れな指摘に俺は首を振る。別にユアと今別れようとも特段困ることはない。というよりあの訓練をする必要がなくなると考えればむしろメリットの方が大きい。


「今鍛冶屋に自分の武器を預けているんだ。修理が終わるまであと3日、最低限それまではこの街に残る必要がある。」


「お前さんの私情に俺が付き合うと思っているのか?」


「別にこの街で何かをするつもりはない。ただ武器の修理に来ただけなんだ。見逃してくれないか?」


「…いいや、無理だな。少なくとも元犯罪者の言葉をそう易々と信じることはできない。この街から出て行ってくれ。」


「なら鍛冶屋に預けている武器はどうすればいいんだ?」


「それは諦めてくれ。槍だか斧だか知らないが、うちの街以外でも調達はできるだろ。」


ヨシヒサのそんな言葉に、自分でもわかるくらいに目が開いた。


「…それは無理な話だな。」


「おっと…」


「武器を諦めろってんなら断らせてもらう。俺にとってあれは、何よりも大切なものなんだよ。ずっとあの剣と一緒に旅をしてきたんだ。」


「…ほう。お前さん、剣士か。」


「ああ、一応な。」


あの剣は俺が旅をする前から…それよりもずっと前から持っていたものだ。表面は金属が錆びてボロボロになり、刃こぼれも酷い。メンテナンスをする周期もだんだんと短くなっている。それでも俺はあれを手放せない。


気に入ったものに執着する子供のようだと自分でも思う。かつての仲間にも買い替えを勧められたことはあった。それでも俺はパーティーで旅をした4年間、一度も手放そうと考えたことすらなかった。


「お前さんが文句を言うのもわかる。何もしていないのにいきなり出ていけと言われて、普通はすぐに引き下がれるわけがない。」


自分でも中々酷い視線をしていると自覚はあるが、しかしヨシヒサに動揺した様子はない。


「ただ俺も残念ながら、治安維持部隊という組織の歯車だ。組織の方針として、秩序の崩壊の危険性はあってはならないんだ。食わせてもらってる立場だからな。」


仕方ないんだとヨシヒサは誰に言うでもなく呟くと、またこちらへと立ち返る。


「お前さんも俺も、互いに引けない状態だ。だから一つ、勝負をしよう。」


「…勝負。」


「俺もお前さんと同じように、剣はある程度嗜みがある。治安維持部隊の人間である以上、当たり前ではあるんだが。」


ヨシヒサがこちらに一歩踏み出してきた。何かされるかと警戒してその身を引けば、何もしねえよ、なんて呟きが耳を通る。


「…こいつを受け取れ。」


ヨシヒサは鞘から剣を一本取り出す。光をよく反射するその灰色は、純度がいい金属を使って作られている証拠だ。


「そいつは鈍じゃなく、ちゃんとした鋼でできた真剣だ。それで勝負しよう。すぐそばに開けた空間がある。そこで一本先取、ルールはそんだけだ。」


ヨシヒサはすぐ真後ろを指差す。そこには俺がこの街に来た時に入ってきたこの街の入り口…門があった。


「一本って、具体的にどうすれば勝ちなんだ。」


「相手を戦闘不能にさせるか、降参させるか。実際の殺し合いで、勝利したと呼べるような状況になれば決着がつく。」


ヨシヒサの目は冗談めかしているように見えない。ただ純粋な勝負師の瞳をしている。


「もちろん最悪の場合は死ぬ可能性だってある。その時はそれまでだったということだ。まあ、俺は負けるつもりなんて到底ないが。」


「随分と自信のある言い草だな。」


「戦う前から負けることを考えていたら、こんな歳まで生きていねえよ。」


その時、ヨシヒサがニヤリと笑った。その頬に皺がくっきりと浮かび上がる。目の前の男はぱっと見、俺よりも十年か二十年は生きているように見えた。


治安維持部隊は時折、魔物の討伐や野盗の制圧に赴くことがある。当然そんな仕事には命のリスクが及び、最悪の場合というのは年に数度、起こっているらしい。


そんな危険性の高い仕事を、この男はもう幾年もやっているのだ。剣の実力はそれなりに自信があるのだろう。そしてそれはおそらく傲慢ではない。


「どうだ、俺と一本交えるか。もし自分の命が惜しいのなら別に受ける必要はないぞ。当然この街からは出て行ってもらうがな。」


「…いや、受けさせてもらう。俺にも引けない事情があるからな。」


「なら決まりだな。」


俺はこちらに渡された真剣を受け取ると、その感触を確かめる。


いつも持っている剣よりは多少短く、そして何よりも細くて軽い。普段こんなものは使わないが、全くもって経験がないわけではない。昔の感覚を思い出せば、最低限何とかなるはずだ。


ヨシヒサに続いて門の方へと歩いていく。気づけば日はだいぶ傾いていた。後1時間もすれば、またこの街は暗闇に包まれるだろう。


今日は例の賭け事を生業にしている組織との契約の最終日だ。宿泊費用とこれからの冒険費を稼ぐため、今日もまた広場近くの酒場へと赴く必要がある。


…目の前の男は、食うに困っていないのだろう。治安維持部隊はその危険性故、ある程度給金が他の職業に比べて高い。もちろん常に命を落とす危険はあるのだろうが、それでも休日は多少の贅沢なりをする余裕はきっとあるのだ。


少し羨ましいと思った。もし治安維持部隊で働けるのなら、それなりの金をもらえるのなら、俺は喜んでその仕事を受けるだろう。実際は今こうして、目をつけられている側に俺はいるのだが。


ヨシヒサが門を開いた。ゴーっと、木材が地面と擦れる音がする。


バングスルーの街を出て、少し歩けば近くに石の建材で作られた小さな遺跡のような場所があった。その中心部は円形になっており、そこを取り囲むように壁が設置されている。


「…こんなものがあったとはな。」


「今でこそバングスルーは比較的平和な街だが、エルスターの娘さんが生まれる前、それこそ俺がガキの頃は、割と荒れていたんだ。」


「今の街の光景からじゃ考えられないな。ここもその名残りか。」


「当時は結構街中でどんぱちやっていてな…それを見かねた当時の長が、この決闘場を作ったんだ。なんか争い事があった時はここを使えってな。」


「その人は治安の改善に手をかけなかったのか?」


「できなかったという方が正しい。昔の冒険者は今よりもずっと気性が荒かった。長にとっても苦肉の策だったんだろう。」


ヨシヒサは決闘場の中心に立つと、懐から剣を取り出して、こちらの方へと向ける。


「無駄話をするのもなんだろう。早速始めようか。」


「…ああ、わかった。」


俺もヨシヒサの言葉を合図に、腰に携えた鞘から剣を取り出す。


「先に言っておくが、俺は卑怯な手を使うつもりはないぞ。」


「…なぜそんな宣言をわざわざする?」


「ここは決闘場、すなわち真剣を使った真剣勝負の場だ。搦手なんて使うのは俺のポリシーに反するんだ。」


「別にあんたが卑怯な手を使う奴だとは思えない。こんな場所を選んだ時点で、あんたは真正面から戦うってのはわかる。」


「お前さんも同じだな。瞳に濁りがない。」


「それはどうも。」


実際、俺はこの勝負をするにあたって、何か細工をするつもりなんてなかった。というかそもそも考えにすら浮かんでいなかった。


もし剣を握るふりをして魔法を使えばこの男を殺すのは容易いのだろう。だがヨシヒサは俺を剣士と言った。それならばこの場では一人の剣士としてこの男に向き合うのが礼儀だ。旅人の自分ならば、おそらく容赦はしないのだろうが。


俺は切先を相手の方に向ける。ヨシヒサがその瞳をより鋭くした。


互いの剣がぶつかり合う音から始まった。俺もヨシヒサもほぼ同時のタイミングで剣を振り、ちょうど正面でぶつかり合う。


しばらくこう着状態が続いていたが、徐々に剣先がこちらの方へと近づいてくる。単純な力負けだ。


このままでは押し切られて体を袈裟に裂かれてしまうだろう。俺は力を下の方に分散させて相手の剣を受け流す。


そのまま数歩後ろに下がって距離をとった。


「…お前さん、中々筋がいいな。」


「それはどうも。」


俺が再び剣を構え直すと、ヨシヒサが開いた距離を詰めるように再びこちらへと近づいてきた。


そのままこちらを切り裂こうとする横薙ぎが飛ぶ。それを剣で同じように受け流せば、そのまま剣先を切り返してまた切り掛かってきた。…燕返しだ。


だが、その剣もなんとか体の寸前で止める。


この男は純粋に剣士として腕が高い。一部の隙もなく、連続して切り掛かるその妙義は、鍛錬と時間が成す技なのだろう。


左肩から切り裂く袈裟を受け流したところで、俺はそのまま剣を翻してヨシヒサの方へと切り掛かった。だが、その剣先が届くことはなく、ヨシヒサは一歩後ろに飛び下がる。


…この男と正面から戦っては、負けてしまう可能性は十分ある。剣筋は見えるが、全て受け流せるとは限りない。


俺は開いた距離を一気に詰めてまたヨシヒサに切り掛かった。しかし今度は正面からその斬撃を受け止められる。


このままではまた押し切られてしまうのだろう。ならば、攻める手立てを変える必要がある。予想外をつくしかない。


ヨシヒサがその力で徐々にこちらの方へと剣を押し返す。やがて均衡が崩れ、徐々に剣がこちらへと近づいてきた。そして一気に剣を押す力が強くなる。


「…なっ」


そのタイミングで俺は剣を捻り、平らな部分を相手の剣へと押し当てた。


ヨシヒサの力強い剣捌きは…その勢い故、俺の剣を滑って下の方へと振り下ろされる。瞬間、わずかにヨシヒサの体制が崩れた。


俺はそのまま手元の剣をヨシヒサの顎下へ向けた。体のバランスを崩したヨシヒサはなんとかそれを避けようとするが、間に合わない。


「…」


剣が風を切る音がこだまする。いつもよりその音が軽快に聞こえるのは、やはりこの剣が軽いからなのだろう。


「…は。」


その灰色の剣は、ヨシヒサの急所を間違いなく捉えていた。だが、そこから赤が飛び散ることはない。すんでのところで、その刃が止まっていたからだ。


「…殺さねえのか。」


「別にその必要もないしな。」


ヨシヒサは呆気に取られたように目を開いた。余裕綽々な表情を見せていた男にも狼狽という表情はあるらしい。


「これで俺の勝ちだろ。わざわざ無駄な血を流す意味があるか?」


このまま俺が剣を振り切っていれば、間違いなく喉を貫いていた。この純度の真剣ならばきっと助かることはない。


「あんたらの組織は何より、それを嫌ってたはずだ。

戦争により乱れた秩序を…無慈悲に奪われた民の命を守るために、治安維持部隊は危険性を排除する。その理念は立派なものだと俺は思っている。」


少なくとも魔法協会よりかは遥かにマシだ。俺がこの街にいる名義があるように、治安維持部隊にもまた、守らなければいけない秩序があるのだ。


「それに、俺なんかよりよっぽどあんたの方が価値がある。あんたはこの街の安全を守っているんだろ。」


ユアはこの男がずっと治安維持部隊としてこの街に居続けていたと言っていた。すなわちこの街の人間にとっては重要な存在なのだろう。


「俺が死のうと誰も悲しまないが、あんたが死んだら、きっと俺はいろんな人間から恨まれる。それはごめんだな。」


「あくまでも、慈悲ではないんだな。」


「喧嘩をふっかけてきたのはそっちだろ。」


俺は胸元に突き立てた剣を戻すと、それを鞘にしまった。やはり薄い剣というのは軽く、どこから力が抜けてしまうため扱いきれない。やはりあの大剣の方がよっぽど体に馴染む。


「今回の勝負、俺の勝ちってことでいいか?」


「間違い無い。完全敗北だよ。」


「ならしばらくはここにいさせてもらう。そういう約束のはずだ。」


「仕方ない。一度取り決めたことは白紙にするわけにはいかないしな。」


ヨシヒサは仕方がないというようにその首を振ると、手元の剣を鞘にしまった。そこにこちらへ対する警戒の色は見えない。


「…本当にいいのか?」


「いいって、何がだよ。」


「俺がこの街にいることだ。あんたからすりゃ、何よりも治安を壊す可能性のある危険分子。そんな奴を野放しにすることになるんだぞ。」


ヨシヒサの提案は、俺が勝った場合に治安維持の観点からかなりリスクのあるものだ。現に今、こうして危険人物が解き放たれようとしている。


「…おいおい、約束を取り付けて俺に勝ったのに、そんなこと気にしてんのかよ。それじゃさっきの勝負、意味なくなってしまうぜ?」


しかし俺のそんな心配を無意味だ、というようにヨシヒサが笑った。


「別に構わねえよ。剣を交えてわかったが、お前さん、めちゃくちゃ悪い奴ってわけじゃなさそうだしな。」


「さっきのやり取りじゃ何もわからねえだろ。」


「いや、わかるさ。俺は剣を向かい合わせれば、相手がどんな奴なのか見極められるんだよ。お前さんの太刀筋は、その瞳は、混ざり気がなかった。そりゃ完全にいい奴だとは言い切れねえが、少なくともこの街で何かするような奴ではないだろってな。」


「俺にはあんたの感覚の方がわからねえ。」


「年老いた剣士ってのはみんなこの力を持っているもんだぜ。お前さんも後少しすれば、俺の言ってることが理解できるようになる。」


結局この男の言葉を実感できず、首を傾げた。剣を交えただけで相手の性格が、本質がわかるなんて本当なのだろうか。少なくとも俺はこれまでいろんな相手と剣を交えてきたが、しかしそんなことは一度もなかった。


俺はきっとこの男よりかは、まだ経験が浅いのだろう。故に相手を理解できていないのかもしれない。だがこれから歳を食っていったとして、自分がそうなるとも到底思えなかった。


「帰ろうぜ。もう暗くなってきたし。」


「…ああ、あまり街の人たちを心配させるのも良くないな。門番の仕事に戻るとするか。」


気づけば西の空に浮かんでいた太陽はその半分以上地平線に姿を消していた。ここにきたばかりの時よりもオレンジ色は黒ずんでおり、あともう少しすれば完全に夜を迎えるだろう。


「ほら、これ返しておくよ。」


「…すまないな。」


俺は懐に預けていた真剣をヨシヒサへと返した。これはおそらく、元々は治安維持部隊の物なのだろう。ならば持っておくわけはいかない。俺は決闘場を後にして門の方へと歩き出した。


「…大丈夫ですか!ハタさん!」


その時、門の方から一人の男が駆け寄ってくる。俺がこの街に来た時、冒険者ライセンスを確認していた男だ。


「問題ねえ。怪我すらしてねえよ。」


「ですが。」


男はヨシヒサの方に近寄りながら、こちらへと視線を向ける。そこには懐疑的な感情が多少含まれていた。


「心配すんな。こいつは悪い奴じゃねえよ。そうでなきゃ俺はもうお陀仏だ。」


そんな後輩の視線を察知したのか、ヨシヒサはどこか宥めるように、しかしどこか断言するようにそう告げた。


「決闘のこと、後輩に知らせてたんだな。」


「万が一の時、即座に対応できるようにな。もし俺が負けて怪我するか、殺されでもすればすぐこいつが事情を察知できるようにしていた。」


「…なるほど。そうしたら俺は街の人間を殺した冒険者ってことになるわけか。」


「その通り。そうなりゃあんたをこの街から追い出す大義名分ができる。」


「負けた時のことは考えてないんじゃなかったのか?」


「もしもを考えてなけりゃ、俺は魔物討伐の仕事の時に死んでるさ。」


「中々悪どいな、あんた。」


「この世を生き抜くには、時に嘘は必要だ。もちろんこいつだけは嘘なしだがな。真剣勝負の時は、卑怯な手を使わないと決めている。」


ヨシヒサはそう言いながら、手元の剣を取り出す。

この男は自分の命をかけてまで、街を守ろうとしていた。結果として決闘は俺の勝ちだが、どうもしてやられた気がして、もはや感心してしまう。思わず苦笑いがこぼれた。


「本当に負けたんですね。ハタさんが…」


「完敗だ。剣には自信があったが…俺もまだまだだな。」


「この青年に、ですか。」


ヨシヒサの後輩、カルフと呼ばれた男が驚いたような目でまたこちらを捉える。


「確かお前、数日前に街に来ていた…」


「ちゃんとライセンスは見せたはずだぞ。」


「それは確認している。…ただ。」


「この決闘を知っていたなら、俺のことも聞いたんだろ。昔はどんな奴だったかってのも。」


カルフと呼ばれた男の瞳が僅かに揺れた。明らかに動揺が顔に現れている。


「軽蔑するか?」


「いや…」


後輩の門番は僅かに小さく首を振る。怯えているというよりかは警戒の色が見えるが、それ以外の感情も持ち合わせているように見えた。


「ただ、お前がそれまで腕の立つ剣士だとはな。」


「それはどうも。」


ハタとその男が慕う目の前の門番は、俺が勝った事実を信じられないほど、実力が知れ渡っているのだろう。もしかすればこの街に来た時、やけに検閲が緩かったのは、この男の腕を信頼しているからなのかもしれない。


「ハタさんに勝つなんてあんた、本当に何もんだ?」


「今はただ、武器を修理しに来た冒険者だ。」


俺がそう告げれば、ヨシヒサは吹き出すように笑った。


「はっ、確かにそうだな。こいつはそこら辺にいる冒険者と一緒だ。剣の腕は俺よりも圧倒的に立つみたいだがな。」


ヨシヒサは決闘場を後にして街の方へと歩いていく。俺ともう一人の門番が立ち尽くしていると、後ろを振り返った。


「帰るぞカルフ、冒険者さん。もう日が暮れる。」


「ええ…わかりました。」


門番の後輩はカルフの後に続くように、駆け足で街の方へと向かっていった。


そこらへんの冒険者なんて言葉が頭の中で反芻する。ヨシヒサは確かに、俺を危険人物として目をかけ、この決闘を申し込んできた。


だが今はバングスルーに多くいる、多くの冒険者のうちの一人だと、そう言ったのだ。


気にしすぎなのかもしれない。もしかすればそんな意図はなかったのかもしれない。


だが自分が異物だとそう扱われなかった気がした。

そんなのはいつぶりだろう。普通だと、最後にそう見られたのはいつだったのだろうか。


風がまた吹いた。その冷たさが、ほんの少しだけ肌をくすぐる。


目の前にはまた街を取り囲む大きな壁がある。旅人の街、バングスルーだ。


俺の少し前にはその治安を守る、番人が二人歩いていた。

誤字脱字等がありましたら、ご指摘いただけると幸いです。


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