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衣織の物語  作者:
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衣織の物語76「地区演劇生徒理事会」16

 彼女と同じ制服を着ている女子集団の中心に、上遠野さんはいた。なかなか話が終わらない。私は思い切って、輪の外から彼女に声を掛けた。

私「あのぅ……」

 上遠野さんは気づかない。

私「上遠野さん!」

 見知らぬ人から突然自分の名前を呼ばれ、驚きと不審と戸惑いをミックスした複雑な表情で、上遠野さんは私を見た。

上遠野「?」

私「チョット、お話があるのです」

上遠野「?」

私「決して不審な者ではありません。私は、南相馬高校演劇部の者です。上遠野さんとお話ししたくて、突然声をおかけしてしまい、申し訳ありません」

 私は頭を下げた。これらの不審者そのものの挙動におかしさを感じ、彼女は思わず笑みをこぼした。そうして、周囲の女子たちに二言三言言い、私に近づいてくれた。うつむく私の視界に、彼女の足が入る。とても細くてしなやかだ。見上げると、意外に背が大きいことに気づく。

上遠野「どうかしましたか?」

私「生徒理事会の司会の様子を見て、ファンになりました!」

 周囲の女子たちは笑っている。なかにはうなずく人もいる。自分の気持ちが意図せず素直な言葉として吐き出され、私はとても恥ずかしかった。

上遠野「そう……それは、ありがとう」

 とまどうのも当然だ。これではストーカーと思われても仕方がない。どうしよう。上遠野さんは微笑んでいる。

私「それで、お話ししたくて、思わず声を掛けてしまいました」

上遠野「そうですね。何を話しましょうか」

 そう言いながら彼女は、廊下の隅に私を誘ってくれた。これ以上私が、彼女の学校の生徒たちの奇異の目にさらされることを避けてくれたのだろう。

私「上遠野さんは、何年生ですか? 演劇歴は長いのですか? 推しは誰ですか? 好きな食べ物は何ですか? 私は甘いものなら何でも好きです!」

 私の勢いに気圧されて、上遠野さんは少し上体を引いた。完全に自分の世界に入ってしまっている猛烈なファンに迫られているかのような状態。それは私自身わかっている。でも止められない。

上遠野「ちょっと、落ち着きましょう。私は2年生で、演劇歴はまだ2年よ。あなた、お名前は?」

私「衣織です。みんなからは、『衣織』と呼ばれています」

上遠野「そう、それでは縁があって仲良しになったことだし、私も『衣織』って呼んでもいい?」

 わずかな時間での仲良し認定に飛び上がらんばかりの興奮を感じたが、それを無理やり押し殺し、私は「ハイ!」と返事した。

私「私も上遠野さんのことを『かっちゃん』て呼んでいいですか?」

上遠野「かっちゃん?」

私「上遠野だから、かっちゃん!」

上遠野「私の下の名前は『ことは』だから、『ことはちゃん』か、『ことちゃん』と言う人が多いよ」

私「そーかなー」

上遠野「そーだよ。かっちゃんて言われたの初めてだよ」

私「エッ、そーなの、ですか?」

上遠野「そーだよ。でも、あなたらしくていいかも」

私「そーかなぁ?」

 私は同世代の子から「あなた」と呼ばれるのは初めてだ。「あなたらしい」って、この場合、どういう意味?

 私の疑念が相手にも通じたことが、彼女の揺れる瞳でわかった。

上遠野「個性的ってこと。いい意味だよ。変ていう意味じゃないよ」

 私は彼女の言葉をそのまま素直に受けとめることにし、微笑を彼女に送った。彼女もまた、とても素敵な微笑を返してくれた。そのやや青みを帯びた目に吸い込まれそうだ。すると彼女はスッと視線を外し、斜め下に目を向けた。これって自然な仕草? それとも多少の演技? 罪な存在である。

 でもこれで、彼女とのラインはつながったようだった。私は自分が手に入れた宝物を大切にしようと思った。


私「交流会の途中休憩で、私、廊下の隅にいる上遠野さんを見た」

上遠野「?……」

 聞くか聞くまいか迷ったのだけど、自身の疑念を抱え続けることに耐えられず、私は思わず聞いてしまった。

私「ごめんなさい。変なこと聞いてしまって」

 相手の領域に勝手に足を踏み入れてしまった居心地の悪さを、私は感じた。せっかくつながった彼女とのラインが切れてしまうかもしれない恐れ。

上遠野「……子供のころからずっと一緒にいた犬が、死んでしまったの……」

私「立ち入ったことを聞いてしまってごめんなさい」

 私は心の底から後悔していた。人には聞いていいことと聞かずにおかなければならないことがある。そんな当たり前のことを失念し、上遠野さんの心の傷に直接触れてしまった後悔。

 上遠野さんの眼の縁には赤みを帯びた涙が浮かんでいる。うつむく彼女から、悲しみの雫が滴り落ちようとしている。

 でも、今の私には彼女の悲しみ全部を受けとめ支えてあげることはできない。私たちはまだ、その段階に至っていない。ここで私の口から言葉が吐き出されたら、それはすべて虚しい偽善にしかならない。だから私はただ黙って彼女を見守っていた。

上遠野「……最近、ずっと具合が悪かったら、覚悟してた……今朝は私の隣で寝ているままだった……」

私「……」

上遠野「でも今日は、生徒理事会がある。会の進行をしなければならない。私にはその責任がある……だから、今日は休むまいと思った……ホントは一緒にいたかった……」

 上遠野さんは、愛犬を失った悲しみに、再び襲われていた。からだがふるえているのがはっきり分かる。思わず私はカバンを落とし、彼女の身体を両手で支えた。彼女は倒れてしまいそうだったから。

 廊下には、そばにベンチがある。彼女を支えたまま、私はそこに移動した。


 上遠野さんの悲しみは、愛犬の死の悲しみだった。

 私にも同じ悲しみがある。私も愛する犬と死に別れた。しかも原発事故による避難というやりきれない理由で。

 私にも私の悲しみと怒りと悔しさがよみがえっていた。どうしてあの時、原発は爆発したのだろう? どうしてあの時、犬も一緒に避難しなかったのだろう? どうしてあの時、すぐに家に帰れると思ったのだろう? どうしてあの時、危険を冒してでも犬を連れ戻しに行かなかったのだろう? どうして……どうして……

 私は、いつの間にか泣いていた。その心と体の震えは、上遠野さんにも伝わったようだ。彼女は顔を上げ、私を見た。私は彼女の視線で、我に返った。自分は泣いていることに。

上遠野「どうしてあなたは、そんなに泣いているの?」

 愛犬を失った悲しみが、私の激しい感情によって打ち消されたようだ。私の背中に手を置き、今度は彼女の方が私を慰めようとしてくれていた。

私「私も、愛していた犬を失った……原発事故のせいで……」

 上遠野さんは何も言わず、ただ私を見守ってくれた。彼女のあたたかさを、自分の背中に感じた。とてもありがたかった。

 愛する存在を失うことは、家族を失うことと同じだ。喪失の悲しみは、その相手が人間でもペットでも同じだ。


 震災から数か月後、一時帰宅が許可された時に再会した愛犬の姿を、私は決して忘れない。彼は、金網で作られた犬小屋の中で、両手・両足をきちんとそろえて横たわっていた。その表情に、死の苦しみや悲しみは無かった。とても端正な表情で、静かに死を迎えていたのだった。その神々しさに私の言葉は失われた。そうして、次の瞬間には、こんなことは決して許されてはならない、彼の命は暴力によって失われたのだ、という強い怒りが、その時私の心にわき起こった。


上遠野「衣織さん、大丈夫?」

 いろいろな感情と記憶に閉ざされた私の心を、上遠野さんの言葉と瞳が開いてくれた。あたたかな視線で、彼女は私を包んでくれている。

私「ごめんなさい、昔のことを思い出してしまって」

上遠野「大丈夫。すこし、落ち着くまで、ここにいましょう」

 慰める役と慰められる役が、いつの間にか完全に逆転していた。私はそれが少しおかしくなって、ちょっと泣き笑いしてしまった。廊下の窓から入り込む風が、ゆるやかに彼女の髪を揺らしていた。


 入り口を出ると、夕焼けが私たちを照らした。そのまぶしさに目をしかめた私と上遠野さんは、互いの顔を見合わせて笑った。もう大丈夫だと、私たちは思った。

 でも私は、その後に翳る彼女の瞳の奥に、まだ何かがあるような気がしていた。彼女もまた、もっと深い悲しみを抱えている……


 上遠野さんは、「またね」と言って去って行った。その簡潔で親しみを込めた表現といたずらな瞳と。秘密を共有したようで私はうれしかった。




#小説

#高校生

#東日本大震災

#演劇部





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