それでも地球は丸かった
いつの時代も夏は暑い。
特に日本はジメジメしていて、余計に暑い。あついあついと言っていると余計に暑くなるものだが、暑いものは暑い。そんな暑い日に、わざわざ黒装束の宣教師を見たいと思うものだろうか。むしろ、なんでこんなに暑い日でも長袖の長い裾の服装のままでいるのか。僧衣ですら夏冬で仕様が変わるというのに。
安土城へ訪ねてきた宣教師たちは、今日も涼しげな表情だ。
今回は先触れがあったので、謁見の間に家臣たちも集めることになった。
俺が積極的に交流を図っているため、前々から興味を抱いていたらしい。さすがに着崩している者はいなかったが、俺を含めて全員が夏用の薄物だ。僧衣のように透けていない宣教師たちの「黒」は、どうしても暑苦しくて仕方ない。
「頭の皿が乾いても知らないぞ」
「はい?」
にこにこ笑顔のままフロイスが首を傾げる。
後方で同胞らしき宣教師が、日本人通訳に小声で話しかけていた。困った顔の男は馬鹿正直に訳してみせたのか、オブラートに包んだのかは分からない。にこやかな笑顔が一瞬固まってから、コテンと首を傾げていた。
(南蛮人というより、宣教師が河童扱いされてるとは思わんわな)
仏法僧にも色々いるように、宣教師にも色々いる。
昔会ったポルトガル人も、フロイスもいい奴だ。おそらく俺は運がいいのだろう。彼らは純粋に布教のため、日本へやってきたのだ。ゼウスの教えとやらが、どれだけありがたいものかを丁寧に説明し、誰にでも救いの手が差し伸べられるのだと告げる。
俺に言わせれば、キリスト教も仏教も根本的なところは変わらない。
人は悩みを持つ生き物であり、悩める心に救いを与える絶対的な何かがいるということを説く。善き行いは報われる、悪い行いは罰を受ける。だが心から罪を悔い改め、許しを求めることで「神」はもう一度チャンスをお与えになる。
浄土真宗の場合、それが極楽浄土だ。
死ぬことでしか辿り着けないので、死ぬしかない。死ぬ以外で救いがないのは、それだけ過酷な現実に苦しめられているということ。だから平民、貧困層に信者が多い。
イエス・キリストは貧しい家の出自で、ブッダはどこぞの王子だ。
二人が生きていたとされる時代は遙か過去の話なので、宗教の起源についてアレソレ追及する気はないのだが。宣教師の話は、話し上手な高僧の説法にも似ている。無条件で宣教師を優遇するわけにはいかないのと、彼らの真意を探る目的で語り合う機会があった。
安土城ならキレた日乗が乗り込んでくる心配もない。
(あれは大変だったなー。坊主が刀抜くなよ、と)
遠い目をしている俺の前に、何やら大きなものが運ばれてくる。
「それはなんだ?」
「地球儀でございます。球体に世界の地図を貼ったものです」
「ほう」
うん、俺の知っている地球儀とちょっと違う。
五百年も前に作られたものだからか、ざっと見ても微妙におかしい。特にユーラシア大陸、アジア圏の辺りがあやしい。日本が見当たらないぞと思って、ぐるぐる回す。
するとフロイスが笑顔で、手を止めさせた。
「信長様、今からご説明いたします」
「うむ」
玩具を見つけた子供みたいな真似をしてしまった。
この時代の地球儀は貴重品だろうし、うっかり壊して国際問題に発展したら大変だ。家臣たちの前でみっともなく慌てるのも格好悪い。内心の恥ずかしさを隠して鷹揚に頷く。
「ご覧ください。まず、ここがポルトガルです」
「ぽるとがる」
「そして、こちらがオランダ」
「おらんだ」
フランス、スペイン、イギリス、オーストリア、ドイツとヨーロッパの国名が続く。
目の前に鎮座している地球儀はかなり大きいが、それでも国の一つ一つは小さい。神聖ローマ帝国って、どれぐらい広かったんだろうな。家臣たちの中には身を乗り出してみたり、眼鏡をクイクイさせたり、懐紙を取り出して丸めたところから覗いている者もいた。
「お前らがジパングと呼んでいる、我が国はどこだ」
「ここです」
「…………ちっさ……」
思わず呟いてしまうほどに小さい。そして猛烈なコレジャナイ感。
朝鮮半島をちぎって、海の中に放り出したような形だ。南蛮船は琉球と交流したことがないのだろうか。いや、仮にあったとしても本州に比べれば小さすぎる。正確な日本地図が作られたのは江戸時代だったはずなので、その時代までの「ジパング」は男爵イモかメークインの形をしていたのかもしれない。
「世界は広いな」
「はい、とても広いです。わたしたちは長い、長い航海の果てに、この国へ辿り着きました。神のお導きに感謝します」
「うむ、大儀である」
大航海時代の果てに起きた話は聞かない方がいいんだろうな。
太陽が沈まない国イギリスの船は、まだ見たことがない。近くへ来ているのか、日本との貿易権がないだけなのか。初めて南蛮船がやってきた頃は知らないが、今いる宣教師たちは仏教を真っ向から否定しない。
ただただ愚直に、彼らが信じる神の教えを説いていく。
まるで、それが唯一無二の真理であるかのように。
(元坊主が軍師やったり、家督相続権のない武家の子供が出家したりする程度には、仏教が身近なところにある。施政者にとっては、あんまりありがたくない存在なんだよなあ)
宣教師は仏教を否定しないが、仏法僧はキリスト教を否定する。
今思えば、現代日本の宗教がごった煮状態は異常というか、奇跡というか。世界中でもありえない風潮なのはよく分かる。それを許したのは誰かという議論はさておき、もともとあった神道に仏教が加わっても、結果的に受け入れてしまった日本人の気質が一因しているような気がする。
中には一向宗という過激派も存在するが。
キリスト教にも十字軍っていうヤベエ組織があったはず。
「丸い地球の水平線に、誰かが」
きっと、待っている。
遠い時代へ思い馳せているうちに、懐かしい歌を口ずさみそうになった。
小さな小さな島に住む人々を描いた人形劇だ。リアルタイムで見たことはないのに、何故か主題歌だけは覚えている。今はもう前世で、どう過ごしていたかも全く思い出せないのに。
(フロイスたちにも、俺が前世の記憶持ちだって言ってやろうか。どんな顔をするのか見ものだなあ。……言わねえけど)
くるりと地球儀を回す。
ポルトガルと日本は海の向こうどころか、地球の反対側だ。最初に誰かが「地球は丸いのだ」と叫んだ時、人々は大いに笑ったという。そして地球はたくさんの星々の中の一つにすぎず、地球は太陽の周りを回っている。地球も回っている。
新事実が分かる度に、誰もが最初は信じなかった。
俺が転生者だと打ち明けても、慶次や信忠は信じてくれた。まだ半信半疑かもしれないが、一笑に付すような真似はしなかった。
「いつか、お前たちの国に行ってみたいな。色々融通利かしてくれた礼も言いたいし」
「ええ、きっと! 陛下もお喜びになります」
九鬼の鉄甲船は、南蛮船の技術を盗んで作られた。
もしかしたらもしかするかもしれない。信興の夢は大海原に出ていくことだが、そこに目的地があれば尚良いに決まっている。
「航海術だったか? そういうのって門外不出の秘密だったり、とか」
「相変わらず、信長様は学ぶことに貪欲ですね。他ならぬ貴方様の願いなら、できるだけ叶えてさしあげたいと思います。それはきっと、お互いの国のためになりましょう」
「お、おう」
俺はこの国の王じゃないぞ。ちゃんと分かっているのか、フロイス。
そう言おうとして、正親町天皇がポルトガル人と会話するシーンを想像してみた。禁中へ入れるのは公家以上の身分がある者だけだ。天皇は禁中の外に出ないし、フロイスに日本における地位を与えるのも難しそうである。
(え? っていうことは、今後も俺が窓口やるのか)
ふと信忠を振り返る。ブンブンと首を横に振っている。
いや、やれよ。次期当主だろ。
無理です。父上が現当主でしょう。
やれ。
嫌です。断じて「のー」です。
アイコンタクト終了。
あいつめ、本気で織田家当主がやる気あるのか心配になってきた。尼子衆の方がよほどフロイスたちと仲良しさんだ。というか信忠の場合、日本語以外が話せないことを気にしていると思われる。
通訳いるし、フィーリングとボディランゲージで大体いけるんだが。
手元でがこん、と音がした。
「あ」
青ざめる俺たち。転がる地球。
とっさに追いかけようと走り出した足の先が、不幸にも地球を捉えた。見事な球体の中はスカスカだったらしく、ぽうんと蹴鞠よろしく宙を舞う。
「あああああ!!」
とにかく暑いので、襖を全開にしていたのが災いした。
中にも外にもギャラリーがひしめいている。彼らは前代未聞の珍事に慌てふためき、次の行動に移れないでいた。壊せば国際問題だ。そうじゃなくても得体のしれないブツに触りたくはないだろう。
ぐるぐる回しまくっていた俺が言えた話じゃないか。
(まずい、このまま庭へいったら――)
割れる。確実に壊れる。
追いかける俺と宣教師たちの前に、んばっと巨大な網が広がった。かろうじて頭から突っ込む事態は避けられた代わりに、俺の蹴った地球が網の真ん中に収まる。
途端にきゅっと網が収縮し、地球をぶら下げた末弟が言った。
「すいか」
「地球儀だっつの!!」
それは食べられないと言うと、それはそれは残念そうに眉を下げるのだった。
本編用に書いたエピソードですが、こちらに移動
フロイスの「日本史」によれば、天正8年の出来事になります
(元ネタにしたというだけで、実際の記述とは異なりますのでご了承ください)




