一年びい組、うつけ先生!
小牧山城攻略後で、稲葉山城陥落前くらいの話です。
本編でちょくちょく織田塾が出てくるので、説明がてら出してみました。
後半部分は勝手に出てきたものなので、さらっと流してください
戦国時代にも学校制度はある。
有名どころでは下野国にある足利学校が挙げられるだろう。ちなみに平安時代には中国伝来の教育機関があった。中央では大学寮・典薬寮、地方では国学という律令制度に基づく官人育成所だ。
平民は役人になれない。足利学校の卒業者はもれなく僧籍だ。
国学は次第に廃れていき、足利学校も一時ほどの賑やかさはないらしい。授業内容に宗教色を排したのが不味かったのか、時代の変遷によるものかは分からない。少なくとも俺は嫌だ。坊主になるくらいなら、坊主から個人授業を受けた方がいい。
「そんな中、颯爽と現れたのが織田塾である」
「おおー」
無垢な子供たちが感嘆の声を上げている。
誰が呼んだか織田塾。
寺子屋でいいじゃねえかと思っているのは俺だけで、居城を移すごとに新しく寺子屋施設を建てた影響がこんなところに出た。寺で勉強する、あるいは僧籍の者が教鞭をとるから「寺子屋」と呼ばれていた。
だが織田塾は誰でも入れる。
卒業しても僧籍必須じゃないし、役人になるとも限らない。
まずは基本的な読み書き・計算を一年間。
ひたすら机にかじりつくのも大変なので、歴史や流通などを雑談風に語る時間もある。たまには子供同士で喋り倒して終わる日もある。
二年目以降も塾に残る者は半数にも満たない。
何故なら「やりたい職業」を選んで、修行に出るからだ。読み書きと計算は基本中の基本であるが、これができるだけで何でも選べる。物好きの酔狂だと笑っていた大人たちも、今では織田塾門下の子供たちにすっかり頭が上がらない。
「最初の頃、織田信長は子供を誘拐する鬼と呼ばれていた」
「なんで?」
「うつけ先生、鬼じゃないよ」
たちまち異論反論が上がるのも、織田塾の日常風景だ。
教師の言葉は黙って聞きなさいと誰が言ったか。口を挟んでいい時と、そうじゃない時はおのずと見分けがつくものだ。黙って聞いているふりをして、ぐうぐう居眠りしている奴よりも口を挟んでくる奴の方が話を聞いている。
「今よりも子供が死にやすかったから、子供も大事な働き手だったのだよ」
「よわいから?」
「隣んちの赤ちゃん、咳ばっかしてる」
「家主の名前は?」
「佐兵衛おじさん」
教鞭をとっていた男が壁をこんこん、と叩いた。
子供たちが息を呑んで静まり返る中も、何かしらの声が聞こえてくる様子はない。男が二度頷き、再び書物を開いたところで空気は元通りになった。
「大事な働き手である子供だが、大変な穀潰しでもあった」
「ゴクツブシってー」
「いらない子って意味だよ」
「嘘だあ! うつけ先生、いらない子なんていないって言ってたもん」
「親がいなければ親になる。子がいなければ、子を与える。だが家族は与えられるもんじゃない。家族とは」
「誰かを大事にしたいっていう気持ち!」
子供たちが唱和して、男は満足げに頷いた。
小さな机がいくつも並ぶ平屋家屋は五つほどの部屋で構成されており、どの部屋も教師の立つ一部分だけ少し高くなっている。前後の壁には釘を打ち、何かを掛けられる仕組みだ。そして障子の入った窓には大判の布がフワフワ揺れて、柔らかな風を室内に運んでいた。
かあてんと呼ばれる不思議な布は時々、子供たちの遊び道具にもなる。
「さて、今日の話はここまで。残りの時間は計算だ」
「はーい」
「明日もお話ししてね」
「今度は面白いやつがいい!」
「うつけ先生、かけざんやりたい。たしざんあきた」
「あたしもー」
「明後日になったら試験がある。それで満点とれたらな」
「やったー!」
まだ満点とれると決まったわけじゃないのに歓声が上がる。
この『びい』組の子供たちは特に賑やかなのが多い。『えい』組はほぼ全員が一年で修行に出ていく中、最も多様性に富んだ自由度の高い組だといわれている。『しー』組は文字通り、黙々と勉強している。役人志望が大半で、城仕えを目指して基礎教養も学ぶ。
小牧山城下で新設された『でい』組は兵隊志望だ。
読み書き・計算に加えて座学と鍛錬もあり、参加希望者は当日受付しているのが特徴だ。母衣衆が教師役を担当しているため、年齢問わず人気のある組でもある。
資金の問題から、織田塾は那古野・清州・小牧山の三つしかない。
他の地域でも立案されているのだが、実現には程遠い状況だ。問題は金だけじゃなく、担当教師や衛生面に周囲の反対意見もある。信長なら仕方ない、が周知された結果だという。
「ですので、荒子にも出張願えないかと思いまして」
「だが断る」
「そこを何とか」
「隠居爺が何言いやがる。お前がやれよ、利昌」
「私では役不足でございます」
何とか子供たちを大人しくさせた後、来客があると出向けばこれだ。
那古野村の一期生がハイスペックなのは、俺直伝の教育成果だと思われている。特に何もしていないんだが、誰も信じてくれない。かなしい。
「だいたい平民層に学問を教える方針、反対派だったろ」
どういう心境の変化だと睨めば、目尻に目立つ皺を増やした。
こんな感じに笑う人間だったろうか。
「人員不足なのですよ」
「だから貸してくれ、は聞かないからな」
「いえいえ。世に名高い『うつけ先生』が来てくだされば、何もいりません」
「わっはっは、フザけんな」
「ははは、命を賭してお願い申し上げております」
大げさだと一蹴しかけて、思い直した。
遠回しに揶揄したり、やんわりと諫めたりすることはあっても、使うべき言葉を間違えるような男じゃない。世間では荒子衆との微妙な関係性から、利昌の隠居に俺が関わっていると噂されていた。それは利昌自身が、俺に対して従順とは言えない態度をとってきたせいもある。
ジジイの遺児、林勝吉の処遇についてもそうだ。
中途半端な取り立て方をするので、前田家中で不満の声が上がっていた。その筆頭が利昌の長男・利久だというから頭が痛い。佐脇家へ婿養子へ入った利之が小姓を務めている件は、何度か苦言を入れられた。いや、閨の相手なんかさせてねえっつの。
「荒子衆と織田本家は仲良しです、っていう対外宣伝が狙いか」
「お許しがいただけるなら、又左衛門に家督を継がせたく存じます」
「ダメだ」
「そこを何とか」
「あれが当主の器か? ただ跡を継ぐだけなら、…………利久に嫡男はいなかったな」
「はい」
俺は頭を抱えた。
子のいない夫婦が養子縁組したおまつは、利家の嫁だ。利久から見て実弟であり、娘婿でもあるわけだ。他の兄弟はとっくに分家してしまっている。曖昧な立場なのは利家だけなのだ。
血筋は問題ない、血筋は。
甥っこにからかわれ、武具や着物を分捕られ、俺に犬と呼ばれて喜ぶ変態である。小姓から馬廻衆、赤母衣衆へと順調に出世して与力もついた。実質的に他の兄弟と同じく、前田の分家として独立してしまったようなものだ。
恒興のように領地を持たず、織田家へ仕える気でいる。
問題は戦しか役に立たない脳筋武士へ成長してしまったことである。俺の真似をして臣下に丸投げする癖がついたせいで、家のことはまるでダメだ。秀吉夫婦が何かと世話を焼くせいもある。おまつは着実に良妻賢母の兆しを見せているというのに。
そんな利家も、実は織田塾の臨時講師として人気がある。
特に利之と利家の手合わせは語り草になっており、槍術を極めたい奴らがよく集まっているようだ。慶次は慶次で、ならず者集団のリーダーみたいな感じになってきた。江戸の渡世人、現代のヤクザを思い出してしまうが、うっかり喋ると定着しそうで怖い。
織田塾のことは、黙っていたせいで勝手に名付けられた珍しい例である。
「あの馬鹿犬が当主になったら、ストライキが起きるぞ」
「暴動の心配はないと思いますが」
「ああ、悪い。新当主に対する抗議運動だ。家中で職務放棄が起きる可能性、さすがに否定できないだろ? 利家自身に従ってきた与力たちと譜代家臣が仲良くできる保証もない」
「できませぬか」
「できねえだろうなあ。性格の不一致っていうやつだ」
脳筋とインテリは相性が悪い。
利家の周りには若い奴らが多く、織田家老衆にも眉を顰められる素行が度々見受けられる。これも俺の悪影響だと言われているが、甚だ心外である。派手好みなのも傾奇者なのも前田姓を名乗る奴らが原点だ。
俺は違う、断じて違う。
「そこで織田塾荒子支部の開設を」
「なんで話を戻す」
「このままでは丹羽、佐久間に出遅れまする。上条の宗吉殿は、茶筅丸様の傳役を仰せつかったとか。信長様が更なる飛躍を遂げんとする今、西尾張の一部で満足するつもりはございませぬ」
「確かに今から育てても遅いくらいだが」
「織田塾には子供だけでなく、大人も参加できる組があると聞き及んでおります。わしもこっそり参加させていただきましたが、なかなか活気ある場で驚きました」
「何やってんだ、利昌。年寄りの冷や水っていうんだぞ」
「内藤殿や村井殿をこき使っておられる方が何を仰います」
「むむう」
信じられる奴にしか仕事を任せたくないんだよ。
分かっているくせに、自分も混ぜろと暗にねだってくる辺りが利昌らしい。利家がもうちょっと本家との繋がりを大事にしていたら、前田家が林兄弟の与力じゃなかったら、俺たちは違った過去を刻んでいたかもしれない。
これも縁か、と溜息を吐く。
春日井村へ行く予定が荒子村へ寄り道してから何年も経った。利家にも子が生まれ、家族を大事にする気持ちも芽生えたことだろう。仲間と家臣への扱いは違えども、組織をまとめる基盤みたいなものは長近から叩き込まれている、ハズ。
「分かった。織田塾の開設を認める」
「ありがとうございます」
「ただし、でい組だけな。一年の試験運用を経て、尾張各地にも開設させよう。無論、女人禁制なんていう野暮は言わねえだろうなあ?」
「例の奥様戦隊とやらですかな」
「女には女の仕事があるんだ。そっちはお濃に一任しているから、話だけ通しておいてやる。利家が家督を継ぐなら、おまつも一緒に前田家を支えるべきだ」
「御心のままに」
利昌は恭しく首を垂れた。
こうして数年後、利家の前田家相続が決まる。
これまた俺の強権発動と噂されたが、実際のところは違う。逞しく育ちすぎたおまつにショックを受けた利久が倒れ、そのまま寝込んでしまったのだ。織田家臣が残らず多忙を極めている中、軟弱者の誹りを受ける前に利昌が決断を下した。
予想通り、前田家中で反発が起きる。
利家にというよりも、俺に反感を抱いていた奴らが荒子を飛び出してしまったのだ。利久の妻も全く表へ出なくなり、代わりにおまつが新たな奥様戦隊を結成。立派に内助の功を果たし、やっぱり特に何もしなかった利家の代わりに前田家をまとめ上げたのである。
そこに脳筋と侮っていた数名の若者が犠牲となったことは、ここに付しておく。
詫びとして、年に一度は織田塾荒子支部へ臨時講師として出向いている。ついでに若者たちに混ざって経理関係の仕事をしていく俺、働きすぎじゃね……?
「犬千代Jrよ、あんな親父になっちゃダメだぞ」
「うんっ」
「うんじゃなくて、はいと答えなさい」
「はい、ははうえ! うつけ先生をみならいます」
「よく言った!! さすがオレの息子っ」
「馬鹿犬は黙ってろ!!!」




