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うつけ殿、年越しそばを食らう

小牧山城完成後(永禄6年冬)の話になります

 やはり秋から冬にかけてが一番忙しい。

 年貢として納める品物に制限をかけない方針を掲げ、出来次第では取引交渉も始まるとあって各種生産業が活発化したためだ。量で判断すればよかった頃と違い、納品される度に厳重なチェックも求められる。

 目利きの達人が何人いても足りない状況だ。

 小牧山城下も整備中で、あちこちから様々な音が聞こえてくる。町一つ作るだけでもこんなに大変なのだ。複数の国を統治下に置く奴らの気が知れない。

「尾張一国だけでいい」

「はっはっは、ご冗談を」

「俺はいつだって真面目だ!」

「そうでしょうとも」

 右に信盛、左に長秀を連れて歩く俺、ノブナガ。

 いつもながらの体格差には軽く凹むものだ。視覚的に慣れても、精神ダメージはゼロにならない。弱い毒床を踏み続けているような感じである。尾張を天下一の国にすると宣言したからには(主に食事情で)手を抜かないが、やりすぎは禁物だ。

 第二、第三の今川義元が現れるのは困る。

 尤も貞勝辺りに言わせると、もう手遅れだという。侵略すれば手痛い反撃をくらうと分かったので、今後は友好的な態度で交渉の場を用意する。さしあたって外交専門の交渉員を選出すべき、とのありがたーい助言をいただいた。

 尚清や貞勝に一任する思惑が、見抜かれている。

 俺には交渉なんて無理なんだから、丸投げしたいんだよ。

「年が明ければ、餅つき大会ですな」

「うむ。今年もよい餅米がとれたゆえ、心引き締めて餅をつかねばならぬ」

「臼を壊すなよ?」

「……もちろんです」

 神妙な顔をして頷く長秀に、鋼での補強も考えた。

 相撲大会をやれば上位に食い込むのが長秀たち、元舎弟どもである。個人戦とチーム戦に分けたり、体重別でランク付けしてみたりして、なんだかんだで毎年二回は開催されていた。もう俺の手は離れてしまった相撲大会だが、御前試合よろしく見物に行くだけで活気が違うらしい。

 目立たないように屋台のおやじをしていても発見される。

 最終手段、女装は髭が失われるから嫌だ。

「餅の前に年越し蕎麦だろ。今年はそれなりに量がとれたって聞いたんだが」

「あの臭い実でござるな……」

 途端に嫌そうな顔をする信盛。

 俺が大層楽しみにしていると聞いて蕎麦畑まで視察に行ったはいいが、愛らしい花がかもす悪臭に辟易したそうだ。痩せた土地でも育ちやすいのに稲や麦ほどに作られていないのは、そのせいだと思われる。

「クサヤや銀杏だって臭いじゃねえか」

「くさやは存じ上げませぬが、あのような臭いを放つものが美味いとは思えませぬ。ああいや、殿の言葉を疑っているわけでは」

「分かった分かった。お前は食べなくていいから」

「いや、拙者は」

「細く長く生きよという教えは、確かに武士の考え方には向きませぬ。何か良い文句があればよいのですが」

 言い訳しようとする信盛に長秀が別のことを言い出して、俺は考え込んだ。

 ようやく明日生きることを信じられるようになったばかりだ。現実から目を逸らすためじゃなく、頑張った褒美に娯楽を愉しめるようになってほしい。食の楽しみは、手軽に取り入れられる大事な一歩だ。

「そうだなあ」

 と難しく考え込みそうになって、はたと気付いた。

「美味いは正義」

「またですか」

「嫌なら食うなよ、半介。五郎左は大鍋と大量の油を用意しろ。それから屑野菜をありったけ集めてこい。食えるものなら何でもいい」

「承知しました」

 たちまち小さくなる長秀の背を見やり、信盛が眉を寄せた。

 なんというか、昔から対抗心を燃やしたがる男である。側近として仕えるようになった経緯なんかも引きずっていて、自分以外の誰かを重用する度に面白くない顔をする。

「何を始めるおつもりで?」

「半介は食べないんだろ」

「意地の悪いことを申されますな。何なりと申し付けていただければ、この半介。いくらでもお役に立ってみせましょうぞ」

「じゃあ、蕎麦挽き」

「お任せください」

 頼もしく請け負った奴は、一族の者を贄にした。

 そんなに臭いのが嫌なのかと言いたくなるものの、水車小屋を改造してまで蕎麦挽きを行ったのは評価できる。おかげで俺と側近たちの家族分は確保できたのだ。もちろん蕎麦畑を世話してくれた民にも蕎麦を振舞うことにした。

「十割はちぎれやすいから、二八蕎麦だな」

 ラーメン食べたいなあと思いながら、小麦を混ぜる。

 なんだかんだで蕎麦の歴史は長かった。それでも貧困層に蕎麦職人がいたことからして、どれだけ蕎麦の認知度が低いかを物語っている。

 ならば俺がここで一肌脱ごうじゃないか!

 見様見真似の蕎麦打ちにハラハラした視線が集まるのはさておき、広場に登場した大鍋は三つ。ぐつぐつ煮えたぎる湯と油から、大量の湯気が立ち上っている。眼鏡をかけていたら真っ白だな、なんてどうでもいいことが脳裏をかすめた。

「ノブナガ、かきあげできた」

「間違えるなよ、幸。タネができたんだ」

「種? これを植えるの?」

 大きな器にどろっとした白い何か。

 やや黄色いのは卵を使ったからだ。野菜として牛蒡や人参、大根が入っている。揚げ物文化もとっくに伝来しているのに、かき揚げが存在していない魔訶不思議。関東じゃないから濃口醤油がマイナーなのは仕方ないにしても、たまり醤油のコクは馬鹿にできない。

 天つゆに大根おろし、干した柚子や山椒を刻んで薬味にする。

 薬味といえば葱も定番だが、生で食べると苦くて青臭い。牛蒡や人参と同じく薬扱いにされるのも納得だ。とはいえ、使わない手はないので軽くゆがいておいた。

 一人暮らしウン十年をナメんな。

 玉ねぎで泣いても、慰めてくれる優しい女なんかいなかったんや。帰蝶も見ているだけだが、吉乃が喜々として手伝ってくれている。奈江はウロウロしては輪の外へ連行されていた。

 うん、料理できなくても愛しているぞ?

 蕎麦打ちは力仕事なので男たちの出番だ。野菜のかき揚げ――精進揚げというらしい――は、幸が連れてきた奥様戦隊那古野支部の皆さんがやってくれている。

「いくよー」

「おう」

 おたまを手にした幸が最初のタネを投下した。


  じゅわわっ


 感嘆と呼ぶには密やかな声が民衆の中に広がる。

 いつの間にかギャラリーが増えてしまったんだが、わんこそばレベルまで減らさないと行き渡らないんじゃなかろうか。熱した油を使うため、広場を借りたのは失敗だったかもしれない。

「どんどんいくよー」

「おう」

 さて、俺たちも蕎麦を茹で始めるか。

「って待て!! 合体するから止め――」

「一つになっちゃった」

「お、おう……」

 直径にして三尺(約90cm)はあろうかという巨大鍋だ。

 それより一回り小さくても、十分大きなかき揚げがジュワジュワ騒いでいる。放っておけば焦げるし、中のふんわり食感が失われる。断腸の思いで分割し、紙の上に並べていった。残念そうな民衆の視線が痛い。

「巨大鍋用の巨大網も必要か」

「作らせましょう」

 日曜大工の神・信盛はいつだって自信満々だ。

 それはそうと蕎麦が茹で上がってきた。桶に張った氷をかち割り、豪快にザルごと投下する。一気に冷やされたそれに、ギャラリーから落胆の声が上がるも無視である。蕎麦はざるそばが一番美味いと思っているが、冬の最中に冷たい麺は嬉しくない。

「ほい!」

「そらっ」

 威勢の良い掛け声とともに、蕎麦の入ったザルが飛ぶ。

 ざばんと湯にぶちこまれたそれに驚く間もなく、今度はアツアツの麺つゆで満たされた汁椀がいくつも出てきた。重厚感のある丼で食べたいところだが、俺と同じように人数分が足りないと感じた奴がいたらしい。

 小分けにされた蕎麦が、薬味が、かき揚げがセットされる。

「殿。どうぞ、最初の一杯をご堪能ください」

「うむ」

 長秀から受け取り、見た目を堪能する暇も惜しんで箸を突っ込んだ。

 蕎麦をちゅるりと、かき揚げをがぶりと、汁をずぞっと。生唾を飲んで見守る皆には悪いが、コメントしている余裕なんかなかった。ひたすら食って、食って、食って、汁まで飲み干した。

「美味い!! 年越しにはやっぱり、かき揚げ蕎麦だなっ」

「信長様のお墨付きである。皆、心して食らうがよい!」

 満足げな俺に側近たちが笑い、待ちかねたように皆が箸をとった。

 食べている間も、かき揚げや蕎麦が空を飛ぶ。火傷の心配などいらぬとばかりに、威勢のいい掛け声がリズミカルに飛び交った。そこにあるのは美味いものを食べる人の笑顔だ。

 あついあついと言いながら、それでも箸が止まらない。

 誰かが落とした椀のところへ、奇妙丸が走っていく。食べかけの蕎麦を押し付けて、落ちた蕎麦をかき集めて俺の所へ持ってきた。思わぬ展開に青ざめた彼らのことなど、我が息子は気付きもしないのだろう。

 泥まみれの麺を零さないように抱えている。

「父上、洗えば食べられますよね」

「そうだな。さすがは俺の息子だ」

「若様、こちらに」

「一人でできるよ、甚九郎」

 頭を撫でてもらえた笑顔もふくれっ面となり、信盛の息子と洗い場へ向かう。

 今回の蕎麦は皮をきれいに剥いたので、とても白い。次に蕎麦挽きやる時には、蕎麦殻も使った黒い蕎麦がいいと思う。いや、二色蕎麦も捨てがたい。竹細工の汎用性を広めるために蒸籠そばもいい。

「って待て! その湯を捨てるな!!」

「はっ?」

 いつの間にか蕎麦が終わっていた。

 鍋の湯がぶちまけられそうになっていたので、慌てて止めに入る。そっちは誰もいないから熱湯を撒いても大丈夫、という理屈は通らない。俺の分は麺つゆがなくなっていたので、余っていたものを新しく注いだ。ちょうど奇妙丸が戻ってきたので、そっちにも注いでやる。

「父上はつゆだけですか?」

「いや、蕎麦湯を入れるんだ」

 おたまも匙もなかったので、空になった汁椀を使う。

 白くてとろりとした蕎麦湯は麺つゆをわずかに薄めたが、それが美味い物には見えなかったようだ。いくつかの怪訝そうな顔を見やり、俺は汁を啜る。

「あ、あちっ、あちっ」

 だが美味い。

 蕎麦の〆はこれに限る。ふうふう言いながら飲んでいると、蕎麦が終わって残念そうにしていた奴らが鍋に群がっていた。我も我もと蕎麦湯をよそい、残った麺つゆと混ぜ合わせる。

「あら、美味しいじゃない」

「本当ですねえ」

「茶筅たちは冷めるのを待ちなさい」

「はあい」

 上気した頬を緩める妻たちと、幼い子供たち。

 白い息を吐きながら「美味しい」を繰り返す様子を眺めつつ、来年もまた年越しそばを皆で食べたいものだと思った。

本編感想欄から鰻(宇治丸)のことを調べていて、鱧の蒲焼もアリだと知った瞬間に浮かんだのは「ハモの天ぷら」でありました。天ぷらには天つゆ、抹茶塩、柚子塩、胡椒塩、ついでに七味マヨも捨てがたい! ああ、愛しのマヨネーズ。遠心分離機(人力)があるなら作れなくもありませんが、非加熱の卵を食べても大丈夫という保証が(作れ)なくて辛いです。


天ぷら→揚げ物→かき揚げ→年越しそばの流れ。

うちの家庭では年越しそばには葱派、かき揚げ派、天ぷら派が分かれておりまして、ゆく年くる年を「聞き」ながら全員分の蕎麦を用意するのが定番でありました。蕎麦湯をすする頃、カウントダウンが始まるくらいのタイミングがベストです。

ごちそうさまの代わりに「今年もよろしく」を言い合う家族。

妹はうどん党なので、彼女専用の鍋を別に用意するんです。毎年最後に一番働いて終わる。それが我が家の年越しであります。


皆さま、佳いお年をお迎えくださいませ。

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