103話 ボツ部分
犬山殿の婚姻など、ねつ造設定を多く含みます
戦後処理だ、出産だと走り回っているうちに春到来。
無事に奈江も初産を終えて、三人目の男児が織田家に生まれた。正室と側室に一人ずつ平等に、と狙ったような振り分け方だが全くの偶然である。個人的には娘もほしいので、疲れている帰蝶を癒す名目でイチャイチャしている。
夜泣きは狼の遠吠えだ。きっとそうだ。
なるべく自分で育てたいという側室たちは、完全に寝不足である。ちゃんと乳母も用意したのに上手くやっていけるのか、ちょっと心配だ。それでも子供の声が聞こえる、というのはいい。
幼かった頃の異母弟たちを思い出す。
久方ぶりに那古野村へ足を運んでみようか。そんな風に思っていた矢先、信清の正室である犬山殿の面会に応じることになった。彼女が信秀の娘ということは、俺の実姉にあたる人だ。
全く覚えていないので内心焦ったものの、向こうも俺の顔を知らなかったらしい。
当時の織田弾正忠家を思えば、不思議でも何でもない。
俺が十代になる頃には嫁いでしまったので、互いに接点のないまま今に至る。家中で名前も出てこなかったのは側室の子で、影の薄い存在だったからかもしれない。
「あなたが三郎ね。ああ、立派になったこと」
「ご無沙汰しております、姉上」
「今は三郎が織田家当主なのだから、そう畏まらないで。ね?」
はんなりと微笑む彼女の様子に、どこか土田御前を思い出させる。
やや垂れ目に面長の顔立ちが「お多福」に似ているなあと思いつつ、思考の片隅には警戒心を残しておく。戦国時代の女が、見た目通りにか弱くないことくらい知っている。
それも犬山殿は、織田弾正忠家の女だ。
一度嫁いでしまったら、余程のことがない限り実家に近づかない。手紙のやり取りどころか、存在すら知らなかった弟に一体何の用だ。ちょうど上洛の話が出ていて、守護職の就任を求める声が家臣たちの中にはある。
「信清殿が何か?」
「…………せっかちなのねえ」
「何かと忙しく、暇がないもので」
「そうなの。春は鷹狩りに向くというから、そういうものかもしれないわね」
つい眉間の大山脈を作りそうになった。
鷹狩はまあ、好きな方だ。懐いてくれると可愛いものだし、大空へ羽ばたいていく姿に自分を投影することもある。獲物を捕らえて、褒めて褒めてと目を輝かせる様は撫でくり回したくなる。
そうだなー、奇妙丸に馬と鷹を与えてもいいな。
何事も早い方がいい。様々な生き物に触れて、命の大切さを知ってほしい。馬に慣れたら、一緒に遠出をすることもできる。城の外は幼い我が子にとって、どんな世界に映るだろう。
「で? 信清殿が何か言っていたのでしょうか、姉上殿」
犬山殿はちょっと困った顔をする。
俺は軽くイラッとする。
「わたくしたち、血の繋がった姉弟なのよ。もう少しお話をしましょう。三郎のことをもっと知りたいわ。ねえ、ダメかしら」
「ダメです」
「ひどい。そんな、冷たいことを」
たちまち眦に涙を溜め、ふらりと体を傾ける女。
演技だろうなあ、演技だよなあコレ。嘘泣き、初めて見たわ。いやあ貴重な体験しているな、俺。人生何事も勉強っていうが、本当だなあなんて雑念が過る。
「信清殿が領地について不満をもらしていたとか? 夫婦間で愚痴をもらしても別に不思議じゃないですし? 夫の立場が変わったのを機に、今まで一度も会ったこともねえ弟のツラを見てやろうじゃねえかと思ったとしても、なーんにもおかしかねえですよ。ええ、全く」
「どうして、そんな恐ろしいことを言うの。三郎、わたくしは」
「俺は能力主義なんです」
言われた意味が分からなかったのだろう。彼女はきょとんとしている。
「信清様は立派な武将だと思うのだけれど」
「ええ、ご立派ですよ。我欲も野心も十分あって、戦国武将らしい人柄だ」
「よかった。三郎に褒めてもらえると、わたくしも嬉しいわ」
「ただし、自分の立場も分からんような奴は恥を知るべきだ。と俺は思いますね」
「…………」
「戦後処理は多岐に渡るため、俺は総括のみに留めています。それでも領地配分や報奨がどうなったかを全て把握している。特に重要な地はまず直轄地としてから、俺が選んだ者に預けるようにしています。民が変化に対応できるまで待つのが、俺の流儀です」
「それは、必要なことなのかしら」
思わずこぼれた小さな呟きに、俺は笑った。
犬山殿がさっと青ざめて、座ったまま後ずさる。ゆっくりと口元を覆った手が小刻みに震えているのを見ても、何も感じなかった。身内に恐れられてもショックを受けないのは、この女が俺の姉であると思えないからだ。
信行は俺が殺す運命を知っていたから、何度も繰り返し説得した。
信広は存在を知らなかった異母兄だったが、話せば分かる相手だった。血の繋がりがあっても分かり合える人、分かり合えない人がいる。全くの他人でも、初対面から気が合う奇縁もある。
「俺の嫁たちは、そんなことを言わない」
「三郎?」
「俺の信念に異を唱えないし、俺の理想を理解しようとする。分からなければ分かるまで質問するし、民の生活があって自分たちの今があることを知っている。その綺麗な着物も、白く塗りたくった顔も、傷一つない身体も、全て与えられたものだ!」
「わたくしは織田信清の妻です」
「だから何だ。俺は織田弾正忠家の現当主、いずれ尾張守護職に就任する男だ! 貴様の夫は俺の臣下になった。主君の命令に従わず、あまつさえ俺の名を騙って岩倉城主を名乗る輩の言い訳なんか聞きたくない!!」
「だ、だって、だって……わたくし、は」
ぼろぼろと涙を流す犬山殿から、目をそらした。
そうしないと手が出そうだったからだ。俺は、この女が面会を望んだ時から大体の目的を察していた。有能な小姓がそっと耳打ちしてくれたからだ。本当は信じたくなかった。岩倉城は直轄地としたのにも関わらず、俺の従兄弟で義兄だという理由で横取りすると思わなかった。
浮野の戦いで戦功を立てた? 信益の方がよく働いてくれた。
岩倉城の包囲網は、そこに兵士を置いていただけだ。周辺の城や砦を落としていったのは俺の側近たちである。それなりに訓練した兵士など、我が精鋭の足元にも及ばない。
それでも援軍に来てくれなければ、もっと多くの犠牲が出ていた。
信賢に従っていた武将たちはとても強くて、少しでも損害を抑えるので精一杯だった。今後の課題は山積みだ。俺のやり方がいつまで通用するか分からない。
努力を怠った先にあるのは、無残な屍の山。
俺は長良川で見た地獄を忘れない。
「犬山城へ帰り、信清へ俺の言葉を伝えるがいい。そして二度と、清州へ来るな。奴に離縁されたとしても、貴様を養ってやる余裕などない」
「……っ、おそろしい男! 尾張のうつけどころか、お前など親殺しの化け物よっ。誰が化け物に助けを求めるものか」
ああ、やはり似ている。
涙に濡れた目で睨んでくる様は、それこそ鬼女さながらだ。捨て台詞を吐いて、ばたばたと逃げていく。足音が遠のいてから、俺は肘置きに突っ伏した。
「ああ、つっかれたあぁ~」
ほんの少しだけ、ちょっぴりだけ期待した。
アネキと呼んでもいいのかと思ってしまったが、幻だった。つくづく俺は甘ちゃんだ。甘い理想と甘い信念を抱いているのに、鬼だ化け物だと恐れられる。そのうち、本当に魔王と呼ばれるようになるかもしれない。いや、あれは自称したのだったか。
「もう何でもいいわ。くそったれ」
グッタリしていたので、俺は大事なことを忘れていた。
ボツ理由:信清追放の話をするためだけに「犬山殿」を持ち出し、筆者の考える「普通の戦国女性」イメージを押し付けた形になった、のが気に食わない。信長は使える人間は使うし、同族に対しても比較的甘い傾向があるのに信清を排除した理由を考えたら、こうなった。弟の信益は尾張国に残り、美濃攻略戦では窮地に陥った信益を救援しようとした話もあるので……信清の性格に難があったのかなーって。
それと。
お犬の方の出番が見つからないので、犬山殿も出さないことにした。




