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うつけ殿、とり憑かれる(リクエスト作品)

※いきなり始まって、いきなり終わる

※シリーズ本編と全く異なる次元の話となっております。星 茶仁予様のリクエスト「ノブナガが信長になる」話なのですが、短期間という指定が失踪しました。場面は三分割されております。

ということを踏まえた上で、お読みください

 戦装束に身を固めた男たちは、じっとそれを見る。

 織田・徳川連合軍は若狭国を突破し、越前朝倉領に侵入していた。まさに信長の得意とする神速の用兵術にて、敦賀口の金ヶ崎城も攻め落とすことに成功。着実に越前の雄・朝倉義景を追い詰めつつあった。

 そんな折、近江の浅井家へ嫁いだ市姫から陣中見舞いが届いた。

 とても仲の良い兄妹であるのは誰もが知っていることだが、戦の最中に贈り物をするのは初めてのことである。正室・帰蝶ですら、文の一つも寄越してこなかったというのに。

「長政め、裏切りおったわ」

 信長が睨みつけているのは、小豆の包みだ。

 市姫は陣中見舞いとして、たったそれ一つきりを送ってきた。信長が溺愛する妹は苛烈な兄に似ない優しい性格と、兄によく似た聡明さを持ち合わせている。小豆の包みに何の意図が隠されているのか。誰もが首を傾げる中、信長の呟いた言葉は一同を激しく動揺させた。

「大殿!? 一体、どういうことですかっ」

「お言葉ではございますが、それはさすがにあり得ぬかと」

「喧しいわ!!」

 その一声で前線を支配する信長の大喝に、数人がびくりと体を震わせた。

「貴様らは余の判断が間違っていると申すか」

「い、いえっ、そのようなことは」

「申し訳ございませぬ」

「どうぞ、お怒りをお鎮めください」

 今にも地面を這いそうな勢いで家臣たちは口々に詫びる。

 それらを冷ややかに見やるのは信長だけではなかった。かつて三好家に仕えていた松永久秀は顎髭を撫で、机に放られたままの小豆袋へ視線を戻した。軽く首を振って、瞑目する。

「愚かなことを」

「弾正」

「はっ」

「手はあるか」

「恐れながら、今すぐ撤退すべきであると申し上げるしかありませぬ。浅井が裏切った以上、北と南から挟み撃ちされるは必定。我らは遠征軍にすぎず、兵糧が尽きる前に命運も潰えましょう」

 淀みなく答えれば、たちまち軍議は紛糾する。

「松永殿、何を申すか!?」

「新参者が賢しげに語るでないわ! もし本当に浅井が裏切ったとして、越前はもう織田の手に落ちたも同然っ」

「いかさま。我らの勢いは誰にも止められぬ。このまま一乗谷まで攻め上り、追ってきた浅井のうつけどもに朝倉の末路を見せつけてやればよい!」

「……無理じゃ」

「何だと!?」

「とっくに長政殿は出陣してもうた。見ろ、小豆の袋は両端がきっちり結んである。長政殿の覚悟はそれほど固いと、お市様は言うておるんじゃ」

 悲しそうに言い終えて、木下藤吉郎が俯いた。

 誰よりも出世への野心が強い男だが、優しいところもある。その甘さを慕う者もいれば、腑抜けと笑う者もいる。だが今は、その腑抜けの甘さが役に立つかもしれない。

「猿、余のために死ぬるか」

「喜んで!」

「弾正、貴様も動け。迷っている暇はないのであろうが」

「必ず間に合わせてみせます」

「民部、十兵衛。其方らは殿をつとめよ」

「ははっ」

「お任せください」

 名を告げられた者たちが足早に出ていく。

 それを呆然と見送った家臣たちが、再び信長を見つめた。何人かがごくり、と唾を飲み込んでいる。つい先ほどまで意気軒昂吠えていた勢いはなく、しきり汗を拭っている者もいた。

「聞け! 我らは退くのではない。近江側へ前進するのだ」

「は、はあ?!」

「徳川へは、いかがなされるのですか。撤退の知らせなどを」

「退くのではぬぁい!!」

「ひいいぃっ、出過ぎたことを申しました。申し訳ございませぬがっ」

 とうとう這いつくばった家臣の背を踏み越えて、信長も大股で出ていく。

 腹の中は煮えくり返っていた。目はぎょろりぎょろりと動き、左右に引いた唇は閉じ合わずに犬歯を覗かせている。ふうふうと息を吐きながら、何事か呟く姿は異様の一言に尽きた。

「ええいっ。そのようなこと、分かっておるわ!」

 足を踏み鳴らし、叫ぶ。

 広間から出てきたが、怒れる信長を恐れて小姓衆は寄り付かない。うっかり傍にいると、腰に佩いたもので斬られるからだ。殴られるのも蹴られるのも嫌だから、呼ばれるまで放っておくのが常だった。

 何よりも信長が、それを望んだ。

「この、この、この……っ」

 頭を掻きむしり、信長は声を震わせる。

「この大うつけめが! 三郎!!」

 たまたま叫び声を聞いてしまった小姓がはてな、と首を傾げた。

 三郎とは、信長の通称である。美濃平定後は尾張守を自称しているが、信長の近辺に三郎と呼ばれる者はいない。弥三郎や三郎次郎はあっても、ただの(・・・)三郎はいない。

 小姓はにわかに青ざめ、震えてきた。

 そういえば、今の信長に近づく者などいただろうか。一人になりたいと宣言されなくても、視界に入らない程度には距離を置く。それが定番となっていたはずだ。

 信長は一体、誰と議論しているのだろうか。

 そおっと首を伸ばして、小姓は後悔する。

 飛び出そうになった目玉を両手で押し込んで、悲鳴を飲み込み、足をもつれさせながら逃げ出した。小さな悲鳴が何度も口から零れていたし、両手は瞼を抑えるのを忘れていたが、小姓はそれどころではなかった。

 信長の傍には誰もいない。なのに騒いでいる。

 庭木に向かって三郎と罵りながら、信長は激しく議論していた。



 信長は何度も大きく息をする。

 腰に手を置いたまま、ガクガク震えていた。鍔が鞘にぶつかり、耳障りな音を立てている。せめて笄をと思ったが、これまた動きを阻まれてしまう。

「ぬ、ぬぐぐ……さ、ぶろう」

 ――爆弾正も言ってただろ。時間がない。小姓を斬って、どうするんだよ

「分かっておるわ、そのようなこと! だが、これとそれとは」

 ――無理矢理こじつけようとしても無駄ムダ。もしかして、俺が誰だか忘れちゃったのか? 信長さんよぉ

 くつくつと笑う声に、苛立ちが一段と増す。

 三郎の声は信長にしか聞こえない。信長がこれまで快進撃を続けてこられたのは、三郎の助言が少なからず的を射ていたからだ。姿は見えず、声だけが聞こえる。どれだけ探っても、忍どもを使っても、三郎の気配すら掴めなかった。

 無駄だと笑う声が、癪に障った。

 まるで聞き分けのない子供を諭すような響きが、信長の自尊心を傷つける。

「……長政ァ」

 ――いや、それ完全に八つ当たりだから。お市ちゃんは絶対助けろよ?

「言われるまでもない。あれの娘は使える」

 ――そうじゃねえって。まあ、嫡男も助けろとは言わないけど

「ふん? どういう風の吹き回しだ。甘ったるい貴様らしくもない」

 三郎は答えなかった。

 信長は越前敦賀から脱出し、京へ落ち延びた。遅れてやってきた松永弾正が、近江豪族の朽木元網を説得できたと報告する。それで少しは生存率も上がったことだろう。徳川軍も撤退していったことには、信長も当然であると頷く。

 家康にはまだまだ利用価値がある。

 信長と共に乱世を駆ける覚悟があるなら生きねばならぬ。うっかり浅井軍に討たれようものなら、三河国が武田軍に蹂躙される。それは非常に困るのだ。家康の将としての器も、ちゃんと認めている。とても役に立つ駒、という意味で。

 ――だああ!! 違う、違うだろ! だから裏切られるんだよ、このド阿呆っ

「やかましいわ」

 最近大人しいと思っていたら、これである。

 三郎の声が聞こえるようになったのは、いつの頃からか。よく覚えていない。信行を安楽死させた時か、利家を殺しかけた時か、帰蝶を斬った時か、あるいは吉乃が死んだ時かもしれない。声のみの存在を「いる」と表現するのも、何やらおかしな感じだ。信長の思考を敏感に察した三郎が拗ねるので、やれやれと首を振る。

 憤怒で身が焦がれると思ったが、案外大丈夫だった。

 三郎の言う「裏切り」が誰を示しているかは考えるまでもない。金ヶ崎の退き口は、今後の覇道における篩になった。この死地を突破できるなら、どんな激戦も恐れず進める。

 ――大した魔王だよ、アンタは

「まおう?」

 ――第六天魔王名乗ってた。あ、それはまだ先かな

「悪くない。尾張守では物足りぬと思っていたところよ。浅井・朝倉を滅ぼした後にはそう名乗ることにしよう。第六天魔王信長……くくく、悪くないぞ」

 上機嫌で笑う信長を、三郎が気味悪そうに見ているような気がした。

 仏教における第六天魔王は、仏道修行を妨げる魔だ。このくだらない世の中を砕くには生半可な覚悟で成せないと分かっていたし、信長の目的を皆に知らしめる何かが必要だった。身分の貴賎を問わず、その響きでおのずと理解できるものがいい。

「余は第六天魔王、ぞ」

 哄笑する信長は気付かなかった。

 呆れた様子の陰で、三郎がうっすらと笑っていた。そしてその理由も、とうとう最期まで気付くことはなかった。



 燃え盛る炎の中、俺はぐるりと周囲を見回す。

 といっても実際に首を巡らしたのは信長だ。槍がびゅんと鳴って、また一人殺した。抜けなくなったので舌打ちして、転がる死体の手から刀を抜いた。

 どこもかしこも赤い。血と炎で染め上げられて、まるで昼のように明るい。

「いや、地獄だな。第六天魔王に相応しいと思わないか?」

 ――フン、戯言を

「この刀、量産品だから持たねえぞ。他のにしろよ。いくつか持ってきてただろ」

 ――余に指図できるのは三郎、貴様くらいだわ

「代わりに手も足も出せないけどなー」

 俺たちは、信長はもうすぐ死ぬ。

 明智光秀の裏切りにあって、この本能寺ごと焼けて灰になる。まだ若い蘭丸や信忠たちは何とか逃がしてやりたかったが、信長に「本能寺の変」のことを教えても無駄だった。

 過去に何度も死地をくぐりぬけた驕りが、信長を死に追いやった。

「死なば運命、生くるは天命……か」

 ――すまぬな

「おいおい、急にどうしたよ。気持ち悪いぞ」

 ――余が死ねば、貴様も生きておるまい。迂闊にも、そのことを忘れておった

 ちょっと一瞬、言葉が出なかった。

 あっさりと俺の存在を受け入れたくせに、当たり前みたいな顔をして俺の前世知識を利用してきたくせに、この局面で謝られるとかどういう急展開だ。鏡がないので、信長がどんな顔をしているのか分からない。

 俺の五感は、信長の五感だ。

 背後霊みたいに取り憑いているだけなら、少なくとも視覚は自由だったと思う。他の感覚を共有して良かったことも、嫌だったこともある。俺が本気で嫌がった時、信長が止めてくれたこともある。

 もう全部、遠い昔の話だ。

 俺の体は信長で、俺は思考と前世の記憶しか持ち合わせがない。一度死んだせいか、また死ぬこともあんまり怖くない。心残りがあるとするなら、もうちょっと歴史のことを詳しく知っておくべきだったなあってことくらいか。

 ――三郎。おい、三郎。聞いておるのか!?

「はいはい、聞いてますよっと」

 ――ぼうっとするな。最後まで付き合え

「だから手も足も出ない俺に何をさせようって、……え?」

 信長の蹴りが柱の一つをへし折った。

 呆気に取られている間に一つ、二つと柱を折っていく。燃える建物でそんなことをすれば、当然ながら倒壊が早まる。地響きを立てて屋根が落ち、灰やら何やらが舞い上がる。

 あ、死んだな。

 そう思ったのに、体は動いていた。信長は生きていた。

「つ、付き合えって、そういうこと!?」

 ――これで金柑頭は、余が死んだと思うであろう。愉快、愉快

「いやいやいや、外は明智軍が囲んでるんだぞ!」

 ――やり過ごす。この夜を無事に越えたならば、三郎

「な、なんだよ」

 ――知恵を授けるのだ、余に。この乱世を終わらせるために

「乱世終わってるだろ。あんたが終わらせたんだ」

 ――金柑の天下は続かぬ。余には分かる

 俺は本能寺の変が起きた後について、何も言っていない。

 だが、信長は気付いていた。やっぱり本物は違う。俺がいくつかの戦事情を話したおかげで、変わったこともあるだろう。だが、ほぼ歴史通りに進んでいった。信長が俺の言うことを信じてくれないのは、歴史の修正力だと思っていた。

 今、俺は信長と話している。

「三日だ。光秀の三日天下って言われてる」

 ――三日……か。ここから最も近いのは権六であるが

「毛利と停戦結んで、猿が戻ってくるんだ」

 ――余は、潰せと命じた

「うん、あのな? 遺体が出てこなくても、明智軍が『信長殺ったー』と叫んだら信じる奴は多いんだよ。皆が信じなくても動揺は起きる。その隙を狙う奴はいくらでもいるだろ」

 信長には敵が多すぎた。

 あえて後ろを振り向かなかっただけじゃない。信長を殺して天下獲ってやろう、という気概のある奴を待っていた。ずっと、ずっと前から待っていた。

 各地でチマチマ戦っているだけじゃ、いつまでも乱世は終わらない。

 戦乱が日常になって、誰もが平和を夢物語だと思ってしまう。そのうちに北から、南から、大きな波が押し寄せてきて日本を飲み込んでしまう。アメリカの監視下に置かれても経済成長していった日本だから、意外に何とかなりそうな気もするが。

「というわけで、猿の援護しようぜ」

 ――金柑頭はどうする。三郎はあれを気に入っていたであろう?

「それこそ、生くるは天命だ」

 江戸という魔界、もとい結界を作り出したとされる天海僧正。

 こいつの正体が明智光秀という説があって、俺はそういう「生存説」が好きだ。源義経が大陸に渡って、モンゴルの英雄になった話なんかは壮大すぎて面白い。

 ひょっとして俺が頼んだら、信長はやってくれるかもしれない。

「さしあたっては、今晩を生き延びないとなー」

 ――三郎

「はいよ」

 ――頼みにしておるぞ

 これだよ、これ。本当に信長はズルい。これだから苛烈で横暴で、どうしようもない短気な男のくせに皆がついてきてくれたんだ。惚れた女を手にかけて、愛してくれた女に先立たれて、妹の夫には裏切られて、将来有望だった長男も死んだ。

 おそらく本能寺から脱出できたのは、俺たちだけ――。

「えっ……の、信長様!?」

 ほら見ろ、と信長が笑った。

 天命は我にあり。ならば、俺はまだ諦めなくてもいいのか。そう思った瞬間、体が動いた。信長が驚いている。俺も驚いている。いつもより動きやすくて、いつもより視野が広い。

「駆けるぞ」

 俺の『声』に、少年が目を見開いた。

 煤だらけの血まみれで、あちこち焦げていて酷い格好だ。俺たちも似たようなものだろうから、どこかで身なりを整えなければ落ち武者狩りに遭う。やるべきことは山積みで、悩んでいる暇も躊躇っている時間もない。

「蘭、ついてこい」

「どこまでもお供します!」

 一組の主従は頷き合い、闇へ溶けた。

かなりお待たせしまい、申し訳ありませんでした!! 改めましてリクエストありがとうございます!

片方がコメディタッチに仕上がったので、もう片方はシリアスにしてみました。ノブナガが信長になって脳内二重人格という設定ですが、いかがでしょうか!?


金ヶ崎の戦いから始めると決めていたので、このような形になりました。

松永弾正がいるのは単なる趣味です。この作品の仮題は「影の支配者」でした。信長の気質に飲まれがちなノブナガが、実は主導権握ってたんですよーっていう感じですかね。生き残ったのは、蘭丸じゃなくて坊丸でもよかったかもしれない…。

ifだけどifじゃなかった!な話に仕上がっていたらいいなと思います。

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