うつけ殿、一日三食を所望する(リクエスト作品)
※帰蝶視点 (たぶん)
※時系列は信秀の死後から天文22年の辺りです
※当時の食事情はもちろん、主人公の現代知識もふわっとしているのでスルー推奨
言い訳と謝罪は後書きにて
帰蝶は朝の静けさが好ましいと思っている。
それはどこの国でも同じで、楽しげに囀る小鳥の歌に耳を傾けるのも一興。何をしようか、どんな予定が入っていたかを思い出しながら、支度をするのが日常となっていた。
尾張国は織田家に嫁いできてからは、規則正しい生活もなかなか難しい。
それというのも、夫となった男が噂以上の大うつけだからである。
しかも、だ。周囲はどういうわけか、信長は帰蝶にベタ惚れだと信じているので、何か困ったことがあると帰蝶に陳情が上がってくる。最初の頃は帰蝶を疎ましがっていた側近たちですら、馬鹿殿を止めてくれとお願いしてくる始末だ。
今回の現場は厨だった。
「朝から騒がしい。何事です?」
「ああ、御方様! どうか若殿様をお諫めください」
「…………また、ですか」
今度は何かしら、とため息を吐く。
久しぶりに一人で就寝することができて、清々しい朝を迎えられたというのに。織田家の妻として頼られるのは嬉しいが、厄介事の処理だって楽ではない。
何故なら――。
「不味い。あれだけ言ったのに、なんで不味いんだ。解せぬ」
「…………隣で不味い不味いと言われたら、余計に不味くなるのだけれど」
「だって不味いもんは不味いんだよ。お濃は何も感じないのか? つーか、幼い頃からコレ食べてたら何も感じなくなってもおかしくないな。ううっ、可哀想なお濃」
「わざとらしく泣くフリなんてしないでちょうだい。鬱陶しい」
「うっ」
イライラしていたので、思うまま言葉をぶつけたら信長が倒れた。
胸を抑えて、苦悶の形相である。もしも小姓たちが控えていたなら、慌てて駆け寄るところだろう。しかしながら、給仕を済ませた彼らは部屋の外で待機している。
理由は単純明快。
食事中の信長は、とんでもなく機嫌が悪くなる。
さして特徴のない地味顔も凶悪に変貌するほど不味いらしい。幼い頃から同じものを食べ続けてきたはずだが、何が気に入らないのか全く分からない。
本日の朝餉は白飯に汁物、そして野菜の塩漬けだ。
信長の御膳には干した魚も添えられている。それだけ揃っていて何が不満なのか。元服前から野を駆け、山奥まで分け入っては手当たり次第に食べ散らかしていたという。彼にはむしろ、そういった野性的な味の方が合うのかもしれない。
「不味いと言うのなら、食べなければいいでしょう」
「勿体ない」
「そう」
やはり、よく分からない。
山盛りの白飯が瞬く間になくなり、ぞぞっと汁椀を空にする。
食べれば食べるほど顔は歪んでいき、もはや地獄の鬼もさながらである。きちんと結われていたらしい髷はぼさぼさ、片袖は何故か脱げたままだ。帰蝶はいつだったか、父に見せてもらった地獄絵図を思い出していた。鬼は人の肉を食らいながら、確かにこんな顔をしていた。
まさか地獄の鬼を連想しているとは思わない信長は、たんっと箸を置く。
「ごちそうさま」
「……変な人」
ご馳走様などと、さっきから文句だらけだった男の台詞ではない。
きちんと手を合わせ、瞑目する姿は修行僧にも似ていた。帰蝶がそう感じたのは、みるみるうちに顔の険が取れていったからである。さっきまで抜き身の刀で暴れかねない勢いだったから、そっと胸を撫でおろした。
「げふー」
「止めてちょうだい」
「帰蝶は小食だな。俺の三分の一もないだろ、それ。たくさん食べないと、元気な子供を産めないぞ」
「あなたがたくさん食べすぎなのよ。どうせ足りなくて、森の獣を獲りにいくのでしょう?」
「おう、口直しにな! 帰蝶も食うか。美味いぞぉ」
「結構よ」
「ええ、つまんねえなあ。もう目の前で捌いたりしないって」
「やめて」
帰蝶は口元を抑え、箸を置いた。
思い出したくもないのに、白目を剥いた哀れな獣がはっきりと脳裏に現れてしまう。血を抜くのだと言って大きな刃物を振るえば、勢いよく飛び出した赤い飛沫に気が遠くなった。信長たちは戦場に行くから、こういったことも平気なのだろう。
帰蝶は命を絶つ覚悟ができていても、命を奪う覚悟ができていない。
だが、そんなのはどうでもいい。
日々の食事を用意してくれる者たちがいるのに、彼らが作ったものを不味いと言っては外で別のものを食べる。それは確かに、厨の者たちも騒ぐはずだ。
おそらくはずっと前から耐えてきて、もう我慢の限界に達した。
「あなた、お話があります」
「ん? どうした、悪阻か? ついにできたのか」
そうだったら、どんなにいいか。
小さな本音は口の中で呟くに留める。今言うべきことは、それではない。父は仕事に貴賎などないと言っていた。どんな仕事であれ、誇りを持って働いている者たちを貶すのは最も恥ずべき行為だと。
信長は確かに、頭がいい。
他の誰もが思いつかないことを実現させ、多くの民を救った。作法や礼儀も知らない粗野な人間どころか、礼節に厳しい父を唸らせる完璧な当主を演じてみせた。これらのことは帰蝶が直に見たわけでないので、確かなことは言えない。
隙あらば殺せとまで言われたのに、隙だらけの男を殺せずにいる。
襟元をぐっと抑えた。いつか、これを使う時が来るのだろうか。
婚儀の日に感じた落胆はもう消えてしまった。うつけと呼ばれる男のことを、もっとよく知りたいと思っている。破天荒な行動も多いが、信長が何かやらかすところを近くで見ていたい。
だから、と帰蝶は息を吸い込んだ。
「恐ろしい顔で食べるのは止めてほしいの」
「だって不味いもんはまず……」
「それは何度も聞きました。何が不味いというの? 米? 菜物? 魚?」
「全部」
味を思い出したらしい信長がぶすっとふくれっ面で答える。
怖い顔で腕組しているだけで、言っていることは子供の我儘と同じだ。そして不味い飯では満足できないから、外で口直しをするという。これでは厨の者も納得しない。
「米は、あなたの指導でかなり良くなったと聞いているわ」
「炊き方だな、たぶん。あと野菜は土の養分が足りてないのに、調理段階でなけなしの栄養が出ちまってて残りカスも同然だ。魚に至っては塩の味しかしないっ」
「魚はそういう、ものでしょう?」
「塩はちょっとでいいんだよ、ちょっとで」
「そんな…………生臭くて食べられないわ」
「じゃあ、やっぱり調理方法が悪い。くそう、なんでネットが使えないんだ。今すぐググって、この時代でもできる簡単料理レシピを引き出すのに!」
また訳の分からないことを言い出した。
頭を掻きむしって悶絶する信長には悪いが、帰蝶には何を言わんとしているのか見当もつかない。とにかく厨の者たちを貶しているのは理解できた。信長のことだから、無駄な行動力を発揮して直談判したのだろう。そして言葉の通じなさに諦め、食事中は恐ろしい顔になっている。
なるほど、小姓たちもそそくさと退室するわけだ。
「あと気に入らないことに!」
「まだあるのっ」
「一番納得いかねえのが、一日二食で朝夕のお食事タイムがおかしい。朝飯は遅すぎるし、夕飯は早すぎんだよ。朝も夜も腹が鳴りまくって、辛いんだよ! 成長期は死ぬかと思ったわ!」
「ああ…………それで、野山に入って獣を食べていたのね」
「食わなきゃ死ぬ」
帰蝶を小食だとするなら、信長はとんでもない大食漢だ。
舎弟と呼んでいる側近たちに比べて細身で小柄だと思っていたが、なんと食事の事情も関わっていたらしい。信長は幼い頃から不遇の時代を耐えてきたのだろう。
双方の言い分を聞くと決めながらも、無意識に信長が悪いと決めつけていた自分を恥じた。
食べたいのに食べられない辛さを、帰蝶は分からない。
斎藤家の姫として皆に愛され、大事に育てられてきた。男尊女卑に選民思想のきらいがある義龍だったが、妹を虐めるようなことはしなかった。周囲に蝮と恐れられても、帰蝶にとって偉大な父だった。
口に出さないまでも、嫁いできてからの不満は少なくない。
それも全て、帰蝶の甘えであった。自由奔放に見えて、両親に甘えることも許されなかった信長の方が辛かったに違いない。押し寄せる後悔の念に、着物をぐっと掴んだ。
「ごめんなさい。わたくしったら、あなたのことを誤解していたわ」
「お濃? ど、どうした、今にも泣きそうだぞ」
「…………」
「な、泣くのか? 泣いちゃうのか!? 一体、誰が泣かせ…………俺か!? もうメシマズとか言わないから、狩りする時は帰蝶の見えないところでやるから! なっ、な?」
だから泣くな、と必死に信長が訴えてくる。
「そうやって今までも我慢してきたのでしょう?」
「うっ。え……あ、いやあ、そんなに? 城抜け出しても、何度かは見逃してもらえたし」
「…………う」
「な、泣くなー!! 泣くな、お濃っ。泣いていいのは財布なくした時と親が死ん…………って、このネタは女に通用しないじゃねえか。落ち着け俺!」
わたわたと何やらまくし立てていた信長が、いきなり腕を広げた。
何故か目を瞑っている。帰蝶がぽかんとしていると、今度は近寄ってきて抱きしめられた。もうすっかり慣れてしまった腕の中は、温かくてホッとする。これでは逆だと訴える声は、心の片隅へ追いやった。彼がこれでいいと思っているのなら、それでいいのだ。
「いいえ、よくない。全然よくないわ」
またしても、うっかり流されるところだった。危ない。
帰蝶は緩みかけた神経を元通りに張りつめる。すっかり存在を忘れていた小姓たちに、御膳を片付けさせるように命じた。外でハラハラと様子を見守っていたらしい彼らは、抱き合う夫婦に顔を染めながら逃げるように出ていく。
「あなた」
「お濃、ぬくいなあ。もうこのまま、今日は寝ちまうか」
「寝ません!」
「えー」
「えー、じゃない」
あらぬ所を撫でようとした手をすかさず叩く。
織田の血は、そういうことが盛んであることも知っている。帰蝶自身が身をもって痛感したし、このまま一人で受け続けるのも無理がある。いずれ側室を得るように勧めるべき、と心の中で定める。女好きである信長のことだ。許可を得たとばかりに、いそいそと側室の選定を始めるだろう。
いや、そのことも今は関係ない。
米のことは少しずつ改善されつつあるのだ。炊き方次第でどうとでもなるのなら、試してみる価値はあるはず。米の収穫量が増えた背景には、育て方に工夫があったと聞いている。
「お野菜も、ちゃんと育てれば美味しくなるのかしら」
「なるぞ」
あっさり頷く信長に、帰蝶は再びぽかんとした。
「え? そんな簡単なこと……なの?」
「いや、全く簡単じゃない。そもそも、年貢のために米ばっか作りすぎなんだよ。年貢に収めるものを米以外にすればいい。俺たちもひたすら米を食う必要がなくなり、食卓が賑やかになる」
「宴でもないのに大人数で食事をすることと、年貢の関係がよく分からないわ」
「お濃って賢いのに、ときどき鈍くて可愛いなあ」
よしよしと頭を撫でられ、顔に熱が集まる。
信長が村の子供たちに「頑張った褒美」としてよくやる仕草だ。ちょっと羨ましいとか思っていないが、抱きしめられた状態で撫でられるのはなかなか悪くない。緩んでいる顔が心配性の侍女に見られるのも困る、と帰蝶は表情を引きしめた。
「ちゃんと説明してもらえる?」
「ん~? とりあえず大豆は年貢の代わりにならないか、吉兵衛や五郎左と相談中だ。他にも日持ちする食材があれば、年貢として集められるようにすると備蓄も潤う。そもそも、おかずが少ないのはおかしいだろ。なんでも塩に頼りすぎ! 内陸部との取引には便利だけどなー」
「申し訳ないのだけど、内容の焦点を絞ってちょうだい」
「大豆美味い。正義。お濃はおかず…………いや、主食?」
首を傾げられても困る。
簡潔にまとめようとした努力は認めるが、ますます意味が分からなくなった。信長が大豆を大いに評価しているのは、大豆栽培を推奨している方策からも伺える。帰蝶の方には米を作るなと言われた、という陳情が上がってきていた。
信長の理想はなかなか理解されにくい。
誰かが間に立って、分かりやすく説明する必要がある。そういう存在に自分がなりたいと思うのは思い上がりだろうか。信長も女のくせに、と鼻で笑うのだろうか。
「とにかく野菜だな。俺も全能の神とかじゃねえし、知らんものは知らん。なんとかできないかと相談してみたら、うつけ様の考えることは分からんと突っぱねられた」
「そう、だったの……」
やはり直談判していたようだ。
信長にとっては相談でも、厨の者たちからしてみれば命令も同然だ。そこを曲げて何とか頼もうとしたら「突っぱねられた」ということか。信長らしいと思いつつも、帰蝶には不思議なことに「何とかでき」そうな気がしてきた。
「お野菜の栄養が足りないって言っていたけれど」
「あー、それな。大豆はそこそこ痩せた土地でも育つし、麦系も半分くらい放置でも何とかなるらしい。んで、野菜も全部似たような育て方しているからショボイのしか採れないの」
「全て同じでは、いけないのかしら」
「ダメ。俺もよく知らんが、作物によって育て方を変えた方がおいしくなる、ハズ」
「急にあやふやな表現をするようになったのは、わたくしの気のせい?」
「う…………だから俺は農業の専門じゃねえから、よく知らねえんだよ。ヒキニートが雑学マニアだとか誰が決めたんだー!! 何も知らなくたってニートになれるわ! むしろ、この時代に役立たない知識ばっかり残ってて、肝心なところは綺麗に忘れたわフザケンナー!!」
「み、耳元で叫ばないで。頭がおかしくなるわ」
「おう、すまんすまん。意味分からなかっただろうから、全部忘れろ。な? それがお濃のためだから。長生きしろよ、お濃。あ、子供は二桁を目指そうな? な?」
「お野菜のことなのだけれど」
「……ふぁい」
ぐいぐいと近づけてきた顔の一部を、思いっきり引っ張る。
とても妙な顔になったが、笑っている場合ではない。
「栄養が足りると、どんな得があるのか。それを明確に説明することができたら、納得して協力してくれる人も出てくると思うわ。あなたが何度も強調するくらいだから、美味しいことと関係があるのでしょう?」
「当然だ。栄養価の高い野菜は、美味い」
「…………そうなの?」
「あ、疑ってんな! 確かに苦み成分も栄養のうちだから、苦い野菜とかもある」
それは知っている。苦い野菜は苦みをとるため、色々手間がかかるそうだ。
手間をかけてまで苦いものを食べなければならないのは、貧しいからだと思っていた。信長の話を聞いていると、帰蝶がどれだけ狭い世界で生きてきたのかを思い知らされる。
「じゃあ、魚が生臭いのも美味しいから?」
「いや、違うな。生臭いのは保存方法と、水質の問題が考えられる」
また分からない話になってきた。
いちいち訊ねるのも話の腰を折るようで、帰蝶は眉を寄せて考え込む。そんな様子に信長が目を細めて頭を撫でてくるのだが、お返しに頬を抓ってやった。
「愛が痛い!?」
「続きを」
「……つーか、お濃さん? なんで、こんな話を聞きたがるんだよ。メシマズでも顔に出さないよう頑張るし、さすがに毎回城を飛び出したりしないぞ。これでも当主としての自覚はあるからな。まあ、狩り自体は武士の嗜みらしいから止めないが」
「続きを」
「へいへい。野菜の話か? 魚の方か?」
帰蝶は少し考えて、魚の方をお願いした。
野菜に関しては信長自身も分からないことが多いようだ。それなら作物を育てる側、すなわち農民に話を聞くべきだろう。農民を愚かだと馬鹿にする者も多いが、きちんとした方法を教えれば立派な稲を育てる。みすぼらしい着物の民らが、素晴らしいものを生み出す様子を帰蝶は実際に見ている。
信長の妻とならなければ、一生知ることもなかった。
「期待しているところ悪いが、魚も大して詳しくないんだよなあ。川魚は淡白で、海の魚は旬のものは脂がのっていて美味い。野菜もそうだが、鮮度が重要らしい。といっても、しなびた野菜を食べても腹を壊すことはあんまりない。が、魚はヤバい。調理方法を間違えると死ぬこともある」
「魚って恐ろしい食べ物なのね」
「一括りにするなって。魚を干したり、塩漬けにするのは長く保存するため……のハズ。味噌やチーズもそうだが、発酵食品ってのがあってだなあ。時間が経つうちに内部の酵素やナントカが働いて、旨みや臭みを引き出すんだ。だから臭いからって不味いとは限らない。旨み成分はー、なんだっけな。とにかく日本食はスゴイ!」
「よ、よく分からない。ごめんなさい」
「あー、お濃は知らなくて当然だから気にするな。俺もよく分かってないって言ってるだろ。カッコよく農業改革でも起こしちまえば、キャー信長様素敵! 抱いて!! って美女たちが殺到して、き、そう……な」
「…………」
「き、急な変化はダメ絶対。やらねえって決めてるしな、うん! 魚や野菜の供給が増えていけば、一日三食いけるのになーって思っただけだから」
帰蝶はなるほど、と頷いた。
一日に三回も食事をしなければ、腹が満たされないということか。信長の話は案の定、分からない部分が多すぎて理解が追いついていない。だが、信長は美味しい食事をどこかで味わったことがあるのだろう。そして食べる楽しみを知っているから、一日に三度も食べたいと願っているのだ。
美味しいものを知っているなら、不味いものを食べて機嫌が悪くなるのも仕方ない。
仕方ないのだが、今すぐ変えていくのは難しい。帰蝶でも分からない話を、食事に関わる人々全てに説明して理解を求めるのは気の遠くなるような話だった。
(ああ、そうだったのね)
だから信長は諦めてしまった。
我慢すること、耐えることに慣れた人はせめて一人でいる時くらいは顔に出てしまうのだろう。それでも織田家の当主が不満げにしていることが、周囲に知られないわけもなく――。
「あと、朝練の後って腹減るじゃん? 何か食べようと思って厨行ったら、見事に不審者扱いされて慌てたわー。火の消えた竃の前でたくあん齧るもんじゃねえな、あはは」
「あなたは、一体、何をしているの!」
「いひゃい、いひゃい、いひゃいっ」
涙目で訴えても無視だ、無視。
帰蝶はもう腹が立ちすぎて、理解を越えた話を聞かされすぎて、自分が何をやっているのか分からなくなっていた。細くて白い指で、これでもかと信長の頬を抓りあげる。
「アサレンって何? わたくしにどれだけ隠し事をしているのっ」
「いやいやいや隠してない、言ってないだ、け……いててっ。マジで痛い! もげる、落ちる。美味いもの食べてないのに、ほっぺが落ちる。ハッ、これもご褒美か。愛妻に折檻されるとか美味しいです、ご馳走様…………んなワケあるかー!」
「やかましい!!」
「あひんっ」
手が塞がっているので足が動くなんて、はしたないことをしてしまった。
信長は畳に転がって、ぴくぴくと震えている。これではもう、話を聞けそうにない。仕方がないので、蜂須賀や木下たちを呼び出した。織田家の内情をうまくまとめるのが、正室の役目である。
朝から予定が狂ってしまったのは、もうどうでもよくなった。
手始めに農民の話を集めよう。
帰蝶が頼れる存在だと分かってくれたなら、信長も隠していることを少しずつ話してくれるかもしれない。この夫は理解が追いつかないからと、何でも一人でやりすぎなのだ。そして側近たちが死に物狂いでついていくから、他に誰もついていけないのだ。
正室なのに、帰蝶だけが蚊帳の外なんて我慢できない。
「お腹いっぱい食べさせて、おいしいと言わせてみせるわ」
なんだか目的が変わってしまっているが、帰蝶は燃えていた。
あれから月日は流れて――。
「ふおお、夢の愛妻弁当……っ」
「あのっ、恥ずかしいですから! そんな風に持ち上げないでくださいませ」
竹で作られた弁当箱を掲げ持ち、ぷるぷると震える信長がいた。
顔を真っ赤にした吉乃は帰蝶の後ろへ逃げ込み、お鍋の方は居心地悪そうにもじもじしている。
「しかも嫁たちの合作とか!! まさしく奇跡!」
帰蝶の勧めもあって、信長は二人の側室を迎えた。
それぞれが織田家のために何かしら役目を見出したのは、帰蝶の指導があったからだ。長い時間をかけて、女だからできることを見つけられたのは大きい。彼女たちは夫に愛され、子を産むだけの道具ではない。
織田家になくてはならない奥様戦隊であった。
「落としたら承知しないから」
「そんなもったいないことするか!」
ムキになって言い返す信長に、帰蝶と吉乃はこっそり笑い合う。
手探り状態から始まった食事改善策も、ようやく糸口を見つけることができたのだ。一日に三回の食事については、戦時中は普通にやっていたことなので浸透するのは早かった。必然的に米の消費が加速度的に上がったために、一食分の制限も広まっていく。
同時期に、米以外の食材について大幅な見直しが行われた。
様々な知識を蓄えた仏僧が各地に派遣され、正しい調理法の伝授も進められる。この裏に信長と仏法僧たちの生臭い話があったとかなかったとか。
全てはお腹いっぱい食べる、おいしいご飯のために。
帰蝶が愛する夫のために始めた計画は、夫の大切にしている民をも救った。彼女自身がそのことを知るのは、まだまだ先の話である。
アルパカ様より「織田家の食事情」のリクエストにお応えした作品となります!
かなりお待たせしまい、申し訳ありませんでした!! 改めましてリクエストありがとうございます!
途中まで書いたものを一度破棄してから書き直したものなので、ご期待に添えておりますでしょうか非常に不安であります。
これから書こうと思っているもの、本編に出てこなかった要素などを少しずつ詰めてみました。小話にしては少し長かったですかね。ラスト部分は完全に蛇足です。ピクニック専用愛妻弁当(笑)は、本編でそのうち出せるといいなー。
(言い訳のターン)
この頃のノブナガ、お濃一筋でありましたから。
何かあったら全部お濃様にお任せ!みたいな風潮が生まれつつあって、蝮の娘というよりも「織田の救世主」扱いに変わった頃でもあります。だから馴染むのも早かった、的な。
ラブラブ夫婦なのが周知されていたため、側室もあまり歓迎されません。
そこはかつての自分を顧みて、お濃様が頑張った結果であります。ノブナガは何もしてません。嫁を愛でてただけです。だんだんご飯が美味しくなってきたのも、領地が潤ってきたんだなー、舎弟ども頑張ってんなー程度にしか認識していません(これも内助の功だと思う)
わたし頑張りました!と報告しちゃうのが吉乃。
褒めてくれても別に構わないけど、構ってくれなくても気にしないし、とややこしい甘え方をするのがお鍋の方。
で、お濃様はそういった主張しない(苦手というよりも甘えたら負けだと思っている)から、ノブナガの方から構い倒すor側室たちが後ろから突き飛ばす。
……ばくはつすればいいのに。




