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左近と呼ばない理由(ワケ)

拍手お礼画面から再掲

 織田上総介信長の側近には、犬松万という舎弟がいる。

 犬千代、松千代、万千代の三人だ。名目上は、元服後に織田家へ仕官するようになったとしている。それぞれ前田利家、佐々成政、丹羽長秀と称す。

 同じく元服後から、傍近くに仕える者も三人いる。

 滝川左近、池田勝三郎、そして佐久間半介であるが、この中で通称を呼んでもらえているのは佐久間だけだ。生涯の主君として仰ぐ相手に、諱で呼ばれることに不満などない。

 あるわけないのだが、扱いの差を感じてしまう。

「は? イミナ?」

 なんだそれと訝しげな顔をする信長に、恒興は二の句が継げなかった。

「殿が普段、呼んでおられる下の名のことですが……」

「通称とは違うんだよな。イミナ……アザナとは違うのか。そういう呼び方していたんだなあ、知らなかった。いや、知らないままだと危なかったかもしれない。ありがとな、恒興」

「は、はあ」

 ブツブツと呟いていた部分はともかく、礼を言われてしまった。

 あっさり気分が向上して、我ながら現金なものだと思う。恒興の母が信長の乳母を務めていたというのがあって、臣下の中では最も近くにいるべき存在だという自負がある。

 だから遠ざけられていた子供時代の、なんと辛かったことか。

 必死についていこうとしても冷たくあしらわれ、何を言っても聞く耳を持ってもらえず、嫡男として研鑽を積むどころか外で遊びまわる日々。また置いていかれたのかと大人たちに笑われ、どれほど悔しかったか。

 しかし、当時の三人組を通称で呼ぶのは分かる。

 それだけの深い絆があることは、恒興も理解していた。しかしながら、同じように後から側近に加わった佐久間信盛まで通称で呼ばれているのは何故なのか。

「殿」

「なんだ?」

 まだいたのか、という余計な一言は聞き流す。

「たってのお願いがございます」

「お、おう」

「私のことを…………勝三郎と呼んでいただけませぬでしょうか!」

「却下」

「な、何故でございますかっ」

「一益が可哀想だろ」

「はあ!? どうしてそこで、左近が出てくるのですかっ」

「俺が左近と呼びたくないからだ。……俺にとっての左近は一人だからなあ」

 今度は、余計な一言こそ聞き流せなかった。

 乳兄弟である自分は、忍風情のために通称で呼んでもらえないというのか。たかが名前と思われるかもしれないが、特別な存在には特別な扱いをしてほしいのである。恒興の片思いではないという証拠がほしいのである。

 もちろん、いやらしい意図は何もない。

 つまるところ、恒興は三人組に嫉妬していた。特にいつまでも幼名で呼ばれて可愛がられる利家に嫉妬していた。

 だが、悟ってしまったのだ。

 天啓は突然だった。村へ同行するのが嫌で嫌で仕方なかったのが、崇高な使命感を帯びるようになったのだ。教えを請うてくる民に応対していると、信長は嬉しそうにしている。

 報告をすると、信長は満足げに頷く。

 己の行動を認められる喜びと達成感を知ってしまえば、あとは一直線だった。

(それでも不満が生まれてしまうのは、私が浅ましい人間ということなのだろうな)

 母にはよく叱られる。

 己の尺で人を測る愚かさを知れと諭される。何も間違ったことは言っていないし、正しきを広めるのは地位ある者の務めだと思っていた。それが傲慢なのだと母は言う。

 そんなだから、信長に疎ましがられるのだと――。

「教えてください。殿にとっての『左近』とは誰なのですか?!」

「え、俺のじゃないぞ。つーか、もう生まれて……きているよな。最初はどこに仕えていたんだったか。えー、尾張から近い国のどこかだったような気が」

「その左近という男、この勝三郎が探してまいります!!」

「いや、いい。余計なことするな」

 普段の信長らしからぬ発言に、恒興は愕然とする。

「な、何故ですかっ」

「うっかり歴史が変わっちゃうかもしれないだろ。俺の楽隠居計画を邪魔するのは、たとえ乳兄弟でも許さんぞ」

「それほどの逸材であるなら、尚更!」

「一益、こいつを連れてけ」

「御意」

「は、放せ! 私はまだ、殿にっ…………はーなーせー!!」

「気持ちは嬉しい。でも、少し黙る」

 珍しく文節付きの台詞を聞いた直後、恒興の意識は闇へ呑まれた。



 余談ではあるが、近江国にて件の「左近」と思しき人間を発見してしまう。

 猛烈なスカウト攻撃にも冷静に対処し、きちんと断った「左近」の忠義心に、恒興は己の浅慮を恥じるとともに深く感銘を受けるのだが、……これはまた別の話である。

字は知っているけど、諱を知らない主人公。

全員を愛称呼びしまくろうと考えていた時期もありました……。


主人公視点では全て地の文で書かれている内容も、ときどき声に出ていることがあります。

焦点の合わない目でブツブツ呟いていて、非常に不気味です。側近たちはもう慣れているので気にしない。濃姫も慣れたけど、内容が気になるので話してくれたらいいのにと寂しく思っている(でも言わない)。

かなり先になりますが、一益が裏から表へ変わるときに呼び方も変わる予定です。でも、きっと恒興は恒興のままです(笑)

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