ある男の回想
断章のノブナガ視点です
目が覚めたら、知らない屋敷だった。
知らない女に世話をされ、茶の風味がする飯を食う。なんだ、俺はどうなったんだ。一時的な記憶喪失で、お濃以外の嫁を娶ってしまったのだろうか。
だが幸いにして、彼女には「十郎様」がいるようだ。
主なのか夫なのか分からないので、詳しく聞こうとしたら睨まれた。完全に不審人物と思われている。図々しくて気に入らないそうだ。
俺を嫌っているのに世話はちゃんとする。
まるでお濃の侍女みたいだ。早くお濃に会いたい。
暇を持て余したので外へ出ようとしてみたら、怒られた。十郎様とやらがいないのだから、大人しくしていろということだ。仕方ないので何か本を貸してくれと言ったら、経本を渡された。
仏の御心に触れれば、少しはマシになるとか普通にひどい。
十郎様は今日、明日には戻ってくるらしい。
詳しい話は彼に聞くとして、俺は経本を開いた。崩し文字にもようやく見慣れてきた俺にとって、きっちり一文字ずつ刻まれた経本は非常に読みやすい。
子供時代に叩かれながら、読経していた日々を思い出す。
確かにこれ以上ない暇潰しだ。読み上げながら思考していれば、聞かれたくない内容がポロリする心配もなくなる。一通り読み終われば最初に戻ればいい。
三分の一を終えた頃に、見覚えのある青年がやってきた。
信包くらいの年頃だろうか。
うっすらと会話した記憶が残っている。驚いたり、むすっとしたり、感情豊かな男だ。精神的に未成熟なところが、異母弟たちを思い出させる。
あいつらこそ、城で大人しくしているといいんだが。
何日経ったか知りたいのをぐっと堪える。
相手から情報を引き出すために、自分のカードを安売りするわけにはいかない。どうやら俺が「織田信長」だと分かって、態度を変えてきた。
繰り返される「長島」という地名に、俺は笑みが浮かんでくる。
信長のやらかした虐殺の一つに「長島一向一揆」があったはずだ。一向宗とは、浄土真宗本願寺派の通称である。これとは別に「一向」という人が開祖の「一向宗」もあるらしいのだが、今回は関係ない。
楠十郎と名乗った男は、それなりに身分がある。
こいつらと親しくしておけば、将来的な布石になるだろう。どうせ戦をしたがるのは生活に不自由していない人間が多いのだ。生きるのに困っている奴らは、飯の種をやれば大人しくなる。
よし、特産品の取引から始めよう。
三つの川は上流の水量調節と土手の強化を行えば、肥沃な農地に変わる。
現代の浄土真宗と違って、この時代の一向宗は排他的思考があるようだ。キリスト教対策の予行演習だと思おう。抵抗があると分かっているのに、弾圧はしたくない。沢彦のように武闘派が多いと困るので、寺に派遣されている仏僧たちの手入れは必要か。
飯の種を与え、宗教の自由を認め、織田家に反抗しない教育を施す。
うん、長期的な計画になりそうだ。
とりあえず詫びの品が必要なので、土産を所望する。十郎は嫌な顔をしたが、茶と布くらい大した額でもないはずだ。ケチくさい奴め。だから、隣の女に敬意以上の好意を持ってもらえない。
かくいう俺も三年かかった。
だから二人にアドバイスはしない。こういうのは当人たちの問題だからだ。
外で家臣が待っているというし、さっさと尾張へ戻ろう。
早く、お濃と奇妙丸に会いたい。
作中の注釈:
正しくは「長島一向一揆」で多くの農民が戦死したり、本願寺派の坊主がたくさん殺されたり、石山本願寺を攻めて僧兵まとめて殺したり、比叡山延暦寺の焼き討ちなどが含まれているのですが、主人公は歴史の授業程度(と時代劇)の知識しかないのでゴッチャになっています。
嫌でも体験することになるので、これまで通り主人公の認識は少しずつ修正されていきます。
が、歴史はちょっと変わるかもしれません。




