うつけ殿、バレンタインのお返しをもらう
今日は書かないつもりでしたが、美味しい栄養をいただいたので
甘味。
それは、えもいわれぬ風味でもって人を魅了する魔性の食べ物。
死を恐れない脳筋武士であろうと、狐目のサイボーグであろうと、クーデレ嫁や甘え上手な妹であろうとも腰砕けにする恐ろしい効果を秘めている。しかも常習性があり、欲求不満に陥った者は多少の無理難題も受けてしまう。
もちろん要求を呑んでもらった見返りはきちんと渡す。
あわよくば踏み倒そうとしたならば、食べ物の恨みは愚か者を恐怖のどん底へ落とすことになるだろう。これは冗談でも何でもなく、真剣と書いてマジと読む話だ。
「さて今日の議題はこれ! 又十郎くん、当ててみなさい」
俺は部屋の中央にどん、と置かれた甕を示した。
すると眠たげな目が見開かれて、紅顔の少年は甘い笑みを浮かべる。
「金柑の甘露煮。おいしそう」
「間違っても、涎垂らさないでくださいね。風味が変わってしまいますから」
「源五郎、それで合っているけど合っていない。唾を混ぜても許されるのは蜜蜂だけだ。そして甘露煮には、蜜蜂さんたちが丹精込めて作った蜂蜜が入っている。敬礼!!」
びしっと三人揃ってポーズを決める。
養蜂の一族については、詳しく知らない。商人たちの伝手をたどって、ようやく手に入れた貴重なものだ。うっかり馬鹿どもに知られようものなら、あっという間に舐め尽される。特に女性陣は、俺が女の子のおねだりに弱いと知っているのでタチが悪い。
お市は乳歯が虫歯になったので、さすがに懲りただろう。
また生えてくる歯でよかった、よかった。
舌が肥えていて研究肌の源五郎と、食べることと寝ることには並々ならぬ欲求を秘めている又十郎は甘味専門の精鋭である。まさか少年の手で柚子ピールや蜂蜜漬けが作られているとは誰も知るまい。
人々が寝静まった宵の入りに、俺たちの秘密会議が始まる。
那古野村の研究小屋は明かりがついていると、村人がふらふらと引き寄せられてくるので場所を移した。今は古寺が主な活動拠点だ。大事な甕たちは、観音像の足元に隠されている。
蓋となる板には、蜘蛛糸を使ったトラップが仕掛けられているのだ。
源五郎の捕まえた蜘蛛が大きな巣を張り、これに侵入者が引っかかることで周囲にぶら下げたガラクタが騒々しく鳴り響くという寸法だ。音に驚いて逃げ出せばよし。甕が残っていても、蜘蛛の巣が破れていたら侵入者がいた証拠になる。
蜘蛛の巣がない本来の入口は、滝川一族直伝のカラクリ仕様である。
知識がない者は絶対開けられないし、偶然ないし強引に入った場合でも御札が破れていれば侵入者ありと分かる。砂糖を入れて煮詰める餡と違い、蜂蜜は強い香りがしない。
そして柑橘系はどうしても香りが立つので、地下室への収納は必須条件だった。
「兄上、食べてもいい?」
「ダメです」
「えー」
「俺の勘が確かならば、甘露煮が減っているんだよ。その犯人が分かれば食べて」
「義姉上」
ぼそっと又十郎が言ったので、慌てて後ろを振り返る。
「誰もいないじゃないか。シ○ラ後ろは、深夜番組じゃないんだぞ」
「だから犯人は義姉上」
「又十郎?」
いくらなんでも言っていいことと悪いことがある。
顔を引きつらせながら名を呼べば、又十郎は寝ぼけ眼に戻って首を傾げた。何故怒られそうになっているのか分からない顔だ。なんとなく源五郎の方を見れば、これまた何とも言い難い微妙な顔で俺を見ている。
「まさか、本当にお濃……なのか?」
「ん。ぼくが開けた」
「あの、怒らないでください。私も同行したので、金柑の甘露煮を少量持ち出しただけです。今宵集まるのは分かっていたので、その時に話そうと思っていました。報告が遅れてすみません」
「そうだったのか」
確かに俺は怒れない。
甘味にまつわる話は秘匿すべし、を徹底したのが原因だ。
うっかり話題に出すことで勘のいい奴らが反応するのを防ぎたかった。一度ならず二度、三度までも食べ尽くされると警戒レベルも上げざるをえない。努めて話題に出さなければ、彼女たちも何となく察してくれる。
今回はその裏をかかれた。
ショックじゃないといえば、嘘になる。まさかの裏切りに目の前が真っ暗になった。問い詰めても答えてくれるだろうか。帰蝶がこれまで、俺に隠し事をしなかったという保証はない。俺だって帰蝶に言っていないことは多くある。
お互い様だといえば、それまでだ。俺が憤りを感じる理由にならない。
いや、それでも――。
「兄上!」
ハッとする。
「義姉上に悪気があったわけではないのです。これにはちゃんとした理由があって」
「明日になれば分かる」
又十郎がやけに押してくる。
彼らは、俺が認めた甘味の精鋭だ。たとえ俺であっても、必要時以外の開封はしないという約定をきっちり守ってきた。帰蝶のことは唯一の例外だ。
俺は深呼吸をして、凶暴な獣を奥に沈めた。
「明日、だな」
「はい!」
「きっとおいしい」
又十郎がまた甘い顔をしている。
お市が傾国の美女(の卵)なら、又十郎はマダムキラーになれるだろう。源五郎や他の弟たちも顔がいいのに、同じ織田家の血を引いている俺だけが地味顔である。解せぬ。
**********
城へ戻ってきたのが遅かったというのもあり、あまり眠れなかった。
ぼんやりとした頭に冷水をぶっかけ、強引に覚醒を促す。前世では水道代節約のため、駅構内にあるトイレでやっていたものだ。駅員に見つかると怒られるので、周囲を警戒しながら冷たい水を浴びる。そしてタオルでがしがしと拭けば、かなりスッキリした。
今は木綿の手ぬぐいだ。
そんなに目が粗くないので刺激は弱い分、やや強めにこする。
「ふはー!」
「あなた」
「……お濃」
ちょっと今は会いたくなかった、と言ったら悲しませるだろうか。
どこか緊張した面持ちなのが俺にも移って、チキンハートの疾走がクラウチングスタートで始まった。競争相手がいない孤独なレースだ。
「どうしたんだ、こんな朝早くから」
「ええ」
「…………」
「…………お濃?」
「久しぶりに、朝を一緒にしたくて。ダメ、かしら」
「いや、俺も食べていない」
「よかった。用意だけはしてあるの。着替えたら、部屋にいらして」
「ああ」
今、ここで白状する気にはなれないようだ。
たかが甘露煮、されど甘露煮である。食べ物の恨み云々が言いたいのではなく、彼女が俺に隠し事をしていることが気に入らないらしい。実に身勝手な男の理屈だ。己に呆れていても、やっぱり気にくわないものは気にくわない。
「それに、よりによって金柑の甘露煮とはなあ」
数ある甕の中で、どうしてそれを選んだのか。
二人の弟はラインナップを全て記憶しているので、どちらかに尋ねたのは間違いない。源五郎が怒るなと言ったから、かろうじて耐えている。だが、いつまでもつだろう。
そんな感じで深刻に悩んでいた時期もありました!
「あなた、もう一つ食べる?」
「食べる」
すっかり上機嫌の俺は、可愛い嫁の手で食べさせてもらっている。
白魚のような手に挟まれて、むっちりとした白い大福が口の中へ届けられた。大きく開けているので一口でいける。あるいは彼女の小さな手では、その大きさが精一杯だったのかもしれない。愛しさに目がくらむ。甘い人生最高、俺が今まさに満喫している。
「うん、あまい」
旨いは甘いとはよく言ったものだ。
とろとろの甘露煮が、しっとりした餡の塩加減と絶妙にマッチしている。更に大福餅の弾力がたまらない。もちもち食感が大ブームを起こしているのを馬鹿騒ぎと笑っていた前世の俺、もちもち食感を生み出した職人に謝れ。
種を抜いた金柑は、舌で容易につぶせる柔らかさだ。
形をほとんど壊さずに種を抜く方法を編み出すのに、さんざん苦心した甲斐があった。もちろん創意工夫を重ねたのは又十郎で、味を調えたのは源五郎の舌だ。
「ほんのり残った焼酎の風味が何とも言えん」
「え……」
「ん?」
「わたくし、焼酎なんか入れていないわ」
「金柑の甘露煮を作るのに、ちょっとな。煮詰めるときにほとんどアルコール分がとんじまうんだが、こうして風味が残る感じがいいんだよなあ。もう一種類作ってみたくなる。いや、果実酒もいいな。お濃、梅酒とか飲みたくないか?」
「あ、あの、わたくしは」
「ん~。甘露煮入れるなら、塩大福が最高だなあ。他にも代用が利くはずだし、フルーツ大福と名付けよう」
迸れ、俺の才覚。
朝の疾走で、エネルギーは満タンだ。今宵も又十郎たちを招集して、次なる甘味の道を探求しようではないか。やはり俺の嫁は最高だ。
「なあ、お濃。……お濃? どうした、暗い顔して」
「わたくしは」
「うん」
「あなたに喜んでほしくて…………一月前に、特別なものをいただいたから、そのお返しをしたかっただけなのに、あなたはどうして」
かこん、と顎が落ちた。
「ああ、ホワイトデーか!?」
「わたくしに分からない言葉で話さないでちょうだい!」
「いやいや、大丈夫。お濃、安心しろ。逆チョコ渡したようなものだから、お返しが逆になったのも道理だ。そっか、そっかあ」
感無量だ。
バレンタインデーにチョコもらえなかった非リア充の俺が、お返しをもらう身分になった。秀吉もびっくりな大出世ではなかろうか。
「いやあ、お濃はやっぱり最高の嫁だな! 稀代の発明家だ」
「適当な褒め言葉で誤魔化そうとしても無駄よ。残りの大福は、お市と二人で食べるわ」
「俺は!?」
「もう十分に食べたでしょう? 他にも作る予定がおありみたいですし、好きになさったらいかが」
ぷいっと横を向いて拗ねるのが可愛い。
「まあまあ、作った分はちゃんとお濃にも食べさせてやるから」
「……本当?」
「うんうん」
「それなら、梅がいいわ。蜂蜜漬けが美味しかったから」
「おう、任せろ! 俺の原動力はお濃だからなっ。感謝しているぞ」
ちょっと大げさに喜んでみせて、愛しい身体を抱きしめる。
隠し事されたハライセは、これでチャラにした。
俺のために甘露煮を持って行ったのなら、確かに源五郎たちも進んで協力するはずだ。又十郎の「明日になれば」も納得した。几帳面な帰蝶は、しっかり一か月後を数えて用意したかったのだろう。
餅を餡で「包んだ」お返しなので、甘露煮を「包んだ」餡餅(今回は大福)らしい。
大福作りを手伝ってくれた甘味処には、フルーツ大福のレシピを流すことにした。売り上げの一部を納めてもらう契約で、フルーツ大福は清州城の城下町名物「ふるうつ大福」となる。
発音のニュアンスが微妙に違うが、こまけーことはいいんだよ。
美味いは正義である。
濃姫と金柑(頭)の関連性に気付く人間は、ここにいません




