最悪の災厄?とまさかの同室人
巨大な石造りの寮が、夕暮れの光を受けて静かにそびえていた。
壁は高く、古城のような重厚感がある。
窓の数も多い。
中にどれだけの人間が暮らしているのか、外からでは想像もつかなかった。
リデアは立ち止まり、見上げる。
「……でかいな」
孤児院とは比べものにならない。
重い扉を押して中へ入る。
その瞬間。
熱気と騒がしさが、空気ごと押し寄せた。
廊下には生徒たちがいた。
談笑する者。
走り回る者。
そして――共鳴を使う者たち。
「燃えろ」
指先から、小さな火が灯る。
赤い炎がふわりと浮かび、周囲を照らした。
「現れろ」
別の生徒が空中に指を走らせる。
すると空間に淡く光る文字が浮かび上がった。
魔法陣のように並ぶ文字列。
誰かが歓声を上げる。
「おお、成功した!」
「お前それ、まだ授業で習ってないだろ」
笑い声。
能力を見せ合うように、皆が自然に共鳴を扱っていた。
その光景に、リデアは立ち尽くす。
自分とは違う世界。
いや。
ここでは、これが普通なのだ。
「こらこらー」
奥から教師の声が飛ぶ。
「一般共鳴も寮内では禁止だぞ」
教師は苦笑しながら歩いてくる。
「使えるようになって嬉しいのは分かるけどな」
生徒たちが気まずそうに笑う。
炎は消え、文字も霧のように薄れていく。
だが、空気に残る興奮は消えない。
リデアは静かに周囲を見る。
――ここには。
本当に。
共鳴を使える奴らがいる。
胸の奥がざわついた。
恐怖とも、憧れとも違う感情。
自分だけが違う場所へ来てしまったような感覚。
リデアは視線を落とした。
そして歩き出す。
向かう先は――校長室。
事件について話すためだった。
廊下の奥。
重厚な木製の扉。
リデアは小さく息を吐いた。
そして。
コンコンコン。
「失礼します」
扉を開く。
本棚に囲まれた広い部屋。
古い書類。
並べられた標本。
奇妙な石や瓶。
そして中央。
大きな机の向こうで、校長が座っていた。
「おお、来たか」
校長は目を細める。
「沢山聞きたいことがあるが……」
指を組み、前のめりになる。
「何から話してくれるかの?」
リデアは少し迷った。
だが、隠しても意味はない。
静かに話し始める。
モンスターに襲われたこと。
父のこと。
あの日の出来事。
そして――
自分がモンスターになったこと。
校長の目が変わる。
「……変体系か!」
声が強くなる。
椅子から身を乗り出した。
「それで!?」
「どんな容姿だった!?」
食い入るように聞いてくる。
リデアは少し引いた。
だが記憶を辿る。
「あれは……」
喉が少し乾く。
「人間の形でした」
「でも……黒い竜みたいで」
「体は鱗に覆われていた」
校長は目を細めた。
「……ほう」
先ほどまでの興奮が消える。
代わりに、考える顔になる。
「情報ありがとう」
「しかし、それだけでは分からんことが多すぎるな」
校長は椅子に深く座り直した。
視線が遠くを見る。
「ただ……」
「何か特別な竜の可能性が高い」
リデアが眉をひそめる。
「心当たりがあるのか?」
校長は少し黙った。
机を指で叩く。
「……ないことはない」
「だが、考えられるのは三つじゃ」
「三つ?」
校長はゆっくり口を開いた。
「封印されたと言われる竜たち」
「この世界に災厄をもたらした存在」
空気が変わる。
部屋の静けさが重くなる。
「一体目」
校長の声が低くなる。
「暴君竜ヴァルガロウ」
「3200年頃」
「三大災厄の一つとされておる」
校長は静かに続けた。
「サスラ帝国は、一夜で消えた」
「城も、人も、歴史も」
「生き残りは、わずか8名だった」
「二体目」
「縁黒竜グロガルム」
その名前を言った瞬間。
校長の表情が僅かに曇る。
「3800年頃」
「最大死亡者数を記録した災厄」
「死体が山のように積み重なったと伝わる」
「黒い空が、数日続いたそうじゃ」
---
「三体目」
「千手竜アシュラシウス」
リデアは息を止める。
「3500年頃」
「殺人ウイルスを撒き散らした竜」
「感染した者は七日以内に死ぬ」セミ化と言われる症状
「医者も、共鳴師も、防げなかった」
「都市は封鎖され」
「家族同士で殺し合いが起きた記録もある」
沈黙
部屋が妙に静かだった。
校長が視線を向ける。
「わしが考えとるのは、この辺りじゃ」
「いずれも封印されたとされる」
「だが……」
校長はリデアを見る。
「どれにしても」
「強大な力であることは間違いない」
リデアの背筋が冷える。
自分が。
もし。
その竜だったら。
心臓が重くなる。
「……異変はあるか?」
校長が聞く。
「今のところ……ないです」
校長はゆっくり頷いた。
「そうか」
「変体には条件があるはずじゃ」
「暴走の危険もある」
「今後は気をつけながら生活することじゃな」
他人事のような口調だった。
気をつけろ。
それだけ。
自分の中に何がいるのかも分からないのに。
胸の奥に、黒い感情が生まれる。
少しだけ。
校長を恨んだ。
だが、それを顔には出さない。
リデアは立ち上がる。
「……ありがとうございました」
扉へ向かう。
静かに開ける。
そして。
校長室を出た。
リデアは部屋の前に立っていた。
104号室。
小さく刻まれた数字を見つめる。
ここが、俺の部屋か。
校長室を出てからずっと、胸の奥が落ち着かなかった。
知らない場所。
知らない生活。
知らない人間。
静かに息を吐き、扉に手をかける。
ギィ、と古い音を立てて扉が開いた。
部屋の中には、すでに誰かがいた。
ベッドに腰を掛けていた男が、こちらを見る。
その瞬間。
リデアの動きが止まる。
見覚えがあった。
あ——。
男も同じように目を見開く。
「お前……」
「げっ!!」
思わず声が重なる。
そこにいたのは。
路地裏でバウメアを囲んでいた三人のうちの一人。
痩せ型で背の高い男だった。
空気が止まる。
互いに動けない。
妙な沈黙だけが部屋に広がった。
窓の外から、寮生たちの笑い声が遠く聞こえる。
男は気まずそうに目を逸らした。
頭を掻く。
落ち着かない様子で視線を泳がせる。
「あー……その……」
言葉を探している。
何度か口を開いて閉じる。
そして。
「……悪かった」
深く頭を下げた。
リデアは少し驚く。
男は頭を下げたまま続けた。
「あん時は、ほんと悪かった」
「俺ら、調子乗ってた」
「……あいつらも悪い奴じゃないんだ」
「許してくれとは言わねぇ。でも……」
言葉が止まる。
不器用だった。
だからこそ、嘘ではないように見えた。
リデアはしばらく黙っていた。
そして静かに言う。
「その謝罪は、バウメアに言ってくれ」
男が顔を上げる。
「俺は関係ない」
冷たい言い方。
けれど、拒絶ではなかった。
男は少し安心したように笑った。
「……そっか」
リデアは荷物を置く。
部屋を見渡す。
狭いが、悪くない。
そして男に視線を向けた。
「でも、同室なんだろ」
「なら、仲良くやるしかない」
その言葉に。
男の顔がぱっと明るくなる。
「マジか!」
「お前、めちゃくちゃいいやつじゃん!」
能天気な笑顔だった。
空気が少し軽くなる。
男は立ち上がった。
「俺、ラステル=2=アーク」
「よろしくな、リデア」
リデアは少し眉を動かした。
「……なんで俺の名前知ってる?」
「あ?」
アークは不思議そうに首を傾げる。
「いや、有名だぞ」
「系統診断から噂になってる」
「診断でミュート判定されたやつだって」
リデアは黙る。
やはり広まっている。
少し胸が重くなる。
だが。
アークの目には、警戒も、軽蔑もなかった。
ただ普通に話している。
それが逆に不思議だった。
リデアは思わず聞く。
「……お前、気にしないのか」
「何を?」
「ミュートとか」
アークは
「あー」
と声を漏らした。
ベッドに座り直す。
「俺の地元、南のペール地方なんだ」
「変なやつばっかいた」
「半モンスターみたいな深淵共鳴者」
「薬で無理やり共鳴を使う偽共鳴師」
「共鳴を使いすぎて壊れた枯渇者」
「診断受けてないミュートのやつも普通にいた」
アークは肩をすくめる。
「だから、ミュートくらいで驚かねぇよ」
「別に変じゃない」
リデアは黙って聞いていた。
そんな場所があるのか。
世界は思っていたより広い。
アークは少し笑う。
「むしろ」
「お前、ただのミュートじゃない気がする」
その言葉に。
リデアの胸が小さく跳ねた。
予想もしなかった言葉だった。
一瞬、呼吸が止まる。
焦りを隠すように、視線を逸らす。
「……お前、いいやつそうだな」
そう言うと。
アークは照れたように鼻を掻いた。
「ありがとな」
「今度ちゃんとバウメアちゃん?だっけ?にも謝る」
「それと——」
アークは笑った。
「今日からよろしくな、リデア」
「明日から授業、頑張ろうぜ」
窓の外。
夜風が静かに吹いていた。
リデアはベッドに腰を下ろす。
知らない天井。
知らない部屋。
知らない人間。
けれど。
孤児院を出てから初めて。
少しだけ。
ここにいてもいいと思えた。




