第48話:酸素欠乏とダクトの行軍(デス・マーチ) ~王族ですが、這いつくばっていいですか?~
大体見つける機械は壊れているのがデフォ。
ピピピ! ピピピ!
バリケード内に、空気質チェッカーの警告音が神経質に鳴り響く。
携帯コンロの火は消したが、一度発生した一酸化炭素(CO)は重く澱み、逃げ場のないこの狭い空間に充満し始めていた。
「総員、撤収! 荷物をまとめろ!」
航がザックを背負いながら怒号を飛ばす。
「重い装備は捨てろ! 俺の腰袋は工具で満杯だ! お前らの荷物まで持っていく余裕はない。水と酸素缶だけ持て! ここから移動するぞ!」
「い、移動だと!? 外にはウルフの群れがいるんだぞ!」
レオが血相を変えて抗議する。確かに、バリケードの外からは、飢えた獣たちの爪音が聞こえている。出れば餌食だ。
「外には出ない。潜るんだよ」
航はバールを手に取ると、バリケードの奥、岩壁の陰に隠れていた小さな鉄製のパネルを指差した。
「あれは配管点検用のメンテナンスハッチだ。第15階層のサブ制御室まで通じている」
航はバールを隙間にねじ込み、渾身の力でこじ開けた。
ギギギッ……バキンッ!
錆びついたボルトが弾け飛び、正方形の暗い穴が口を開けた。中から吹き付けてきたのは、カビと鉄錆の臭いを含んだ、しかし微かに流れている空気だった。
「ここにいれば、ガス中毒で安らかに眠れるぞ。どっちがいい?」
航は冷徹に問いかけながら、レオたちに酸素缶を放り投げた。
「選べ。窒息死か、泥遊びか」
◇
「くっ……行くしかないのか」
レオは覚悟を決めたようにハッチへ向かうが、そこで航の手が彼の肩を掴んだ。
「待て。その格好じゃ無理だ」
「な、なんだと?」
「ダクトの直径は60センチだ。そのヒラヒラしたマントと、無駄にデカい飾りのついた肩パッド。全部外せ」
航はレオの純白の軍服を指差した。帝国の象徴である金モールや、威厳を示すための装飾。それらは狭いダクト内では命取りになる。
「馬鹿な! これは帝国の正装だぞ! これを脱ぐなど、騎士の誇りが……」
「引っかかって詰まったら、お前一人の命じゃない。後ろがつかえて全員死ぬんだよ。そこの二人もだ」
航は、レオの後ろに控えていた帝国の男子生徒2名にも視線を向けた。彼らも同様に、重厚な防具や装飾品を身に着けている。
「い、嫌です! これを脱いだら防御力が……」
「脱げ! 今すぐだ!」
航の目は笑っていなかった。現場監督が、安全帯を付けない作業員を見る目。あるいは、産業廃棄物を見る目だ。
「プライドで呼吸ができるならそうしろ。俺はごめんだ」
「う……ぐぅッ!」
レオは屈辱に顔を歪めながら、自らの手でマントを引きちぎった。バリッ、という音が響く。肩パッドを外し、勲章を捨て、上着さえも脱ぎ捨てる。他の二人も泣く泣くそれに従った。残ったのは、泥と汗にまみれた薄手のシャツ一枚だけ。
そこにはもう、威厳ある次期将軍の姿はなかった。ただの、怯えた一人の少年がいるだけだった。
「これで、いいんだろう!」
「ああ、合格だ。行くぞ」
航は頷き、暗い穴の中へと頭から潜り込んだ。
◇
ズリッ……ズリッ……。
永遠に続くかのような闇の中を、芋虫のように這い進む。
ダクト内は想像以上に劣悪だった。四方を鉄板に囲まれた圧迫感。積もった埃が舞い上がり、喉を刺激する。膝と肘がリベット(接合鋲)に擦れて痛む。
隊列は、先頭が航、次に葵。その後ろにレオ、シルヴィア、帝国の男子生徒の二人。そして凛が続き、最後尾をカイが守る布陣だ。
「はぁ……はぁ……」
レオの荒い息遣いが、鉄板に反響して不気味に響く。閉所恐怖症でなくとも発狂しそうな狭さだ。
「ぐっ!!」
突如、レオの動きが止まった。シャツの袖が金具に引っかかり、パニックを起こして体が硬直してしまったのだ。
「レ、レオ様? 進んでください!」
後ろのシルヴィアが声をかけるが、レオは「うぅ……動けない、狭い」と譫言のように繰り返すばかりだ。彼が止まったせいで、後続の全員が完全にストップしてしまった。
「おい、後ろが止まってるぞ!」
前を行く航が怒鳴る。
「言っただろ! お前が止まれば全員死ぬんだ! ここは土の中だぞ! 王族だろうが何だろうが、ダクトの中じゃただの邪魔な肉塊だ!」
「ひっ!」
「葵先輩、蹴り飛ばしてでも動かしてください!」
「了解っ! ……レオくん、ちょっと耳塞いでてね♡」
葵は這いつくばったまま、自分のすぐ後ろ――レオの顔の目の前にあるダクトの底板(鉄板)に向かって、容赦なく踵を振り下ろした。
ガアァァァァンッ!!
狭いダクト内に、耳を塞ぎたくなるような強烈な金属の破裂音が反響する。
目の前数センチで鳴り響いた爆音と振動に、レオは心臓が止まるかと思った。
「ひぃぃっ!? す、進む! 進むから!!」
レオは涙目で、擦りむけた肘を動かした。プライドなど、とっくにダクトの入り口に置いてきた。
◇
その時だった。
カサカサカサッ……!
ダクトの奥から、無数の硬質な足音が響いてきた。魔物の足音ではない。もっと小さく、そして大量の何かが這い回る音。
航がライトを向ける。
その光の中に浮かび上がったのは、前方から天井や壁を這い進んでくる、黒光りする甲殻の群れだった。
「チッ……ケーブ・センチピードの群れか。体長30センチはあるな」
航がインカム越しにボヤいた言葉に、後続の列が凍りついた。
「「ひぃっ……!?」」
シルヴィアと凛が、思わず悲鳴を上げそうになる。
前にいる人間の体のせいで姿は見えない。だが、鉄板を伝ってくる「カサカサ」という無数の足音と、航のリアルな報告が、彼女たちの想像力を最悪の形で刺激したのだ。
この逃げ場のない鉄の管の中で、そんな不快害虫とすれ違うなど、地獄以外の何物でもない。
「叫ぶな、酸素の無駄だ。それに、こいつらは魔物じゃないから魔法も効きづらい」
航の声だけが冷静だった。彼は腰のホルダーから、一本のスプレー缶を取り出した。
「火は使えない。爆発するからな。……だから、不燃性ガスのこれを使う」
彼が噴射したのは、炎ではなかった。
ブシュゥゥゥゥゥッ!!
白煙と共に放たれたのは、マイナス40度の冷気。工業用の急速冷却スプレーだ。
パリパリパリッ……!
先頭のムカデたちが一瞬で凍りつき、動きを止める。そのまま航がバールで叩くと、ガラス細工のように粉々に砕け散った。
「うげぇ……気持ち悪っ」
葵が顔をしかめる。
「殺虫剤も完備してますよ。さあ、凍ってるうちに進むぞ。死骸の上を這うことになるが、我慢しろ」
レオは絶句していた。ムカデの死骸の上を這う? この私が?
「おぇぇ」
帝国の男子生徒たちも嗚咽を漏らしながら、必死に前へ進んだ。
◇
永遠にも思える匍匐前進の果てに、ダクトが少し広がり、小部屋のような空間に出た。その頭上には、光の漏れる格子が見える。
「出口だ!」
航はチャンバー内で体を反転させ、背中を床につけて両足を格子に向けた。
「どけぇっ!!」
背筋のバネを使い、両足で思い切り格子を蹴り上げる。
ガシャァァァン!!
金属音が響き、錆びた格子が弾け飛んだ。航は縁に手をかけ、懸垂の要領で広い空間へと這い出した。続いて葵、レオたちを引き張り上げる。
「はぁッ……! はぁ……!」
レオが大の字になって床に倒れ込む。そこは、天井の高い広場――第15階層のサブ制御室前だった。
「助かった……空気がうまい……」
先ほどまでの澱んだ空気とは違う、凛とした冷気を含んだ酸素が肺を満たしていく。
「なんでだ? もっと深層に来たはずなのに、なぜ空気がこんなに綺麗なんだろう?」カイが不思議そうに問う。
「ここは管理区画だからだよ」
航は乱れた呼吸を整えながら答えた。
「自然洞窟とは別に、古代の管理システム用の独立した空調が生きてるんです。それに、ここには酸素を食いつぶす魔物がいなかった。これまでは、ね」
航の言葉に、全員の動きが止まる。
「まだ、喜ぶのは早いですよ」
航だけが、立ち上がったまま油断なく広場の奥を睨んでいた。
その視線の先。サブ制御室の入り口を守るように鎮座していた巨大な影が、ゆっくりと動き出したのだ。
ギギギ……ガガガッ……!
不快な駆動音と共に、高さ3メートルはある金属の巨人が立ち上がる。第15階層の守護者ミスリル・ガーディアン。
ブォン……ブォン……!
全身の魔導回路が赤く明滅し、まるで痙攣するように震えている。首があり得ない角度に曲がり、関節からは火花が散っていた。
「……IFF(敵味方識別)コードのエラーだ」
航がヘルメットのライトを巨人に向けた。
「システムダウンで制御を失ってる。今のこいつは試練を与える守護者じゃない。動くもの全てを排除する、工場出荷状態の『殺戮マシーン』だ」
ゴオォォォッ!!
ゴーレムが咆哮のような排気音を上げ、巨大な拳を振り上げた。狙いは、床に座り込んで動けないレオ。
「総員、物理対ショック姿勢!!」
航の絶叫と共に、暴走した鋼鉄の拳が振り下ろされた。
本日も一日ご安全に!




