第47話:地上のパニックと沈黙の学園 ~その頃、地獄の釜の蓋が開いていました~
火を使う時はしっかり換気をしましょう!
バチバチッ! チュドーン!!
地上の演習場管理棟。
そのメインモニター室で、爆竹が破裂したような音が連続して響いた。
「な、なんだ!? モニターが火を噴いたぞ!?」
ロイド教諭が椅子から転げ落ちる。
壁一面に並んでいた魔導スクリーンが、次々と火花を散らしてブラックアウトしていく。最後に映っていたのは、深層でレオが放った禁断魔法の歪んだ光だけだった。
「状況報告! 何が起きた!」
「だ、駄目です! 全モニターの信号ロスト! ダンジョンからの魔力反応、ゼロです!」
オペレーターの教師が悲鳴を上げる。
「エレベーター、全停止!」
「結界システム、ダウン! 再起動できません!」
「照明消えました! 地下1階から15階まで、全域で魔力供給が停止しています!」
「馬鹿な……システムダウンだと?」
ロイドは血の気が引くのを感じた。
このダンジョンは、国が管理する巨大な魔導システムだ。それが落ちるなど、歴史上あり得ない。
つまり、深層の選抜チームだけでなく、浅層で基礎訓練を行っていた数百名の一般生徒たちまでもが、出口のない暗闇に閉じ込められたことになる。
「あーあ。……やっちゃったわね」
パニックに陥る大人たちを尻目に、部屋の隅にあるVIP席から呑気な声が聞こえた。
暗くなった個室で、エスティアとリリスが、溶けかけのパフェをスプーンで掬っている。
「エスティア様! この状況で何を!」
「あら、慌てても無駄よ。ブレーカーが落ちただけだもの」
彼女は妖艶に微笑み、真っ暗なモニターを見つめた。
「でも、面白いわね。神たちの管理領域を、人の子が物理的に落とすなんて。……さあ、ここからは航の独壇場よ」
◇
同時刻。地下3階層。
本来なら初級者向けの安全なエリアだが、今は地獄と化していた。
「嫌だぁぁッ! 暗い! 何も見えない!」
「ママぁ! 帰りたいよぉ!」
1年生の女子生徒が、その場にうずくまって泣き叫んでいる。完全な闇。それは、魔法という光に守られてきた彼らにとって、死そのものだった。
「落ち着け! 全員、身を寄せ合え!」
2年生の男子生徒が声を張り上げるが、その声も震えている。
「『ライト』! 光よ! ……くそっ、なんで点かないんだ!」
彼は必死に杖を振るすが、魔力は霧散して消えるだけだ。頼みの綱である携帯魔導端末を取り出すが、画面には『魔力波ロスト(圏外)』の文字。そして、ダンジョン内での長時間使用で内蔵魔石は赤く点滅し、プツンと切れた。
「ひっ……!?」
唯一の光源が消え、再び闇が押し寄せる。
パニックは伝染する。魔物は弱いスライム程度しかいないはずだが、暗闇の恐怖が集団ヒステリーを引き起こし、同士討ちや転落事故が起き始めていた。
エリートと呼ばれた彼らも、皮を剥げばただの子供だ。文明の利器を奪われた瞬間、彼らはあまりにも脆かった。
◇
一方、震源地である地下13階層。
航たちが築いたバリケードの内側では、異様な音が響いていた。
ゴォォォォ……。
魔物の唸り声ではない。携帯用ガスバーナーが、青い炎を上げて燃焼する音だ。
「……腹が減っては戦ができん」
強力なLEDランタンが照らす明るい空間で、佐藤航は鍋をかき混ぜていた。漂ってくるのは、スパイシーで食欲をそそる香り。
「よし、温まったな」
航が差し出したのは、湯気を立てるシェラカップだ。中身は、レトルトカレー(辛口・大盛り)と、お湯で戻した即席コンソメスープ。
「食え。温かいうちにな」
「いただきまーす! ん~♡ 運動の後のカレーは最高ね!」
葵は慣れた手つきでスプーンを受け取り、パクパクと食べ始めた。カイも「いただきます」と手を合わせ、スープを啜る。
だが、帝国チームの面々は呆然としていた。
「な、何を……しているんだ?」
レオが掠れた声で呟く。
外には魔物が徘徊し、魔法は使えず、完全な闇の中だ。なぜ、こいつらは平然とカレーを食べている?
「何って、夕食ですよ」
航は自分の分をよそいながら、淡々と答えた。
「パニック時に一番必要なのは、武器でも情報でもない。温かい食事と明かりです。これで下がった体温と、SAN値を回復させる。災害時の鉄則ですよ」
「SAN値?」
「メンタルだと思えばいい。ほら、あんた達も食え。冷たい闇の中で震えていても、腹は膨れないぞ」
◇
シルヴィアに促され、レオは恐る恐るカップを受け取った。
手の中に伝わる熱。それだけで、凍りついていた指先の感覚が戻ってくる。
(温かい……)
スプーンでスープをすくい、口に運ぶ。
「……っ」
塩気と、コンソメの旨味。そして熱が、冷え切った胃袋に染み渡っていく。
ただのインスタントだ。王宮で食べていたフルコースに比べれば、家畜の餌のようなものかもしれない。なのに。
「う……うまい……」
レオの目から、ポロポロと涙がこぼれ落ちた。
張り詰めていた緊張の糸が切れ、嗚咽が漏れる。温かい。明るい。美味しい。当たり前だった文明のありがたみが、骨の髄まで染みる。
「他の階層の連中は今頃、冷たい闇の中で泣いてるでしょうね」
航はカレーを咀嚼しながら、冷徹に天井を見上げた。
彼の『保全管理の眼』は、天井の向こう側――ダンジョン全域の惨状を、無機質なエラーログとして捉えていた。
> [SYSTEM ERROR] メイン電源:喪失
> [CONNECTION] 地上管理サーバー:応答なし(タイムアウト)
> [WARNING] 第15階層換気ファン:停止(エラーコード:0x0041)
> [STATUS] 生存者反応:減少中(パニックによる自滅多数)
「備えのない奴から心が折れて、死ぬ。それが災害のルールです。あんた達は運が良かったな。CDS(俺たち)がいて」
レオは何も言い返せなかった。ただ、涙と鼻水を垂らしながら、泥だらけの手でスープを啜り続けた。
◇
食事が終わり、少しだけ弛緩した空気が流れていた時だった。
「……ふぅ。コーヒー飲むか?」
航が食後のコーヒーを淹れようとして――ふと、コンロの炎の色に違和感を覚えた。
青かったはずの炎が、ゆらゆらと「赤く」変色している。
「……ッ!」
航は即座にテーブルに置いていた空気質チェッカーに目を落とした。
ピピッ、ピピッ、ピピッ!
警告音が鳴り響く。表示された数値を見た瞬間、航の表情から日常が消え失せた。
「……食事終了。休憩は終わりだ」
「え? まだお湯が」
「火を消せ! 今すぐだ!!」
航がカイの手からバーナーを奪い取り、乱暴にバルブを閉じて消火した。ランタンの光量も、最小限まで落とす。
「な、何をするんだ! やっと落ち着いたのに!」
レオが抗議するが、航は鬼気迫る表情でチェッカーの画面を突きつけた。
> [DANGER] 空気質異常検知:換気不全
> [O2] 酸素濃度:18.9%(低下中)
> [CO] 一酸化炭素濃度:150ppm(警告・上昇中)
> [PREDICTION] 中毒症状発症まで:残り15分
「酸素濃度が19%を切った……。見てみろ、さっきまで青かった火が赤くなってただろ」
航は静かに、しかし戦慄すべき事実を告げた。
「密閉空間で酸素が減ると、火は不完全燃焼を起こす。そこで発生するのは二酸化炭素じゃない……猛毒の一酸化炭素(CO)だ」
「一酸化……炭素?」
「無味無臭のサイレントキラーですよ。血中のヘモグロビンと結合して、身体から酸素を奪う。気づいた時には手足が痺れて動けなくなり、そのまま意識を失って死ぬ」
満腹で温まった体が一気に冷えていく。自分たちを温めてくれていたはずの火が、実は自分たちを殺す毒を生み出していた。
「換気扇が止まった地下で火を使うのが、これほど危険だとはな……。俺としたことが、油断した」
航はチェッカーを握りしめ、バリケードの奥――暗闇の通路を睨みつけた。
「ここに留まれば、ガス中毒で全滅する。……移動だ。換気ダクトを探して、新鮮な空気を確保するぞ」
本日も一日ご安全に!




