第44話:一条葵の燃費走行(エコ・ドライブ) ~V12エンジンでも、ガス欠なら鉄屑です~
このダンジョンは水の影響が少ないです。
シュコー……シュコー……。
静寂に包まれた地下通路に、酸素缶から空気を吸う音だけが響く。
「……いいか。心拍数を上げるな。深呼吸を意識しろ。ここからは魔物よりも酸素の管理が命だ」
俺、佐藤航は、最後尾からパーティ全体の状態をモニタリングしていた。
現在地、地下12階層。ここから先はいわゆる「深層」と呼ばれるエリアだ。
深度が増すごとに、空気中の酸素濃度は低下し、代わりに「魔素」の濃度が異常に高くなる。
「航、少し……体が重いな」
前衛を歩くカイが、額の汗を拭いながら呟く。
「気圧の変化と、魔素中毒の初期症状だ。……ほら、これを舐めろ」
俺はカイの口に塩タブレットと高濃度酸素飴を放り込んだ。
「ん……頭がスッキリしたよ。さすがだね」
「当然だ。現場で作業員が倒れたら、監督責任になる」
俺たちのパーティは、極めて静かに、そして定速走行で進んでいた。
無駄口は叩かない。足音も立てない。エネルギー消費を極限まで抑えた、完全な省エネ運転だ。
特に、先頭を行く一条葵先輩の動きは洗練されていた。
以前のような、感情に任せた荒々しい足取りはない。重心を低く保ち、最小限の動作で障害物をかわしていくその姿は、まるで精密に調整された高級車のサスペンションのようだ。
(……いい仕上がりだ。アイドリングも安定してる)
俺は彼女の背中を見ながら、満足げに頷いた。
◇
その静寂が、後方からの爆音によって破られた。
ドガァァァン!!
「ハハッ! 見つけたぞFランク! そのちんたらした歩き方はなんだ!」
通路の奥から、砂煙を巻き上げて帝国チームが突っ込んできた。
先頭には、杖を振り回すレオの姿がある。
彼らの状態は、俺たちとは対照的だった。
目は血走り、異常なほどの興奮状態。肌は紅潮し、荒い息遣いと共に、全身から過剰な魔力が湯気のように噴き出している。
「うわぁ」
俺は思わず顔をしかめた。
彼らの足元には、空になった魔力増強ポーションの瓶が転がっていた。
深層の魔力酔いに加え、ポーションによる過剰ドーピング。
今の彼らは、レッドゾーンまで回転数を上げた暴走トラックだ。
「レオ様、数値が異常です! 心拍数180超え、魔力回路の温度も限界です! これ以上の戦闘は……」
「うるさい! 臆病風に吹かれるな!」
レオは参謀のシルヴィアの警告に聞く耳を持たない。典型的な事故る直前のドライバーだ。
◇
その時、通路の前方が赤く染まった。
ゴオオオオオオオッ……!
巨大な熱波と共に、岩壁を溶かして現れたのは、全身が溶岩と炎で構成された巨人――中ボスのフレイム・ギガントだ。狭い通路を完全に塞いでいる。
「チッ、邪魔だ!」
レオが即座に杖を構える。
「どけ! 私がやる! 帝国の火力を見せてやる!」
「待て! ここで火属性はまずい!」
俺は警告した。同時に、腰に下げた携帯用ガス検知器を一瞥する。ピーッという微弱な警告音。
「一酸化炭素濃度、上昇中。」
ここは地下12階層。酸素濃度が薄い密閉空間だ。
そんな場所で、高火力の炎魔法を使えばどうなるか。ただでさえ少ない酸素を一瞬で消費し、不完全燃焼ガスを充満させることになる。
だが、暴走状態のレオには届かない。
「燃え尽きろ!王家の炎ッ!!」
彼の杖から、紅蓮の炎が膨れ上がった。それは巨人を焼き尽くす威力を持っているだろう。
だが、その余波は、狭い通路全体に広がり、俺たちまで巻き込もうとしていた。
「航! 来るぞ!」カイが剣を構える。
「わたくしの結界では、あの熱量は防ぎきれませんわ!」凛が悲鳴を上げる。
俺は冷静に、隣に立つ重機に指示を出した。
「先輩。希薄燃焼モード。出力3%。……カットしろ」
「了解、マスター♡」
◇
レオの放った紅蓮の炎が、巨人を、そして俺たちを飲み込もうとした瞬間。
葵先輩が、スッと人差し指を振るった。
「穿て――蒼炎」
シュッ。
音はしなかった。放たれたのは、針のように細く、静かな青白い炎。
レオの派手な爆炎に比べれば、あまりにも頼りない、ロウソクの火のような一撃に見えた。
だが。
その青い光が、紅蓮の奔流に触れた瞬間。
ジュッ……。
世界から熱が消えた。
レオの炎が、まるで映像のスイッチを切ったように消失したのだ。
ただ、燃焼反応そのものが上書きされたかのように。
「……は?」
レオが間の抜けた声を上げる。
圧倒的な燃焼効率によって、葵の蒼炎がレオの炎から酸素を瞬時に奪い尽くしたのだ。
青い炎はそのまま直進し、フレイム・ギガントの胸部を貫いた。
カキンッ。
硬質な音が響く。溶岩でできていたはずの巨人の体が、一瞬にして冷え固まり、黒曜石のような石像へと変わっていた。
活動停止。
◇
静寂が戻った通路に、レオの荒い息遣いだけが響く。
「な、何をした? 私の最大魔法が消された? そんな馬鹿な……」
彼は震える手で杖を握りしめているが、もう火花すら出ない。魔力切れだ。
「あんたの魔法は不完全燃焼だ」
俺は酸素缶を吸いながら、冷淡に告げた。
「派手な音と光、それに大量の煤。無駄な熱ばかり出して、肝心の破壊力が分散している。おまけに、こんな低酸素エリアで空気の配分も考えずにぶっ放すから、不発になるんだよ」
俺は、葵先輩の指先に灯る、小さく美しい青い炎を指差した。
「先輩のは完全燃焼だ。
最適な空燃比で、純粋な魔力だけを燃やしている。だから熱伝導のロスがない。針の一点に全てのカロリーを集中させている」
「V12エンジンの大排気量が偉いわけじゃない。|重要なのは燃費《リッターあたりの走行距離》だ。……ガス欠の高級車なんて、ただの鉄屑ですよ」
「う……ぐ、おぇぇッ!」
レオはその場に崩れ落ち、ポーションの副作用と魔力欠乏で嘔吐した。
◇
勝負はついた。俺たちは、冷え固まった巨人の横を通り抜け、先へ進もうとした。
「ま、待って! 助けて……このままじゃ、レオ様が!」
背後から、シルヴィアの悲痛な声が聞こえた。
俺は足を止め、振り返った。レオは白目を剥いて痙攣している。このまま放置すれば、魔素中毒で廃人になるか、呼吸困難で死ぬだろう。
「チッ」
俺は舌打ちし、腰袋をごそごそと探った。「ほらよ」
放り投げたのは、予備の携帯用酸素ボンベと瞬間冷却パックだ。
「冷却パックで頭と首筋を冷やせ。熱暴走してる回路を冷ますんだ。その後、酸素を吸わせろ。ポーションはもう飲ませるなよ」
シルヴィアは震える手でそれを受け取り、涙目で俺を見た。
「あ、ありがとう!」
「礼はいりません」
俺は冷たく言い放つ。
「酸素代、5000円。冷却パック、3000円。技術指導料込みで計2万円。……ツケとくぞ。地上に戻ったらきっちり請求するからな」
「えっ……金?」
「当たり前だ。俺たちはボランティアじゃない。CDSだ」
俺はニヤリと笑い、踵を返した。
薄れゆく意識の中で、レオは見ていただろう。泥臭い作業着を着たFランクの背中が、どんな華やかな魔法使いよりも巨大で、超えられない「壁」のように聳え立っているのを。
本日も一日ご安全に!




