第42話:豪雨の洗礼と泥まみれの王様 ~その『城』は、雨水一滴で沈みます~
鉄砲水には気を付けよう!
ギュイィィィィィン!!
湿った空気に、モーターの駆動音と岩を削る音が響き渡る。
第7管区山岳演習場。その一角にある岩盤が露出した高台で、俺は愛用の魔導インパクトドライバーを岩盤に突き立てていた。
「……ねえ、航。まさか、岩に穴を開けているのかい?」
カイが汗を拭いながら、目を丸くして見ている。彼の手には、慣れない軍手と工兵用のスコップが握られている。
「当たり前だ。岩盤にいきなり杭を打ち込んだら、岩が割れるか杭が曲がって終わりだ。まずは下穴を開ける。そこにアンカーを打ち込んで固定するんだ」
俺は手際よく四隅に穴を開け、金属製のアンカーボルトをねじ込んだ。
ここが今夜のベッドになる。寝ている間にテントごと吹き飛ばされたくなければ、基礎工事は妥協できない。
「テントの入り口は風下へ向けて固定。ロープのテンションは強めに。……ああ、その前にこれを」
俺はリュックから業務用のスプレー缶を取り出した。
シューーーッ。
「……なにそれ?」
「強力撥水スプレーだ。テントの耐水圧を信用するな。現場では念には念を入れるのが基本だ」
俺はテントの縫い目を中心に、親の仇のようにスプレーを噴射した。これで多少の豪雨なら弾き返せる。
「凛、そっちの岩の隙間を土魔法で埋めてくれ。風の通り道を塞ぐんだ」
「ええ、やりますけれど……航さん。わたくしの魔法で土手を作った方が早くなくて? なぜわざわざスコップで溝を掘るんですの?」
凛が不満げに杖を構える。彼女は万能工具として多属性を扱えるが、やはり魔法使いとしてのプライドがあるらしい。
「魔法で生成した土は、魔力供給を断つと結合力が弱まる。この雨量じゃ、すぐに泥水になって流されるぞ。維持し続けるには一晩中起きている必要があるが、できるか?」
「……無理ですわね。物理的な岩とセメントの方が確実、ということですの?」
「ご名答。魔法は便利だが、永続性なら物理に勝るものはない」
俺は現場監督として指示を飛ばしつつ、仕上げにかかった。
「葵先輩、そこの溝をもっと深く。V字型に掘って、雨水を崖下へ誘導する水路を確保してください」
「任せて、航くん♡ 私の愛の力で、どんな固い岩盤も貫いてみせるわ!」
葵は嬉々として、身体強化された腕力で岩盤をガリガリと削っていく。頼もしいが、重機のような音がして怖い。
そうして俺たちが泥と汗にまみれている一方、眼下の河川敷――広くなだらかな平地には、既に別世界が広がっていた。
「やれやれ。Fランクの諸君は大変だね」
帝国の生徒会長レオは、既に完成した巨大テント天蓋の城のテラスで、優雅に紅茶を傾けていた。
内部には魔導式の空調設備が完備され、フカフカのペルシャ絨毯が敷かれているのが見える。
「そんな岩場でキャンプとは。貧乏くさいにも程がある。……まあ、泥遊びがお似合いだよ」
「……言わせておけば」
カイがピキッと青筋を立てるが、俺はそれを手で制した。
「放っておけ。……あれは城じゃない。ただの棺桶だ」
◇
作業が一段落した頃、帝国の参謀役であるシルヴィアが、わざわざ崖を登って視察にやってきた。
彼女のブーツには泥一つついていない。浮遊魔法で登ってきたのだろう。
「随分と慎重ね、佐藤君」
彼女は、俺たちが掘った排水溝と、ガチガチに撥水加工されたテントを見て、小馬鹿にしたように笑った。
「天気予報では、降水確率は30%の曇りよ? ここまでの重装備は、魔力と体力の無駄遣いじゃない?」
「山の天気予報はアテになりませんよ。気圧計の針は下がり続けています」
俺は空を指差した。遠くの山頂付近には、どす黒い積乱雲が渦を巻き始めている。
「それに、あなた方の設営地……水はけが悪すぎます」
俺は、彼女たちのテントがある河川敷の一角を指差した。そこには、周囲の石とは違う、白く乾いた流木が散乱していた。
「あそこにある流木。あれは去年の大雨で運ばれてきたものです。つまり、あそこは増水時の水位ラインの下にある」
過去に川がそこまで溢れたという証拠だ。ハザードマップを見るまでもなく、川沿いのキャンプにおける死亡フラグそのものである。
「ご忠告どうも。でも、心配には及ばないわ」
シルヴィアは髪を払い、自信たっぷりに微笑んだ。
「我々のテントには、帝国最高峰の絶対防御結界が張られているの。雨風はもちろん、落石だって弾き返すわ。……原始的な穴掘りとは、技術が違うのよ」
「……そうですか。なら、精々足元に気をつけて」
俺はそれ以上何も言わなかった。現場を知らない人間に、言葉は届かない。教訓を与えるのはいつだって、手痛い失敗だけだ。
◇
日が暮れると、辺りは不気味なほどの静寂に包まれた。
「いい匂いですわね……」
凛が鼻をひくつかせる。
風に乗って、下界の城からは、高級なステーキを焼く匂いと、楽しげな談笑が聞こえてくる。彼らは優雅なディナータイムだ。
対して俺たちの夕食は、携帯コンロで温めたレトルトカレー(辛口)と即席味噌汁。
実に質素だが、今の俺たちにはこの塩分とスパイスが染みる。
「はい、航くん。あーん♡」
葵がスプーンにカレーを山盛りにして突き出してくる。またこれか。
「先輩、自分で食べま……ッ」
俺は言葉を切り、箸を止めた。
「航?」
「……風が、止まった」
今まで吹いていた湿った風が、ぴたりと止んだ。
同時に、森の虫たちが一斉に鳴き止む。肌にまとわりつくような、重く、生ぬるい空気が満ちる。
特有の匂い。アスファルトが濡れる前の、あの土埃とオゾンの匂い。
「……来るぞ。全員、装備をテント内にしまえ! 防水カバーをかけろ!」
俺は立ち上がり、叫んだ。
「えっ、まだ食べてる途中……」
「いいから入れ!バケツがひっくり返るぞ!」
その直後だった。
ドォォォォォォンッ!!
腹に響くような雷鳴と共に、世界が白く染まった。そして。
ザアァァァァァァァァァァッ!!!!
雨ではない。滝だ。
空という空から、暴力的な質量の水塊が叩きつけられた。
「ひぃぃぃッ!?」
「な、なにこれぇぇぇ!?」
テント(本体)の中に逃げ込んだ凛とカイが悲鳴を上げる。
外側を覆うフライシートが、瀑布のような雨粒に叩きつけられ、バチバチと破れんばかりの爆音を立てている。
だが、俺が入念に吹き付けた撥水スプレーと、計算されたロープの張力は、この衝撃に耐えていた。
「状況確認! 浸水はないか!」
「だ、大丈夫です! 外側の溝が水を流しています!」
俺たちのテントの周囲に掘ったV字溝は、濁流のように押し寄せる雨水を、スムーズに崖下へ排出していた。
岩盤の上にあるため、地面がぬかるむこともない。テントの中はドライで快適そのものだ。
だが、下界は違った。
「きゃぁぁぁっ!?」
「な、なんだこれは!? 結界はどうなっている!?」
河川敷から、悲痛な叫び声が聞こえてくる。
帝国の誇る絶対防御結界は、確かに機能していた。上空からの雨は完璧に防いでいる。
だが、彼らは見落としていた。
敵は空からではなく、足元から来ることを。
河川敷の土の地面は、猛烈な雨水を吸い込み、瞬く間に液状化し、泥沼と化していた。
テントを支えていた金属の杭が、摩擦を失った地面の中で悲鳴を上げる。
ズリュ……ズボッ!
「ああっ、ペグが!?」
結界を維持するための魔力ロープが、強風に煽られ、ドロドロの地面から杭を引き抜いたのだ。
支えを失った巨大なテントは、自重と強風に耐えきれず、無惨にも傾き、倒壊した。
そして、トドメがやってくる。
ゴオォォォォォォォ……ッ!
地鳴りのような音と共に、上流から茶色い壁が押し寄せた。鉄砲水だ。
「う、嘘だろ!? 川が……こっちに来るぞ!!」
「逃げろ! 荷物は捨てろ!!」
一瞬にして川幅が倍以上に膨れ上がり、彼らの設営地を飲み込んだ。
優雅な絨毯も、高級なティーセットも、エリートたちのプライドも。全てが泥水の中へと消えていった。
◇
一時間後。
雨足が弱まった頃、俺たちのテントの前に、ずぶ濡れで泥だらけの集団が転がり込んできた。
「はぁ……はぁ……たす、助けてくれ……」
這うように高台へ登ってきたのは、レオとシルヴィアたちだった。
あの純白の軍服は見る影もなく、髪も顔も泥まみれ。寒さと恐怖でガタガタと震えている。
「……おや」
俺は携帯コンロで沸かした温かいコーヒーを啜りながら、眼下の彼らを見下ろした。
テントの中からではなく、入り口から予備の防水タープを伸ばし、簡易的な雨よけスペース(前室)を作ってから声をかける。
「水遊びはもう終わりですか? ……そこは狭いですが、少なくとも水没はしていませんよ」
「き、貴様……っ」
レオが屈辱に顔を歪めるが、言い返す気力もないようだ。
「……入れてやってくれ、航。死人が出る」
カイが呆れながらもタオルを持ってくる。
俺はため息をつき、拡張したスペースへ彼らを誘導した。流石にこの人数を寝室に入れるわけにはいかないが、雨風を凌ぐには十分だろう。
俺たちは、震えるエリートたちに、備蓄していた圧縮タオルと固形ブイヨンスープを提供した。
「……すまない」
レオは、俺から受け取ったステンレスのマグカップを両手で握りしめ、消え入りそうな声で言った。
温かいスープが、冷え切った体に染み渡っているようだ。
「どうして……どうして君たちのテントは無事なんだ? 結界も張っていないのに」
シルヴィアが、不思議そうに乾いた床を触っている。
「魔法は万能ですが、自然(物理)の前では無力だからですよ」
俺は淡々と告げた。
「結界で雨は防げても、足元の地盤までは防げない。川沿いの平地は、雨が降れば水が集まる場所です。そんな場所に、重量のある構造物を建てれば沈むのは当たり前です」
それは、魔法以前の土木の常識だ。
「次回からは、ちゃんとハザードマップを読んでくださいね。……今回の合宿、快適性と安全性が評価基準ですよね? もし私が採点官なら、あなた方は落第ですよ」
「……ぐぅ」
レオは唇を噛み締めた。反論できない。
魔法力では圧倒的に勝っていても、生存能力では完敗したのだ。
テントの外では、まだ雨音が響いている。
だが、この狭く薄暗い空間だけは、確かな安全に守られていた。
その背中を見つめながら、帝国のエリートたちは初めて理解したのかもしれない。
このFランクの男が持つ力が、ただの「道具係」の枠に収まるものではないことを。
「(……航くん、かっこいい……♡)」
そして、そんな俺の横顔を、葵がとろけるような目で見つめていることにも、俺は気づかないフリをしてコーヒーを飲み干した。
やれやれ、これで貸し一つだ。明日の本戦、少しは有利に運べればいいのだが。
本日も一日ご安全に!




