第20話:その「勝利の祝杯(コーヒー)」は、ただのカフェイン摂取と糖分補給です
珈琲は常飲料です。
「……ふぅ。とりあえず、止水と補強は完了だ」
俺は腰の工具袋を叩き、深く息を吐いた。
カフェ『六角堂』の店内は、水浸しで泥だらけ。スライムの残骸が散乱し、見るも無惨な有様だ。
「わあ……僕の店が……。これ、業者を呼ばないと無理かな……」
カイが絶望的な顔で床を見つめている。
だが、現場監督の仕事は作って終わりじゃない。
現場の復旧までが仕事だ。
「泣き言を言うな、カイ。……おい、凛、エスティア、リリス。仕上げだ」
俺は三人の美女たちに向き直った。彼女たちはまだ、魔法を使う気満々で目を輝かせている。
「エスティア。お前の浄化で、店内の有機物汚れとカビ菌を分解しろ。ただし、カーペットの色まで抜くなよ?」
「はいっ! お掃除も女神の務めです! ……聖浄!」
パァァァッ!
清浄な光が店内を満たすと、こびりついた泥やスライムの粘液が、見る見るうちに消滅していく。殺菌率99.9%。
「リリス。残った瓦礫やゴミを亜空間収納に放り込め。分別は後だ」
「……はぁ。魔神の収納庫がゴミ捨て場扱いですの……?」
リリスが指を振るうと、散乱していた配管の破片やコンクリート片が、虚空へと吸い込まれていった。産業廃棄物処理、完了。
「凛。仕上げに風魔法で乾燥だ。湿気を残すと、あとで床が反るからな」
「承知しましたわ。……微風乾燥」
爽やかな風が吹き抜け、湿った空気が一掃される。
数分後。
そこには、新築オープン時よりもピカピカに磨き上げられたカフェが復活していた。
「す、すごい……。業者どころか、リフォームしたみたいだ……」
カイが呆然と呟く。
俺は満足げに頷いた。
「よし。……施主検査完了だ」
俺は厨房の奥へ向かい、配電盤の前に立った。
「漏電チェック、異常なし。……ブレーカー復旧!」
バチン、とレバーを上げると、店内に温かな照明が戻った。
「引き渡すぞ」
◇
「……ありがとう、航。君たちのおかげで助かったよ」
カイが深々と頭を下げ、それからニヤリと笑った。
「さて。……働いた後は、腹が減っただろう?」
彼が厨房に入ると、すぐに換気扇が回り始めた。数分もしないうちに、たまらない香りが漂ってくる。
ゴリ、ゴリ、ゴリ……。
コーヒー豆を挽く、重厚な音。
ジュワァァァ……。
高温の油で、肉厚なカツが揚げられる音。
そして、鼻孔をくすぐる強烈なスパイスの香り。クミン、カルダモン、クローブ、炒めた玉ねぎの甘い匂い。
「……くぅ」
俺はタオルで顔の汚れを拭いながら、喉を鳴らした。
この香りだけは、異世界に来ても変わらない。俺の遺伝子に刻まれた安らぎの匂いだ。
「お待たせ。……当店特製、『勝利のカツカレー』だよ」
ドン。
テーブルに並べられたのは、漆黒のルーに黄金色のカツが鎮座した大皿。そして、湯気を立てる黒瑪瑙色のホットコーヒー。
「い、いただきます……!」
◇
「な、なんですかこの黒いシチューは……刺激的な匂いです!」
エスティアとリリスが、恐る恐るスプーンを入れる。
サクッ。揚げたての衣が割れる音が響く。ルーをたっぷり絡めて、口へと運ぶ。
「んっ!?」
「っ!!」
二人の女神の目が、カッ! と見開かれた。
「か、辛っ! ……でも、なにこれ!? 旨味が爆発します!」
「口の中が熱い……! なのにスプーンが止まりませんわ! 魔性の食べ物です!」
ハフハフと言いながら、二人は猛スピードでスプーンを動かし始めた。
どうやら「日本の国民食」は、神々の舌をも魅了したようだ。
隣では、凛が上品に、しかし力強くカレーを口にしていた。
「……素晴らしいですわ。戦いの後の疲弊した体に、魔力が染み渡ります。……これが航くんの強さの源ですのね」
そして、俺とカイ。
男二人は、言葉を交わさず、まずはブラックコーヒーを手に取った。
カップの中で揺れるのは、天井の灯りを吸い込むような漆黒。その縁には、良質な豆の証である黄金色のオイルが薄く浮かんでいる。
立ち上る湯気からは、深煎特有の、焦げたナッツとカカオのような芳醇なアロマが漂い、それだけで脳が覚醒しそうだ。
俺はカップを傾け、その黒い液体を口に含んだ。
「……っ」
抽出温度は85度前後か。熱すぎず、香りが最も開く適温だ。
舌に乗せた瞬間、ガツンとした重厚な苦味が駆け抜け、その奥からわずかな果実のような酸味と、焙煎された豆本来の甘みが追いかけてくる。
雑味の一切ない、とろりとしたボディ感。喉を通ると、熱い塊が食道から胃へと落ち、徹夜明けの痺れた脳髄にカフェインが染み渡っていく。
「……ああ。生き返る」
「だろ? 徹夜明けの現場監督には、この一杯が一番効くと思ってね」
俺はスプーンを手に取り、カツカレーをガツガツとかき込んだ。
美味い。理屈じゃない。労働の対価として、これ以上のものはない。
◇
食後の余韻に浸っていると、カイが胸ポケットから一枚のカードを取り出した。
黒字に金の箔押しがされた、重厚なカードだ。
「……正直、君を見くびっていたよ。ゲームでも、現実でも」
カイが真剣な眼差しで俺を見る。
「僕の理論には、君の現場が必要だ」
彼はカードをテーブルに滑らせた。
「受け取ってくれ。六角堂VIPカードだ。カツカレー無料だけじゃない。……今後、僕の情報網を君に提供する」
「情報網?」
「この店は、学園都市の情報が集まる交差点だ。君が何か困ったら、いつでも相談に乗る。……その代わり、また遊んでくれよ」
俺はカードを手に取り、苦笑した。
最強の情報屋を味方につけたか。悪くない報酬だ。
「……いいだろう。ただし、面倒な無償労働は御免だぞ」
「はは、善処するよ」
俺たちはコーヒーカップを軽く掲げ、カチンと鳴らした。
『Quest Complete: ゲーマーとの同盟』
悪くない夜明けだ。
◇
そんな俺たちを、少し離れた席から北条凛が見つめていた。
彼女の瞳は、熱っぽい輝きを帯びている。
(……間違いありませんわ)
凛の脳内で、今夜の出来事が走馬灯のように駆け巡る。
エリート騎士団候補生を、兵糧攻めで完封した冷徹な用兵。
ダンジョンの深層を一瞬で踏破した、神速の攻略指揮。
そして、現実の災害すらも、魔法を道具として使いこなし、ねじ伏せた支配力。
(極め付けに……この学園都市の裏情報に通じる情報屋すらも、配下に加えてしまいましたわ)
凛は、談笑する航の背中を見つめ、ゴクリと唾を飲み込んだ。
(盤上を支配し、現実すらも意のままに操る……。航くんは、ただの現場監督ではありません。彼はこの都市の裏の支配者になるおつもりね……!)
(なんて恐ろしく、そして頼もしい背中ですの! 私、北条凛……一生ついて行きますわ、私の王!)
彼女の中で、俺の評価がまた一つ、限界突破した瞬間だった。
俺はただ、カツカレーを食ってただけなんだが。
◇
「あー、食った食った。……帰って寝るぞ」
店を出ると、東の空が白んでいた。
爽やかな朝の風が吹いている。
「ごちそうさまでした! また来ますね!」
「次は大盛りで頼みますわ!」
エスティアとリリスも満足そうだ。
俺たちはカイに手を振り、学園寮への帰路についた。
一方その頃。
学園の寮では、奇妙な噂が広まり始めていた。
「おい聞いたか? あの帝都軍事学院のエリートたちが、昨晩、Fランクの男にボロ負けして泣いて帰ったらしいぞ」
「なんでも、剣を一振りもせずに心を折られたとか……」
「Fランクの『軍師』がいるらしい……」
俺の知らないところで、「Fランクの謎の軍師」としての悪名(?)が、静かに広まりつつあった。
「……っぷしっ!」
俺は盛大にくしゃみをした。
「……なんか寒気がするな。風邪か?」
「航くん? 無理は禁物ですわ。私が温めて差し上げます!」
「いや、いい。……俺は今、猛烈に眠いんだ」
平和な(?)週末が終わる。
だが、現場監督に安息の日はない。
週が明ければ、また新たなトラブル(現場)が俺を待っているのだから。
本日も一日ご安全に!




