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東雲依莉は、IQ五十以下の先天的知的障害児としてこの世に生まれてきた。
BCIという技術が社会に蔓延するまでに、大いなる紆余曲折があった。
人の脳に直接ナノデバイスを埋め込み、脳波を解析して外部のネットワークへと同期させる。
魔法のような技術はしかし、同等以上の危険性と不安を孕んでいた。
もし手術の際に脳を傷つけたら責任の所在はどこにあるのか。
人々の思考を盗聴して操ろうという政府の陰謀なのではないか。
倫理的な問題から分かり易い陰謀論まで様々な声が技術の足を引っ張った。
国連の手によってBCIの開発、発展を先導する委員会が設立され、通称BCI憲章が発布されたのが四半世紀前。
決して支配的な目的に技術を使用しないというのがその旨だった。
間もなく、世界トップのIT企業が汎用BCIを世に送り出した。
あらゆるシステムや機構に自社特有の名称を与えて独自性をアピールする、(ある意味で宗教じみた)戦略が功を奏した。
〈イヴ〉と名付けられた製品群は瞬く間にシェアを増やしていき、BCI=〈イヴ〉という図式が生まれてから、BCIの装用は瞬く間に人口に膾炙するようになった。
〈アルジャーノン〉とは高名なSF小説の題名を冠した、装用者の意思、判断能力をAIにて補助し知的能力を健常者レベルまで引き上げるBCIの名称だ。
さらに限界知能の矯正を司る〈テアイテトス〉、発達障害の矯正のための〈エピステーメー〉などは〈イヴ〉と比べ、社会に流通するのに十年以上遅れた。
前者はA型、後者はB型と目され、人間の認知や知能に直接介入して媒介する分、開発にも審査にも多大な時間が必要だったのだ。
そしてその研究が後に、〈パノプティコン〉――通称〈脳錠〉の開発に繋がることになる。
十歳の時のことだ。
厳しい審査の末、私は選ばれた。
政府の補助により、金銭の負担なく〈アルジャーノン〉を埋め込む手術を受けることができた。
手術は無事に成功し、私の知的能力はその日から日々を重ねるごとに回復していった。
晴れて健常者の仲間入りをしたのだ。
上手く言葉を話せるようになった。
漢字が読めるようになった。
かけ算の計算問題が解けるようになった。
食べ物を溢さずに食べられるようになった。
常に持ち歩いていた人形を手放せるようになった。
遊んでくれていると思っていたクラスメイトに殴られていることを知った。
自分のせいで家庭が崩壊していることに気が付いた。
まさに小説に書いてあることと同じ運命を辿ったのだ。
今まで半濁して見通すことができなかった世界は急に澄み渡った。
美麗も汚濁も急に具象を成して私の目の前に立ちふさがった。
物語と違うのは、私には互いにシンパシーを感じる賢いハツカネズミなどいなかったことだ。




