ⅷ
ナガシマさんが亡くなった。
取り調べを担当していた保坂という若い女性刑事はそう報告してきた。
彼女は彼の部下に当たる人間だった。
僕を鋭く睨みつけて、「あなたのせいよ」と恨みの篭もった声で詰った。
僕は頭が真っ白になって、ただ俯いてその視線をやり過ごすことしかできなかった。
あの夜から数日が経った。
あれから近場の警察所に僕の身柄は送られ、全国で頻発するようになった怪死事件の重要参考人として、日夜聴取を受けていた。
その最中のことだった。
彼は初めから僕を騙すつもりで近づいてきたのだ。
〈脳錠〉持ちの同類であるというのも嘘で、僕と接することができたのは彼が公安警察の人間だったからだ。
僕だって手放しで彼のことを信用していたわけじゃない。
初めから彼は怪しかった。
しかし、その事実を知って心が痛まないかどうかは別の問題だった。
僕に見せた「ナガシマ」という人格のすべてが虚像だったのか、望月蒼のことは単なる事件の犯人を釣る餌としか見ていなかったのか?
彼が亡くなった今となっては、その答えを知ることは永遠に叶わなくなった。
なぜ〈脳錠〉持ちである自分が東京でエイリの殺人を助けて、あそこまでの大立ち回りができたのか。
脳を掠めていた謎が一気に氷解した。
エイリという少女と出会って今日まで起きたことを僕は正直に話した。
なぜ彼女と出会ったのか。
彼女を生かすために人殺しの手助けをしていたこと。
天沼に返り討ちに遭い、それでもなんとか二人で生き残ったこと。
すべてを話さざるをえなかった。
普通の捜査では絶対に捉えることができない殺人鬼を探る駒として、僕は利用されていたのだ。
その果てに、ナガシマさんは殺された。
正体を知られたからエイリは彼を殺そうと思ったのだろうか。
普通に考えればそうだが、きっとそれだけじゃない。
僕には分かった。
ナガシマさんを刺した後に豹変したあの態度。
本来のエイリという少女とは似ても似つかないそれは、死んだはずの汀と瓜二つだった。
まるで亡霊が憑依したのかと思うほどに。
〈脳錠〉持ちである僕は、周囲の警官から腫れ物のように扱われた。
会話ができるのは取り調べを受け持った彼女しかいなかった。
かつて見慣れた三畳にも満たない独居房で、ひたすら罪悪感に苛まれた。
僕がエイリと接触しなければ、彼女の誘いを断っていればナガシマさんが死ぬことはなかった。
エイリは今何をしていて、何を思っているのだろうか? 彼女はもう誰も殺さないと言った。
僕の買い被りではなければ——、ナガシマさんを殺したことは彼女の意図ではなかったように思える。
だがもう彼女に会いに行くことはできなかった。
このままこの場所で裁きを待ち続ける他ない。
そう諦めていた。
しかし、転機は突然訪れた。
留置所の扉がノックする音が聞こえて、扉が突然開いた。
今日の取り調べは終わっていたはずだった。
塀の向こうを確認すると顔も知らない警官が控えていた。
彼は「ついて来い」と低く小さな声で言うと手招きしてきた。
恐る恐る部屋を抜け出して彼の背中を辿る。
辺りは怖さを感じるほどひっそりとしていて、警官は署内を抜け出して外に出ていた。
パトカーの前で立ち止まると、彼はやはり低い声で「乗れ」とだけ言った。
従わないわけにもいかず、訳が分からないまま後方席に乗り込んだ。
警官はひたすら無言だった。
仮面を貼り付けたような無表情で、視線は虚空の先をじっと見つめているようだった。
異様で不気味な空気に冷や汗が垂れる。
やがて車が立ち止まったのは僕がよく知っている場所だった。
真篠汀が生まれ育った生家。
警官は「入れ」と命令して僕を降ろすと、そのまま車を走らせてどこかへ消えてしまった。
恐怖に駆られながらも、かつて見知った家のドアに触れた。
住人を全て喪ってしまったはずの豪壮で瀟洒な家の扉はなぜか開かれていた。
一年間放置されていた空き家のはずなのに、中身は不自然に綺麗に掃除されているようだった。
そのまま汀の部屋を目指した。
その部屋に足を踏み入れた瞬間、否応なく罪の感情を湧き上がる。
本棚の配置一つ変わらず昔日の面影を残していた。
相変わらず埃一つ見当たらず、今朝にでも掃除したように綺麗だった。
片方のカーテンが閉められた薄暗い空間の中で確かな違和感が鎮座していた。
見覚えのあるタブレット端末だった。
パスワードは設定されておらず、電源をつけるとワープロアプリが自動的に開いた。
冒頭には「Mayday」というタイトルのような言葉が添付されていて、その横には「東雲依莉」という名前が記されていた。
その下に宮沢賢治の『春と修羅』の一節が引用されていた。
それは二人の少女の過去を綴った日記帳だった。
僕は恐る恐るそれを手に取って読み始めた。




