ⅵ
「少し用ができたらしい。待っていてください」
そう断りを入れて、エイリはそそくさと走ってどこかへ消えて行った。
花を摘みに行ったのだろうか、僕は何も言わずにその背中を見送った。
点火した花火の残骸を片づけながら彼女が戻るのを待っていた。
ふとこちらに向かって照明の光が伸びていることに気がついた。
頭を上げてその先を確認する。
「……ナガシマさん?」
懐中電灯で僕を照らしていたのは紛れもなくナガシマさんだった。
彼はそろそろと僕に近づいてくると、ゆっくりと腕を伸ばした。
「望月……だよな? よかった、生きて戻ってきてくれたんだな」
彼は小さく涙を流しながら、僕の存在を確かめるように肩を強い力で抱きしめた。
そして何度も噛み締めるよう「よかった」と繰り返した。
今まで見たことがないナガシマさんの取り乱す姿に面喰らってしまって、何も言えずに彼の温度を受け止めていた。
「俺が悪かった。だからどうか許してくれ」
眼鏡を地面に落として崩れ落ちる彼を支えながら、希うような彼の台詞にひたすら困惑の表情しか返せなかった。
「どうしたっていうんですか?」
ようやく言葉を絞り出す。
しかし彼の態度が意味するものを、僕は知っていたはずだ。
「約束したよな。本当のことを全部話すって」
ようやく平静を取り戻したらしく、ナガシマさんは「座ってくれ」と促してきた。
その右手には幾つか缶の酒とつまみが入った袋と、いつもの古いラジオが収まっていた。
「は、ひゅ」
その時だった。
彼の細い首筋から、声になる前に死滅した空気が漏れる。
その奥によく見覚えのある人影が佇んでいた。
エイリが血走った眼を向けて、ナガシマさんの背中にナイフを突き立てていた。
悪夢そのものの光景を、僕はなすすべもなく眺めていた。
その体躯がゆっくりと膝から崩れ落ちていく。
時間が凍りついたようだった。
絶望感で目の前の意識が白む。
心の内で、誰かが滔々と僕を詰ってきた。
お前もこうなる可能性を考えなかったわけじゃないだろ?
全部、行きずりの殺人鬼など信用したお前が悪いんだぞ。
――それに彼女はちゃんと言っていただろう。
いつか、お前は絶対に自分の選択を後悔することになる、と。
「……エイリ。君は」
彼女はナガシマさんを刺した自らの手を愕然とした表情で見つめながら、「いや、違う、私は殺す気なんて」と壊れたラジオのように途切れ途切れ呟いた。
彼の匂いを追ってやって来たのだろう。
一匹の野良猫だけが場違いにも「にゃあ」と可愛らしい声で鳴き声を立てた。
ナガシマさんの出血は止めどなく溢れ出し、僕にはなす術もなかった。
とにかく早く救急車を呼べば何とかなるかもしれないと、震える手でスマホを操作し119に通話をかけようとした。
〈脳錠〉持ちでも通話であれば他者とコミュニケーションが取れる。
ナガシマさんを刺して取り乱していたエイリに変化があった。
まるで人形の糸がぷつりと切れたかのように身体が砂辺に崩れ落ちた。
そして、もう一度ゆっくりと立ち上がると、その顔は打って変わって笑顔を湛えていた。
思わず手に持っていた電話を落としてしまう。
僕には分かった。
僕に近づくと、緩慢な動作で僕を強い力で抱きしめてきた。
ナガシマさんの血に塗れたワイシャツが密着して僕のTシャツを汚した。
「……やっと会えたね、蒼」
猫のように身を捩りながら、やや上擦った抑揚の効いた明るい声で彼女は言った。
その所作の癖も声色も、それは殺人鬼の少女とは似ても似つかないものだった。
ただ僕には身に覚えがあった。
絶対に忘れることはない。
それはまるで僕の亡くなった幼馴染、真篠汀にそっくりだった。
そこから先の記憶は朧だった。
何とか救急車を呼ぶことができたことは覚えているが、いつの間にかエイリもナガシマさんも目の前から消えていて、僕は一人警察に連行されて勾留所で取り調べを受けていた。




