記憶と記録
「調子はどうですか?」
「はい。問題ないです」
「リハビリも順調そうですね。記憶の混乱はないですか?」
「ないです」
「思い出せないこととかはありますか?」
「ないです」
「96年当時の記憶と現実が混乱することはありますか?」
「ないです」
「そうですか。今日は長谷川さんに来ていただいていますが、お会いになりますか?」
「はい」
糸井先生は部屋を出ると、長谷川優佳さんを連れて入ってきた。
長谷川さんを見ると、優佳が年齢を重ねたことがわかる。
そして、長谷川健一さんと一緒に事務所で来た時に初めて会ったこともわかる。
なんか時代を飛び越えたような、変な気持ちだ。
長谷川さんと糸井先生が俺を見ているのに気づいた。
「あっ。長谷川さん、事故に巻き込んでしまい、申し訳ありません。ご主人までも…」
「佐藤さん、私は事故の時、一緒に乗っていたので不可避であったことはわかっています。佐藤さんが謝る必要はありません。頭を上げてください」
「最初にお会いした時に謝罪すべきでしたが、記憶がなかったので…」
「ふふ」と長谷川さんが笑った。
「何かおかしなことを言いましたでしょうか?」
「いいえ、政治家が『記憶にない』とか言うのが頭に浮かんだだけです」
「本当に記憶が…」
「わかっていますよ」
「設計ですが、着手できておりません。契約を破棄されると思いますので、違約金をお支払いいたします」
「破棄? 破棄なんてしませんよ」
「でも、ご主人が…」
「主人の書斎はなくして、私のアトリエを広げるなどはして欲しいと言う要望はあるけど、建築をお願いしたいわ。ダメかしら?」
「ダメだなんて、とんでもないです」
「では、お願いしますね」
「こちらこそ、お願いします」
優佳は俺に微笑んだ。
俺にまだ健一さんの記憶があるからだろうか、複雑な気分だ。
「長谷川さん、ご主人が書いた記録を見せていただけませんか? 糸井先生のお願いしたら長谷川さんの許可が必要ということでしたので…」
優佳は糸井先生を見て、「そうなのですか?」と言う。
「勝手にお見せするわけにはいきません」
「見ていただいて問題ありません。AirDropで送りますね」
「ありがとうございます」
長谷川さんから記録を受け取った。
俺は、記録に目を通す。
記録には俺が覚えていないことも書いてある。
大きなイベントは書いてあるような気がするけど、ポールのあるお店の話とかがないな。
それに、翔が亡くなった前後がない。
俺の記憶と記録には差異がある。
では、俺の記憶はどこから来た?
「いかがですか? 記憶は以前に読んだことはありますか?」と糸井先生が言う。
「いいえ、ないです。初めて見たと思います… 長谷川さん、記録はこれだけですか?」
「はい」
「他に記録があると思ったから、その質問をしましたよね?」
「俺の記憶にないことも記載されていますが、記憶にあることも書いていません」
「書いていない佐藤さんの記憶は何ですか?」
ポールのあるお見せの話をするのはセクハラになる?
やましいことじゃないから話しても問題ない?
「教えていただけませんか?」と優佳が言う。
俺は、ランチに行ったことを強調してポールのあるお店の話をオブラートに包んで説明する。
「確かにポールのあるお店の記載はありませんね。で、ポールのあるお店って何ですか?」
「ポールダンスを見せるお店ですね。いかがわしい店にある場合もあるようですが…」
はい。その通りですが、そんなこと言えないでしょ?
「だから、書かなかったのかしら… ランチに行っただけでしょ?」
「はい」と俺は答えるが、なぜか俺が責められているような気がする。
「記録にないが、記憶にあるものを他に思い出したら書き留めておいてください」
「わかりました」
うーん。俺は女性に弱いかも…




