考えの変化
血圧、体温を測り、聴診器による診断を行う。
「気分が悪いとか、何か気になることはありますか?」
「いいえ、お水をいただきたいのですが…」
「わかりました」
糸井先生が看護師を見ると、看護師は病室を出て行った。
「ご自分の名前はわかりますか?」
名前… 一瞬、長谷川という名前が浮かんだが、夢の中に現れた人で俺じゃないとはわかる。
「わかりません。わかっているような気がします。喉元まで出てきているような気がしますが、出てきません」
「慌てる必要はありません。では、次の質問です。今は何年ですか?」
96年と言いかけたが、違うような気がする。
「…わかりません」
いつの間にか看護師が戻ってきており、その後ろに紬がいる。
紬がこちらを見ている。
紬は俺と近しい関係だとはわかるが、どんな関係かは思い出せない。
「大丈夫ですか? お水です」と紙コップが渡される。
俺は紙コップを受け取るが、手が重い…
「ゆっくり、少しずつ飲んでください」
そもそも、紙コップの半分ぐらいしか水が入っていない。
俺は、両手で紙コップで水を飲むが、ぬるい…が、うまい。
「そうですか… では、こちらの女性がわかりますか?」と翔を抱いている紬を示す。
「紬…さん」
俺との関係が定かではない状況で呼び捨てはまずいことになるかもしれないので、『さん』を付け足した。
「では、紬さんが抱いているお子さんは?」
「翔です。翔、佐藤翔…」
そう自分で言ったことで、パズルのピースがピタッとはまったような感じがした。
そして、自分が佐藤であることは揺るぎがない感じもした。
だが、長谷川でもあるような、曖昧な部分があることにも気づく。
「大丈夫ですか?」と糸井先生が聞く。
思考がぶった斬られ、何を聞かれたのかわからない。
「…え? 何ですか?」
「混乱させたようですね。MRIの検査をしましょう」といい、糸井先生は看護師を見る。
看護師は傍に置いていた車椅子を動かし、私を補助して座らせる。
あまりにもスムーズなので、口を挟む隙がない。
検査は次々続くが、俺はされるままだ。
色々な検査の間、俺は立ち上げたばかりの事務所を軌道にのせるため、紬と翔に負担をかけてきた。
紬と翔のためにと事務所に力を入れていたが、紬と翔を見ていなかった。
一瞬、『仕事と私、どっちが大事?』という言葉が頭に浮かんだが、紬と翔が一番大事だ。
今までは『土地に馴染む建築』で土地の傾斜、風、日の当たり具合を考えた建物を考えていた。
人は土地、自然に間借りするのだから、自然を中心に建築するため、生活で少々の不便は受け入れるべきと思っていた。
それじゃ、紬と翔が不便じゃないか?
考え方をかえなきゃ。
紬と翔が満足できる建築にするべきだが、翔は成長する。
翔が成長しても、次の子供ができても満足する建築…
難しいな。
それに、周りの木も成長するし、自然も変化する。
変化を受け入れることができる必要がある。
だとすると、ライフスタイルの変化を考えなきゃ。
すると、色々なパターンが考えらえるが、パターンが多いから、自動でなんとかしないとなぁ。
あっ。シミュレートして、生活の動線を計測すれば生活のしやすさは数値化できるんじゃないか?
それに、時間の概念を入れれば、自然の変化も、建物の経年変化による修繕もシミュレートできる。
そうすれば、気の成長による日射の変化も考慮できるし、木の手入れの間隔や、植え替えの費用も計算できる。
次々と今までにない考えが浮かんでくる。
どれも、コンピュータを利用した方法で、俺はコンピュータの専門ではないが、頭の中でできると確信がある。
もっと、色々できるはず!
「検査は終わりましたよ。疲れましたか?」と看護師が声をかけてくる。
「え? あっ。はい」と俺は答えつつ、考えを巡らせる。




