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翔(かける)

 俺は、食事を運んでくださる看護師の言葉を注意深く聞くようにしたが、体調の話ばかりで何も情報が得られない。

 話せる内容は天気ぐらい…


 天気の話はあまり親しくない人とでも自然に会話を始められる無難で便利なスモールトークの定番ネタでだけど、広がりがない。

 話を広げるため、「雨が降っていますが、気分が落ち込む患者さんは多いですか?」など言っても、「そうですねぇ。雨で落ち込む患者さんはそういないと思いますよ」と言われ、次が出てこない…


 リハビリを手伝ってくれる看護師さんから情報を得ようとするのは諦めた。

 なぜかと言うと、こちらがヘトヘトでゆっくり考えて質問ができないからだ。


 リハビリの部屋には子供もいて、子供がリハビリを嫌がると俺たちの方を見させて「みんな治るために頑張っているでしょ? サッカーしたいでしょ? ね、頑張ろうね」とか言う。

 男の子の手本にならなきゃいけないというプレッシャーが俺にかけられる。

 これじゃ、俺が泣き言は言えないだけじゃなく、手が抜けない。


 男の子は「うん。わかった…」と健気にリハビリを続ける。

 可愛いねぇ。ガンバレ!と心の中で声援を送る。

 お兄さんも頑張るよ。

 あくまでもお兄さんで、おじさんじゃない。


 翔(しょう)もあのぐらいの大きさになったらサッカーする!と言うのかなぁ。

 俺も一緒に走れないと悲しいよなと思うと限界以上にリハビリを頑張ってしまう。


 看護師に「今日は終わりにしましょう。リハビリは順調ですよ。明日から吊り下げはなしにします」と言われる。

 確かにだいぶ回復しているとは思う。


 病室に戻り、ベッドに寝かせてもらいマッサージを受ける。

 看護師が出ると、代わりに糸井先生と前回の女性が2人入ってきた。

 一人の女性は子供を抱いている。


 俺はその子供から目を離せない…

「…聞いていますか?」

「え? あっ。何でしょうか?」


「こちらの方に見覚えはありますか?」

「え? 以前に私に関係があるという人物や場所の写真の人ですよね? 私の関係者ですよね?」


「関係があるものとないものを混ぜた写真で、関係があるとは言っていませんよ」

「そうでしたっけ…」


「こちらの女性で思い出すことはありますか?」と50代?の女性を示す。

「そうですね… 似た人と感じが似ていますが、わかりません」


「その感じが似た人のお名前はわかりますか?」

「名前ですか?」

 うーん。俺が犯罪者だとすると、情報は絞った方がいい。

 だが、犯罪者なら、リハビリ中とは言え、子供と一緒にリハビリさせるか?

 それに、小さい子供を連れてくるか?

 ということは俺は犯罪者ではない?


「思い出せないですか? では、こちらの方で思い出すことはありますか?」と20代の不安そうな女性を示す。

 気になるのは、子供で、そちらに目が行く。


「お子さんが気になりますか?」

「ええ」


 20代の女性は糸井先生に目線を向けると糸井先生は「どうぞ」という。

 20代の女性は俺に近づき、俺が抱きかかえられるように子供を置いてくれる。


 俺はリハビリで疲れ切っていたが、できるだけ優しく抱きとめる。

 俺は翔(しょう)と言いかけたが、出てきた言葉は「…翔(かける)」だった。

 20代の女性は俺を驚いたように見ている。


「思い出したのね… 私は?」

「え? あっ、いや…」


「思い出してないの? 紬(つむぎ)よ!」とトートバックに手を突っ込み、翔(かける)が使っているぬいぐるみを俺に投げつけ、泣いてしまった。

「えっと、紬(つむぎ)さん。ごめん」と言うと、紬(つむぎ)は驚いたように俺を見る。


 糸井先生が紬(つむぎ)の肩を抱き「落ち着いてください。今日はここまでにしましょう」と言い。

 俺から翔(かける)を抱き上げ、部屋から出て行ったが、何やら紬(つむぎ)が言っている声が少し聞こえた。

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