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仁義なき異世界狂想曲(ラプソディー) ~渡る渡世は修羅ばかり~  作者: しおぽん
第1章 手を繋ぐ者たち

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~回想~ 前編 怒りのない雨


 雨が、窓を叩いていた。


 ── 静かな雨だった



 ”怒りのない雨だった”



 それなのに、どこまでも追いかけてくる。


 逃げ場のない雨だった。


 ガラスを伝う水滴が、何本も線を引いている。


 一本が別の一本に追いつき、合流し、また分かれる。



 どこへ向かうでもなく


 ただ重力に従って、下へ、下へ──



 外の景色は歪んで、輪郭を失っていた。


 街も、人も、光も。


 全部が、ぼやけている。



 ―― ガラス越しに見る世界というのは、いつもこうだ



 龍司は、子どもの頃からそれを知っていた。


 雨の日に窓の向こうを見ると、まるで別の世界みたいにすべてが滲む。



 ”綺麗に見える”



 汚いものも、醜いものも、その歪みの中に溶けて、ただの「光の染み」になる。


 だから昔は、雨の日が好きだった。


 今は、もう、何も思わない。



 白い部屋


 消毒液の匂い


 機械の電子音


 そして―― 雨



 黒崎龍司(くろさきりゅうじ)は、ベッドに座っていた。


 上半身には包帯。


 肋骨は折れ、肩もやられている。


 本来なら横になっているべき状態だと、医者には言われた。


 言われた通りにする理由が、龍司にはなかった。



 横になれば、天井しか見えない


 天井を見ていると、考える


 考えると、余計なことばかりが来る


 だから、座っていた


 ただそれだけの理由で



 ── 窓の外を見ていた



 景色は歪んだままだ。ガラスの向こうで、何かが動いている。


 車か、人か、区別もつかない


 みんな同じ速度で、同じように滲んで、同じように消えていく。



 ── それでいい、と思った



 形なんて、なくていい。


 輪郭なんて、必要ない。


 この白い部屋の中に持ち込めるものは、何もないのだから──



 しかし”目だけ”は死んでいなかった



 それが、この男の業だった。


 どれだけ傷ついても、どれだけ消耗しても、この目だけは消えない。


 仲間に言わせれば「親分の眼ェは怖い」らしい。


 自分では分からない。


 鏡を見ても、ただの目にしか見えない。


 疲れた、傷だらけの男の目。



 ── だが


 ここには"戦う理由"がない



 外の世界には、理由があった。



 縄張りがある


 組がある



 守るべきものと、潰すべきものがある。


 そのどれかが視界に入れば、この身体はまだ動く。


 折れた肋骨も、やられた肩も、関係なく。



 だがここは── 白い



 清潔で、静かで、血の匂いがしない。


 ここでは、何のために動けばいいのかが、分からない。


 その事実が、この男を少しだけ鈍らせていた。


 機械が、また電子音を鳴らす。


 規則正しい音だった。一定のリズムで、ただ繰り返す。


 龍司の心臓の音を、数字に変換して、淡々と記録し続けている。



 ―― 俺はまだ、生きているらしい



 その事実を、機械に確認させている自分が、少し可笑しかった。



「起きてますよね、親分(おやぶん)



 声がした。


 龍司は、反射的に身構えた。


 筋肉が強張り、折れた肋骨が鈍く疼く。


 だが次の瞬間、その緊張は別の種類の戸惑いに変わった。



 ── 声が、柔らかかった



 場違いなほど、柔らかかった。



 この白い部屋に似合わない


 この身体の傷に似合わない



 こういう場所で生きてきた人間が受け取るような声じゃない。


 龍司は、ゆっくりと視線を向ける。


 白石美咲(しらいしみさき)が、そこにいた。


 スクラブ姿。看護師だ、と分かった。


 特別に目を引く顔立ちでもない。どこにでもいそうな女だった。


 街を歩いていても、振り返らない。


 同い年くらいか、あるいは少し下か―― 龍司には判断がつかなかった。


 そういう、普通の女。



 だが――



 その口から出た言葉が、この空間に似合っていなかった。



「……誰が親分だ」



 低く返す。


 声に力を込めたつもりだったが、うまくいかなかった。


 肋骨が息を浅くさせている。


 あるいは、単純に、この状況に対応するための言葉を、まだ見つけられていないのか。


 どちらにしても、その否定には力がない。



「だって親分じゃないですか」



 当たり前みたいに言う。


 当たり前みたいに。まるでずっと知っていたように。


 出会ったばかりの人間に対して向ける口調じゃない。



 だが不思議と、不快じゃなかった


 馴れ馴れしいとも違う


 ただ――



 確信があった。


 この女の言葉には、根拠のない確信がある。



「その傷の量で"仕事じゃないです"は無理がありますよ」



 淡々としている


 怖がっていない


 遠慮もない



 龍司はこれまで、自分の傷を見て「何があったんですか」と聞いてくる人間を何人も見てきた。



 好奇心から聞く者


 心配から聞く者


 情報として使いたくて聞く者



 そのどれかだった。いつも。


 必ず、何かの目的があった。


 この女の声には、そのどれもなかった。


 ただ、事実を言っている。




 ただ―― 距離が近い




 美咲が、ベッドの横に立つ。


 そして、ぐっと顔を近づけてくる。


 龍司の経験則が、静かに警戒を促した。


人間がこの距離に入ってくる理由は、いくつかしかない。


 親しみか、脅しか、あるいは何かを取ろうとしているか。


 だが、そのどれとも違う気配がした。



「痛み、ありますよね」




 距離が近い


 ── 近すぎる




 吐息がかかるほどの距離。


 こんな距離で話しかけられたのは、いつ以来だろうと、龍司は思った。


 喧嘩の相手が顔を寄せてくることはある。


 だがそれは、暴力の距離だ。




 この距離は── 違う




 何の距離なのか、分からない。


 分からないから、対処できない。


 龍司は、一瞬だけ固まった。


 こういう距離に入ってくる人間を、知らない。



「……ねぇな」



 反射的に言う


 言いながら、自分でも分かった。



 ── 嘘だ。ある。



 呼吸をするたびに、右の肋骨の下あたりが熱を持つ。


 肩を動かせば、鈍い痺れが走る。


 だが、それを認める言葉が出てこなかった。


 この男の辞書に「痛い」という言葉は存在する。


 ただ、声に出す習慣がない。


 痛みは、黙って受け取るものだった。


 ずっとそうだった。



「嘘です」



 即答だった


 さらに、近づく



「呼吸、浅くなってます」


「肩、かばってます」


「あと、ちょっとだけ顔が歪んでます」



 一つ一つ、指摘する


 逃げ場を潰すように


 だが、責めていない



 その声には、批難も、哀れみも、同情もない。



 ── ただ、観察している



 ただ、見ている。龍司の身体を、正確に、丁寧に、読んでいる。


 まるで、この男の嘘を織り込み済みで、それでも構わないと言うように。



「……」



 龍司は、何も言えなかった。



 この女は──



 距離の詰め方が、おかしい。


 物理的な距離の話だけじゃない。


 言葉の距離が、おかしい。


 普通、こういう男に対して、人間は一定の間合いを取る。


 それは恐れからでも、礼儀からでも、どちらでもいい。


 とにかく、取る。


 取るのが正解だから、みんな取る。



 この女は── 取らない



 取らないのに、圧迫感がない。


 壁に追い詰められている感覚じゃない。


 ただ―― 近い。それだけだった。



「……なんで」



 ぽつりと、言葉が落ちる。



 自分でも気づかなかった


 声に出すつもりはなかった


 だが── 出ていた



「なんで、そんな顔してられる」



 目が合う。近いまま。



「こんなとこだぞ、ここ」



 白い部屋。血の匂いのしない場所。


 龍司が入院するたびに、いつも思う。この世界に自分は似合わない。


 消毒液の匂いが、清潔なシーツが、規則正しい電子音が、すべて自分と噛み合わない。


 この男が生きてきた場所は、もっと暗く、もっと汚く、もっと不規則だった。


 血の匂いがして、怒声がして、誰かが常に何かを失っている場所だった。


 それが当然で、それが普通だと、ずっと思ってきた。



「普通の奴が来る場所じゃねぇ」



 美咲は、少しだけ目を細める。そして、ほんの少しだけ笑った。



「……そうですね」



 否定しなかった


 肯定もしなかった



 ただ、そうですね、と言った。


 それだけで、次の言葉は来ない。


 龍司は思わず、続きを待った。


 反論を待った。言い訳を待った。



 ── 来ない



 美咲は、窓の外に視線をやる。


 雨が流れている。


 ガラスの向こうで、景色が滲んでいる。


 街の輪郭が、灯りの色が、すべてが溶けて交じり合って、ひとつの歪んだ絵になっている。


 美咲は、しばらくそれを見ていた。


 雨の音だけが、続く──



「普通にしてたら」



 一拍。その一拍が、やけに長く感じた。



「普通じゃないもの、放っておけないんです」



 ── 言葉が、止まった



 美咲の口が止まったのではない。龍司の中で、何かが止まった。


 反論しようとした。


 この女の言葉を、いつものように受け流そうとした。


 だが、言葉が来ない。


 どこを探しても、出てこない。


 雨が、窓を叩いている。




 ”怒りのない雨だった”




 責めない


 急かさない


 ただ、降り続ける。


 龍司は、それを聞いていた。


 機械の電子音ではなく、美咲の声でもなく、雨の音を。


 ガラスを伝う水が、また新しい線を引いている。


 一本が流れ、消え、また別の一本が生まれる。


 どこへ向かうでもなく。ただ、下へ──


 窓の外の景色は、まだ歪んでいた。


 美しいのか、醜いのか、分からないまま。


 ただそこにある何かが、この白い部屋の中に静かに滲み込んでくるような──



 ── そういう夜だった



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