迷宮氾濫2 忍び寄る危機
同じ頃。
家賃四万円のアパートで、俺(結城誠・35歳)のスマホがけたたましく鳴り響いていた。
「ん……なんだよ、こんな夜中に……」
寝ぼけ眼で電話に出ると、電話口から雨宮さんの悲鳴のような声が飛び込んできた。
『ゆ、結城様!! 非常事態宣言です! 黒曜の森で災害級のダンジョンブレイクが発生する見込みです!
Cランク以上の冒険者は全員強制召集がかかりました! 詳しいお話はギルドマスターから直接ありますので、今すぐ、至急ギルドへ向かってください!!』
「……はい?」
『緊急事態です! 街が危ないんです! お願いします!!』
プツッ、ツーツー。
一方的に電話が切られ、俺はスマホを握りしめたまま、数秒間フリーズした。
非常事態。ダンジョンブレイク。街が危ない。
俺の【知力:20】の脳細胞が、そのキーワードから導き出した『最悪のシナリオ』は、防衛戦のプレッシャーでも、魔物の恐怖でもなかった。
(街が危ない……つまり、スーパーやコンビニから食料が消える(物流が止まる)ってことか!?)
俺はガバッと布団から飛び起きた。
ただでさえエンゲル係数が爆発している我が家だ。
隣の布団では、ファミレスの全メニューを食い尽くした大食い少女・凛が、よだれを垂らしながらスヤスヤと眠っている。
(マズい! ここで食料の供給がストップしたら、腹を空かせた凛が暴走して、アパートの住人(山田くん)を食っちまう!! 街を防衛する前に、俺の財布と食料庫を防衛しなきゃなんねえ!!)
『マスター! 相変わらず着眼点がぶっ飛んでるけど、凛ちゃんのお腹を守るために全力なとこ、最高にかっこいいよー! がんばれー!』
『……ええ。籠城戦を見据えた物資の確保は、結果論としては生存戦略として間違ってはいません』
チアガール姿のエク子がポンポンを振り回して応援し、トラ子が冷静に追認する。
俺はジャージを羽織り、財布の中身(ギルドから振り込まれたばかりの50万円)を確認した。
よし、ある。
「凛! 起きろ! 緊急事態だ!!」
「……んみゅ? おじさん、あさごはぁん……?」
目をこすりながら起き上がった凛の手を引き、俺は深夜の街へと駆け出した。
向かった先は、もちろんギルド――ではなく、24時間営業の『鬼安の殿堂・ドドンキ』である。
♦︎
「すいません! この棚のカップ麺、段ボールごと全部ください! あと、そっちのポテトチップスとチョコレートも箱で! コーラは2リットルペットボトルを10ダース! レトルトカレーとパックご飯も、在庫あるだけ全部持ってきてください!!」
深夜のドドンキで、俺はカートを何台も連ね、血走った目で爆買いを繰り広げていた。
レジの店員がドン引きしているが、知ったことではない。
凛の胃袋を満たし続けることが、結果的に新宿の平和を守ることに直結するのだ。
「お、お客さん……お会計、合計で12万4,500円になりますけど……これ、どうやって持って帰るんですか? トラックでもないと……」
「大丈夫です! これに入れるんで!」
俺は、ポケットからくしゃくしゃになった『黄色いドドンキのレジ袋』を取り出し、バサッと広げた。
「……は?」
店員が呆気にとられる前で、俺は山積みになった段ボール箱を次々とその黄色い袋の中へ放り込み始めた。
ドドンキの袋に触れた段ボールは、まるで水面に沈むようにシュルリと吸い込まれ、完全に消失していく。
「うおおおおおっ! 入れ! 限界まで詰め込めェ!!」
カップ麺の山が消え、コーラの海が消え、米の入った段ボールが次々と四畳半の亜空間へと消えていく。
俺はギルドからもらった手当を惜しげもなく使い、袋の容量ギリギリまで12万円分の食料を買い漁った。
「あわわ……手品……?」
腰を抜かしそうになっている店員を尻目に、俺は満杯になった(しかし重さはゼロの)黄色い袋をギュッと結び、肩に担いだ。
(ふぅ……これで最悪、一週間くらい防衛戦が長引いても、凛の腹は持つだろう)
『マスター、見積もりが甘すぎます。昨日の消費量から計算すると、この四畳半分の食料でも持って三日です』
(三日で四畳半が空になる!? マジかよ、ふざけんな俺の食費!!)
絶望的な計算結果にめまいを覚えながら、俺は店を出た。
「よし、凛。買い出しは終わった。
おじさんはこれからギルドの用事(お仕事)があるから、お前は一旦アパートに帰って留守番してろ。絶対に外に出るなよ」
俺がそう言って頭を撫でようとした、その時だった。
「……ううん」
凛は俺の手を避け、ふるふると首を横に振った。
その顔から、先ほどまでの無邪気な笑顔がスッと消え去っている。
「どうした?」
「おじさん。わたし、あっちに行く。おじさんと一緒にいく」
凛が指差した方向。
それは、冒険者ギルド本部のある方向であり――同時に、ダンジョンブレイクの危機が迫る『黒曜の森』がある方向だった。
「ダメだ。今日は危ない仕事なんだよ。お前みたいな子供がウロチョロしてたら――」
「……ちがうの」
凛は、その赤い瞳を細め、新宿の夜空を睨みつけるように見上げた。
「あっちから……すっごく『懐かしい匂い』がするの。……わたしの、大事だったもの。……思い出さなきゃいけないものの、匂い」
その声には、普段の子供っぽさは微塵もなかった。
俺は彼女の奥底から、微かな、しかし確かな『感情の揺らぎ』を感じ取っていた。
(懐かしい匂い……? 迷子の記憶の欠片か何かか?)
普通に考えれば、ダンジョンブレイクの元凶と彼女の間に何らかの繋がりがあると疑うべき場面だ。
だが、俺の【知力:20】の脳内では、その言葉は全く別の意味に変換されていた。
(なるほど。親とはぐれた迷子が、遠くから自分の家族の匂いを感じ取ったんだな。
なら、ギルドに行けば、もしかして迷子の捜索依頼とか出てるかもしれないしな)
「……わかった。一緒に行くか」
「ほんと!?」
「ああ。ただし、おじさんの後ろから絶対に離れるなよ。あと、勝手にご飯食べちゃダメだぞ」
「うんっ! わかった!」
パッと花が咲いたように笑顔に戻った凛と手を繋ぎ、俺は四畳半分のカロリーが詰まった黄色い袋を揺らしながら、サイレンの鳴り響く新宿の街をギルドへと向かって走り出した。
これから向かう先が、Aランク冒険者すら瞬殺する化け物の大群が待ち受ける死地だということも知らずに。
そして、俺の隣を歩くこの無邪気な大食い少女こそが、その化け物たちが血眼になって探している『絶対捕食者の主』であるということも、当然、知る由もなかったのである。




