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迷宮氾濫1  非常事態

 冒険者ギルド新宿本部、地下の作戦会議室。

 普段は幹部たちが怒号を飛ばし合うその部屋は息が詰まるほどの重苦しい沈黙に包まれていた。


「……定時連絡、未だにありません。魔導通信機からの応答は完全に途絶しました」

 通信士の顔面は蒼白だった。


 ギルドマスターの片桐豪は、テーブルの上で組んだ両手に額を押し当て、ギリッと奥歯を噛み締めた。

「……全滅、か」


 昨日、黒曜の森へと派遣された特務調査隊。

 Aランク剣士をリーダーとし、Bランクの精鋭たちで固められた、新宿支部でも五本の指に入るエリート混成チームである。


 彼らが、たかだかDランク指定のダンジョンで行方不明になるなど、本来であれば絶対にあり得ないことだった。

 罠にハメられたか、あるいは未知の階層崩落に巻き込まれたか。


 だが、事態はもっと最悪な方向へと転がっていることを、会議室の全員が本能で察知していた。


「ギルドマスター! このままではマズいです。AランクとBランクの部隊を以てしても『倒せない何か』が、あの森に潜んでいると断定するべきです!」


「あそこは新宿のすぐ隣だぞ! もしそれが外に出てきたらどうするんだ!」

 幹部たちが口々に危機感を露わにする。


 片桐はゆっくりと顔を上げ、重々しい声で決断を下した。


「……Aランクの隠密特化部隊、『シャドウ』を派遣する。目的は情報収集のみ。

いかなる事態に遭遇しようとも、絶対に戦闘は行わず、対象の姿と数を視認した時点で即座に帰還せよ、と伝えろ」


 戦闘ではなく、ただ「見て逃げる」ためだけにAランクのプロフェッショナルを3名投入する。

 それが、ギルドが取れるギリギリの最善策だった。


 ◆


 だが、その最善策すらも、絶対的な絶望の前には無力だった。

 翌日の未明。

 ギルドの裏口から転がり込むようにして帰還した隠密部隊『シャドウ』のメンバーは、たったの「1名」にまで減っていた。


「おい、しっかりしろ! 回復魔法を! 早く!」

 救護室のベッドに寝かされたその男は、満身創痍だった。


 左腕は根本から引きちぎられ、全身は魔力による火傷と裂傷でズタズタ。

 息をしているのが不思議なほどの重傷だ。


 隠密ステルススキルにおいて日本有数の実力を持つ彼が、逃げることすらままならず、仲間を囮にして命からがら這い戻ってきたのである。


「ギル、ド……マスター……っ!」

 男は、駆けつけた片桐の胸ぐらを、残った右腕で血を吐きながら力一杯掴んだ。


「……報告しろ。あの森の奥底で、何を見た?」

「あくま、です……っ。真っ白な、髪……禍々しい角と、血のように赤い、眼……っ」

 その特徴を聞いた瞬間、片桐の心臓がドクン!と嫌な音を立てて跳ねた。


 ――白髪。角。赤い眼。

 それは先日、あの規格外の男・結城誠が「腹ペコの迷子」だと言い張って連れ帰ってきた、あの少女の風貌と完全に一致していたからだ。


(やはり、あの娘が元凶……いや、待て。あの娘は今、結城誠の監視下にあるはずだ。

ならば、森にいるのは……?)


「一匹じゃ、ありません……っ! 同じ姿をしたバケモノたちが……魔物も、人間の死体も、すべてを喰らい尽くしながら……っ、その数を、増やしている……!」


「数を増やしているだと……!? 規模はどれくらいだ!」

 男は、恐怖に完全に瞳孔を開ききった眼で、ガチガチと歯を鳴らしながら答えた。


「ひゃく、以上……っ。そいつらが今、血の匂いを求めて……上層へ向かって、大群で、進軍を始めています……ッ!!」


 その報告を聞いた瞬間、救護室にいた幹部や医療班の全員が、凍りついたように息を呑んだ。


 絶望。

 Aランク冒険者を瞬殺するバケモノが、100体以上。

 それがダンジョンの出口に向かって進軍している。

 それが意味することは、ただ一つ。


「……『ダンジョンブレイク(迷宮氾濫)』だ」

 片桐の声が、無機質に響いた。

 防壁が破られれば、新宿の街はわずか数時間で火の海となり、数百万の市民がバケモノたちの餌と化すだろう。


 もはや、一刻の猶予もなかった。

「総員に通達!! これより冒険者ギルド新宿本部は、『非常事態宣言』を発令する!!」


 片桐の怒号が、ギルド内に響き渡った。

「政府及び自衛隊に至急連絡! 近隣住民を直ちに避難させろ!

そして、新宿支部に登録されている【Cランク以上】の全冒険者に対して『強制徴募(防衛召集)』をかけろ!!

拒否する者はライセンス剥奪だ! 全戦力を以て、黒曜の森のゲートを封鎖しろォォッ!!」


 深夜のギルドが、蜂の巣をつついたような大パニックに陥った。

 通信士たちが悲鳴のような声で各所へ連絡を飛ばし、サイレンの音が新宿の街に鳴り響き始める。


 そんな中、片桐はギリッと唇を噛み締めながら、ある男の顔を思い浮かべていた。

(結城誠……! まさか、あの男はあの娘を保護した時点で、この事態を予見していたのか?

だからこそ、街で暴れさせないためにあえて自らの手元に置いたとでも言うのか……!?)


 片桐の脳内で、結城誠の評価が「災害級の魔獣使い」から「すべてを見通す恐るべき賢者」へと、さらなる凄まじい勘違いの飛躍を遂げていた。


「おい、結城誠に至急連絡を取れ! ギルドマスターからの直接命令だ。至急、ギルド本部へ合流し、防衛戦の要となってくれ、とな!」

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