ギルドと少女
『……マスター。見事な手懐け具合ですね。これで、彼女が再び暴走する確率は大幅に低下したと推測されます。
……まあ、エンゲル係数は跳ね上がりそうですが』
(よしよし、とりあえず餌付けは完了だな。じゃ、このままギルド本部に行って報告してくるか)
俺はご機嫌な足取りで、コーラをちびちびと飲む少女と手を繋ぎながら、冒険者ギルド新宿本部へと向かったのだった。
――そして数十分後。
冒険者ギルド新宿本部、1階ロビー。
いつものように、多くの冒険者たちがクエストの受注や報告で賑わっていたはずのロビーは、俺と少女が足を踏み入れた瞬間、水を打ったように静まり返った。
「…………っ!?」
ベテランのCランク、Bランクの冒険者たちが、次々と武器に手をかけ、あるいは顔面を蒼白にして後ずさる。
彼らの視線は、俺の隣でコーラのペットボトルを抱きしめている、白い髪の少女に釘付けになっていた。
「お、おい……嘘だろ……?」
「なんだあのガキから漏れ出てる魔力は……! 息をしてるだけで、空気が軋んでやがる……っ!」
「角……なんだあれは!? いや、違う! あれは完全に『魔物』だ! それも、災害級の……!!」
そう。
街を行く一般人には「コスプレ」としか認識されなかった彼女の異常性は、魔力に敏感な熟練の冒険者たちからすれば、まさに『歩く核弾頭』に等しかったのだ。
(うおっ……なんかスゲー見られてるな。やっぱり角のコスプレが珍しいのか?)
『マスター。その天然の解釈力には、AIの私でも恐怖を覚えます。彼らはマスターの連れている「災害」に怯えているんですよ』
俺は、そのまま受付カウンターへと直行した。
カウンターの奥で書類仕事をしていた雨宮さんが、俺の姿を見るなり、ガタッ!と椅子から立ち上がった。
「ゆ、結城、様……!? ご、無事で……って、その……隣にいらっしゃる、方は……!?」
雨宮さんの声は震え、顔からは血の気が完全に失われていた。
俺は笑顔でドドンキの袋を揺らした。
「あ、雨宮さんお疲れ様です! 例の『黒曜の森』の調査、サクッと終わらせてきましたよ! いやー、行方不明の原因かどうかは分からないんですけど、ダンジョンの奥で腹ペコの迷子を見つけちゃいまして。
放っておけなくて連れてきちゃいました!」
「ま……迷子……?」
雨宮さんの目が、限界まで見開かれる。
彼女の視線の先で、少女は「げっぷぅ」とまた小さくコーラのゲップをして、俺のジャージの袖に顔を擦り付けていた。
「とりあえず、詳しい報告をしたいんで、奥の部屋に行ってもいいですか?」
「あ……は、はいっ! ただいま、ギルドマスターと幹部を至急お呼びいたします! 結城様は、あの、その……『迷子ちゃん』と一緒に、一番奥の特別防衛応接室へ!!」
雨宮さんは半狂乱になりながら、ギルド内の緊急通信魔導具を叩きまくった。
♦︎
冒険者ギルド新宿本部、最深部にあるミスリル装甲で覆われた特別防衛応接室。
分厚いソファに座る俺と少女の向かいには、ギルドマスターの片桐豪と、冷や汗を滝のように流す幹部職員数名が、ガチガチに緊張した面持ちで並んで座っていた。
「……結城誠、くん。だったな。俺がギルドマスターの片桐だ」
「初めまして。……こんな物騒な部屋に通されるとは思ってませんでしたが」
俺が静かに返すと、片桐はピクリと眉を動かした。
彼は、テーブルの上に置かれた『黒曜の森の魔力残滓データ』と、俺の隣でコーラをちびちび飲んでいる少女を交互に見比べ、重々しく口を開いた。
「……単刀直入に言おう。結城くん。
君が連れてきたその娘が……黒曜の森で15名の冒険者を食い殺した、行方不明事件の『元凶』だ」
「この娘から発せられる魔力波長は、現場に残されていた微弱な痕跡と完全に一致している。
そして、その並外れたプレッシャー……この娘は人間でも亜人でもない。人間の姿を模した、災害級の『魔物』だ」
片桐の鋭い視線が、少女に向けられる。
少女は「しゃーっ!」と威嚇するように牙を剥き出しにした。その一瞬の殺気だけで、応接室の空気が氷点下まで凍りつく。
(だが……もし今ここで討伐戦を始めれば、このギルド本部は消し飛び、新宿は火の海になる。最悪の場合、街の機能そのものが崩壊するだろう)
幹部たちが息を呑み、戦闘態勢に入る。
だが、俺は驚くこともなく、ただ短く息を吐き出した。
「……ええ。知っています」
「…………なに?」
片桐の目が鋭く細められた。幹部たちから「なっ!?」と驚愕の声が漏れる。
「現場に『武装』だけが残され、血痕も残っていなかった理由、そしてこいつから漂う異常な魔力。
……こいつが冒険者の『中身の人体だけ』を捕食したバケモノであることは、森で出会った時に確信しました」
「知っていて、なぜ生かしてここに連れてきたッ!? 今すぐそいつから離れろ! 討伐隊を――」
「待ってください」
俺は、立ち上がろうとした幹部を低い声で制した。
「今ここでこいつに殺意を向けて戦闘を始めれば、この本部ビルはおろか、新宿の街が火の海になりますよ。
……片桐ギルドマスターなら、こいつの規格外のプレッシャーがどれほどのものか、お分かりでしょう?」
俺の言葉に、片桐はギリッと奥歯を噛み締めた。
彼には見抜けていたのだ。
この少女が、Aランク冒険者でも勝てるかどうかわからない『歩く災害』であることに。
「……では、なぜ連れてきた?まさか新宿を人質に取るつもりか?」
「俺は元々、ギルドの事務方です。だからこそ、ここでこいつを殺して『はい解決しました』で終わらせるわけにはいかなかったんです」
俺は隣に座る少女の白い髪に視線を落とした。少女はきょとんとした顔で俺を見上げている。
「こいつは悪意で殺したんじゃない。ダンジョンの異常発生で生まれ、ただ『飢え』という本能に抗えなかっただけの存在だと考えてます。
……なぜこんな例外が生まれたのか。
それを調べ、根本的な原因を解決しない限り、また第二、第三のバケモノが生まれて同じ犠牲者が出ます。
15人の遺族に『真実』を報告するためにも、こいつという生きたサンプルを手放すわけにはいかない」
応接室は、静まり返っていた。
ギルド幹部たちが、ゴクリと唾を飲み込む音が聞こえる。
「……だが、そいつの飢餓をどうするつもりだ。街で人が喰われるぞ」
「だから、俺が『人肉より美味いもの』を与えて味覚を上書きし、手懐けました。こいつの首輪(手綱)は、俺が握ります」
俺は片桐を真っ直ぐに見据え、告げた。
「俺の監視下に置き、俺が責任を持って管理します。
……万が一、こいつが再び人間に牙を剥くようなことがあれば、その時は俺がこの手で、確実に処理します…俺にはそれができる」
その言葉には、一切のハッタリも迷いもなかった。
片桐は、目の前のジャージ姿の男から放たれる、底知れない覚悟と凄みに圧倒されていた。
(結城誠……。こいつは、この化け物が何であるかを完全に理解し、最悪の事態を引き受ける覚悟で、あえて自ら泥を被ろうというのか……!)
即座に討伐すれば街に危害が及ぶ、かといって放置もできない。
その究極のジレンマを、結城誠という男は「自分が飼い慣らす」という狂気じみた、しかし最も現実的な手段で解決しようとしている。
片桐は深く、重い息を吐き出した。
「……わかった。結城くんの提案を受け入れよう」
「ギ、ギルドマスター!?」
「黙れ。我々ギルドの総力を挙げても、今ここで彼女を無傷で制圧することは不可能だ。
……結城誠。君に、彼女の『監視』と『管理』を一任する。責任を持って、彼女の面倒を見ろ」
「……承知しました」
俺は一つ頷き、それからフッといつもの調子に戻って頭を掻いた。
「あー、それでですね。この子、見た目以上に燃費が悪くて、エンゲル係数がヤバそうなんですよ。
監視手当というか、食費の補助とか多めに出してもらえませんかね? 俺、入院してる妹の治療費で結構カツカツでして」
先ほどまでのヒリつくような死闘の空気から一転、あまりにも俗っぽい要求。
片桐は一瞬毒気を抜かれたような顔になり、やがてハハッ、と短く笑った。
「もちろん、彼女の生活費や食費として、毎月特別手当を支給しよう。今回の事件の調査報酬である200万円も、満額で支払う。……それで足りるか?」
「十分すぎます。助かりますよ」
200万円と、毎月の特別手当。
俺の脳裏に、美桜の笑顔と、特上すき焼きの映像がフラッシュバックした。
「……おじさん、かえる?」
少女が俺の袖を引っ張り、赤い瞳で俺を見上げる。
この細い腕で、15人を殺した化け物。
俺はその事実から目を背けることなく、彼女の頭をポンと撫でた。
「ああ、帰るぞ。俺たちの家に」
こうして俺は、行方不明事件の調査に行った結果、ギルドの裏承認のもと「災害級の魔物」を、己の命と引き換えの監視対象(居候)として連れ帰ることになってしまったのである。
『……見事な交渉術と、凄まじい覚悟ですね、マスター。
ですが、これで完全に退路は断たれましたよ』
(わかってる。だからこそ、絶対にこいつに人肉の味なんか思い出させない。毎日腹いっぱい美味しい食べ物を食わせてやるさ)
『……でも美桜さんの治療費に加えて、この娘のエンゲル係数……。
マスター、Cランクに昇格したとはいえ、これから死ぬ気でダンジョンに潜って稼がないと、破産しますよ』
(確かにそうだな…)
語りかけるトラ子に返しつつ、俺は隣でコーラを抱きしめる少女を見ながら、これからの波乱万丈な生活に向けて深くため息をつくのだった。




