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ジャージの男と少女とコンビニと


 じめじめとした『黒曜の森』を抜け出し、ダンジョンのゲート(出入口)を潜り抜けると、そこはすっかり夕闇に包まれた新宿の街だった。


 空を赤く染める夕日と、それに負けじと瞬き始めるネオン。

 高層ビル群の隙間を縫うように、車がヘッドライトを光らせて行き交っている。


「……あ、あかるい。星が下にある……?」

 俺のジャージの袖をギュッと握りしめたまま、名もなき異形の少女は、初めて見る『大都会・新宿』の景色に口をぽかんと開けていた。


「あれは星じゃなくて、ビルの明かりや街灯だな。ほら、口開けっ放しだと虫が入るぞ」


「むし、美味しくないからキライ……」

 少女が器用にブルブルと首を振る。

 どうやら過去に虫系の魔物を食べて不味かった経験があるらしい。


 それにしても、こうして明るい場所で見ると、彼女の姿はひときわ異彩を放っていた。


 透き通るような白い肌に、真っ白な髪。

 ルビーのように赤い瞳に、額から伸びる二本のねじれ角。そして、ボロボロの布ような服。


『マスター。対象のその容姿、表の街を歩くには目立ちすぎます。警察に職務質問される確率が極めて高いかと』

(いや、ここは新宿だぞトラ子。歌舞伎町とかアキバが近いこの辺りなら、案外スルーされるって)


 俺の予想通り、すれ違うサラリーマンや若者たちは、少女を二度見こそするものの、通報するような素振りは見せなかった。


「おい見ろよ、あの子。すげえクオリティ高いコスプレだな」

「角の造形やばくない? 特殊メイクかな。でもあんなアニメあったっけ?」


「隣のおっさんのジャージ姿とのギャップがウケる。マネージャーかなんか?」

 そんな声がバッチリ聞こえていた。


 ほら見ろ、完全に「出来のいいコスプレイヤーと、その裏方のおっさん」という扱いだ。都会の人間は多様性に寛容で助かる。


「……おじさん。あっちの、ピカピカ光ってる四角いお家、なに?」


 少女が突然、犬のように鼻をヒクヒクとさせ、ある建物を指差した。


 そこは、煌々と看板の明かりを灯す、大手コンビニエンスストアだった。


「ああ、あれはコンビニだ。いろんな食べ物とか飲み物を売ってる場所だな。……さっきの唐揚げ弁当もあそこで買ったんだぞ」


「っ!! あそこに行けば、あの『からあげ』がいっぱいあるの!?」


 少女の赤い瞳が、カッ!と尋常ではない光を放った。

 絶対捕食者の本能が、コンビニという名の『餌場』を完全にロックオンしている。


「あ、こら、引っ張るな! わかった、わかったから!」

 俺は少女の凄まじい馬力に引きずられるようにして、コンビニの入り口へと向かった。


 ウィーン、という電子音と共に、自動ドアが開く。

「――――ひゃっ!?」

 少女はビクッと肩を震わせ、俺の背中にサッと隠れた。

「ど、ドアが勝手に開いた……っ! おじさん、ここ、透明な魔物がいるの!?」


「違う違う、自動ドアって言って、人が来たら勝手に開く機械なんだよ。大丈夫だから、入るぞ」

 俺は怯える少女の手を引き、明るい店内へと足を踏み入れた。


 陳列棚にズラリと並ぶ、色とりどりのパッケージ。おにぎり、パン、スナック菓子、そしてレジ横から漂う、魅惑的な揚げ物の匂い。


「あわわ……っ、おじさん、これ全部たべもの!? ここは天国なの……!?」

 少女は目を回さんばかりの勢いで、棚から棚へと視線を彷徨わせている。


 完全に「初めておもちゃ屋に連れてこられた子供」のテンションだ。


「よしよし。じゃあ、街までおとなしく歩いてきたご褒美に、ちょっとだけおやつを買ってやるよ。喉も渇いただろうし、飲み物も一緒に選ぼうか」


「ほんと!?」

 俺は少女と手を繋いだまま、店内の奥にある冷蔵ケースへと向かった。


 ガラスの向こうにズラリと並ぶ色とりどりのペットボトルを前に、少女は目を白黒させている。

「すっごい……お水がいっぱいある……色がぜんぶ違うよ……」


「どれがいい? 果物の甘いジュースとか、お茶とか色々あるけど」

 少女はガラス越しにジッと飲み物を吟味していたが、ふと、ある一本のペットボトルを指差した。


「……おじさん、これなに? くろいお水」

 彼女が不思議そうに指差したのは、真っ黒な液体の入った500mlの『コーラ』だった。


「おっ、コーラか。炭酸だけど飲めるか?」

「たんさん……? わかんないけど、これがいい!」


「よしよし。じゃあこれにしよう」

 俺は冷蔵ケースからコーラのペットボトルを取り出し、レジへ向かった。


「すいません、そこのホットスナックの『骨なしフライドチキン』一つと、これお願いします」


「かしこまりましたー」

 俺はなけなしの所持金からチキンとコーラの代金を支払い、少女と共にコンビニを出た。

 コンビニを出てすぐの、街灯の下。


 俺は、熱々の骨なしチキンが入った紙袋を、少女に差し出した。

「ほら、食べてみろ。弁当に入ってた唐揚げの、もっとデカくて熱いやつだ」


「あ、あったかい……っ」

 少女は両手で大切そうに紙袋を受け取ると、中から黄金色に揚がった分厚いチキンを取り出した。

 スパイシーな黒胡椒と、鶏の脂が焦げた匂いが、夜の空気にフワッと広がる。

「た、たべる……いただきますっ!」

 少女は、大きく口を開け、ガブッ! とチキンにかぶりついた。


 ザクッ!!!

 ジュワァ……ッ!!


 次の瞬間。

「――――ぁ、あぁぁぁっ……!!」


 少女の目から、滝のように涙が溢れ出した。

 分厚い衣に閉じ込められていた、灼熱の肉汁。

 

 それが口の中いっぱいに弾け飛び、スパイシーな味付けと鶏肉の圧倒的な旨味が、彼女の舌を容赦なく蹂躙した。


「お、おいしい……っ! お弁当のからあげも美味しかったけど、これ、あつあつで、お肉がやわらかくて……っ! ああぁぁぁ……っ!!」


 少女は泣きながら、取り憑かれたようにチキンを貪り食った。


 魔物の生肉なんかじゃ絶対に味わえない、『加熱』と『調味料』という人類の英知の結晶。


 それを初めて知った野生のバケモノの感動は、もはや言葉では言い表せないレベルに達していた。


「あはは、そんなに美味いか。そりゃよかった。……ほら、喉渇いただろ。一緒に選んだそれも飲んでみろ」


 俺は、少女が大切そうに抱えているコーラを指差した。

「うんっ!」

 少女がペットボトルのキャップに手をかけ、力任せに捻った。


 ――プシュウゥゥゥゥッ!!

 炭酸の抜ける音がした瞬間、少女は「ひっ!?」と短い悲鳴を上げてペットボトルを落としそうになった。


「お、おじさん! この黒いお水、怒ってる! シューシュー言ってるし、よく見たらブクブク泡立ってるよ!!」


 少女の赤い瞳が、コーラのペットボトルを恐怖に満ちた目で見つめている。


「だめっ、おじさん! これ、絶対に危ないよ!毒の沼と同じ感じがするもん! のんじゃだめ!!」


「いやいや、毒じゃないって。これは炭酸っていってな、わざと泡を出してるんだよ」


「うそだ! だって黒くてブクブクしてるもん! そんなの飲んだら、胃袋が溶けちゃうよぉ!!」


 完全に未知の飲み物に怯えきっている少女。

 これは言葉で説明するより、行動で示した方が早いな。


「貸してみろ。ほら、こうやって飲むんだよ」

 俺は少女からペットボトルを受け取り、ゴクッ、ゴクッ、と喉を鳴らしてコーラを飲んだ。


 シュワシュワとした炭酸の刺激と、ジャンクな甘さが喉を潤していく。

「ぷはぁっ! くぅ〜、ダンジョン歩き回った後のコーラは最高だな!」


 俺が笑顔で息を吐くと、少女は信じられないものを見るような目で俺を見上げた。

「お、おじさん……死んでない……? 胃袋、溶けてないの……?」


「当たり前だろ。ほら、少しだけ口つけてみろ。甘くてびっくりするぞ」

 俺がペットボトルを差し出すと、少女は恐る恐る、本当に毒見でもするような及び腰で近づいてきた。


 そして、小鳥が水を飲むように、ちょこんと唇をつけて、コーラを少しだけ口に含んだ。

「――――ッ!?」

 パチパチパチッ!!!


 口の中で弾ける、未知の刺激(炭酸)。

 少女は「ッ!?」と一瞬顔をしかめたが、その直後、刺激の奥から押し寄せてくる『暴力的なほどの圧倒的な甘みと、爽快感』に気づいた。


「あ……あま……っ! なにこれ、チクチクするけど、すっごく甘い……っ!」

 少女の表情が、恐怖から驚愕へ、そして極上の悦びへと変わっていく。


 彼女はペットボトルを両手でガシッと掴むと、今度は躊躇することなく、ゴクゴクゴクッ!と勢いよくコーラを流し込み始めた。


「こらこら、一気に飲むと――」

「んぐっ、んぐっ……ぷはぁぁぁっ!!」

 半分ほどを一気に飲み干した少女は、満面の笑みを浮かべて大きく息を吐き出した。


 そして。

「……げっぷぅ」

 可愛らしい顔から、炭酸に押された立派なゲップが飛び出した。


「あ……」

 少女はハッとして両手で口を覆い、顔を真っ赤にしてうつむいた。


「あはははっ! だから一気に飲むなって言っただろ! どうだ、一緒に選んだ飲み物、美味かったか?」


「……うんっ! 黒いお水、チクチクして、あまくて、すっごく美味しい! わたし、これだいすき!!」


 少女はペットボトルを大事そうに抱きしめながら、最高の笑顔を見せた。

 ダンジョンの絶対捕食者は、コンビニの骨なしチキンとコーラという、現代のジャンクフードの前に完全敗北(陥落)したのである。

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