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Cランク初依頼

 関東郊外に位置する、とあるDランクダンジョン。

 その最下層に近い深い森のエリアで、一人の『少女』が目を覚ました。


「……ここは、どこ?」

 じめじめとした冷たい石壁。薄暗い通路を照らすのは、壁に生えた青白い発光苔だけ。


 ボロボロになった布を纏い、華奢な手足を持った、十代半ばほどの背格好。

 しかし、彼女の頭の中には「自分が誰なのか」、「なぜここにいるのか」という過去の記憶が一切存在していなかった。


 思考を覆い尽くしているのは、ただ一つ。

(……お腹が、空いた)

 内臓を焼き尽くすような、強烈な飢餓感(空腹)だった。


 ふらつく足で歩き出すと、茂みの奥から、巨大な牙を持ったDランク魔物『キラー・ウルフ』が飛び出してきた。

 本来なら、低ランクの冒険者が数人がかりで対処する猛獣だ。


 ウルフは少女の細い首を食いちぎろうと、大きな口を開けて襲いかかってきた。


「あ……」

 少女は、無意識のうちに腕を振るった。

 ズパァッ!! という肉の裂ける音。少女の細い指先が、まるで名刀のようにキラー・ウルフの胴体を真っ二つに引き裂いていた。


 血の匂いが、少女の鼻腔をくすぐる。

 彼女は衝動を抑えきれず、地面に転がった魔物の肉塊にすがりつき、生肉を貪り食った。


 生臭い。不味い。けれど、胃袋に肉が収まるたびに、失われていた熱が少しだけ体に戻ってくる感覚があった。


「足りない……。もっと、食べなきゃ」

 少女は歩き出した。

 現れる魔物を手当たり次第に引き裂き、貪り食う。ゴブリン、オーク、大蜘蛛。どれも不味いが、空腹を満たすために口に詰め込んだ。


 ふと、地下水脈が流れ込む透明な水辺に出た。

 少女は水を飲もうとして水面を覗き込み、ピタリと動きを止めた。


 水面に映っていたのは、真っ白な髪と、血のように赤い瞳。

 そして、額から生えた二本の『ねじれた角』と、唇からのぞく鋭い『牙』だった。


「……あ。わたし、ニンゲンじゃ、ないんだ」

 記憶はないはずなのに、少女はなぜか、彼らが『ニンゲン』という生き物であると知っていた。


 そして自分が『魔物モンスター』であることを理解しても、少女の心に波立ちはなかった。


 ただ、どれだけ魔物を食べても治まらない、胃袋の底にポッカリと空いた穴のような虚無感だけが、彼女を焦燥させていた。


 さらにダンジョンを彷徨っていると、ふいに「魔物とは違う風体の生き物」の集団と鉢合わせた。

 金属の鎧を着て、武器を持っている。


「おい、見ろ! あんなところに子供が……」

「馬鹿、よく見ろ! 角が生えてるぞ! 新種の魔物だ!!」


「殺せ! 油断するな!!」

 ニンゲンたちは、少女を見るなり敵意を剥き出しにして攻撃を仕掛けてきた。

 放たれた炎の魔法が少女の肩を焼き、鋭い矢が太ももを貫く。


「……いたい、痛いっ!」

 少女は顔をしかめた。


 だが、次の瞬間には、ジュウウッという蒸気と共に、焼かれた皮膚が再生し、刺さった矢が筋肉の膨張によってポロリと押し出され、傷口が完全に塞がっていた。


 大量の魔物を食したことで、彼女の肉体は異常な再生能力を獲得していたのだ。

「な、なんだこいつ!? 傷が……ひぃっ!?」

 ニンゲンたちが恐怖に顔を引き攣らせ、後ずさる。


 少女にとっては、彼らの攻撃は「ちょっと痛いだけ」で、全く脅威ではなかった。

 少女がスッと距離を詰めると、ニンゲンたちは為す術もなく地面に組み伏せられ、制圧された。


「……まただ。お腹が、空く」

 暴れるニンゲンを見下ろしながら、少女の赤い瞳が、ギラリと妖しく光った。


 どうしてだろう。さっきまで不味い魔物の肉をあれだけ食べたのに、目の前のニンゲンたちからは、とても『美味しそうな匂い』がする。

「くるな、化け物ォォッ!!」


「……いただきます」

 少女は、衝動に抗うことができなかった。

 彼女は、最も近くにいたニンゲンの首筋に、鋭い牙を突き立てた。


「――――ッ!?」

 駆け巡る衝動。

 温かくて、甘くて、濃厚な『魔力』が、血液と共に喉の奥へと流れ込んでくる。


 魔物の肉とは比べ物にならない極上の味が、少女の味覚と脳髄を強烈に痺れさせた。

「あ……ああ……っ」


 少しだけ、空腹が満たされた。

 だが、それと同時に、これまでにないほど激しい『飢え』が、少女の全身を支配した。


 この味を知ってしまったら、もう、泥水のような魔物の肉には戻れない。

「もっと。……もっと、欲しい。もっと、たべたい……っ!」


 少女は、残りのニンゲンたちへと飛びかかった。

 薄暗いダンジョンの奥底に、ニンゲンたちの絶望的な悲鳴が響き渡り、そして静寂が訪れた。


 そして、彼女の足元には先ほどまでニンゲンたちが身につけていた金属の鎧、剣、杖、そして衣類だけが、まるで中身だけが蒸発したかのように、無造作に転がっていた。


 彼女が求めたのは『人体にく』のみ。

 硬い金属や布には、興味はなかった。


 少女は、口の周りをべっとりと赤く染めながら、狂気に満ちた笑みを浮かべて、次なる『極上の餌』を求めてダンジョンの闇の中へと消えていった。


 ◆


 場所は変わり、冒険者ギルド新宿本部の応接室。


「……ということで、結城様。この依頼、受けていただけないでしょうか?」


 ソファに深く腰掛けた俺(結城誠・35歳)は、対面で深々と頭を下げる受付嬢の雨宮さんと、ギルドの幹部職員を前にして、盛大にため息をついていた。


「いや、ちょっと待ってください。なんで俺なんですか?」


 つい先日、Cランクに飛び級昇格してしまった俺。さっそくギルド本部から呼び出しを食らい、厄介ごとを押し付けられようとしていた。


「実は最近、郊外にあるDランクダンジョン『黒曜の森』において、冒険者の行方不明事件が多発しているのです」


「行方不明? ダンジョン内で魔物にやられて死んだだけじゃなくて?」


「はい。通常、魔物に襲われた場合でも、遺体の一部や遺骨が残るものです。

 しかし……今回の事件は、非常に不可解なのです」


 幹部職員が、深刻な顔で現場の写真資料をテーブルに並べた。

「DランクやEランクのパーティが計4組、消息を絶っているのですが……現場と思われる場所には、彼らが装備していた武器や鎧、衣類だけが、そのままの形で残されているのです」


「……装備だけ?」

「はい。武器や防具はそのままで、まるで中身の人間だけが忽然と消え失せたかのような……。血痕も、ごくわずかしか残されていません」


 俺はその写真を見て、背筋が少しだけゾクッとした。

(鎧や服を残して、人間だけが消える? ……トラ子、どう思う?)


『マスター。可能性として人体のみを捕食する、知能の高い個体の存在です』

(うわぁ……それはそれで気味が悪いな……)


 俺は腕を組み、露骨に嫌そうな顔を作った。

「そんなヤバそうなダンジョンの調査、俺みたいな新米Cランクに任せるのは荷が重すぎませんか? もっとベテランの人に頼めばいいじゃないですか」


「それが……」雨宮さんが困ったように眉を下げる。

「残された装備品の不気味さから、ベテランの冒険者たちも『呪われたダンジョンだ』と恐れてしまい、誰もクエストを受注してくれないのです」


「みんなどんだけオカルト怖いんだよ! 冒険者だろ!」


「そこで、ギルド本部としては、あの剛堂教官を素手で倒した圧倒的な実力を持ち、なおかつしがらみのない新鋭である結城様に、白羽の矢を立てた次第です」


 完全に「剛堂教官を倒したバケモノ」という誤解が、ギルド上層部で確定事項になっている様だ。


「いやー、でも俺も幽霊とかそういうの苦手でして……腰痛もちょっと悪化気味で……」


 俺がのらりくりと逃げようとすると、幹部職員がスッと一枚の紙をテーブルに滑らせた。


「もちろん、報酬は破格の【200万円】。さらに、原因となる魔物を討伐した場合は、特別ボーナスとして追加で【300万円】をお支払いします」

「…………」

 計、500万円。


 俺の脳裏に、現在入院中の妹・美桜の笑顔と、特上の霜降り肉が山のように積まれた『超豪華すき焼きセット』の映像がフラッシュバックした。


『マスター。美桜さんの今後のリハビリ費用や、退院後の生活環境を整える資金として、この金額は非常に魅力的です』

(トラ子……お前、俺の弱点を完全に把握してやがるな……!)


 500万円あれば、アパートももっとセキュリティのしっかりしたオートロックのマンションに引っ越せる。

 美桜に、ふかふかのベッドをプレゼント出来る。


「……分かりました。ギルドの危機とあらば、このCランク冒険者・結城誠、一肌脱ぎましょう」


 俺は、さっきまでの嫌悪感を180度反転させ、キリッとした顔で依頼書を手に取った。


「ありがとうございます、結城様! 期待しております!」

「あ、でも調査だけですからね! もし手に負えない化け物が出たら、俺、一目散に逃げてギルドに報告に戻りますからね!」


 念を押すように言う俺に、雨宮さんたちは「結城様ほどの腕があれば……」と完全に的外れな信頼の眼差しを向けてきた。

(……まあ、ヤバい奴に見つかる前に逃げれば調査して帰ってこれるだろ。

大丈夫だ、俺は悪運だけは強いんだから)


 そんな甘い見通しを胸に抱きながら、俺は応接室を後にした。


 その時、俺はまだ知る由もなかった。

 あの薄暗いダンジョンの奥底で、底なしの飢餓を抱えた『異形の少女』が、極上の餌を待ち構えていることを。


 そして、この厄介な依頼が、俺の「平穏な冒険者ライフ」を決定的にぶち壊す、致命的なターニングポイントになるということを。

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