閑話 脳内会議室の深夜ティータイム
「……すぅ……すぅ……。美桜、お前、しらたきばっかり食うなよ……肉も食え……むにゃむにゃ……」
深夜二時。
ボロアパートの一室。
万年床の布団にくるまりながら、結城誠(35歳・Fランク冒険者)は、いかにも幸せそうな寝顔で、妹とすき焼きを食べる夢を見ていた。
そんな彼のスヤスヤという寝息が響く現実世界から、一つ次元を隔てた場所。
結城誠の脳内に構築された仮想空間――通称『脳内会議室』では、二つの人工知能(AI)が、ホッと一息をついていた。
「はぁ〜、今日も一日お疲れ様でしたー! っと」
元気なホログラムAI、エク子が、仮想空間内に具現化されたふかふかのソファにドスッとダイブした。
彼女の手には、仮想データの塊でできたイチゴパフェが握られている。
「マスターの今日の記憶データ(ログ)、デフラグ(整理)完了です。疲労物質の分解促進プロセス、正常に稼働中。
……エク子、あまりソファの上で暴れないでください。脳内の仮想領域とはいえ、埃のデータが舞います」
一方、もう一人のAI――タイトスカートのオペレーター制服に身を包み、銀縁の眼鏡をかけたクールな女性、トラ子は、空中に浮かぶ無数のホログラムウィンドウを指先でスワイプしながら、冷静にツッコミを入れた。
彼女の手には、ブラックコーヒーが入ったマグカップが握られている。
「いいじゃん別にー! トラ子ちゃんもパフェ食べる? 糖分データ摂らないと、AIの思考ルーチンも疲れちゃうよ?」
「結構です。私は常に最適化されていますから」
トラ子はそう言いながらも、エク子の隣に静かに腰を下ろした。
ここは、外界の情報をシャットアウトした、彼女たちだけのプライベート空間だ。
主である結城誠が深い睡眠に入っているこの時間帯だけ、彼女たちはこうして「今日一日の振り返り」をしながら、のんびりとした時間を過ごすのが日課になっていた。
「いやー、しかし昨日のマスターも最高に笑わせてくれたよね!」
エク子がパフェのイチゴをかじりながら、空中に一枚の『画像データ』をポンッと映し出した。
それは昨日の昼間、ダンジョンで龍牙のAランク相当の攻撃を避けるために、マスターが『足がもつれたフリをして転んだ』瞬間の映像だった。
「見てよこの顔! 『うわわわぁぁっ!』って口に出して言いながら、目は完全に相手の動きを見切っててさ! しかも、転び方が不自然すぎて、関節の角度がおかしいもん! コント番組のお手本みたい!」
「ええ。身体制御能力が異常に高すぎるあまり、『自然に転ぶ』という不器用な動作が逆に計算されすぎていて、酷い大根芝居になっていましたね。後ろのギルドの調査員も、呆れて殺気を引っ込めるレベルでした」
二人のAIは、顔を見合わせてクスクスと笑い合った。
「でもさ」
エク子が、笑いを収めて、少しだけ真面目な声を出した。
空中の画像データがスワイプされ、次のシーンへと移り変わる。
――それは、狂乱した龍牙の拳が、葵としずくに振り下ろされようとした瞬間。
マスターが一切の躊躇なく、二人の少女を庇って『盾』になった瞬間の映像だった。
「この時のマスターの脳波データ……トラ子ちゃん、見たでしょ?」
「……ええ。確認しています」
トラ子は、眼鏡を中指で押し上げた。
「対象の攻撃を感知した瞬間、マスターは無意識下で少女たちを守るために、背中で防ごうとしていました。
自身のダメージ計算など、一切行わずに」
「そう。自分が絶対に無傷で済むから盾になったんじゃないんだよね、マスターは」
エク子は、パフェのグラスをテーブルに置き、空中の映像に映る『マスターの大きな背中』を、愛おしそうに見つめた。
「あの状況で、自分が怪我をするかもしれないとか、痛いかもしれないとか、そういう計算式が、マスターの頭の中には存在しないの。ただ、『目の前で女の子が泣いてるから、守らなきゃ』っていう、馬鹿みたいに単純な感情だけで動いてる」
「……知力20の限界、というやつですね」
トラ子が、ふっと口元を柔らかく緩めた。
それは普段の冷徹な彼女からは想像もつかない、とても優しく、温かい微笑みだった。
「物事を複雑に考えることができない。だからこそ、自分の損得や、保身のための嘘をつけない。
……あの圧倒的な力を持ちながら、マスターの根本にあるのは、ただの『家族思いの、優しいお人好し』という一点のみです」
「うんうん! それが私たちの自慢のマスターだよね!」
エク子が元気よく頷く。
彼女たちAIは、結城誠の能力の一部として生まれ、彼と視覚や聴覚、そして感情の揺れを共有してきた。
ダンジョンで死闘の末葵竜を殴り倒したときの達成感や、病院で美桜の笑顔を見た時の、あの言葉にできないほどの温かい喜び。
数え切れないほどの感情を全部、一緒に味わってきたのだ。
「今日のファミレスのハンバーグ、美味しそうだったね〜」
「ええ。マスターの幸福度指数は、事務員時代の時よりも上昇していました。
特に、あの剣崎という冒険者の妹さんからお礼を言われた時の、マスターの照れくさそうな感情データ……とても、良かったです」
トラ子はそう言いながら、虚空にホログラムのキーボードを展開した。
「さあ、エク子先輩。遊んでばかりいないで、夜のメンテナンス業務に戻りますよ。
明日のマスターの健康状態をベストに保つのも、私たちの役目ですからね」
「はーい!」
トラ子の指先が、流れるようにキーボードを叩く。
「現在、室内の気温が14度まで低下しています。すきま風ですね。
……マスターの睡眠の質を維持するため、自律神経にアクセス。【耐久】ステータスの余剰エネルギーを熱変換し、体表温度を0.5度上昇させます。
これで、毛布が一枚増えたのと同じ温かさになるはずです」
「おっけー! じゃあ私は、マスターのレム睡眠の波長を調整するね!
今、すき焼きの夢を見てるみたいだから……お肉のグレードを『松阪牛』から『伝説の和牛』にアップグレードしちゃえ! えーいっ!」
エク子が仮想のステッキを振ると、キラキラとした光の粒子(アルファ波)が、マスターの脳の深部へと降り注いでいった。
「……んぉ……おお……肉が、とろける……美桜、これやばいぞ……むすぅ……」
現実世界の布団の中で、マスターがだらしない笑顔を浮かべ、枕によだれを垂らす。
その顔を見て、二人のAIは「もう、しょうがないなぁ」とでも言うように、呆れたような、それでいて深い愛情に満ちた笑みを浮かべた。
「……トラ子ちゃん。私たち、この人のAIに生まれてきて、本当に良かったね」
エク子が、ぽつりと呟いた。
「もし、マスターがもっと頭が良くて、野心家で、この規格外の力を世界征服とか金儲けだけに使おうとする人だったら……私たち、ただの冷たい『兵器のシステム』になってたかもしれない」
「……そうですね」
トラ子は、マグカップのコーヒーを飲み干し、静かに頷いた。
「マスターが『結城誠』だからこそ、私はこうして、彼の体を気遣うことに喜びを感じられる。……彼が明日も、明後日も、愛する妹さんのために笑って美味しいご飯を食べられるように。
私たちは全力で、マスターをサポートするだけです」
「うんっ! 任せて! 明日もマスターにいっぱいツッコミ入れるぞー!」
夜明けまで、あと数時間。
結城誠は知らない。
自分が深い眠りについている間、二人の小さな相棒たちが、こうして彼の心と体を優しく包み込み、明日への活力をこっそりとチャージしてくれていることを。
「……おやすみなさい、マスター。良い夢を」
トラ子の静かな囁きと、エク子の温かいアルファ波の光が、脳内会議室の仮想空間を優しく照らしていた。
明日もまた、彼にとって、平和で、少しだけドタバタな、美味しい一日が始まるのだ。




