閑話 旧友たちの酒宴
冒険者ギルド新宿本部の最上階、ギルドマスター執務室。
深夜の静寂の中、片桐豪のデスクに置かれた『裏回線』の魔力通信機が、低い振動音を立てた。
この回線の番号を知っている者は、日本広しといえども片手で数えるほどしかいない。
通信に出た片桐は、相手の声を聞いてふっと口角を上げた。
「……突然、懐かしい男から連絡が来たと思えば。
相変わらずだな、宗一朗」
『夜分にすまんな、豪。少し、付き合わんか』
通信の主は、『黒犬』のトップ、柊宗一朗であった。
表社会のギルドマスターと、裏社会のドン。
決して交わってはいけないはずの二人は、かつてまだダンジョンが世界に現れて間もなかった混沌の時代に、背中を預け合い、数々の死線を潜り抜けた『Sランク冒険者パーティ』の元・仲間であった。
「お前にサシで飲みに誘われるなんて、いつ以来だ? 確か、俺がギルドマスターに就任した祝いの席以来じゃないか?」
『ああ、そうだったな。あの時はお前が悪酔いして、俺のスーツに酒をぶち撒けたよな』
「ふん。お前が先に俺のグラスに度数90パーセントの酒を注いだからだろうが」
軽口を叩き合いながら、片桐は執務室のコートを手に取った。
旧友からの誘い。断る理由はなかった。
◆
新宿の喧騒から少し離れた、神楽坂の路地裏。
看板のない隠れ家的な小料理屋の、一番奥の座敷席で二人は落ち合った。
片桐は仕立ての良いスーツ姿、宗一朗は威厳のある和服姿だ。
「……お前も、変わらないな。豪」
「お前もな、宗一朗。その顔の傷を見るたびに、あの『狂竜』との死闘を思い出すよ」
二人は軽くグラスを合わせ、極上の日本酒を喉に流し込んだ。
表と裏、それぞれの頂点に立つ男たち。
普段は決して見せることのない、ただの「歴戦の戦友」としての顔がそこにはあった。
昔話に花を咲かせ、互いの近況を語り合い、やがて酒の肴は「最近の冒険者事情」へと移っていった。
「そういえば、宗一朗。最近、うちの新宿本部に、どうにもおかしな新人冒険者が登録してきてな」
「ほう? お前が『おかしい』とまで評するとは、余程の才能の持ち主か」
「いや、才能(適性)は完全な『ゼロ』だ。魔力も一般人以下。
だが……そいつは明らかに『規格外の力』を隠し持っている」
片桐は、楽しそうに目を細めながら語った。
「名前は結城誠、35歳。
……つい先日、Cランクのアーマード・オークを『偶然振り回した袋が当たった』という猿芝居で即死させた。
さらに昨日は、Aランク相当にまで魔力が暴走したヤツを相手に、無防備に攻撃を背中で受けて無傷。
挙句の果てに、暴走した魔力核をピンポイントで粉砕し、『相手が勝手に自爆した』と言い張ってのけたんだとさ」
「…………」
結城誠。
その名前を聞いた瞬間、杯を口に運ぼうとしていた宗一朗の手が、ピタリと止まった。
「あの男、完全に自分の実力を隠している。
演技が下手すぎて、うちの腕利きの教官や調査員にはバレバレなのだが……本人は本気で『ただのドジな運のいいおっさん』を演じ切れていると思っている節があってな。厄介だが、実に面白い男だ」
「……そうか。誠の奴、冒険者ギルドに登録していたか」
宗一朗が、ポツリとこぼした。
その言葉に、今度は片桐が驚きに目を見開く。
「なんだ、宗一朗。お前、あの結城誠を知っているのか?」
「……ああ。よく知っている」
宗一朗の脳裏に、決して口を割らず、龍牙との約束を守り抜いた不器用な男の姿がよぎった。
(そうか。龍牙がダンジョンで倒されたという報告……まさか、誠が相手だったとはな。
龍牙の暴走を無傷で止めただけでなく、あえて殺さずに魔力だけを奪うとは。……本当に、底の知れない男だ)
宗一朗は、ふっと口元を緩め、旧友に向かって真っ直ぐに宣言した。
「悪いが豪。結城誠は、こちら(黒犬)がいずれ頂く。
あれは、裏社会に置いておくには惜しいほどの『義』を持った男だが……俺の組織には絶対に必要な人材だ」
「おいおい、冗談じゃない」
片桐が、すかさず杯をテーブルに置いて否定した。
「あいつの力は、いずれ世界を揺るがす。あのような有力な冒険者は、ギルドに何人いてもいい。
いや、うちで囲い込ませてもらう。
あんな規格外を、裏社会の抗争に巻き込ませるわけにはいかんからな」
表社会のギルドマスターと、裏社会のドン。
かつての戦友同士が、一人の「35歳のジャージの男」を巡って、バチバチと火花を散らす。
座敷の空気が、ピリッと張り詰めた。
……沈黙。
数秒の睨み合いの後。
二人は、全く同時に「「……フッ」」と吹き出し、やがて腹を抱えて大笑いした。
「ハハハッ! お前と獲物を取り合うなんて、Sランク時代以来だな!」
「違いない。あの頃はいつも、どちらが先にボスの首を落とすかで揉めていたからな」
笑い声が収まると、宗一朗は杯に酒を注ぎ足した。
「まあいい。俺が強制的に引き抜こうとしても、あの男は決して首を縦には振らん。
……あいつは、自分が守りたいもののためにしか動かない不器用な男だからな」
「同感だ。俺も、無理に引き抜いてギルドに縛り付けるつもりはない。
……結城誠が、自分で選ぶ道を尊重しようじゃないか」
「ああ、そうだな」
当の結城誠本人が知れば「勝手に俺を取り合わないでくれ! 面倒くさい!」と泣いて逃げ出すであろう密談は、こうして和やかに終わった。
◆
酒が進み、夜もさらに更けてきた頃。
片桐の纏う空気が、ふと、冒険者ギルドのトップとしての『鋭さ』を取り戻した。
「……さて。昔話はここまでにして、少し『きな臭い話』をしておこうか」
「ほう。お前がその顔をするということは、よほどの事態だな」
宗一朗もまた、裏社会のトップとしての冷徹な顔つきに切り替わる。
「最近、うちの他の支部が管轄しているダンジョンで……『迷宮崩壊』の予兆が観測された」
「…ダンジョンブレイクだと?」
宗一朗の眉がピクリと動いた。
ダンジョンブレイク。
それは、迷宮内に溜まった魔力が限界を超え、無数の魔物たちが現実世界へと溢れ出してくる大災害である。
「ああ。だが問題はそこじゃない。
ブレイクの予兆があったのは、定期的な魔物の間引き(間引き)を行い、魔力濃度の管理を徹底している『完全対策済み』の安全なダンジョンなんだ」
「……馬鹿な。管理されたダンジョンで起きるなど、あり得ないだろう」
「その『あり得ない』が起きようとしている。……宗一朗、お前の耳に、何か情報は入っていないか?」
片桐の問いに、宗一朗は腕を組み、静かに首を振った。
「いや、俺のところには何の噂も入っていない。だが……お前の言いたいことは分かる。自然発生でないとすれば」
「ああ。何者かが意図的にダンジョンの魔力脈に干渉し、人為的にブレイクを引き起こそうとしている……俺はそう踏んでいる」
人為的なダンジョンブレイク。
もしそれが事実であれば、ただの災害ではない。都市一つを壊滅させるための、明確な『テロリズム』だ。
「結城誠が絡んだ『魔力増強剤』の密売ルートもそうだが、最近、どうも得体の知れない連中が暗躍している匂いがしてな。
……宗一朗、裏社会の動きには気をつけておけ。ダンジョンから魔物が溢れれば、おまえらのシマだってタダじゃ済まないぞ」
「分かっている。……こちらでも、不審な動きがないか洗いざらい調べさせておこう」
二人の顔に、重苦しい緊張感が走る。
結城誠というイレギュラーの存在に気を取られている裏で、世界を揺るがす巨大な悪意が、静かに、そして確実に胎動し始めていた。
新宿の夜は深い。
来るべき大きな嵐の予兆を孕みながら、旧友たちの酒宴は夜明けまで続いた。




