世間は狭い
合同研修での思わぬトラブル(龍牙の襲撃)から一夜明け、事後処理と報告を終えた俺は、ギルドの出入り口で大きく伸びをした。
背中がビリビリに裂けたジャージはさすがに捨てて、今日はドドンキで新しく買った1500円の無地のパーカーを着ている。
「ふぅ。なんとか面倒な事情聴取は回避できたな。教官が『自爆』で処理してくれて助かったぜ」
『マスターの日頃の行い……というより、鬼島教官が面倒事に関わりたくなくて思考放棄しただけですね』
「結果オーライだ。さて、今日は帰って美桜の病院に行くか……」
そう思って歩き出そうとした時だった。
「あ、結城さん!」
「結城さん、待ってくださーい!」
背後から小走りで駆け寄ってくる二つの影。
昨日の研修で同じパーティだった、ヒーラーのしずくと、魔法使いの葵だった。
二人とも、今日は冒険者の装備ではなく、年相応の可愛らしい私服姿だ。
三十路半ばのむさ苦しいおっさんが、こんな若い女の子二人に呼び止められるなど、表通りでは完全に事案である。
俺は周囲の視線を気にしながら慌てて立ち止まった。
「お、おう。二人とも、昨日は災難だったな。怪我の具合とか大丈夫か?」
「はい! 一晩寝たらすっかり元気になりました!」
しずくが太陽のような笑顔で頷く。
「……結城さん。私たち、昨日のことでどうしてもきちんとお礼がしたくて」
葵が、少しだけ照れくさそうに視線を逸らしながら言った。
「もしこれからお時間があるなら……ご飯、ご馳走させてくれませんか?」
「えっ? いやいや、俺みたいなオッサンが若い子に奢ってもらうわけには……」
「ダメです! 命の恩人なんですから! 行きますよ、葵ちゃん!」
「あ、ちょっと引っ張らないでよ、しずく!」
俺は両腕を二人に引っ張られ、抵抗する間もなく新宿駅前のファミリーレストランへと連行されることになった。
◆
ファミレスの四人掛けテーブル。
向かいの席に座るしずくと葵の前に運ばれてきたのは、可愛らしいオムライスとパスタ。
そして俺の前にドンッと置かれたのは、この店で一番高い『特大チーズインハンバーグ&リブロースステーキコンボ(ライス大盛り)』だった。
「……本当に、俺がこんな高いの食べていいのか?」
「もちろんです! 結城さんが背中で庇ってくれなかったら、私たち今頃生きてなかったかもしれないんですから。遠慮しないでいっぱい食べてください!」
しずくがニコニコと笑う。
あの時は龍牙の薬物暴走による自爆ということになっているが、それでも「俺が身を挺して盾になった」という事実には変わりないため、二人は本気で感謝してくれているらしい。
「そ、そうか。じゃあ……いただきます」
ナイフを入れると、ハンバーグから肉汁とチーズが溢れ出す。
美味い。
自分で稼いだ金で食う肉も最高だが、人から感謝されてご馳走になる肉というのも、また特別な味がした。
和やかな空気で食事が進む中、食後のドリンクバーのコーヒーを飲みながら、葵がふと姿勢を正した。
「そういえば、結城さん。昨日みたいな状況でちゃんと自己紹介できていませんでしたね」
「ん? ああ、そういえばそうだな。俺は結城誠。35歳で、この前までギルド支部でしがない事務員をやってた」
「私は水瀬しずくです! 立派なヒーラーになるのが夢です!」
「……私は、剣崎葵。一応、魔法使いをやっています」
剣崎。
その名字を聞いた瞬間、俺の知力20の脳細胞が、過去の記憶の引き出しをガタガタと漁り始めた。
(……剣崎? どこかで聞き覚えがあるな。もしかして……)
「あのさ、葵ちゃん。ひょっとして……『剣崎匠』って冒険者、知ってるか?」
俺が問いかけると、葵は目を見開いて驚いた。
「えっ!? あ、はい。それ、私の兄ですけど……どうして結城さんが兄を?」
「…………マジか」
俺は思わず天を仰いだ。
世間とはなんて狭いのだろう。
剣崎匠。日本最高峰と謳われる『Sランク冒険者』の一人。
そして何より――俺の探索者協会時代の『元同僚』であり、俺が人生のどん底にいた時、ただ一人手を差し伸べてくれた『大恩人』だった。
「俺、お兄さんのことよく知ってるわ。協会で働いてた頃の、元同僚なんだよ」
「えっ、兄の同僚……!?」
「あいつは現場に出る冒険者で、俺は裏方の事務員だったけど、同期みたいなもんでさ。あいつ、すげえ強いのに絶望的に書類仕事ができなかったから、俺がよく代筆して始末書の書き方を教えてやってたんだよ」
「そうなんですか……兄がいつもご迷惑をおかけして本当にすみません……っ」
葵が恥ずかしそうに顔を覆う。
「それに、あの人は俺の大恩人なんだ。
俺が『適性なし』って理由で理不尽に事務員をクビになった時……美桜の、俺の妹の病気が悪化して、治療費が払えなくて完全に絶望してた。
そしたらあの人、元同僚ってだけの俺に、自分のポケットマネーから『一億円貸してやる』って言ってくれてさ」
あの時の匠の真っ直ぐな瞳を思い出す。
結局、当時の俺はつまらないプライドと絶望からその厚意を拒絶してしまった。
後、直接顔を合わせてはお礼を言えていなかったな…。
「……あんなにすげえSランク冒険者なのに、俺みたいな底辺の俺を助けようとしてくれた。本当に、頭が上がらない人だよ」
俺が懐かしむように言うと、葵の顔がみるみるうちに驚きに染まっていった。
「あっ……!! も、もしかして!?」
「ん? どうした?」
「もしかして兄がよく話してた『俺の恩人』の結城さんって、あなただったんですか!?」
葵がファミレスのテーブルから身を乗り出す勢いで叫んだ。
「恩人? いやいや、逆だろ。
俺はあいつに助けられそうになっただけのただのオッサンで……」
「違います! 兄はいつも言ってました。『俺が冒険者として死なずにSランクまで来れたのは、同僚だった頃に裏で死ぬほどサポートしてくれたおかげだ』って! 結城さんがクビになった時も、自分の力が足りなくて助けられなかったって、ずっと後悔してたんです!」
そうだったのか。
俺にとってはただの同僚としての通常業務だったが、匠はそれをずっと恩義に感じてくれていたらしい。熱血漢で義理堅いあいつらしい。
「……そっか。あいつの妹さんだったのか。
なら、昨日ダンジョンで俺が盾になれたのも、何かの縁だったのかもな。
同僚のよしみで、少しだけ恩返しができた気がするよ」
俺が笑って言うと、葵は少しだけ泣きそうな顔をして、それから深く、深く頭を下げた。
「……結城さん。兄のことも、私のことも……本当に、ありがとうございます」
「だから気にするなって。俺はFランクのオッサンだぞ。これからは同期の冒険者としてよろしくな」
すっかり打ち解けた俺たちは、ファミレスを出た。
駅の改札前で別れる時、しずくが俺の袖を引っ張った。
「結城さん! 私たち、また結城さんと一緒にダンジョンに行きたいです! 次の研修や、普通のクエストの時も……またパーティ組んでくれますか?」
「おっ、いいのか? 俺、荷物持ちしかできないお荷物だぞ?」
「ふふっ、いいんです。結城さんがいると、なんだか絶対安心できる気がするから」
葵も隣で「……足手まといになったら置いていきますからね」とツンデレなことを言いながら、嬉しそうに微笑んでいた。
俺は「ああ、またよろしくな」と二人に手を振って、帰路についた。
◆
その日の夜。
都内にある剣崎家の一室で、パジャマ姿の葵は、スマートフォンを耳に当てていた。
『――マジかよ!! 結城が冒険者になったのか!?』
電話の向こうから、スピーカーが割れそうなほどの大声が響く。
日本最高峰のSランク冒険者である兄、剣崎匠だ。
「うん、そうなの。昨日、Fランクの研修で偶然パーティを組んで。それで……私、結城さんに命を救われたの」
『なんだと!?』
葵は、ダンジョンで起きた一部始終を兄に話した。
Aランク相当の殺気を放つ狂った男が現れたこと。
自分たちを庇って、結城誠がその男の全力の攻撃を背中に受けたこと。
そして――。
「……結城さんは『相手が勝手に自爆した』って言ってたし、教官もそう処理したみたいだけど。……お兄ちゃん、あれは絶対に違う」
『……どういうことだ、葵』
電話の向こうの匠の声音が、真剣なものに変わる。
「私の目の前だったから、魔力の流れがハッキリ見えたの。あの狂った男の魔力は、確かに暴走寸前だった。でも、結城さんが男のお腹に指を当てた瞬間……魔力の供給源だけが、ピンポイントで綺麗に粉砕されたの。偶然の自爆なんかじゃない」
『魔力核だけを……だと?』
「うん。……それに、結城さんはAランクの攻撃を無防備に受けて、服が破れただけでかすり傷一つ負ってなかった。
結城さんはドジなおじさんを演じてるけど……あの人、何かとんでもない違和感がある。……お兄ちゃん、元同僚だった結城さんって、本当にただの事務員だったの?」
葵の鋭い指摘に、匠は電話の向こうで深く息を吐き出した。
『……俺にも分からねえ。同僚として働いていた時も、あいつの適性検査がゼロで戦闘力がないってのはギルドの公式記録だったはずだ。そんなバケモノみたいな力を持っていたなんて話は、一度も聞いたことがない』
「……そうなんだ」
『だがな、葵』
匠の声には、一切の疑念や恐怖は混じっていなかった。
あるのは、ただ純粋な信頼だけだ。
『結城がどれだけ規格外の力を隠していようが、あの人が『誰かのために盾になる』ような、真っ直ぐで優しいお人好しだってことは、同僚だった俺が一番よく知ってる。
自分の妹の治療費で首が回らないどん底の時でも、他人の心配ばっかりしてたような不器用な男だからな』
「……うん。それは、私も今日のご飯でなんとなく分かった気がする」
『……あいつ、ついにこっち側(冒険者)に来たんだな。……最高じゃねえか』
匠は、電話の向こうで心底嬉しそうに笑った。
『葵。俺の可愛い妹を命懸けで守ってくれて、結城にはどれだけ感謝しても足りねえ。
俺も改めて、あいつに礼を言う機会を作らないとな』
「うん。それがいいと思う。結城さん、すっごく嬉しそうに特大ハンバーグ食べてたから、美味しいお肉をご馳走してあげてね」
葵はくすっと笑い、兄との通話を切った。
ベッドに寝転がり、天井を見上げる。
(結城、誠さん……)
彼の隠している強さの秘密は、まだ分からない。
だが、あんなにも強くて、あんなにもドジを装って、あんなにも不器用に自分たちを守ってくれた大きな背中を思い出すと、葵の胸の奥がじんわりと温かくなった。
「……次にパーティを組む時が、ちょっと楽しみかも」
魔法使いの少女は、小さな期待を胸に抱きながら、静かに目を閉じた。
一方その頃、当の結城誠(35歳・知力20)は。
ボロアパートの万年床で、「美桜が退院したら、今度こそすき焼き食うぞー……むにゃむにゃ」と、能天気な寝言を言いながら爆睡しているのだった。




