理不尽なる復讐者1
新宿の裏路地にひっそりと佇む、黒犬が管理する薄暗いセーフハウス。
かつて最高級のイタリア製スーツを着こなし、数十人の部下を従えていた龍牙は今、ヨレヨレのシャツ姿で、安物のウイスキーを煽っていた。
「……クソッ。クソッ、クソォォォッ!!」
グラスを壁に投げつける。
ガシャンという破壊音と共に、琥珀色の液体が虚しく壁を伝い落ちた。
先日の幹部会。
柊宗一朗の圧倒的な暴力と怒りの前に、龍牙の野望は完全にへし折られた。
まどか拉致の首謀者であることが露見し、無期限の謹慎処分。
シマも、資金も、部下も、すべてを凍結され、今の彼はこの狭い部屋から一歩も出られない「ただの幽閉者」へと成り下がっていた。
コンコン、と。
無機質なドアをノックする音が響き、鍵が開けられる。
現れたのは、左京玄弥だった。
「……随分と荒れていますね、龍牙さん」
「左京か……。テメェ、よくこの状況で俺のところに顔を出せたな」
龍牙は血走った目で左京を睨んだが、すぐに力なく自嘲の笑みを浮かべた。
「……お前は運がいいぜ。俺が親父殿に殴り飛ばされた時、テメェの名前は一切出さなかったからな。俺はすべてを失ったが、お前はバレなくてよかったな」
「ええ、本当に。龍牙さんには感謝してもしきれませんよ」
左京は心配そうな顔を装いながら、龍牙の前に静かに歩み寄った。
「しかし、口惜しいですね。龍牙さんのような優れた器を持つ方が、このような惨めな境遇に追いやられるなど……。
すべての原因は、あの小娘と、彼女が飼っているあの野良犬(結城誠)にあるというのに」
「……あぁ、そうだ。結城誠……ッ! あの野郎が、俺の計画を……!」
龍牙の顔が、どす黒い憎悪で歪む。
自分がまどかを痛めつけたことなど棚に上げ、結城誠がダンジョンから素材を持ち帰ったせいだと、彼の思考は完全に責任転嫁に陥っていた。
どうすることもできない無力感が、龍牙のプライドを内側から食い破っていく。
「龍牙さん。……もし、その恨みを晴らす『力』と『機会』が手に入るとしたら、どうしますか?」
左京が、懐から一つの小瓶と、一枚の古びた地図を取り出した。
小瓶の中には、禍々しい紫色の液体が脈打つように揺らめいている。
「昨日、下部組織が地下水道で取引するはずだった『魔力増強剤』。……これは、そのオリジナル。原液をさらに濃縮した特別製です」
「ブーストだと……? ふざけるな、あんな粗悪品、飲んだら精神が崩壊するだろうが!」
「ええ、もちろん副作用はあります。……ですが、これを飲めば、あなたの魔力回路は強制的に限界突破を引き起こし、一時的に『Aランク冒険者』に匹敵する圧倒的な力を得ることができます。……結城誠を、その手で八つ裂きにできるほどの力を」
左京の甘い、悪魔のような囁きが、龍牙の耳に流れ込む。
さらに左京は、テーブルに置いた地図を指差した。
「結城誠は本日、新宿第4ダンジョンでの『Fランク新人合同研修』に参加しています。
引率がいるとはいえ、所詮は浅層。
ギルドの警備も手薄です。
……この地図には、このセーフハウスの監視をすり抜ける裏道と、ダンジョンの未踏査ルートから誰にも見られずに内部へ侵入する経路を記しておきました」
「お前……まさか……」
「このままここで、何もできずに朽ち果てますか? それとも、すべてを奪ったあの男に、あなたの『本当の恐ろしさ』を教えてやりますか?」
龍牙の視線が、紫色の小瓶と地図に釘付けになる。
失脚した自分には、もはや失うものなど何もない。あるのは、結城誠へのドロドロとした恨みだけだ。
「……よこせ」
龍牙は震える手で小瓶と地図をひったくると、ギラギラとした獣のような目でそれを握りしめた。
それを見た左京玄弥の顔に、まるで夜空に浮かぶ三日月のような、細く冷酷な笑みが浮かび上がった。
◆
数時間後。冒険者ギルド新宿本部、地下訓練場。
Fランクの新人冒険者たちには、定期的に『パーティでの連携』を学ぶための合同研修が義務付けられていた。
今回のルールは「3人1組でパーティを組み、浅層ダンジョンを攻略する」というもの。
「よし、お前ら! 自由に3人組を作れ! 10分後にダンジョンへ出発するぞ!」
Bランク教官の鬼島が声を張り上げると、三十人ほどの若者たちが一斉にざわめき、気の合う者同士でパーティを組み始めた。
……そして、開始から5分後。
『マスター。見事なまでのぼっちですね』
「うるせえ。35歳のジャージのおっさんと組みたい10代の若者がいるわけないだろ」
エク子に煽られながら、俺は壁際で一人、ポツンと腕を組んでいた。
周りの若者たちは「あのジャージのおっさん、オークを事故で倒しただけのドジっ子だろ」
「足手まといになりそう」とヒソヒソ話している。見事なまでのハブられっぷりである。
このまま誰とも組めなければ、俺は一人で帰って家でゲームでもしようかと考えていた、その時。
「ゆ、結城さん!」
声のした方を見ると、先日のオークの件で助けた(?)、小柄なヒーラーの少女・水瀬しずくが、もう一人の少女の手を引いて小走りで駆け寄ってきた。
「よかった、結城さんまだパーティ決まってないですよね? 良かったら、私たちと組んでくれませんか?」
「え、俺でいいのか?」
「はい! 結城さん、私ってドジですけど……いざって時はすっごく頼りになりますから! あ、こちらは友達の魔法使いの、葵ちゃんです!」
「……初めまして。葵です。しずくがどうしてもって言うので……足引っ張らないでくださいね、おじさん」
葵と呼ばれたポニーテールの少女は、俺のジャージ姿を見て少し呆れたような顔をしながらも、ペコリと頭を下げた。
「おう、俺は結城誠だ。よろしくな。俺は荷物持ちでも盾役でも何でもやるから、好きに戦ってくれ」
若い女の子二人に混じる三十路のおっさん。図らずも引率の先生のような構成になってしまったが、俺の内心は「娘の授業参観に来たお父さん」の気分だった。




